
今回の東北行の目的は、わさおに会いに行く事でしたが、もう一つ目的がありました。
以前訪れた南三陸町の防災対策庁舎が、現在どうなっているか、確認する事でした。
上の写真は、震災から一年後に訪れた時の物です。
防災対策庁舎の周辺は、瓦礫こそ片づけられていましたが、廃墟となった病院や、
破壊された自動車が、そのまま残っていました。
4年ぶりに訪れた南三陸町は、風景が一変していました。
防災対策庁舎は周囲を土地かさ上げ工事に囲まれて、近づけなくなっていました。
道路を挟んだ離れた場所に設置された献花台に、お祈りする形になっていました。
防災対策庁舎は取り壊しの話もあったそうですが、現在まだ残されています。しかし、周囲を土盛に囲まれて、何か寂しげに見えました。
献花台のお地蔵さんも、何か寂しげに見えました。献花台に犠牲となられた方の冥福をお祈りしました。
次に、多くの児童が犠牲となった大川小学校跡を訪れました。
こちらは初めて訪れましたが、裏山の近さに驚きました。これ程近くに山があるのであれば、なぜここに逃げなかったのか?改めて疑問に思いました。
地震発生後、津波が到達するまでの50分の余裕があったにもかかわらず、大川小学校の教師は、校庭に生徒を集合させたまま、どこに逃げるか協議していたそうです。
その間ある生徒は「早く山へ逃げよう!こんな所にいると死んじゃうよ!」と教師に言ったそうです。
それに対して教師は「勝手なこと言うな!」と一喝したそうです。
おそらく、山へ逃げるよう教師に進言した生徒は、親御さんに日頃から「大きな地震が来たら、津波が来るから直ぐに高台へ逃げろ!」と教えられていたのでしょう。
地震発生から津波到達まで50分も余裕があり、目の前に避難に最適な裏山があったにもかかわらず、児童74名が犠牲になりました。
卒業制作で壁に描かれた、未来を拓くと書かれた画には、
世界の子供たちの描かれていました。破壊され、むき出しで飛び出た鉄筋が哀しい。
慰霊碑に、未来を拓けなかった子供たちの冥福をお祈りしました。
東北の震災から丸5年経ちますが、犠牲となられた方々の無念は忘れないようにしたいと思います。
Posted at 2016/06/11 18:20:20 | |
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