
この文章はコウカプの雑草ノートであり、推測や妄想によって成り立っています。従って、資料的価値はありません。
久々に岩本記録検証です。
岩本記録は昭和30年に岩本氏が亡くなった後、遺品の中から見つかったノートが元となっています。従って、出版前に本人や編集者の校正を受けていないので、日付に多少混乱が見られます。岩本徹三撃墜記録その①で志布志湾でのB29単独撃墜を紹介しましたが、その日付は昭和20年4月28日。そして、特攻隊の直掩として出撃し、F4Uと混戦となり3機を撃墜したものの岩本機も多数被弾し、種子島基地に緊急着陸した日付も4月28日と記されています。

種子島基地への緊急着陸は、滑走路へ降下中に燃料が切れてエンジンが停止する程ギリギリの生還だったそうです。流石の鉄人岩本氏と言えど、B29体当たり単独撃墜と特攻直掩で苦戦し、穴だらけとなった機体で種子島基地へ緊急着陸した日が同一とは思えません。どちらかの日付が誤記ということになりますが、よくよく岩本記録を読んでみると、それを解く鍵が明記されていました。4月28日の特攻直掩の際、特攻隊に桜花(桜花を搭載した1式陸攻)が含まれていたとの事。そこで時事通信社「ドキュメント神風」の記録と照合してみると、確かに4月28日の出撃記録に神雷隊の1式陸攻4機が桜花と供に出撃しています。念のために前後28日の前後の桜花の出撃記録を調べてみると、4月16日と5月4日に神雷隊の出撃記録はありますが、日付が離れています。また岩本記録には「特攻機約50機を制空隊40機が直掩して出撃した」とありますが、ドキュメント神風の記録では、この日の海軍特攻隊の編成は1式陸攻4機、97艦攻12機、99艦爆22機、彗星6機、爆装零戦11機の55機で機数もほぼ一致しています。ドキュメント神風の記録と岩本記録がほぼ一致するので、種子島に不時着したのは4月28日で間違いないようです。
となると、B29撃墜の日付が誤りでないか?ということになりますが、その①で紹介した通り、アメリカ側の記録では元々4月27日になっています。時差の関係で1日ずれているのかと思っていましたが、岩本記録の方が27日を28日に誤記していた可能性が高いです。

B29は日本本土での撃墜機数が少なく、志布志湾で撃墜されたのはこの1機のみです。岩本氏が一日ずれて記してしまったとしたら、全ての辻褄が合います。それにしても、B29を体当たりで撃墜した翌日は特攻直掩で穴だらけ緊急着陸と、連日死線を越えた過酷な出撃に敬意を払わずにはいられません。ちなみに、米海軍の記録によれば、4月28日のF4Uの未帰還機は空母バンカーヒル所属の1機のみでした。

沖縄戦における岩本氏の総合戦果は岩本記録からは3月26日F4U1機、4月6日F6F3機、4月7日F4U3機、4月15日F6F4機、4月16日F6F1機、4月27日B291機、4月28日F4U3機の計16機。岩本氏と同じ303飛行隊の土方敏夫中尉の回想録にある5月25日のF6F1機を追加すると17機でした。
沖縄戦における岩本氏の戦果の中で、ほぼ確実に撃墜していると断定出来るのは、4月27日のB29撃墜のみです。B29は本土上空で撃墜された例が少なく、志布志湾で撃墜された記録が岩本記録とほぼ一致しますので間違いないと思いますが、沖縄特攻直掩は戦闘303、307、308、311各飛行隊が参加していますので、どれが岩本氏の戦果かどうか、確証出来る物はありませんでした。

ちなみにアメリカ海軍の記録によれば、沖縄へ上陸した4月1日から4月30日までの1ヶ月間に損失した機動部隊の艦載機はF6Fヘルキャット151機。F4U及びFG-1Dコルセア79機。FM-2(GMで生産されたF4Fワイルドキャット)42機。SB2Cヘルダイバー37機。TBMアベンジャー49機の合計358機でした。沖縄戦はアメリカ海軍機動部隊にとっても楽な戦いでは無かった事が良く解ります。

なお、余談ですがアメリカ海軍の損害を調べてみると、4月一ケ月間の損害の中に、戦艦所属の水上機OS2Uの損害が8機もありました。本来艦隊砲戦時の弾着観測用の水上機の筈ですが、。この時期日本艦隊との砲撃戦は発生する状況にありません。対潜哨戒や海に墜ちたパイロット救出に使用していたのでしょうか?

昭和20年6月25日付で岩本氏は岩国基地の203空へ異動となり、天雷特攻隊の教官として終戦を迎えました。日中戦争と大東亜戦争の足かけ8年の空戦記録の終焉でした。鹿児島基地で303飛行隊時代に撮影された写真は第3種軍装(襟元に階級章が見えるので第3種軍装と分かります)の上に飛行服を着こむという洒落た姿で写っています。注目したいのはその長髪です。大戦末期に海軍軍人は少佐以下は坊主頭にするよう指示が出ていた筈ですが、岩本氏は最後まで長髪で通したそうです。岩本氏の心意気が伝わります。ちなみに飛行服の袖に日の丸が付いていますが、これは昭和20年2月17日のアメリカ海軍機動部隊の日本本土空襲の際、落下傘降下した日本海軍のパイロットが住民にアメリカ兵と間違えられて撲殺された事件によるものです。正式な通達が出たのは昭和20年4月30日ですが、部隊によってはそれより早く付けていた場合もあるようなので、この写真は昭和20年3月以降の撮影であると判断できます
長々と続けてきた岩本記録検証沖縄戦編は今回で終わります。そもそも岩本記録の検証をするのであれば、珊瑚海海戦から行うはずでしたが、自分が九州に住んでいるから鹿児島基地跡や鹿屋基地へ現地確認出来るので沖縄戦を先にしました。つぎは珊瑚海海戦を調べます。ただその前に、せっかく沖縄戦の特攻作戦を調べたので、番外編として沖縄特攻作戦を取り上げます。
Posted at 2013/07/12 22:56:04 | |
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