
うーん、たとえばそういう方面はシロウトではありますが、書とか絵を見てハッとすることってあると思うんですよ。なんだかわからないままに美しいと思うのか魅かれるといいますか、なんとも表現難しいですが、ジッと見入ってしまうような。
この人の書く文章にもやはりそういうものがありまして、「この文章はいいな」と見入ってしまうものがあるわけですよ。たいしたこととか大仰なこと書いてるわけでもなんでもなく、身の回りのこと書いてるだけなんですけどね。
こういうのは突き詰めていうと、努力でどうなるものではないと思うんですよ。その人の持って生まれて培われた素養の部分が強いですから。
ただ、文章そのものの持つチカラは侮れん、と思います。
…天寿を全うする父、幸田露伴を看取る話なんですけどね。
懸命に看病をするんですが、当の本人は死に際、明け方に、娘の文とやや長く話して、最後に「じゃ、おれはもう死んじゃうよ」としごくあっさりと言うんですよ。
そんなものかな、とは思うんですけど。
思えば自分の周囲でもここ最近、親類、他人問わず天寿で亡くなる人が多いんですが、傍が気にするより当の本人は泰然としてるな、というのはよく感じます。
おつき合いのある老夫婦の家に半年ぶりに顔を出したら、ふだん出てくる親父ではなく控えめな奥さんが出てきて、「主人はもう亡くなりましたので」と、寝耳に水なことを言う。
「前回お会いしたときはずいぶんお元気に見えましたが…」実際、立派な体躯と、これまでの生き様を示すかのように、柔和な中にも表情に強壮さが滲み出てましたので、意外というほかなかったんですが、「いえ、あのときはもう癌がずいぶん進んでいたのよ」とのこと。
奥さんは以前よりも華やかなものを着て、落ち着いている。「あなただからだいじょうぶだけど、女の独り身は何かと怖いから、次からは電話してからいらっしゃい」笑いながら言った。
また同じような頃に、息子夫婦と二世帯で住んでいるおばあさんを訪ねたら、どうもなかなか留守がちでいない。どうしたものかと佇んでいるとその家のクルマが停まり、若い姉さんが(年齢からおそらくお孫さんだと思う)、「すいませんが、すぐに病院に向かいますのでまた次に」と言う。闊達で礼儀正しい娘さんでした。おばあさんのほうは「まあそういうことで」と、ひどく淡々としている。ただ、娘さんが手を引こうとすると、多少、癇に障るらしく、「大丈夫だわ!」と、勝ち気に手をはらう。
…「亡くなりました」と、連絡が入ったのは、それからしばらくのこと。
当事者も傍の者も、案外あっさりしたものだな、とは思うんですが、この人たちは戦後のどうなるかわからない焼け野原から、驚異的な復興と平和を目の当たりにしてきた世代だから、思い残すことももうないのか、…てのはうがち過ぎだと思うんですけど、まあなんにしろ、死に際が来るのならその際は悔いのないようにはなっていたいものだとは思います。
Posted at 2013/06/25 11:59:42 | |
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