
高橋留美子の漫画は北米・ヨーロッパで人気が高く、現在ほど日本の漫画が海外で認知されてない頃から多くのファンが海外にいる。
北米・ヨーロッパで人気が高い理由を高橋留美子本人は「ちょっとわからない」としており、日本のオタク文化が海外に広まる先駆けとなったとともに、日本国内と違い、レイ・ブラッドベリ、ロバート・A・ハインラインら海外SFの大御所と同列、感覚的には大友克洋と鳥山明の中間くらいのポジションに位置する創造的な漫画家とみなされてる向きがある。
同世代にもSF漫画家が多いなかでなぜ高橋留美子が特にそういう扱いをうけるのかは確かに「わからない」感があるが、個人的には海外では『うる星やつら』のアニメの人気が高く『うる星やつら』のアニメから高橋留美子作品に入ると必然的にアニメの監督だった押井守の先鋭的な表現も高橋留美子的表現としてある程度混同してしまうためではないかと推測している。
『めぞん一刻』は『ビッグコミックスピリッツ』創刊号から『うる星やつら』の連載に並行して連載が開始され、1980年~1987年にかけて連載が続いた。
「時計坂」という町(東京都東久留米市がモデルとされている)にある「一刻館」という名の古いアパートの住人と、管理人である若い未亡人を中心としたラブコメ。
一見あってもおかしくないけど、現実的にまずこうならんだろ、というところを突いたラブコメの先駆け的作品で、おっさんの私が読んでも遠い昔に忘れていた中二病的心情を刺激されておもしろい。
今読むと作品世界が異様に楽しそうなんだが、高橋留美子作品の世界がそもそも楽しそうという他に、実際、1980年代が楽しい時代だったというのも大きい気がして、そういう意味ではノスタルジックな味わいがある。
春夏秋冬がしっかり描かれてるんだが、そういえばこの時代は今思うとまだ春・秋の時期がながく、過ごしやすい季節がながいとそれだけで情緒も深まるし人の幸福度も高いのかもねー、と思ったり。
…そういえば私は大学中退直前の極貧の頃(だいたい24年前)から4年間、練馬の家賃2万4千円、風呂なしトイレ共同の「一刻館」よりさらにボロいであろうアパートに住んでいたが、意外と居心地がよく、不動産会社に就職してお金ができてからも1年以上そこに居ついていた。
隣の部屋の音などほぼ筒抜けなんだが、住人関係がゼロ距離に近いと騒音にしても「うるさい!」「あーどーもすいません」ですんでしまい、全然あとくされがないので、案外ストレスが溜まらないのである。
今もそういうとこに住んでるとしたらどうだろう、さすがにやばいかな、…とふと頭によぎることがあるが、その後の営業経験でさまざまな人の住まいを見るに、これ系のとこに住んでる人というのは、私自身そうだったが貧しいとはいえけっこう充足してることが多く、とりたてて日々に不満を感じてないことが多かった。
逆に日々の生活に不満があるのが見てとれるのは、身の丈に合わない生活をおくる、つまり身の丈に合わない場所に住み、身の丈に合わない職業に就き、身の丈に合わない交際をしている、そういう人種であって、日々人生が自転車操業に陥っておりイライラして余裕がないことが多かった。
さて、快適で人が入れ替わらない極貧アパートだったが、隣の私と同年代の男性の部屋には夜になるとほぼ毎日若い女性が訪れ、楽しそうに話し続け、深夜になると女性は帰るようだった。
ごくごくそういう日常として私はとくだん気にも留めず、自分の部屋でしちめんどくさい映画を観たり小説を読んだり2ちゃんねるをやったり陰キャライフを謳歌してたんだが、ある日の昼頃(仕事がブラック過ぎて休日の私はだいたい夕方まで寝ていた)、その女性が隣の部屋の男性の部屋の前でえんえん泣いているのにうとうとしながら気づいた。…そうこうしてるうちにばあさん(おそらくアパート向かいに住む大家だろう)がしきりに、非常に優しい様子で女性を慰めている声が聞こえ、それはだいぶながいこと続いていたが、どこかちゃらんぽらんなとこのある隣の男性がなにか女性に不義理をしたのだろうと思い(女を泣かせるな)と思いつつ私はいつしかまた深い眠りに入っていった。
…数日後、隣の部屋は目貼りがされ、佐野厄除け大師のお札が貼ってあった。
のんきでだいぶ頭のネジが緩んでいた当時の私はながいこと「おおかた家賃を踏み倒して行方をくらまし、それで女が泣いていたのだろう」と考えていたが、「いや…そうじゃないな」と気づいたのは私がアパートから2DKのマンションに越して数年後である。
Posted at 2024/08/28 20:59:52 | |
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