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◇画太郎◇のブログ一覧

2024年02月29日 イイね!

舞踏会/芥川龍之介

舞踏会/芥川龍之介芥川龍之介の「開化もの」とよばれる一連の作品のうちのひとつ。
明治期の文明開化の頃を舞台にしているが、芥川龍之介がこれらを執筆したときには文明開化の時代は少し遠いノスタルジックな雰囲気を人々に感じさせるようになっている。

鹿鳴館の大夜会に招待された少女がフランス人将校に踊りを申し込まれ、ふたりともつかのま夢心地の時間を過ごす。
ずっとこんなに楽しくて心地よい時間が続くのだろうかと思っていた少女の気持ちを読みとったように、ふたりで花火を見ているさなか、ふと愁いの表情を浮かべたわけを少女に尋ねられた海軍将校はやさしく言う。
「私は花火のことを考えていたのです。我々の生(ヴィ)のような花火のことを」

花火のようにせつな、宵闇に光を輝かす瞬間が人それぞれの生のなかにあればいいのであって、ひとときとわかっている夢のような時間だからこそこの出会いに価値があるのだと、海軍将校はまだこれからいろんなことを経験するはずの少女にそれとなく伝えるのだった。

舞台は芥川龍之介がこの作品を発表した頃の現在軸に移り、かつて少女だった老婦人が小説家の青年に回想を語ったところで物語は終わる。
Posted at 2024/02/29 06:59:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書 | 趣味
2024年02月24日 イイね!

はだかの王様/アンデルセン

はだかの王様/アンデルセンアンデルセンはデンマークの童話作家。
その空想的な物語は、アンデルセン自身が人生で体験してきたことの断片だといわれる。
本人の辛くて苦しかったできごとを、世界中の人々が共感できる優しい物語へと昇華させていった過程は興味深い。

そのなかで『はだかの王様』は少し異質で、寓意性の高い話になっていて、こういう意地の悪い諧謔をアンデルセンが扱うことは珍しい。

ペテン師が「バカには見えない衣装」を王様のためにつくるが、実際は仕事をしてるフリだけで何もつくらず大金を手にする。
ペテン師に衣装を見せられた人は、自分がバカだと思われるのが嫌で、衣装が見えてないのに「素晴らしい衣装だ!」と言う。
続いて衣装を見た人たちはますます衣装が見えないことを言いづらくなり、とうとう王様ははだかでパレードを行ってしまう。

この現象は現在でも実際にしばしばおこる。
で、何がやばいって、子供が「王様ははだかだ!」って叫んでからも、結局パレードを最後まで続けてしまうこと。
Posted at 2024/02/24 22:45:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書 | 趣味
2024年02月20日 イイね!

水滸伝/施耐庵

水滸伝/施耐庵岩波少年文庫版。
『水滸伝』120回本をベースに、分量を3分の1程度にして上・中・下の3冊にしている。

『水滸伝』は中国が北方の異民族に侵略された南宋の頃に講釈師によって自然流行したものを明代初めに施耐庵が本にまとめた…とされるが、施耐庵という人物の存在がよくわかっておらず、当初の100回本は時間をかけて自然成立していったのではないかとの見方もある。

その後、最後の梁山泊による方蠟の乱鎮圧の前の部分に田虎・王慶の乱鎮圧を付け加えた120回本というかたちで定着した。
降って明代末から清代初めにかけて金聖歎による71回本が出回って、それまでの100回本、120回本を駆逐した。

71回本は梁山泊に108人の好漢が集結したのち、盧俊義が108人全員朝廷の手によって斬首される夢を見て、驚いて飛び起きたら堂上の額に「天下太平」と書いてあるのを見たところで終わっている。
金聖歎が71回で腰を折って終わらせた理由としては、まず「宋江のどこがえらいのかわからない問題」というのがある。水滸伝読んだ日本人はだいたいこれ感じてると思うんだが、文化の違う本国だと宋江が忠義の士に見えるかというとべつにそんなことはなく「忠義」「忠義」うるさいだけでとりたてて何もしない男なので、晁蓋から宋江に首領が移ってからの部分を蛇足とみなしている。
もうひとつは金聖歎の生きた明代末には流賊の反乱が各地で相次ぎ、民衆を苦しめていたので「山賊に朝廷が助けられるなんてありえないし、気にくわない」という理由で梁山泊が反乱軍を討伐する部分を省略した。

完成度としては後発の71回本とされるが、私としては120回本で全編読んでおきたい。
ただし『水滸伝』って同じ中国四大奇書の『三国志演義』ほど、ものすごくおもしろいってわけではないのでまともに全巻読む気は起きず、岩波少年文庫版にしておいた。
Posted at 2024/02/20 21:08:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書 | 趣味
2024年02月16日 イイね!

おぎん/芥川龍之介

おぎん/芥川龍之介芥川龍之介は宗教全般信用していないが、キリスト教には興味を持っていてよく題材にとりあげている。
キリスト教を題材にした一連の作品群は「切支丹もの」と呼ばれ、信仰とは無縁で、とくにキリスト教に対して好意的でも否定的でもない視点での独特な物語描写をしている。

江戸時代の長崎におぎんという童女がいた。
おぎんは幼い頃に父母をなくし、切支丹の養父・養母に育てられた。
おぎんも信仰の篤い切支丹になったが、ある日家族3人とも切支丹狩りに遭って捕らえられ、十字架にかけられてしまう。

「信仰を捨てれば焚刑にはしないぞ」と役人に言われたところで、おぎんは「わたしはおん教を捨てる事に致しました」とあっさり言う。
養父・養母はぎょっとしておぎんを見る。
養父・養母は「殉教すればはらいそ(天国)が約束されるのだ」とおぎんを説得するが、このときおぎんは十字架に高く掲げられたところからほんとうの父・母の墓を見ていたのだった。
キリスト教を知らないほんとうの父・母はいんへるの(地獄)に行ってしまったに違いない。自分ひとりはらいそに行ったのでは申しわけがたたない。

「お父様!いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、ーみんな悪魔にさらわれましょう」
一家は焚刑を逃れて堕落し、悪魔は狂喜乱舞したが、これって実際無性に喜ぶほど悪魔の成功かっていうとだいぶ疑問だけどね、と芥川は述べて筆をおいている。
Posted at 2024/02/16 04:52:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 読書 | 趣味
2024年02月10日 イイね!

孔子と論語/原作・猪原賽 作画・李志清

孔子と論語/原作・猪原賽 作画・李志清紀元前497年、孔子が5人の弟子を連れて14年に及ぶ旅をし、紀元前484年にふたたび祖国の魯に戻ってくるまでの物語。
道中のできごとをきっかけに論語のなかの言葉をわかりやすく紹介している。

5人の弟子は、顔回、子貢、子路、宰我、子学。
顔回は孔子がいちばん期待をかけていた弟子で、バランスのとれた秀才。
子貢は顔回と並ぶ秀才だが、頭が切れるかわりにやや軽薄な人物に描かれている。
子路は孔子に心酔してるものの、力を恃む直情径行型の人物から脱しきれない。
宰我は現実主義者だがやや俗っぽいきらいがある。
子学は…、「?」「ちょっと思いだせないが、いたような気がする」と思って私は読んでいた。

5人の弟子のなかではいちばん未熟だが熱意だけはある子学の視点で物語は進む。
14年の旅の終わりには未熟だった子学もすっかり成長していた。
…最後、春の花びらが舞う頃、孔子とその弟子たちは魯にふたたび戻ってくるが、子学は魯の門をくぐらず立ち去る。
そして子学が誰だったのか、このときわかる。
Posted at 2024/02/10 04:18:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 漫画 | 趣味

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「ツレさんの要望でふとん乾燥機買う。
いまいち恩恵は感じず。」
何シテル?   05/13 16:35
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