
四国の山奥のド田舎から上京した青年が、圧倒的な力で突如文壇の表舞台に現れ、そのまま当時史上最年少の23歳で芥川賞を受賞する。
…それが大江健三郎。
芥川賞受賞の最年少記録はその後だいぶ経過して更新されるが、そのときにはもう文壇はすっかり廃れているので、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫らが健在、新人も多士済々で文壇の絶頂期だった当時に23歳で芥川賞を受賞した大江健三郎と同列に語ることはとてもできない。
…で、大江健三郎だが、ある時期から左翼言論の人と言われ始める。
右か左かっていうと確かに左寄りの人なんだが、世間一般に認知されてるイメージと、本人のスタンスと、だいぶ隔たりがある。…気がする。
そもそも人の生き方なんて100人いれば100人とも違うから、文学者と言っても三島由紀夫みたいにガンガン自己主張してジャーナリズムを賑わせてって人もいれば、自分の活動上、主義主張の優先度なんてそんなでもねーな、って人も多いわけ。
大江健三郎の場合は自分の家庭や自身周辺のごく狭い人間関係を何より大事にするし、なかでも重度の障害がある息子が何よりかわいいわけ。
重度障害者はこの世にいなくていい、って主張をした頭のおかしい犯罪者がごく最近現れましたけど、家族のあり方なんてのも人それぞれで、だいたいごくフツーのご家庭でもウチみたいに親子関係が冷え冷えでお互い距離置いてるってとこもあるだろうし、確かに重度障害者が重荷で…って家庭もあるだろうけど、大江健三郎の場合は下の優秀な二人の子供より、障害のある長男連れて近所の中華屋に行ってふたりでタンメン食ってペプシコーラ飲むってのが最高に幸せなわけ。
そんなだから完全な自由競争、市場原理で弱肉強食って社会よりも、ある程度社会主義の側面があって弱者も平等に扱われる社会のほうが大江と大江のご家庭にとって都合がいいの。
親のほうが子供より先に世の中からいなくなるんだから、そのとき障害のある息子が見捨てられるような社会だと耐えられないわけ。
まあ他の要因もあるし、大江健三郎の複雑な考え方なんてなかなかオレごときパンピーにはわかんねーよっ、て話ではあるけど、大まかに方向が間違ってないとすればこんな話。
だいたい大江って確かに「右」を生理的に嫌悪するけど、じゃ認めてないかっていうと、「こいつらなんだかんだやるときゃやるな」と一目置いてる節もあるし、「左」に関してはむしろ「この犯罪者集団が!(この本執筆時の極左集団が起こしてた事件を指す)」「俺と俺の息子をてめーらの主義主張のダシに使うんじゃねえ!」くらいに露骨に罵ってるんだが、「左」の人の場合、基本的に日本語通じないというか人の話を聞いてないことが多いですから、おかまいなしに「大江さーん」って擦り寄ってくるわけ。
で、そのうち「まーべつに俺が左に担ぎあげられても社会にとっても俺の家庭にとってもどうでもよくね?というかむしろ多少は好都合じゃね?」くらいな計算して割りきったスタンスを取り始めたって話。
そんなわけでこの本は自身の3人の子供(とその世代)に向けて「俺は(俺たちは)やれるだけのことはやってがんばったよー!だから俺がいなくなったあと、子供たち、おまえら『新しい人よ眼ざめよ』!」ってお話。
Posted at 2020/07/24 14:38:28 | |
トラックバック(0) |
読書 | 趣味