「まいど大阪」というカーオーディオのコンテストの課題曲についての話です。審査員さんがそれぞれ、「課題曲の聴き所」ということで書いている、要は解説文なんですが、それについて自分はこう感じた、ということを書いています。感じ方は人それぞれですので、違っていたとしても問題はないと思いますが、ここまで違うとちょっと問題なのかもしれませんね。自分の耳が、装置が、主流とは外れている、という事なのかもしれないので。
と言いつつとにかく書いてみます。
〇 1曲め。SHANTYについて
【お一人目のを読んで】
敬愛するトミー・シュナイダーさんの娘さんです。
ライブ録音です。「弦楽器の位置関係と距離は一般的な弦楽四重奏の配置と同様」なのかどうかは聴いた限り定かではありません。この録音では恐らく、1楽器にマイク1本ずつのオンマイクなので、ホールの残響や床からの跳ね返り成分と言ったものが聴こえてこないからです。ホールの残響というよりもマイクごとの人工的リバーブによって響きが管理されていて、そこから生まれる響きはスタジオ録音のそれに近く、楽器を中心にした円状に広がるもので、2次元的な感じで距離感・奥行きはありません。
そのはっきりしたハーモニーのなかにヴォーカルが自然に溶け込むのが理想なんだが、声の余韻にはいかにもPAですよという音が混じっていて、ナチュラルな弦楽四重奏のサウンドと溶け込んでいるでしょうか。音楽性もミスマッチングな感じを狙っているんでしょうか。普通に再生すれば、特徴的な違和感たっぷりのサウンドは引き出すことができるでしょう。また、ヴォーカルの定位と声のイメージの大きさが音域ごとにブレないことも重要だが、いかんせん、どすの利いた低音域になると、マイクを煽り気味に歌っているせいもあり、音像がどでかくなるのは自車の調整のせいでしょうか。また、フラットな造りのマイクではないビンテージものを使っているようで、ヴォーカルには透明さよりも何か色が加味されています。楽器はナチュラルなので、余計に対比が際立つ「文化のぶつかりの妙」を面白いと感じる方も多いのでしょう。ちなみに、同様の楽器構成で、同様にビンテージマイクを使ったライブを大貫妙子さんは得意とされていますが、見事なまでに融合された、独自のサウンド・音楽性を確立されているのとは、かなり違っています。
【お二方目のを読んで】
弦楽カルテットを従えたライブ収録ですが、アンビエンスの成分が少ないからか、スタジオ録音のような近い距離感を感じ取れます。
ホールに響くナチュラルなアンビエントというよりも、スタジオによる自然なリバーブが、シャンティの押し出しの強い、ハスキーで芯のある明快なカラーをもった、乾いた声の質感をどうとらえるか、また、とても大きな音像にも注意したいところです。横一列に並んだ弦楽カルテットの定位感を、いかにして半円状に向かい合って座る通常のカルテットのような定位にもっていくのかは、もはや至難の業でしょう。音場(感)の見通しというものはなく、音像と音像の間はただの「無」です。あるいは電気的に生成されたリバーブ成分でしょう。
〇 ウィーンフィルのブラスとオルガンの方の曲について
【お一方目のを読んで】
金管楽器、打楽器、オルガンがほぼ同等の音量になるかどうかなんて曲の部分ごとで変わるわけだし、指揮者の指定によっても当然変わってくるものです。三者の音量が同等にという件は、何を言っているのかわかりません。また、それとは全く別な話で、管・打・オルガンの「距離感」は楽器の配置によって異なるんですが、まず管楽器は、初めから横一列に並んでいますので、そう聴こえるのが正解です。そうではなく距離「感」ということで言えば、ペットやボーンはストレートに音がこっちへ飛んで来るから近く感じ、チューバは上へ、ホルンは後ろへという音の方向性によって遠く感じる、みたいな違いはあると思います。でも、このクラスの奏者なら、そういう違いが出ないよう、距離感を見事に合わせてくるもので、本音源でもそうなっています。また、そのすぐ後ろに打楽器はあるため、管との距離感はほぼありません。当然ながら違うのはオルガン。これの位置関係がわからないようなシステムは、ヴォーカルさえ真ん中に定位しないのではないでしょうか。前後と左右それぞれの方向に自然な距離感を引き出す、という「音像」的なことよりも、舞台の奥行きや高さなど、三次元的な「音場の」拡がりを再現する、そこが重要なのだと思います。
次に、オルガンの足鍵盤と大太鼓やチューバが重なるフレーズでは低音域が混濁しやすくなるので、低音のレベルを適切に調整するのはもちろん、余計な響きを乗せないような愚直な箱作りが求められると思います。音価以上に余分な響きが残らないようにする技術が必要ということです。ちなみに自車では、オルガンと太鼓とチューバは「音の出どころ」が違うのがはっきりわかります。
パーカッションの楽器ごとの音色の違いを正確に鳴らし分けるとは、ひょっとしたら、「シンバルと太鼓の違いを鳴らしわける」という意味ではなく、シンバルでも、二枚のシンバルを擦り合わせた後、面をこちらに向け直した時に変化する音の違い、そういうのを描写しろ、と言っているのでしょうか?また、ムジークフェラインザールの空間が響きで満たされる様子を再現できればさらに次元の高い音を狙える、というのは分かりますが。ヘッドフォンで聴くと、そんなイメージに聴こえるんでしょうか。
【お二方目のを読んで】
教会施法を用いたレスピーギの隠れた名曲ですが、もとはオーケストラ用の曲です。オーケストラとは弦楽器と管楽器と打楽器わ使った楽団のことで、それぞれの台数や種類については明確な基準があります。今回の楽団は、吹奏楽とも違う編成でして、その辺りの基礎知識がしっかり分かっていないと、何も言えないと思います。
ダイナミックかつ精緻なオーケストレーション(←管弦楽用に編曲することをオーケストレーションというのが普通です。例外もあるようですが。この人、知ってか知らずか?)。「再生にはその勇壮さの表現が肝となりそう」とはつまり、スケール感や実在感の表現のことでしょうか。
「管楽器の響きは決して硬くなく、ふくよかでリッチな密度を感じさせるものだ。」とありますが、その大きな要因はおそらく「ウィーンだから」なんだと思います。例えば、かの地では未だに独自の楽器を使用しており、通常のフレンチホルンではなく、恐らく世界でもここだけの「ウィーナーホルン」を使用していることとか。同じ楽器に見えても、ウィーンフィル伝統の楽器で、まろやかな音色が特徴なのです。また、ピストン式ではなくバルブ式のトランペットも、周りに溶け込みやすい音色に一役買っている。ブラスアンサンブルなのにあえてオーケストラ用のものを使用している。打楽器ではおそらくティンパニーも同様。ウィーンはやはりウィーンなのだ。それをわからないで、この曲を審査する、なんてことはもはやあろうはずはないと思います。
重厚なハーモニーが天井へ抜けていくのではなく「眼前にそびえ立って」しまうのは、恐らくマイクポジションのせいで、ワンポイントよりも楽器ごとのオンマイクの成分を厚くし過ぎたからでしょう。いずれにせよ、車内でこのステージングを再現するのは至難の業かもしれません。もう少しオフマイクで全体を俯瞰した録り方をすればよかったのにとも思いますが、そうすると余計に難易度が上がると思います。
いずれにせよ、歴代主要コンテスト課題曲の中では、まだマシな録音なので、チャレンジしようという気が起こる曲といえます。
以上ですが、評論家の方々とは印象がこんなに違ってしまいました。自分の装置のそうでしょうか、それとも耳のせいでしょうか。全然違うなぁ~。というのが素直な感想です。
皆さんにはどんなふうに聴こえてますか?
Posted at 2023/03/14 21:55:43 | |
カーオーディオ | 音楽/映画/テレビ