
先日撮影した紫電改の写真のデータを整理していた時、ふとある事に気が付きました。
紫電改に限った事ではありませんが、大戦後半の日本陸海軍機は出力不足のエンジンに対し、少しでも速度を出すため、エンジンカウリングの後方から排気管を機体に沿って後方に向けています。これは排気によるロケット効果により、速度を向上させるための工夫です。零式戦52型や、
隼3型も同じ工夫が見られますが、
紫電改は更に排気管を胴体側面に並べて装備し、胴体側を窪ませています。
エンジンカウリングから飛び出させている零戦や隼より空力的に洗練されていると思いますが、このデザインはドイツ空軍のFW190Aの排気管の処理と良く似ているように思えます。
大戦中、日本陸軍航空隊はドイツからフォッケウルフFW190Aを昭和18年に輸入しています。陸軍は3式戦闘機飛燕を液冷エンジンから空冷エンジンに換装して5式戦闘機を完成させる際、FW190Aの排気管のデザインを参考にしたと言われていますが、海軍も紫電改の生産の際にFW190Aを参考にしたのではないでしょうか。紫電改の試作1号機では排気管は分かれていますが、量産型では写真のように連なっています。
フォッケウルフFW190Aが伊8号潜水艦により日本に運ばれたのが昭和18年の事であり、紫電改の量産は昭和19年後半のからですので、十分ありえる話だと思うのですが。
ちなみにFW190Aの実物の写真は流石にもっていません。記録写真を探したのですが、FW190Aは排気管部分が黒く塗られている事が多く、白黒写真ではディティールが飛んで解らない場合がほとんどでしたので、FW190Aの写真のみプラモの見本です。
Posted at 2012/04/03 22:01:28 | |
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