2018年07月17日
さて、なんだかんだたいていの人は俺よりうまくやっている。
いいんだ。それは。
俺より明らかにダメな境遇の人もけっこういるもんだが、いいんだ。それも。
たいていは自業自得なんだから。
ただ、そうじゃなくて理不尽に困っている境遇の人を見ると、俺も困ってしまうのだ。
一年半前に海老名に住んでいて、ご近所に80歳くらいの元気な噂好きのばあさんがいたんだが、息子、息子と言っても50歳くらいだが、仕事中に心筋梗塞だかで一時心肺停止、無事蘇生したものの心肺停止中に脳に酸素がいかなかったとかで、脳に重い障害が残ってしまった。
言葉も忘れてるし、何もかも忘れてる。新しいことを覚えても覚えた端から忘れていく。
それからばあさんは息子を平塚の病院にクルマで送迎する毎日になった。
平塚といえば海老名から近いようで、そこそこ距離があるので、帰りも遅い。
ばあさん、みるみる目に見えて元気がなくなった。
80歳のばあさんが息子の介護してるんだもの。
それでも、通りすがりに道で会うと、人懐こく会釈をくれてたりしていた。
そうこうしてるうちに今度はじいさんのほうが、こちらは偏屈というか頑固というか、俺は苦手だったんだが、そちらが倒れてしまった。
ばあさん、息子を平塚の病院に、じいさんを相模原の病院にクルマで送る毎日。
さすがに見ていられず、俺が海老名を離れ横浜に移り住む、ほんの少し前のことだ、「僕がクルマの運転をしますよ」と、世間話がてら、つい口に出た。
とはいえ、はなから無理な話だ。俺だってあくせく働く、自分のことにも手が回らない身分なんだから。
ばあさん、少し考え、ああ、少し考えてたのだ。それから俺の身の上をおもんぱかって、断った。
それから、俺は海老名を離れて横浜に移り住んだ。
結局、何もできなかった。
俺にものすごく金があれば、あるいはものすごく暇があれば、なんとかなったのかもしれないが、残念ながら、そうではない。
ああ、もうまっぴらだ。
俺が理不尽に不幸せな目を見る、それは一向にかまわない。
そりゃいちいち細かいことで毎日腹は立てているが、究極、自分の不幸せというのは俺は一向にかまわないんだ。
しかし他人が理不尽に不幸せな目を見るのは耐えられない!
同じことを繰り返すのは、もう嫌だ、と俺は思った。
せめて最低限の抗いはするべきだ。
勤務後、ある青年の家に行き、インターホンを押した。
応答は無かった。
もう一度インターホンを押そうとしてためらい、押さなかった。
余計なお世話かもしれない、と思ったのだ。
それでも今日の帰り道、もう一度彼の家に寄ろうと思う。
俺の心の平安のためにだ。
Posted at 2018/07/17 06:35:08 | |
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