• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

meganetのブログ一覧

2023年04月23日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その⑤;1970年代のBS RDシリーズについて(後編)





 前回の拙ブログの後いろいろ調査を試み、1975~79年頃のBSラジアルタイヤの動向がおおよそ理解できたように思われますので筆を進めていきます。ただしまだ未調査の部分もあり、今後とも随時追記させて頂く予定です。



 <1975~76年のうごき>
 この時期は、①1975年初頭、RD-105に扁平率82%のタイプも併売開始 ②同年7月、前述のRD-108発売 ③同年10月頃、70スチールラジアル「RD-106」発売 ④1976年2月、RD-108をベースとするセルフシーリングタイヤ「マクシール(MAXEAL)」発売(当初は155SR12、165SR13の2種類からスタート~逐次拡大) ⑤同年5月頃にはマクシールに扁平率70%タイプ「RD-109」も発売、といった商品展開がみられました。


alt
( 1975年2月のカタログより引用)

alt
 https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4095&query=&class=&d=all&page=37 より引用)


 このうち ①②のRD-105、RD-108については「前編」で解説したので詳細は割愛させて頂きます。


 <追記&写真追加>

alt
 (CG 1977-4号より引用)
 
 82タイプのRD-105については、当時のファミリアのテスト記事を見つけました。割と平凡・中庸な性格のタイヤであった模様です。




alt
 (CG 1975-12号より引用)

 ③の「RD-106」については、1975年10月頃発売=RD-108より後発商品でありトレッドパターンもRD-108に類似していますが、番号はなぜか若番です。
 材質やトレッドパターンはRD-108等の「新世代」、ただし構造面(2プライ?)などはまだ旧世代、といった過渡期的商品なのかもしれません。あくまで憶測ですが・・・
 ともあれこのRD-106、RD-100シリーズ=スタンダードラジアルの系譜として当時、複数の国産車の標準装着タイヤとなったようですが、


alt
 (CG 1976-2号より引用)

alt
 (CG 1977-4号より引用)


 コスモやローレル2800といった重量級・新世代の足回りをもつツーリングカーとの相性はなかなか良かったようです。


alt
 (CG 1976-8号より引用)

 ただしΣのようなミドルクラス4ドアセダンとのマッチングは、やはりトレッド面の硬さが災いして今いちであったように思われます。



alt
 (当時の広告記事より引用)


 また先発の70スチールラジアルであるRD-202との価格差もほとんどなかったようで、いまひとつRD-202との「棲み分け」がはっきりしないように思われ、BSの70スチールラジアルはまだまだ試行錯誤の状態であったものと窺われます。



alt
 (https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4095&query=&class=&d=all&page=38 より引用)

alt
 (CG 1976-5号より引用)


alt
 (CG 1976-7号より引用)


 ④のパンクシーリングタイヤ「マクシール」については、まず1976年2月に82タイプが先発(トレッドパターンはRD-108と同一との事で、シール材の塗布以外の技術的特徴は同様のものであったと思われます)→ 数か月後に70タイプが後発(こちらは「RD-109」の新番号が付与され、トレッドパターンもRD-106 他の既存タイヤと全く異なっており、これもまた、BSが70スチールラジアルの技術的確立のため様々な試みを行っていた証拠といえるかもしれません)されました。



alt


 ただし、パンクシーリングタイヤ自体はBFグッドリッチのパテントらしく、また国内販売も「またしても」ヨコハマに先行され(ヨコハマは戦前から1981年までグッドリッチと業務提携関係にあり、その流れで導入が先行したものでしょう。なおヨコハマ「シーレックス」の発売は1975年5月頃)、その後を追いかける展開となり、その後、



alt
 (CG 1976-8号より引用) 

  

 CMその他の広告展開も行われますが、
   https://www.bridgestone.co.jp/corporate/history/story/06_03.html
にもある通り「予想に反して販売が大きく伸びることはなく、『MAXEAL』の生産は2商品のみで終了することとなりました」(1980年のカタログには未掲載であり、1979年頃終売となった模様)。



 <1977~79年のうごき>
 この時期の新規商品は、①またまた新規70スチールラジアルの「ドリーバード(DOLLY BIRD)」(まだ正確な調査が済んではおりませんがおそらく1976-77年発売) ②そして1978年11月、有名な「スーパーフィラー」構造の新商品「RD-207」の誕生~ラインナップの拡充 ③1979年の「ポテンザRE-47」となりますが、③については今回割愛させて頂きます。



alt
 (*当初掲載写真とさしかえ。19774月の総合カタログより)


 ①については1976年前半までの資料には出現せず、1977年4月のカタログ掲載の時点で順次販売サイズを拡大中のようであり、おそらく1977年初めの発売で間違いないでしょう また1977年のCG誌をチェックしても新商品紹介記事が見当たらないため、現時点では1976年後半の販売開始と推測しております。デザインについては、これまた今までにない「バードウイング型」トレッドパターンであり、ホワイトレター(後にブラックタイヤも併売)も含め高級志向・静粛性や乗り心地志向のタイヤのようで、後年の「レグノ」の前身のような位置づけのタイヤと思われます。ただし前述のようにBSが70スチールラジアルタイヤの技術を「モノにする」過渡期にあるタイヤであり、メーカー自身あまり多くの拡販広告を行わなかった事もあってか、それほど大きな評判を得ることはなかった模様です・・・



alt

alt
alt


 そして②=1978年11月にデビューしたRD-207。これが「70」スチールラジアルであった事、宣伝文句が「あのラジアルが乗り心地までものにした。」である事からも分かる通り、「(BSの)70スチールラジアルは硬く重く乗り心地が悪い」「ウエットグリップも今いち」といった評価に対するブレイクスルーを目指し、そしてそれにかなりの成功を収めた記念碑的タイヤであると言えますでしょう。

 スーパーフィラーラジアルの当時談については、みんカラでも徳小寺 無恒さまが、
 https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/8825524/
で既におまとめになっておられますが、






 当時BSは大規模な広告宣伝活動を行い商品アピールに努めました。


alt

 そういえばわたしも自分のBS・モンテカルロ自転車に、当時こんなマッドフラップを付けていましたね・・・



alt
 (https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4095&query=&class=&d=all&page=42 より引用)



alt
 (1980年1月総合カタログより引用)

 
 SFシリーズについてはその後、82テキスタイルラジアルの「RD-115」(発売時期未調査)→ 「アクアコンパウンド」による、さらなるウエットグリップ向上をはかった82スチールラジアルの「RD-208」(1979年4月発売)→ アクアコンパウンド技術を70スチールラジアルにも導入した「RD-209」(1980年初頭発売)、と続いていくこととなります。またトレッドパターンについても徐々に、1980年代的・直線的なパターンが出現しはじめている点にご注目下さい。


alt

 一方で、それと引き換えにRD-202/203やマクシールといった先行スチールラジアル群は、より先発のRD-201やRD-102 WIDE70 より早く終売(カタログ落ち)となった模様です。次いでRD-105などもおそらく、そう日をおかずドロップしたものと思われます。
 なおRD-201やRD-102 WIDE70 がその後もしばらく生き残ったのは、減価償却の終わった廉価版としての価格面でのメリットや、チューブタイヤ対応の絡みもあったものでしょう。



 以上、1970年代のBS RDシリーズ 乗用車用一般ラジアルタイヤについてまとめてみました。1970年代のBSラジアルタイヤは、テキスタイル→スチールへの流れもあってかなり試行錯誤のあとがみられ、特に乗り心地やウエットグリップの改善には苦労した模様であること、また商品開発的に先行するヨコハマに追いつき・追いこすための努力に傾注していたこと、その中でもRD-108と「スーパーフィラー」シリーズは、その後に繋がる大きなブレイクスルーであったものと考えられました。


 ・・・どなたかお暇な方、1980年代のBSラジアルタイヤについて続きをまとめてみませんか?(笑)。ではでは。


Posted at 2023/04/26 19:35:50 | BS関係 | 日記
2023年04月20日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その⑤;1970年代のBS RDシリーズについて(前編)


*この記事は、過去記事;
 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/22655378/
 の続編となろうかと思います。



alt


 1970年代の国産ラジアルタイヤの進化は主に、①70タイヤの出現 ②スチールラジアルの普及、の2点が主だといってよいかと思います。そして70年代末に、③アドバン、ポテンザ等のスポーツタイヤ登場(*アスペック、レグノ等のコンフォートタイヤの展開は1980年以降) ④スーパーフィラー等の新技術の展開、などがみられ1980年代へと繋がっていく訳ですが、ここはRDシリーズの話ですので③は割愛いたします。




<1971-72年のうごき>

alt
 (「ブリヂストンタイヤ五十年史」より)

alt

 https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4095&query=&class=&d=all&page=32
に記載されているように、1971年は ①1月に輸出用スチールラジアルタイヤとして「RD-170V」発売(1972年に国内販売開始。詳細後述) ②3月に「RD-101」「RD-201」「RD-301」を同時発売 ③7月に初の70シリーズラジアルタイヤ「RD-102 WIDE70」発売という、かなり目まぐるしい展開でした。


alt

 RD-170Vについては主に欧米市場で、ミシュラン等のスチールラジアルがその走行性能、耐摩耗性、耐パンク性などの利点から支持が広まってきたため、これに対応したものと思われます。特に当時のミシュランはZXやXAS〜XZXやXWXといった、今でもクラシックタイヤ界での流通が続く名作を次々と世に問い、一頭地を抜く勢いでしたからね・・・



 alt

 RD-101とRD-201はどちらも扁平率82% のテキスタイルラジアルであり、なぜ作り分けを行ったのか現時点では調査不足でよく分りませんが、おそらくRD-101はチューブ対応製品と思われ、急速に進行したチューブレス化の波の中で比較的短命に終わった(1973年には終売か。1974年カタログには記載なし)ようです。



alt
 (画像は過去オク画像より拝借)

 なおRD-301はスノータイヤのようですので今回は割愛いたします。


alt
 (画像は1980年のタイヤカタログより)

 一方でRD-201は「ボクシンググリップ」と呼称される独特なトレッドパターンで有名であり、1970年代を通じBSラジアルタイヤのボトムレンジ商品として長期にわたり販売されることになります。以前のRD-10/11の欠点として「耐摩耗性」「ウエットグリップ」「硬い乗り心地」等がCGテストなどでは挙げられており、RD-101/201のブロックタイプのトレッドパターンは、おそらくウエットグリップなどの向上を狙ったものでしょう。



alt

 また以前の拙ブログに記した通り、ヨコハマは1969年、国産初の扁平率70 %タイヤである「G.T. スペシャル スーパーモデル70」を発売して好評を博し、BSはしばらくその後塵を拝していましたが、BSも2年近く遅れながら1971年7月に「RD-102 WIDE70」を発売、70タイヤ市場に参戦しました。

 ただしこのタイヤが「謎」であるのは、BS初の70タイヤ=(たぶん)高級タイヤとしての位置づけ、であるにもかかわらず、RD-200番台ではなく100番台なことです。
 当時のBSラジアルタイヤの番号付けは素人目によくわからないのですが、ざっくりした印象では「100番台=普及型、200番台=高級型」のようにみえますし、「ではRD-101の発展形・70バージョンとしてRD-102があるのかな?」と思いトレッドパターンを見ても、

alt

 全然違うパターンです・・・
 なんだかよく分かりませんが、ともあれこの「RD-102 WIDE70」、市場でも、また新車装着タイヤとしても一定の評価を得(例えば、当時セリカ1600GTV等に新車装着タイヤとして採用されているようです)、BSはヨコハマに追いついたように思われました・・・


alt

 追記;それでもまだまだ、とくにウエットグリップなどは十分な性能ではなかったようです(写真はCG 1976-1号、レオーネRXのテスト記事より)。




alt

 しかしながら敵もさるもの。ヨコハマは1972年6月頃に、国内メーカー初の一般乗用車用スチールラジアルチューブレスタイヤ「G.T.スペシャル・スチール」を市販、動的性能の高さや耐摩耗性、耐パンク性能の高さなどを謳い人気を得ることになります。
 その後のアドバンやアスペックを含め、少なくとも1980年代初めまではヨコハマが国産ラジアルタイヤの主導的地位であったといえるでしょう。



alt

 そこでBSは新型スチールラジアルタイヤの開発を加速させるとともに、ひとまず前述の輸出用スチールラジアルタイヤ「RD-170V」を急遽9月頃に国内販売開始し、当面これに対抗することになります。

alt
 (「ブリヂストンタイヤ五十年史」より引用)

 当時のBSの「日本国内には乗り心地その他からテキスタイルラジアルの方が向いている」との市場判断、および「170V」という飛び番号からしても、当初このタイヤを国内投入する予定はなかったものでしょう。
 ただしトレッドパターンなどからみてもやや古い設計年次のタイヤであり、当時スチールラジアルタイヤを好んだような若者・スポーティ派への訴求力はあまり高くなかったものと思われます(1976年頃終売)。





 2024年追記;たまたま読んだ1972年のCG誌で、240Zの標準装着タイヤとして「RD-150」という銘柄が存在することを知り検索したらeBayに出品あり。トレッドパターンは先に紹介したどのタイヤとも異なっています。まだまだ知らない事だらけですね・・・




<1973-74年のうごき>
 ここでは、①新型70・テキスタイルラジアルである「RD-105 WIDE70」の発売(73年初頭)、および前述のRD-170V の国内投入により当面の状況をしのぎつつ、②待望の新型スチールラジアルタイヤである「RD-202 STEEL WIDE70」(70タイプ。1973年後半発売)、および「RD-203 STEEL」(82タイプ。1974年初頭発売)をセールス、といううごきがみられました。


alt
alt

 ①については当時のCG誌の製品紹介、およびカタログによると「リブ・パターンの採用によるロードノイズ低減」「サイプを数多く入れウェット時のブレーキ性能向上」「耐摩耗性の向上(RD-201比10~20%アップ)」等が謳われておりますが、裏を返せば既存製品においてロードノイズやウエットグリップ、耐摩耗性に対する満足度がまだ十分でなかったことが窺われます。なおRD-105はのちに扁平率82%のタイプも併売され、1980年頃終売となったようです。




alt

 そしてBSファン待望の②の発売。ちなみにこの「RD-202 STEEL WIDE70」というのが・・・



alt

 先日「何シテル?」に投稿したクイズの答えでございます(笑)。
 ♡ を連ねたようなトレッドパターンが特徴的ですね。


<追記&画像追加>




 この新商品紹介号と手持ちカタログから推測すると、RD-202は1973年7-8月頃、RD-203は1974年2月頃の発売であったと思われます。



 いずれにせよ、ようやくここで他社のスチールラジアルタイヤと同等の商品を提供できるようになり、懸案であった動的性能や耐摩耗性の改善を得られた・・・と思われたBSでしたが、スチールラジアルには別の欠点がありました。

 それが「重くて硬く、乗り心地がハードである」との評判です。特にあの当時、国産スポーティーカーに後付けラジアルタイヤを履かせるような御仁は、



alt

「スチールホイールより重いんじゃね?」といった、ごっつい社外アルミとの組み合わせが多かったですし、国産車の足回りも多くが固定軸やら板バネ、ラジアルタイヤに適合したコンプライアンスも取られていないサス設計で、ボディ剛性も低く、ダンパーも低性能・製造公差大、さらに道路舗装状況も今ほど良くない、といった時代なだけに、ドタドタガタガタな乗り味に不満が多かったものと予想されます。ここみんカラでも、

https://minkara.carview.co.jp/userid/1993078/car/1499826/profile.aspx

といった回顧談が検索されました。


alt

 追記;RD-203 についてはCG 1975-5号、GTOのテスト車に履いていた記事を見つけました。こちらも初期のスチールラジアル+基本が1970年登場の車という、スチールラジアルの装着を前提としていないサスセッティングの相乗効果によってか、相当に硬い乗り味であった模様です。





 さらに追記;当時の雑誌広告をみると、BSじしん・・・





 スチールラジアルは「NVHを若干犠牲にして」「耐摩耗性・耐パンク性」を主に追及したタイヤであり、また(世間で思われているほどの差はないけれども)テキスタイルラジアルよりはやや重い(=バネ下重量の増加によるドタドタした乗り心地になりやすい)ですよ、と正直に解説はしており、他社との競合の絡みもあって新商品を発売したものの、この欠点に関する問題意識は早期からもっていたことが窺われます。




<1975年;RD-108の誕生(7月)>

alt

 上記の不満の多くを軽量構造により改善させ、非常に長い生命を保った傑作タイヤ「RD-108 STEEL」についてはBS自身による解説;

https://www.bridgestone.co.jp/corporate/history/story/06_02.html

をご参照下さい。本当に、あの当時の国産車の多くに標準装着タイヤとして履かせてありましたね・・・



alt

 ただし一方で70スチールラジアルについては1975~77年頃の短期間に、
・RD-106
・ドリーバード(RD-205?)
・そして「黄色いゴムがタイヤを変えた」として宣伝されるも、あまり売れずに数年間で終売となったマクシール

といった複数の製品が登場、既存のRD-202と併売されるなど、やや混沌とした状況が見うけられますが、これらについてはまだ発売年次や性格づけなどに関する調査が進んでいないので、ここらで話を一旦打ち切り、後日「後編」として発表させて頂きます m(_ _)m 。


Posted at 2023/04/20 20:13:00 | BS関係 | 日記
2023年04月15日 イイね!

石橋幹一郎氏を偲んで;大正浪漫と海軍と戦争と


 (皆様、くれぐれも「イイね」付けはなさらぬようお願い申し上げます)



 しごく当たり前の話ですが、わたしは生前の石橋幹一郎氏との面識など、あろう筈もありません。
 しかしながらBSのホームタウンであるK市で生まれ育ち、親戚にもかつてのBS関係者を有し、またはじめて定期購読したCG誌であった1984-7号に、




氏のインタビュー記事が掲載され興味深く拝読した事などもあり、以前より氏のことは気になる存在でした。

 とはいえ当時は10代~20代の若造の事、氏の様々な企業・社会活動については「創業者一家の2代目として堅実に事業を発展させたけれども、あまり目立つことを好まれない地道な経営者」という印象であり、1997年の氏のご逝去後はそのお名前を耳にする事も少なくなっていったように思われます。著書・伝記の類も殆どありませんし・・・







 しかしながら、既述のように先日この本を大変面白く読了した事で、わたしは(既に歴史的大人物として揺るぎない評価と情報量を有する)石橋正二郎よりむしろ、幹一郎氏のことをもっとよく知りたいと思いました。
 とくに本書には書かれていない部分、すなわち大正生まれの氏が避けては通れなかった先の戦争との関わりに、氏の戦後の生き方・あり方を規定するものがあるのではないかと想像して・・・





 そこで氏に関する書物を調べたところ、某所にてこの追悼集を見つけ、一気に読了いたしました。



 ・・・ざっくりまとめますと、氏は「育ちの良さ」「もって生まれた多方面の才能(学力のみならず文芸・音楽・写真・美術など)」「大正生まれの上流階級の方が体現する、モダンで自由でロマンティックな感性」を有しながらも、戦前・戦中の重苦しい時代の中、「昔風の宿命を背負うて」「お国のために命を捨てる覚悟で」東大卒業後に海軍経理学校(「短現」)~海軍へと進み、戦後は父親の事業の後継者、戦後の郷里や日本の復興をめざす者としての責務・使命を全うしつつ、海軍の仲間との厚誼や、戦没者への鎮魂の思いを終生絶やす事がなかった、といえますでしょう。

 そしてあの時代を生きた方々に特有の「多くの仲間が死に、自分はこうして生き残ってしまっている」事に対するある種の羞恥心と「それを体験していない若い人々には、畢竟、そのことについて伝えるのは不可能であろう」との諦観からか、みずからの戦争体験を若い世代に広言するようなふるまいについては抑制的であったものと想像されます。




 さかしらな分析はこのくらいにして・・・わたしが齢をとったせいでしょうか、故人となって四半世紀にもなろうという方、全く面識のない方でありますのに、とくに「素顔」にみられる、学生時代のクラスメートや海軍における「同期の桜」の方々、お世話係の方々、そしてご家族の方々などによる追悼の文章に、何度となく涙腺が緩まざるを得ませんでした。

 わたしごときが書中の文章を勝手に引用するなど、誠にもって不敬の至りであるとは重々承知しておりますが・・・・



















 しかしながら氏の、戦争体験について語った文章、そして経理学校同期の方による追悼の辞について計3編、これだけはどうしても、限られた人々の間でこのまま埋もれさせてしまうには誠に忍びないと考え、この場に紹介させて頂くこと、関係者の方におかれましてはどうぞお目こぼし願いますとともに、カネと欲に明け暮れるわれわれ現代人が忘れ去ってしまった、人間の「生」と「価値」、そして「戦争」について、わたしも終生考え続けていきたいと思っております。



 「散る桜、残る桜も 散る桜」 か・・・


Posted at 2023/04/15 12:17:34 | BS関係 | 日記
2023年04月13日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その④;S小学校 石橋記念講堂(現存せず)について



 菊竹建築にいったん話を戻します・・・

 わたしが以前より気になっていた、今は無きK市内の菊竹建築、それが先日の拙ブログ;
 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/46863548/

でも簡単に紹介した、
 
 
alt

 
 この建物です。

 石橋正二郎は創立150年以上を誇る同校の卒業生であり、1959年にこの講堂を新築寄贈したとのこと。この写真をみる限り、本建築の完成式典には正二郎その人も参加していたようにも見えます。

 建物の詳細写真については、

 https://gengo-matsui.musalab.co.jp/pdf/works004.pdf

にも掲載されていますが、菊竹清訓氏設計、松井源吾氏構造解析、施工工務店も大手ゼネコン等ではないものの大正時代創業で現在も存在する老舗であり、決して安普請の建物であったようには到底思えません。しかしながら・・・
によると、1990年には築31年で早くも取り壊されてしまったようです。


 ところで、一体この建物が小学校のどこにあったのか、例によって国交省の空中写真を交えて検索してみると、

alt
 (写真上;現在のgoogle map. 写真下;国交省空中写真1981)

 どうも写真矢印部のところであったもよう。現在、かつて講堂やプールが存在した場所にプールは90°向きを変えて作り直され、また更衣室などが建てられているようです。


 ・・・それにしても、母校の名士・歴史的偉人たる石橋正二郎が寄贈し、同じく地元出身の世界的建築家である菊竹清訓が設計したこの講堂、わたしが当時の校長やら教育委員会なら、たかだか30年ほどで跡形もなく取り壊すなんて「畏れ多くて」とてもできませんが、一体なにがそうさせたのでしょうか? 上記リンク先にはただ「老朽化」とありますが、特殊な構造ゆえの雨漏りの問題でもあったのか? 体育館兼用として使うにはサイズやつくりの問題で使い勝手が悪かったのか?  下衆の勘繰りは尽きません・・・

 おそらく当時の関係者も幹一郎氏に事前に「お伺い」くらいはたて、幹一郎氏は聖人君子(かつ多分、菊竹氏への思い入れもあまりない)な方ですので「古くなって使い勝手が悪いのであれば、どうぞ建て直して頂いて構いません」とでも仰られたのであろうと勝手に推測しますけれども、後世の者からみるといかにも「勿体ない!」と感じてしまいます・・・


 知人・遠戚に同校の卒業生がおりますので、そのうち当時の話など聞いてみたいと思います。ではでは。


Posted at 2023/04/12 19:00:47 | BS関係 | 日記
2023年04月11日 イイね!

BSにまつわるエトセトラ その③;「幻の」ラジアルタイヤ RD-20


 *以前の「予告」と一部順番を入れ替えました。


 素人が建築ネタばかり続けるのも疲れたので、みんカラらしくタイヤネタを・・・

 以前の拙ブログ;
 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/22655378/
 に追記したように、ブリヂストンには「RD-20(ラジアル20)」というラジアルタイヤがかつて存在しました。某CG誌1970-12号、1971-1号などに、


alt

alt

 インプレを行ったセリカ1600GTの装着タイヤとして、また、


alt

alt

 長期テスト車のカペラに標準装着されていたRD-11のパフォーマンスや耐摩耗性が不満であったことから「ブリヂストンタイア設計部と相談して、近く発売される新製品」として提供されたリプレースタイヤとして、紹介されています。


 しかしながらこのタイヤ、「1970年末以降に発売される新製品」としては、RD-11 よりむしろ古いデザイン=RD-10の手直しレベル・チンチュラートの模倣レベルのトレッドパターンですし、

alt

操安性やウエットグリップ、ステアリングレスポンスなどについてもCGでの評価はあまり高くなかったようです。さらには、

alt
  (本写真のみネット検索にて拝借いたしました)

同時期の国内のパンフレットなどをみても、あるいは、

alt

「五十年史」の本文をみても、国内市販された様子がありません・・・


「ひょっとしてこれは、試作レベル or 少数生産タイヤだったのかな?」とも思いましたが、そんなタイヤが(いくらトヨタとBSとのつながりが深いからといって)メーカー広報車両にまで装着されているのはおかしいですし、なにより、

alt

https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4095&query=&class=&d=all&page=29

には、「昭和44年1月発売」とあります。ということで・・・・




alt

 英語で検索してみますと、なんと当時のデッドストック品が海外サイトで掲載されていました! すなわちRD-20は、1969年~70年代初めにかけて存在した輸出用タイヤ(+セリカなど若干のみ、国内新車装着タイヤとしても流通?)であったようです。おそらくはRD-10 の設計をベースに耐荷重性などを強化したものでしょう。


<追記>





 同時期のCGインプレッションを見ると、他にもRD-20を履いた国産車があったようです。すなわち、同時期の国内新車装着タイヤとしても流通があった事は間違いないものと思われます。



 ただし(コーナリングフォース自体はRD-11より若干高かったそうですが)前述のようにそのパフォーマンスについて高い評価を得るには至らず、また「1970年代に入ったのに、まだこんな古くさいトレッドパターンなのかい」という今更感もあり、それでおそらく国内発売は「お蔵入り」となったのではないでしょうか?




alt
(石橋幹一郎氏の追悼集「想い出」より引用。幹一郎氏の経営者としての先見の明に頭が下がるとともに、当時の副社長かつ幹一郎氏の義弟としてBSの品質管理向上に尽力され、将来の社長職を嘱望されながら1976年1月に早逝された、成毛收一氏の功績も大きかったものと推察いたします)


 当時の2代目社長であった幹一郎氏は「ヨーロッパのどのメーカーも技術提携はしてくれませんでしたから」「独学でラジアルをマスターしたのです・・・技術には苦労しました。それだけに、ラジアルには思い出が深いのです。」と後年述懐されており、ひょっとするとRD-20 が国内で一般発売にならなかったのは、幹一郎氏からの発売承認が下りなかったからなのかもしれません。  



 一般的にはとうに忘れ去られたこのタイヤ、日本国内にも1本くらい残ってはいないでしょうか? ダルマセリカの最初期型・1600GTのトヨタ博物館所有車、あるいは個人所有車でもスペアタイヤなどに残ってやしないか、ちょっぴり気になるところですので、どなたか追加情報を期待しております・・・ではでは。

Posted at 2023/04/11 17:55:01 | BS関係 | 日記

プロフィール

「久しぶりの同型車、しかも初期型を割とご近所で発見。初期型だともう20年選手になるだけに、my Megane なんかよりずっと維持も大変でしょうが、可能な限り末永く頑張ってほしい・・・って、ヒトの事言ってる場合じゃないか(笑)」
何シテル?   09/23 07:51
ファーストカーであるメガーヌ・ツーリングワゴン1.6(2009年購入、ph. 2.5) に加え、2011年に縁あってF31レパード・アルティマターボを購入し、2...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/10 >>

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

トヨタしか作れないクルマがある-40年目のクラウン誕生物語 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/04/08 20:12:14
クルマと子育て 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/02/24 00:41:58
ボンネットフードロックのお手入れ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/11/29 20:28:02

愛車一覧

ルノー メガーヌ ツーリングワゴン ルノー メガーヌ ツーリングワゴン
2009年よりわが家のアシ車となっているメガーヌワゴン1.6(ph 2.5)です。 簡 ...
日産 レパード 日産 レパード
2011年春に縁あって購入した、1990年式 F31アルティマターボ(希少色の#4G6、 ...
日産 ローレル 日産 ローレル
小生の初の愛車、1984年式 C31 ローレルの4HT 2000グランドエクストラ。 ...
日産 グロリアセダン 日産 グロリアセダン
大昔の愛車、1984年式 Y30 グロリアセダン(V20E SGL、ベンコラ)。 簡単 ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation