
広島に原子爆弾が落とされ罹災した前後の出来事を執筆した作品群。
原民喜の作品のなかから戦後に発表されたものを大江健三郎が選んだ。
妻の病死から関東大空襲、郷里の広島に戻ったところでの原爆罹災、その後の復興のなか自身が命を絶つまでが描かれている。
戦時中、病に臥せる妻を献身的に看病するが、弱りゆく妻とともにセンチメンタルでつつましい世界のなかで作者は生きていた。
妻と作者の周辺のちいさな営みだけが当時の彼にとっての大事な世界だった。
戦争が激しくなる前に妻は病死するが、その後の空襲でおびただしい数の人間が死んでいく。
絨毯爆撃に遭うなか、生者と死者を別けるものはただ『運』でしかなかった。
いま生きるか死ぬかが『運』でしかない以上、人々はみな「いつ死んでもおかしくない」から「いつ死んでもかまわない」へと意識が変容していった。
作者は郷里の広島に戻るが「いつ死んでもかまわない」以上、人々の意識に占める「生」のスペースは小さくなっていく。
そんななかでも不思議と文学者である作者は書店の混乱した本棚から目当ての本を見つけ出すことに熱中し、女学生達は空襲後のがれきの上で弁当を広げて笑いあい、国民学校の教官は点呼で集団を従わせることに自己陶酔してるのだった。
あるときから広島の空襲がパタリと止まる。
爆撃機はよく来るが広島を通り越していつも西へ向かうようだ。
「呉や山口の軍需工場をターゲットにしていて、人が多いだけの広島にはもう空爆が来ない」
こういう噂が人々の口から広まっていった。
「いつ死んでもかまわない」緊張感は緩み、人々の行動のなかの「生」のスペースは拡がっていく。
…そして1945年8月6日午前8時15分、広島に原子爆弾が投下された。
すべては閃光と爆風のあと、吹き飛ばされてゆき、妻を看病していた日々も、古本の物色に熱中していた日々も、遠い夢の世界に変貌した。
目の前にあるものが紛れもなく、疑いようもない現実で、自分がまだ死んでいなくて生きてる以上、その世界を生きていかねばならないのだった。
黒焦げのおびただしい何万の死体、これから死ぬ何万の傷病者、彼らひとりひとりに作者と同様ちいさな「生」の営みが、つい先ほどまであったのだ。
終戦後、人々は異様なエネルギーで「生」の営みを再開させ加速させた。
街はみるみるうちに人が賑わい、復興が始まった。
作者もそのなかにいて、精力的に原子爆弾投下前後の執筆活動を行った。
…そしてポキンと、唐突に、健康な樹の枝が前触れなしに折れるように、命を絶ってしまった。
「これはどういうことだろう」と私は戸惑ったが、最後の解説で選者の大江健三郎は至極かんたんにこう述べている。
「やるべきことをすべてやりきったからだよ」
ページの最後のほうを読み返すと、原子爆弾前後を描写した一連の作品を書き切った締めくくりで、一直線に全速力で無限に高く高く飛んでゆき、生命の燃焼がパッと光を放ち、生物の限界を脱して流星となる雲雀のイメージが現れる。
一つの生涯がみごとに燃焼し、すべての刹那が美しく充実していたのだ。
そしてさらにページを少しさかのぼると、すれ違うびっこの青年に心の中で(しっかりやって下さい)と声をかけている。
びっこをひく青年は作者がいなくなったあとの世界に生きる読者、つまり私だった。
Posted at 2023/12/15 07:48:57 | |
トラックバック(0) |
読書 | 趣味