
そろそろなんのブログだかわからなくなってきましたが、相変わらず志賀直哉です。
「小説の神様」と呼ばれる志賀直哉ですが、映像のない時代にこの文章のみによる描写力、相手に伝わる力というのは当時驚異的だったんじゃなかろうか、と思います。
視覚的な光景が細密に浮かび上がる、という映像的部分もそうなんですが、それに内的心象風景が交錯してゆく。内的心象風景は現実も非現実も思うがままにたゆたう。そうすると、ごく些細な日常のありふれた風景がみるみる異質なものに変貌してゆく。
高学歴ニートの志賀直哉が親父に「出てけ!」って言われて、「出てってやらぁ!」と荷物まとめて、なんとなく尾道に部屋を借りて独居を始めるんですが、はじめは気ままに暮らし、自然に心洗われたりしてたものの、だんだん人間やることなしにその日暮らししているとおかしくなっていく。
こんなんじゃダメだ!と一念発起して海に叫ぼうとすると、「あー。あー」と情けないほど弱々しい声しか出てこなかったりして。こわいなぁ、と思います。
いよいよ人間腐っていきまして、ふと見かけた幼女をさらって育てて、そちらのほうがこんな田舎者の親に育てられるよりもどんなに幸せかわからない、と本気で考え始める。
で、ほんとにさらってきまして、さらったらさらったで思惑と違い、幼女は「家に帰りたい、家に帰りたい」とぐずり始める。そりゃそうだ。それよりショックだったのは年端のゆかぬ幼女の自分への軽蔑と反抗の態度で、こんなはずじゃなかったんだよなぁ、どうするかなぁ、とぼんやり考えてたところ、家の下の坂道をその子の母親(鬼の形相)と巡査がこちらに向かって歩いてくるのが見える…。
ところで志賀直哉の小説読んでるとよく修身の授業ってのが出てくるんですけど、最近の教員やら警察官やら、もうホントこいつらなんでもアリだよな、と思うのと、若いヤツの犯罪も昔に較べてアレだよなー、石破も言ってたけど、日本民族って劣化していってるよなー、と思うので修身の授業とか義務づけりゃいいのに、と思ったりして。
でも道徳の授業ってあるじゃんって言われそうですけど、道徳って言われるとなぁ。自分の学生時代、道徳の授業というと日教組の教員が今思うとろくなこと教えてなかった気がします。
もっとも当時の修身も修身でもしかしたら「お国のためにーっ!」とかそんなことばっか言ってたかもしれないですしね。
まぁ身を修めて修身って大切ですわ。徳の道で道徳って言われるとなぁ。
以上、「
范の犯罪」「
祖母の為に」とあわせて志賀直哉「病んでる」3部作でした。
Posted at 2015/03/10 23:51:38 | |
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