
だいたい毎年、終戦記念日に合わせてUPしようと思ってるんですけどね、ずぼらなのでいつも若干遅れてしまいます。ちなみに昨年は
会田雄次/アーロン収容所です。
第二次世界大戦、とりあえず日本だけを見ても軍属・民間合わせて310万人という未曽有の数の人間が死にました。そんなに昔の話ではないです。
テレビを見てましたら、「あの戦争とは何?」というテレビの人の問いかけに、当事者世代が「68年間ずっと考えてたけど、今になってもまだわからん」と答えてました。
その当事者世代もいずれいなくなり、われわれにわかるはずもなく、でも考えずに思考停止できる問題ではなく、自己完結してひとり悦に入れる問題でもなく、まぁわからないなりに考え続けなければいけないわけで。
「おれはな、軍隊に入って、あちらこちらで戦争して来た。支那戦線にもいた。フィリピンにもいたんだ。村上兵曹。焼け焦げた野原を、弾丸がひゅうひゅう飛んで来る。その間を縫って前進する。陸戦隊だ。弾丸の音がするたびに、額に突き刺さるような気がする。音の途絶えた隙をねらって、気違いのように走って行く。弾丸がな、ひとつでも当たれば、物すごい勢で、ぶったおれる。皆前進して、焼け果てた広っぱに独りよ。ひとりで、もがいている。そのうちに、動かなくなり、呼吸をしなくなってしまう。顔は歪んだまま、汚い血潮は、泥と一緒に固まってしまう。日が暮れて、夜が明けて、夕方鴉が何千羽とたかり、肉をつつき散らす。蛆が、また何千匹よ。そのうち夜になって冷たい雨が降り、臂の骨や背骨が、白く洗われる。もう何処の誰ともわからない。死骸が何か、判らない。村上兵曹。美しく死にたいか。美しく、死んでいきたいのか」
沖縄が玉砕し、戦艦大和が撃沈され、今頃の季節ですね、主人公は桜島の守備に就きます。広島・長崎に原子爆弾が投下されるまえは、米軍は間違いなく鹿児島に上陸するとみられてました。
九分九厘とかじゃないんですよ。100%死ぬ。そう思って桜島の守備に就くわけですよ。本土もすでに空襲されてますので、鹿児島市は廃墟の不思議な光景です。グラマンもバンバン飛来して機銃掃射していきます。沖には米軍の潜水艦がちらほら見える。あとは時間の問題であって。
組織された人間の究極形態はやはり軍隊だと思うんですけど、100%確実に死ぬ、となると不思議と人間、個の内面を見つめはじめます。答えはふたつ。個人の人格を放棄して自己完結するか、答えの出ない暗がりにさらに入り込むか…。
引用したのは吉良という兵曹長の言葉で、「美しく、死のう」と自己完結した主人公を嘲笑して言い放ちます。美しいもクソもない。兵士とはそういうものだと、生粋の軍人の姿勢から放たれた言葉です。
一方で、主人公に人懐こく話しかける見張りの兵がいます。ひとり見張り台に立ち、一日グラマン、潜水艦を眺めている。オレは何?死は何?オレが死んだあとの家族は?日本は?…ずっと考えている。
…「ツクツクホーシが嫌いなんですよ」見張りの兵は言っていた。
「今頃の時期ですね、ツクツクホーシが鳴き始める、するといつも悪いことが起こるのですよ」
…見張りの兵は、グラマンの機銃掃射から逃げそびれて死んだ。
ツクツクホーシが、やはり鳴いていた。
…終戦の玉音放送は音が悪く聞き取れなかった。兵隊たちはいよいよ本土決戦の詔勅だろうという。…伝令が来る。終戦を告げる。主人公は震えが止まらなくなる。兵曹長を振り向いた。涙が頬を伝うのを見た。部屋を出るとき、異様な気配を感じ、ふともう一度、振り向いた。兵曹長は変わらず座っていた。…三度、振り向いた。兵曹長が軍刀を抜き放つのを見た。
…という68年前の、今頃のお話でした。
Posted at 2013/08/19 11:09:42 | |
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