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2011年11月10日 イイね!

記録の間から見える真実

記録の間から見える真実日本海軍航空隊は大戦中、多くの空母や基地から出撃していました。しかし大戦末期になると、空母の大半は沈み、多くの基地が壊滅しました。また終戦時には戦犯追及を恐れて、戦闘詳報の多くを廃棄してしまったため、公式な記録が残っていない場合が多いです。例えば、ハワイ作戦に参加した6隻の空母の中で一番長く活躍し、岩本氏も乗艦した空母瑞鶴について、戦没したのはレイテ海戦の昭和19年10月25日です。しかし、防衛省防衛研究所に残されている瑞鶴航空隊戦闘詳報は昭和19年1月分までです。また、瑞鶴と供に南太平洋海戦、マリアナ沖海戦と戦い、同じレイテ海戦で同じ日に戦没した空母瑞鳳の航空隊戦闘詳報は昭和19年2月で途切れています。両艦の航空隊の記録は母艦と供に海に沈んだのだと思います。また、米海軍側の記録を見てみると、昭和20年3月~5月の期間、日本陸海軍との戦闘で相当数の航空機を失っています。ただし、パイロットは救出された例が多く、米海軍が戦闘海域に潜水艦や飛行艇を派遣して、救助する体勢を取っていた事が伺えます。その点、海に墜ちたら一巻の終わりであった日本のパイロットと大きな違いです。パイロットさえ救出すれば、飛行機はアメリカの巨大な工業力で補充できるとの考えなのでしょう。また、米海軍機の損失記録の一部には「DECK LOSS-KAMIKAZE」と表記されている物があります。米海軍は特攻機の突入によって空母の飛行甲板上で炎上して失った艦載機をデッキ・ロスと記録していました。昭和20年6月になると米海軍空母艦載機の損失が急激に少なくなっています。これは占領した沖縄の飛行場が整備され、日本機の迎撃が米機動部隊から基地航空隊に移管された事を意味しています。記録とはデータの羅列ですが、記録の間から伺える真実もあると思います。と言うわけで、岩本記録は現在昭和20年4月16日国分基地周辺の戦闘を調べています。紫電改と空母イントレピッドが絡んで色々大変ですが、頑張って調べています。写真は空母瑞鳳の慰霊碑です。
Posted at 2011/11/10 21:27:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 趣味

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