
ファーストガンダムの劇場版が観たくなりDVDボックスを買う。
元が高いせいか中古で買ってもけっこういい値段して、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲがバラでわりと普通の装丁のやつもありそっちにしようかとも思ったんだが、そっちはそっちでそれなりに高く「うーーん」と迷った挙句、DVDボックスにする。
結果的には安彦良和(人物)と大河原邦男(メカ)のイラストがたくさんついてて、こちらで満足する。
このDVDボックス以前に初めてDVD化したものはアフレコで音声を取り直していてイメージがけっこう変わってしまい評判が悪かったらしいが、こちらは劇場公開オリジナル音声になっている。
Ⅲの途中まで観た時点で「そういえばこれギャンが出てこねえ」と気づく。
ギャンが出てこないということはマ・クベのあのセリフもないんだが、この時点でアムロ・シャア・ララァの絡みで展開がそれどころではなくなってきて、そのままの勢いでクライマックスに入っていくのでちょっとしょうがないかなと思う。
ララァに「あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに。私には見える。あなたの中には家族もふるさともない、人を愛してもない」と言われたアムロが最後、ホワイトベースの乗組員たちのもとに還ったとき「まだ僕には帰る場所があるんだ。こんな嬉しいことはない」と気づくところで物語が終わる。
ファーストガンダムが創られた1979年の世相でいえば日本の大家族制度がなくなっていき核家族化が進み、絶好調の経済のなか企業なり他人同士のコミュニティに属してふるさとには盆と正月にしか帰らなくなっていった当時(現在も)の人々にとって、アムロが家族との関係が希薄になり孤独感を深めるがホワイトベースの乗組員たちとの繋がりに気づくさまというのは他人事じゃないかもしれない。
もうひとつラストのシーンでいえばニュータイプのアムロの声がアムロの姿は遠く見えなくともホワイトベースの乗組員たちひとりひとりに届いて彼らを安全な場所へと無事導いていく。
カツ、レツ、キッカの子供たちにいたっては自分のほうから見えないはずのアムロが見えててコアファイターに乗るアムロに自分たちの場所を教えてるのよ。
ニュータイプが「人類の革新」つまり宇宙空間に適応するための進化だとすると、進化は限られた人間のものではなくニュータイプという突出した存在が集団内に現れたときに水面に落ちた水滴が波紋を広げるように周囲に伝播していく、例えばそれまで地上で生活してた生物のうちに突出した存在が現れて空を飛びだすと一斉に集団内に伝播してすべての個体が空に羽ばたき始める、ガンダムってそういう進化論の中にある人類の話かなと思ったんだが、Zガンダム以降でたいして人間が進歩してないので、こちらは全然そんな話でもないのかもしれない。
Posted at 2022/11/04 03:52:08 | |
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