
ネタが無いので、久々に飛行機ネタです。
BMWという会社は、飛行機のプロペラをデザインしたエンブレムからも解る通り、創業当時は航空機の発動機の会社でした。
BMWの社名自体もBayerische Motoren Werke AG 、バイエルン発動機株式会社の略で、自動車会社とは銘打っていないのです。
第二次世界大戦において、メッサーシュミットMe109と並んでドイツ空軍の主力戦闘機であったフォッケウルフFW190のエンジンはBMW801というBMW社製のエンジンでした。
かつてのBMWは航空機のエンジン生産が、自動車生産と並ぶ主力産業だったのです。それを象徴する写真がこれです。
写真に写っているのは、ドイツ空軍の101機撃墜のエースパイロットであったヨーゼフ・プリラーとその愛機と愛車です。
ドイツ空軍は大戦中352機撃墜したエーリヒ・ハルトマンや301機撃墜のゲルハルト・バルクホルン等100機以上撃墜したエースパイロットを107名も輩出していますが、その大半は数は多くてもレベルの低かったソビエト空軍相手の記録です。レベルの高かったイギリス空軍やアメリカ空軍相手で100機以上撃墜したのは、アフリカ戦線で158機撃墜したハンス・ヨアヒム・マルセイユや121機のハインツ・ベーア等、プリラーも含めてほんの数名でした。
ハンサムで有名だったマルセイユや童顔で「坊や」と渾名されていたハルトマンと比べると、プリラーは太っちょで背が低く、お世辞にも美男子とは言えません。ただ、陽気な性格で、部下の信望は厚かったそうです。愛車のBMW327は派手好きな性格からか、色は赤であったと伝えられています。愛機の戦闘機はBMWのエンジンを積んだFW190。愛車はBMW327。航空機と自動車を主力としたBMWを象徴するような写真です。プリラーはドイツ空軍第26戦闘航空団司令として西部戦線を戦い、1944年6月6日のノルマンディー上陸の際はFW190で上陸軍に対して機銃掃射した事でも有名です。その様子は映画「史上最大の作戦」にも描かれています。
パーソナルマークは「ユッタ・ヘルツ」。奥さんの名前の「ユッタ」に赤のハートマークを描いた物でした。(ヘルツはドイツ語でハートを意味します)愛妻家でもあったのですね。
ちなみに、プリラーはフォッケウルフFW190の前はメッサーシュミットMe109に乗っていました。メッサーシュミットMe109はダイムラーベンツ製のエンジンを搭載していました。
ドイツは日本と同じく、敗戦後航空機の製造が禁止されてしまったため、航空機の技術者は自動車産業に投入されました。大戦中の航空機はプロペラ機で、自動車と同じレシプロエンジンでしたので、職種転換は比較的容易だったのでしょう。戦後のBMWの隆盛も、航空機部門の優秀な技術者が自動車部門に配置転換されたのが一因であると思います。それにしても、BMWの車ってこの時代から2分割のフロントグリルを採用していたのですね。キドニーグリルと呼ばれるこの2分割のグリルは1933年に発表されたBMW303以来ずっと続けているそうです。現代のBMW車の特徴でもあるあの2分割のグリルは80年の歴史があるようです。
Posted at 2014/06/29 00:53:25 | |
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