
岩本記録の検証の参考に、当時の海軍航空隊の姿が参考になればと、東宝映画「雷撃隊出動」のDVDを買いました。これは海軍省の協力で制作され、昭和19年11月に公開された映画で、当時の海軍の航空機や軍艦の実物が出てきます。監督は山本嘉次郎、主演は藤田進、特撮監督は円谷英二でした。

内容は公開が昭和19年末という事もあって、悪化した戦局を反映して空撮も少なく、ストーリーも敵を撃滅するものの、主人公も帰還せずとの内容です。ほぼ同じスタッフと同じ主人公で陸軍省協力のもと撮影された「加藤隼戦闘隊」が日本軍がまだ戦局的に有利であった事や、陸軍航空隊の協力で空撮をふんだんに使っている事もあって、明るいストーリーであるのと対照的です。

ただ、登場する航空機は零戦や1式陸攻、97艦攻や天山等、貴重な動画が見られます。特に空母瑞鶴から発艦する天山の映像などは実物だけに迫力です。また、一瞬映った瑞鶴の飛行甲板には移動式の25㎜単装機銃が多数増設されており、対空火力を少しでも増強しようとした姿が確認出来て興味深かったです。

特に印象的だったのは、97式飛行艇の離水シーンです。日本で初めて量産された4発大型機の97式飛行艇ですが、子供の頃はパラソル式の古臭いデザインの97式飛行艇より、後継の2式大艇の方が好きでした。

しかし、歳をとると、97式飛行艇のパラソル式の機体デザインがなんとも渋く、味があるように思えてきました。味覚と一緒で、航空機の嗜好も年をとると渋い物が好きになるのでしょうか?

大戦中は各国で作られていた飛行艇も、戦後陸上機の性能が上がったため、外国ではあまり作られなくなりました。しかし、大戦中日本海軍のために飛行艇を作っていた川西航空機は、戦後新明和工業と名前を変えて、海上自衛隊の飛行艇を作り続けました。技術の継承は特に航空機の世界では重要です。一度作らなくなってしまえば、技術は永遠に失われてしまいます。新明和工業は川西航空機の技術を立派に継承し、97式飛行艇や2式大艇の技術を守り続けました。戦後新明和が最初に納入したのは対潜哨戒機のPS-1でした。しかし、飛行艇を対潜哨戒機として使用するには無理があり、大量生産の受注が立たなくなったため、PS-1を原型に救難専用機を作ることにしました。それが写真のUS-1です。US-1は1976年に部隊配備され、人命救助や離島搬送に活躍しました。救助の対象は国内だけに留まらず、外国船舶の乗員や、機体トラブルで墜落したアメリカ空軍パイロット。リムパック演習から帰還中に発生した韓国海軍のイージス艦の急病人の搬送など、文字通り国際救助隊としての活躍でした。

US-1の後継として開発されたのがUS-2です。US-1に比べてさらに悪天候の際の離着水性能が向上しました。現在でも飛行艇を生産しているのは日本とカナダとロシアだけですが、カナダとロシアの飛行艇は湖水用で、荒海に着水出来る性能を持っているのは日本だけです。97式飛行艇から脈々と受け継ぐ技術を継承できたからこそだと思います。今回の太平洋横断中に事故にあった辛坊氏を救助出来たのも、日本の飛行艇のおかげです。辛坊氏の「この国の国民であって良かった」との発言は、「周囲を海で囲まれた日本が飛行艇を開発して、周辺の海で遭難してもすぐに救助に駆けつける事の出来る体制を作っている事」にたいする感謝の意だと思いました。海自の飛行艇における遭難救助・離島からの緊急搬送によって救われた命は部隊配備された1976年以来930名にも及びます。人を殺すのが軍隊ですが、国籍を問わず多くの人々を救ってきた岩国基地の飛行艇部隊。日本人として誇りに思って良いと思うのですが。

US-2について、5月27日の日経新聞に「インドへ飛行艇輸出へ」との記事が1面に出ていました。もともと海上自衛隊むけの航空機として開発されたUS-2なので、そのままだと「武器輸出規制3原則」に抵触しますが、敵味方識別装置を外して民生用の救難機として輸出できるように、日本政府とインド政府が協議中だそうです。また、US-2に興味を示している国は20ヶ国ほどあるようです。実現出来たら、日本の飛行艇が世界の海で人命救助に活躍する。想像するだけでワクワクしますね。荒海に着水出来る性能を持っているのはUS-2だけですので、十分可能性はあると思うのですが。いずれにしても、今後のUS-2に注目したいです。
Posted at 2013/06/22 23:37:24 | |
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