
95年から設けられたFFキットカー規定を契機に、堰を打って欧州メーカーはWRCに参戦を開始し、様々なキットカーが登場しますが、中でもシトロエン・クサラ・キットカーはこれまでのFFキットカーと違い、意欲的な機構が盛り込んであったと同時に、あくまでも、ターマックに特化したコンセプトだったところが新鮮でした。
車幅は4WDのような立ち上がり加速を得られないFFゆえの弱点を補うべく、コーナースピードを維持するために、WRカーよりも60ミリもワイドな1830ミリ。タイヤは18インチでしたが、アップライトはツーリングカーばりに冷却フィンが付いた凝ったものでした。
エンジンは兄弟車306マキシと同じXU10J型2リッターツインカムでしたが、チューンはシトロエン・スポールが担当。 吸気系は珍しい前方吸気で、過給機を使えないNAのため、グリル背後にはラム圧によるエアボックスを追加した結果、パワーは300馬力を優に超えていたと言われ、これだけのパワーをソツなく伝えるために、駆動系はどのライバルも採用していないアクティブ・デフを採用。結果、タイヤに優しいだけではなく、従来、FFでは不利だったツイスティで曲がりくねったコーナーでのトラクションも問題なくかけられるようになったようです。ちなみにこのマシンを手がけたのは、後にクサラWRCも手がけるフランス人のジャン・クロードボカールで、彼はかつて、プジョーで名マシン、205ターボ16を手がけた一人でもありました。
この意欲的な機構を盛り込んだクサラキットカーは、デビューから翌年の99年WRCカタルニアとコルシカで、4WDラリーカーを差し置いてWRC史上初のFFマシンによる2連勝を達成。一躍、スターダムにのし上がりましたが、当然、4WDメイクスからは不満が続出。 これに配慮したFIAは、2000年からFFキットカーの最低重量を20キロ引き上げるとともに、ターボ4WDカーと同様に吸気制限を設けることを決定。悲運にもこれがクサラ・キットカーの命運を決することになってしまいました。
これに反発したシトロエンは、WRカーよりも重量が重く、簡便な4WDラリーカーとして新たにリジョナルラリーカー構想をぶちあげますが、成就することなく、結果、兄弟会社のプジョーとともに本格的にWRC参戦の道を模索することになります。
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2010/01/14 00:54:43