
今回も車とは関係ない個人的な話で恐縮ですが、先日確定申告に行って、昨年売却した亀山市の不動産の売却税を納税して来ました。思えば、平成10年に父が突然の事故で死亡した時に相続し、処分するのに丸15年の年月がかかった事に感慨を感じずにはいられませんでした。
父が亡くなった時、嫁に行っていた姉は現金で相続し、長男である自分は不動産を相続しました。不動産というのは父が人に貸していた一軒家ですが、普通の人に賃貸していたのであれば家賃収入が見込めて、悪い話では無いのですが、残念ながら父が貸していたのは普通の人ではありませんでした。
家賃滞納は日常的で、まともに払った月の方が数えるほど、3・4か月滞納もしょっちゅうでした。借主は噂では一時ブタ箱に入っていたようで、まともな収入がある状態ではありませんでした。正直、「金払え」と家賃の催促をする電話をするのは気分の良い物ではありませんが、催促しなかったら、そのままずっと支払いしないような人でした。
そうこうしているうちに、平成10年当時は影も形も無かったシャープの亀山進出が突如持ち上がりました。三重県と亀山市が135億円もの補助金をばら撒いた結果でした。
昔から亀山市はお隣の鈴鹿市が本田技研の工場を誘致した事により発展を遂げた事を羨ましく思っていました。大企業の誘致は亀山市民の悲願であったのです。
平成16年にシャープ亀山工場が完成すると、亀山市にはちょっとした「シャープバブル」が発生しました。元々お茶畑とローソク工場しかない田舎町の空き地や畑にアパートやらマンションやらホテルが次々に建設されました。人が流入したことによりコンビニや飲食店も増えて、それまで乗降客が規定より少ないため付けられなかった駅のエレベーターも設置されました。TVのCFでもアクオスが「世界の亀山モデル」と宣伝され、シャープは「亀山工場の液晶技術をブラックボックス化して技術流出を防いでいるので競争力を維持出来る」と報道されるなど、マスコミの報道では華やかな話ばかりが聞こえていました。

しかし、地元では最初から一部でこれはちょっとおかしいぞと言われていました。シャープ亀山工場が出す求人は契約社員や期間工ばかりで、正社員の求人が殆どなかったのである。亀山人に限らないでしょうが、田舎の人間は契約社員や期間工で働きたがる人間は少ないと思います。企業に勤めるのであれば、正社員で勤務する事を望みます。また、母方の叔父さんが三重県庁に勤める県の官僚でしたが、叔父さんの話でも「三重県の各工業高校の新卒全部併せてもシャープ亀山は10人しか採用しなかった。地元雇用の面からはシャープ亀山工場は全く貢献していない」との事であった。ではシャープは人手をどう確保したか?大阪や名古屋あたりで募集した日系ブラジル人を契約社員として採用し、亀山へ送り込んで来たのである。つまり、シャープは情勢が悪くなればいつでも契約社員の契約を切って、縮小・撤退出来るよう、最初から布石を打っていたのである。「世界の亀山モデル」は日本人では無く外国人によって作られていたのである(無論全員がそうではないだろうが)。もっとも亀山で作っているとはいっていますが、日本人が作っていますとは言っていないので、シャープも嘘を言っていたのではないが。

日系ブラジル人とは言え、シャープで働く労働者が多数やって来た事により、亀山市内ではマンション・アパートの建設ラッシュが発生した。亀山市も新設の賃貸物件を建てた場合は固定資産税の一部免除するなど優遇措置を実施した事もその一因であった。シャープ景気を当て込んで、銀行から融資を受けて空いている土地にマンションやアパートを建てて一儲けしようとする人がたくさんいたわけである。だが、自分はこれは危険だと思った。逆に、シャープ景気が続いている今だからこそ不動産を処分しておかないと大変なことになると判断した。
だが、家賃を払わないとは言え、入居者を退去させるのは容易では無かった。日本の法律では3.・4ヶ月程度の滞納では強制執行による退去は出来ないのである。2年ぐらい滞納して裁判所から通知が行って、それでも払わない場合で初めて執行出来るのであって、滞納分を払ってしまうと、またリセットされてしまうのである。結局地道に交渉するしか手は無く、そうこうする内に、名古屋⇒横浜⇒福岡と転勤する事になり、電話ではらちが開かないので、何度も横浜や福岡から亀山へ通う事となった。結局、入居者は収入が無いので一般の不動産屋では引っ越し先を借りる事が出来ず、市営住宅しか行先はなかった。幸いにも亀山市はシャープのおかげで税収が増え、新しい市営住宅を建設していたおかげで、市営住宅に空きが出来ていた(ここでもシャープ亀山の影が)。しかし、入居者本人は税金を滞納していたので、本人名義では市営住宅の入居,が出来ず、最後は奥さん名義で入居させた。市役所から市営住宅の入居申し込み書を貰って来て、直接目の前で書かせた。
すったもんだの上、ようやく退去したのが平成22年の末でした。帰ってきた物件を修繕して再び賃貸に出す事も考慮したが、返って来た家は壁は落ち、柱は腐り、とても修繕できるものでは無かった。家賃を払わないような人間が家を丁寧に使う訳は無く、雨戸も開け閉めしていた形跡は無かった。雨の日くらい雨戸をきちんと閉めていれば、家の傷みも違うのだが。結局そのままの状態で売りに出したが、更地ならともかく、廃屋付の土地では解体費が余計にかかるのでなかなか売れず、ようやく買い手が付いたのは一年後の平成24年1月であった。シャープの本格的な経営危機が報じられる半年前のことでした。田舎なので、坪単価は10万少しでしたが、それで売却できただけで良しとする事にした。先日その売却収入を確定申告しましたが、不動産売却益って20パーセントも取られるのですね。税金がフィットやスイフトスポーツと同じくらいでした。税金の引いた残りは全て横浜自宅のローン繰り上げ返済に回しましたので、結局手元には何も残りませんでしたが。
平成10年に相続してから、全ての後始末が終わるまで15年がかりでした。それでも、シャープ景気に浮かれてマンション・アパート投資に走った人に比べれば、幸運であったと思います。今後亀山では不動産投資に走った人の中には、入居者がいなくなり不動産収入が無くなって借金だけが残った人がたくさん出るでしょうね
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2013/03/23 13:20:37