
岩本徹三中尉の沖縄戦時記録について、昭和20年3月26日と4月6日の検証が終わりましたので報告します。まず3月26日の岩本記録では戦闘機60機、艦爆40機、艦攻20機で慶良間に向い、F4Uと交戦、岩本氏が1機、列機が3機、計4機のF4Uを撃墜したとあります。神風特攻隊の記録を見てみると、3月26日は出撃記録がありません。と言う事は、この日の攻撃隊は特攻ではなく、通常攻撃であったと思われます。岩本中隊(16機)には損害が無く、他の戦闘機部隊の損害は10機で戦闘機全体では60機中50機が帰還し、他の部隊の戦果はおよその見当で10機~12機くらいだろうと記されています。一方米軍の記録を見てみると、米軍は沖縄本島上陸に先立ち、足掛りとして3月26日に慶良間諸島に上陸、米海軍機動部隊はF6F×10機、F4U×1機、FG-1D×2機、FM-2×1機、TBM×2機の計16機を失っています。過大になりがちであった大戦末期の日本海軍戦果報告にしては、珍しく米軍の記録とほぼ一致します。F4UとFG-1D(グッドイヤー社で生産されたF4U)は同じ機体なので、岩本中隊の戦果4機に対し米軍損害は3機と誤差は1機なので、岩本氏のF4U撃墜の可能性は高いと思われます。これは攻撃隊の直援であっても、特攻援護ではなく、通常攻撃の援護であったため、精神的に比較的余裕があったのも一因だと思われます。
一方4月6日の記録では、沖縄戦開始以来初の大規模特攻作戦により海軍航空隊だけで196機(時事通信社「ドキュメント神風」の記録では204機)もの特攻機が出撃し、戦闘303飛行隊も直援として出撃、岩本氏はF6Fを3機撃墜、303全体では16機撃墜したものの、岩本氏自身も疲労困憊した様子が記されています。一方米軍の記録では、この日失われたのはF6F×4機、F4U×2機、FG-1D×1機、FM-2×3機、TBM×1機の計11機のみ。303飛行隊の戦果16機だけで、米軍の実損害11機を上回っています。通常の攻撃隊とは異なり、特攻隊は敵艦を見つけた瞬間=死です。特攻隊の援護は精神的にかなり重圧であった筈です。岩本記録にはこの一日だけで、昨日まで供に戦ってきた搭乗員が一挙に200人以上消えてしまった事に衝撃を受けた様子が記されています。岩本氏のこの日のF6F×3機撃墜は全てが誤認とは思いませんが、実数とは異なるかも知れません。空戦の記録には、その時の搭乗員の心理が微妙に反映されるということが少し解った気がします。
個人的な印象ですが、3月26日の戦果は可能性が高く、4月6日の戦果は確率が低いように思われます。
次は、昭和20年4月7日の戦闘を検証します。戦艦大和が絡むので、少し力を入れて調べます。色々新事実も見つかっていますので、お楽しみに!(と言っても楽しみにしてくれている人って全国に一人くらいはいるのだろうか?)
Posted at 2012/02/15 22:36:54 | |
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