
アイルランド人の父、ギリシャ人の母との間に生まれたパトリック・ラフカディオ・ハーン、もっとも本人はキリスト教の聖人の名と同じパトリックというファーストネームを嫌悪しもっぱらラフカディオ・ハーンと名乗っていたが―彼は19世紀の終わりにアイルランド→フランス→アメリカ→西インド諸島→日本と放浪し、日本をいたく気に入った結果、日本人女性と結婚して帰化し死ぬまで定住、小泉八雲と名乗った。
さてまず彼はなぜキリスト教を嫌悪していたのか?
話は彼の少年時代にさかのぼる。
幼年~少年にさしかかる時期のハーン少年は毎晩眠る際に見る悪夢に深刻に悩まされていた。
余談だが小学校低学年の特に男児は悪夢にうなされやすい。小学校高学年になるにつれ自然に解決していくが、なぜ小学校低学年の時期、とりわけ男児が悪夢にうなされやすいのかは現在でも解明されていない。
当時身近に父にも母にも頼れない境遇であった彼はキリスト教の教会に切実な恐怖を訴えるが、このとき教会は少年の恐怖の解決になんの役にも立たなかった。
ハーン少年が長じると、このときの教会への失望感は当時のキリスト教が西欧合理主義・功利主義に結びつき科学発展とともに他文化圏を侵食していくさまを目の当たりにするにつけ、決定的な嫌悪へと変わった。
もっともキリスト教による合理主義・功利主義を西欧の退廃と感じたのは当時の彼だけではなく、一部西欧知識人のなかでは東洋的世界や南洋的世界へ人間存在の回復を求めることが流行し、たとえばゴーギャンがタヒチに一時定住した際の絵画は西欧で高い評価を得た。
さてハーンはアメリカなどを遍歴しているうちには「日本はいいよ」とたびたび耳にしており、期待に胸高鳴らせて横浜に入港、その後松江で教員の職を得る。
そして松江で自身に欠けていた人生のピースがぴったりとはまったような心地よさを感じ、日本定住を決意、帰化し小泉八雲を名乗る。
と同時に幼少期、彼を非常に苦しめていた悪夢に対してなにか郷愁のような感覚を抱き始める。
当時流行の進化論に傾倒していた彼は、幼少期の怖い夢は人類総体の何世代にもわたって受け継がれてきた恐怖の蓄積を自分に見せてくれていたのではないかと、単純な恐怖ではない好奇心を抱いて、西欧の合理主義・功利主義よりもそちらを深くのぞき込めば人間存在の根源的なものがそこにあるのではないか、恐怖を突き抜けた先にあるものはおそらく人間本来の情愛とか優しさだったのではないかとの思いを強める。
そうして彼は日本各地の怪談を収集し始める。
たとえばそのなかの有名な一編「雪おんな」だが、怖さを透き通してみると、その先に何かべつのものを読む者に印象づけるのではないだろうか。
あらすじはほとんどの人が知っているだろうから、作中の雪おんなの台詞をふたつ抜粋しておく。
「わたしは、おまえもあの人のようにするつもりだったのよ。だけど、ちょっとかわいそうになってね―あんまり若いものだから。…なんて、かわいい子だろう、巳之吉さん。もう、おまえを殺しはしない。でも、もしおまえが、だれかに―たとえ、おまえの母親であっても―今夜見たことを言ったら、わたしにはわかるのだから。そのときは、おまえを殺してしまう。…言ったことをよく覚えておくのだよ!」
*
「それは、あたし―あたし―あたしなの!この雪だったのです!あのとき、わたしは、もしあなたがそのことをひと言でも洩らしたら殺す、と申しました!…そこに眠っている子供がなかったら、すぐにいま、あなたを殺したところです!ですから、よく、ほんとによく子供たちのことをみてやってください。もし、子供たちにとやかく言われるようなことをなさったら、わたしは相応なことをいたしますから!」
Posted at 2023/10/09 21:27:12 | |
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