
岩本徹三氏の記録を検証するにあたり、岩本氏が沖縄戦の時に所属した戦闘303飛行隊員の回想録が存在するかどうか確認した所、ありました。第13期海軍予備学生出身で303飛行隊に配属されていた土方敏夫中尉の回想録です。ただ、残念な事に一般大学・高専から海軍士官に任官した予備学生出身士官は、海兵出身の士官や兵卒から叩き上げで搭乗員となった操縦練習生(後の予科練)出身の下士官とは溝があり、操練出身の岩本氏とも親しく接したという事はなかったそうです。むしろ、土方中尉は303飛行隊のもう一人の有名な撃墜王、谷水竹雄上飛曹(米軍機標識に矢が突き刺さった派手な撃墜マークで有名)と親しかったそうです。それでも、岩本氏が空戦後反省会で指導する姿や、岩本氏から土方中尉の判断を称賛されて「あの怖い岩本少尉が褒めてくれて、何よりうれしい事であった」と回想されているのが参考になりました。また、土方中尉が303飛行隊に転勤する前に所属した元山航空隊で、空母赤城艦長であった青木泰二郎大佐に接しています。青木大佐はこの時期元山航空隊の司令をされていたようです。ミッドウェイで戦没した4隻の空母の艦長うち、ただ一人生還した青木大佐は、生きて帰った事で同期からも「面汚し」と非難されたそうです。日本海軍の悪弊の一つは、艦長が艦喪失の際責任を取って艦と運命を供にするのが当たり前とされた事です。その為多くの有為な人材が失われました。ミッドウェイ以降の青木大佐の消息を記した記録は、自分が目にした限りではこの本が唯一であり、その点からも貴重です。
Posted at 2012/01/22 17:46:24 | |
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