
だいぶ以前から関ヶ原を訪れてみたいと思ってまして、そもそも遡ると学生時代、青春18きっぷで帰省した際にJR関ヶ原駅というのを通りまして、「現在でもこんな場所あるんだ」というのがきっかけだったかと思います。そのときのは「一応地名としては残ってるけど、実際はなにもないとこなんだろうな」というイメージでした。
一昨年・名古屋、犬山、去年・飛騨高山と気になりつつ近くまでは来てたのですが、今回ようやく初めて訪れることができました。
みん友のすたさんと午前中に石田三成の陣地があった笹尾山で合流。
すたさんは関ヶ原在住で休日に甲冑を着てガイドをされてます。
いざ来てみると、シルバーウイークということもあって、午前中からかなりの人で賑わっています。
日本全国から歴史マニアが訪れるそうで、北海道から九州までのクルマのナンバーを見かけました。
笹尾山頂上のパネル横ですたさんが甲冑を着てガイドをされてますが、現地には他にもたくさんのガイドさんがいます。ものすごく詳しいし話し方も上手なので、現地に行かれた際は話しかけてみると、かなり充実した時間が過ごせると思います。
ちなみにパネルの布陣図の赤が東軍、青が西軍のうち実際に戦闘した部隊、オレンジが西軍のうち裏切った部隊、白が西軍のうち傍観してた部隊です。
ここからはすたさんの受け売りですが、自分はそれほど歴史に詳しくないので勘違いもあるかもしれません。
さて笹尾山から関ヶ原全景を見てみます。画像では切れてしまいましたが、写ってない右側に小早川秀秋、大友吉継らの陣地があります。
実際眺めてみると思ったより狭いんですよ。この中で東軍・西軍合わせて15万以上の軍勢がぎっしりひしめき合って戦いました。
それから布陣図を見ても気づくんですが、自分のようにシミュレーションゲーム程度の知識しかなくてもパッと気づくことは、西軍は山頂に陣取り、囲むように布陣、その中に東軍全部が突っ込んで行っています。
山頂に陣取り、鶴翼の陣、明らかに西軍有利に見えます。
実際は戦闘開始後しばらくして小早川秀秋が寝がえり、吉川広家が傍観を決め込んだために毛利輝元が動けず、東軍の圧勝に終わりました。
ただ、小早川・吉川が家康の根回し通りに動く保証はなく、実際は様子見をしてから有利なほうに加勢する可能性もあったので、家康としてはかなりイチかバチかという面もあったんですよ。
小早川・吉川はどちらを支持するというよりも毛利家存続が最重要だったんでしょうね。
なぜこんなイチかバチかの勝負で突っ込んできたのかというと、もたもたしてると豊臣秀頼が小早川秀秋の陣地に来てしまう可能性があったんですね。すくなくとも石田三成は秀頼を呼ぶ気満々で小早川陣地付近の道の整備までしているので、秀頼が西軍側で到着してしまうと、家康も手を出せなくなってしまいます。
で、話戻ってなぜ関ヶ原の戦いが起きたのかというと、豊臣秀吉死後、実権を握りたかった家康が、上杉を攻めるふりをして大軍を動かし、石田三成はじめ家康反対派をおびき寄せ、一掃する狙いがありました。西軍が挙兵すると、上杉攻めから取って返したわけで、流動的な中で結果的に関ヶ原がその舞台になったようです。
どうですか?ムチャクチャおもしろいでしょ?え?おもしろくない?
まだまだこれから関ヶ原各地を移動し、④まで続きますよ。
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Posted at
2015/09/22 06:46:19