
1950年の黒澤映画。
『羅生門』制作時、黒澤明はすでに40歳、日本国内ではベテラン監督のポジションにいて『羅生門』は監督11作目になる。
『羅生門』はヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞をとり、以降、黒澤明は世界でも指折りの映画監督として評価され、黒澤明に続いた日本人監督らも次々と国際的に高い評価を得て、当時世界的に全く評価されてなかった日本映画はここから数十年に渡り全盛期を迎える。
さて『羅生門』のヴェネツィア国際映画祭出品当時、国際社会と日本国内で日本という国の評価にギャップがあり、国際社会は日本を敗戦したとはいえ依然高いポテンシャルをもつ国とみていたが、当の日本人は今までの価値観が崩壊し、敗戦に打ちひしがれて肩身が狭い思いをしていたので、海外から「ヴェネツィア国際映画祭に作品を出せ」と言われても「私らにそんな資格ないですよ。だいたい金ないし」と全く乗り気ではなかった。
「いいから出せって」と業を煮やしたあるイタリア人が自分で字幕を作って、自費でフィルム代と送料を出してヴェネツィア国際映画祭に出品した結果、金獅子賞を獲得したが、当の日本人が映画祭にひとりも参加しておらず、しょうがないのでベトナム人に「これ日本人に渡してね」と言って金獅子賞を授与した。
この金獅子賞獲得は、湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞、古橋広之進の競泳世界記録樹立とともに敗戦で「私たちのやってきたことはなんだったのか」とすっかり国際社会での自信を失っていた日本人に誇りを取り戻させ、希望を与えた。
『羅生門』の内容はストーリー展開として芥川龍之介の小説『藪の中』を下敷きとする。
舞台、作品テーマとして芥川龍之介の小説『羅生門』も関係してくる。
平安時代、旅をする夫婦が人気のない山で強盗に襲われ、夫が殺害されるという事件が起きる。
京の検非違使は強盗を捕らえるが、事件の経緯について、強盗、生き残った妻、さらに巫女によって呼び出された夫とで証言が全く食い違い、真相が藪の中となる。
それぞれが事件の核心的な部分、それもとるに足らないような自身の虚栄心にかかわる部分は巧妙に隠したり作り変えて証言していたのだ。
強盗は自身の武勇の面目が潰れる部分を隠してるし、妻は自身の貞淑が疑われる部分を隠してるし、夫は妻を口汚く罵った部分を隠している。
観る側は「これはまあ…そうなるわね」と、自身に都合の悪い部分を自然と隠したり作り変えて人に伝えることには身に覚えがあるので、3人を「噓つき」と非難する気分にはなれない。
真相は山に薪を取りに行って偶然事件を目撃した人物が知っている。
荒廃した羅生門の下で若い僧がその人物から事の真相を聞くが、実はその目撃人物も自身に不利な部分を隠して若い僧に話していたことがばれてしまう。
「この世ではだれも信じられないのか」と絶望に陥りかけた若い僧は、くだんの目撃人物が羅生門の下に捨てられた赤子を連れ去ろうとしているのを見とがめて非難する。
「この子は捨て子だ。私が育てることにしよう」と男が答えたのを聞き、自身の疑心暗鬼を恥じた若い僧が「それでも人を信じたい」と願ったところで物語は終わる。
Posted at 2023/08/12 22:19:44 | |
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