
東京は八王子市の高尾山の麓に全国産業殉職者慰霊堂通称「高尾みころも霊堂」という施設があります。ここは東京千鳥ヶ淵が先の大戦で亡くなられた方が永遠に眠る場所とするならば、その労災版と言った所でしょうか。戦後、労働災害に倒れた方々241,025名の魂が永遠の眠りにつく場所とされています。
毎年秋には慰霊祭が開催されます。うちの父も鉄道会社に勤めていて、仕事中鉄道事故で亡くなりましので、こちらに分骨されています。正直、自分は日本にこのような施設があって、慰霊祭が開催されている事実を、父が亡くなるまで知りませんでした。
福岡へ転勤する前は、慰霊祭に参列していたのですが、福岡勤務時代は参列する事が出来ませんでした。
今年の慰霊祭は本日開催されましたが、代休を取って久々に参列する事が出来ました。
例年合祀されるのは労災で亡くなった方3,000名前後ですが、昨年の慰霊祭は震災で亡くなった方を含むため5,385名と大幅に増えました。そのため昨年は皇室からは皇太子殿下、政府からは厚生労働大臣が参列していましたが、今年は皇室も政府閣僚の出席はありませんでした。
安倍総理も公務を理由に欠席で、メッセージのみ代読でした。靖国は行きたくても中国や韓国に遠慮して行けないのですが、企業戦士の慰霊祭には公務を理由に欠席するのですね。
ちなみに、厚生労働大臣の代読は例の村木厚子事務次官でした。
写真は納骨堂です。
事故で家族を亡くした人の気持ちは、いくら口で説明しても、絶対に同じ立場になってみないとわかないと思います。
事故で父を亡くして一番こたえたのは、事故ってある日突然来るのですよね。そんなの当たり前と言われればそれまでですが、自分は当たり前の事が解っていませんでした。病気で癌で余命何ヶ月というのでは、妙な表現かもしれませんが、覚悟を決める時間があるのですが、事故はある日突然来ます。うちの父の時は夜中の3時半に電話が鳴って、母親が出て開口一番「お父さん事故で死んだって」と言われました。
次に精神的にこたえるのが、人は手や足の怪我くらいでは死に至る事は少ないです(発見が遅れて出血多量でというのは別ですが)。怪我で死亡に至ると言う事は頭部もしくは胸部に重大な損傷がある事を意味しています。つまり、事故で人が亡くなると言う事は遺体がまともな状態で帰って来ないと言う事なのです。父の場合は上あごから上が有りませんでした。良く事故にあった人の事を「変わり果てた姿で帰って来た」と言いますが、こういう事だったのかとその時初めて解りました。
父の会社の幹部に通夜の時に言われた言葉を今でも覚えています。
「いやーコウカプさん!手も足も付いてますからまだいい方ですよ、普通鉄道事故はもっとバラバラになりますから!綺麗な方ですよ!」
別にこの幹部は嘘は言っていないと思います。何十トンもある電車に巻き込まれたなら人間の体なんてバラバラになってしまうという理屈は解るのですが。ただ、鉄道会社にとって鉄道事故遺体なんて、飛び込み自殺を含めれば年間何件もあって、珍しい物ではないのでしょう。しかし、我が家では鉄道事故遺体と日常的に対面しているわけでは無いので、顔が無くなった親父の遺体を対峙させられて「まだ良い方だ」と言われても、なかなか納得できる物ではありませんでした。
福知山の事故関連の報道を見ていると、遺族側がJR西日本に不信感を抱いているとの報道がありましたが、自分は遺族の方の気持ちが良く解る気がします。
今年の慰霊祭で産業殉職者慰霊堂に合祀されたのは3,769名でした。これ以上事故で家族を亡くす苦しみを受ける人が出ないよう、切に願います。
Posted at 2013/10/28 20:13:02 | |
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