
ジャンヌ・ダルクは15世紀にフランスとイングランドの間で続いていた百年戦争を終結へ導くことに大きな功績を残した女性。
17歳のときにフランスの指揮官となったが、19歳のときにイングランドの捕虜となりキリスト教異端として火刑に処せられた。
死後25年経ってから無実の者として復権し、現在はフランス守護聖人のひとりとなっている。
「王太子シャルルを助けてイングランドに占領されていたフランス領を奪還せよ」という神の声を聞き、従軍したとされるが、実際のところ、迷信深い中世とはいえ(ジャンヌ登用には「ひとりの女がフランスを危機に陥れ、ひとりの少女がフランスの危機を救う」という古い予言があり、すでに危機に陥る部分が的中していたことも影響している)それだけのことでフランス軍の指揮権を与えたわけではなく、最初はシャルルも17歳の小娘が謁見を申し出たことにうさんくささを感じていたものの、よくよく本人から話を聞いたところ戦略・戦術面に優れた人間と判断して、甲冑・馬・剣・旗印などの軍装を与えたらしい。
さて、長く続いた百年戦争だが、英仏双方の戦力はかなり少なく、たとえばオルレアン包囲戦での戦力はイングランド5000人に対してフランスは軍人6400人、武装市民3000人である。
双方の戦力が少ない以上、お互いに損耗しないように早めに撤退するという消極的な戦闘が定着していたが、ジャンヌは自身が軍の先頭に立ち積極的にイングランドの陣営を攻撃した。
マンネリ化していたはずのフランス軍の攻撃目標が読めなくなったこと、予期に反して容易に撤退せず攻撃目標の奪取までフランス軍が攻め続けたこと(さらにジャンヌはイングランド側が早めに撤退を始めることを見越して戦闘開始前には追撃の準備をさせていた)、また「神のお告げ」を聞いた少女の登場でフランス軍の士気が高まったことなどからイングランド側はオルレアンの包囲を解いて潰走した。
短期間のうちに連戦連勝を重ねたフランスはながくイングランドに抑えられていたランスまで進撃し、そこで王太子シャルルはフランス王として戴冠式を行う。
同時にジャンヌも指揮官として強い権力を与えられるが、これがもともと消極派の多いフランス王国の側近たちに警戒感と妬みの感情を生じさせた。
このことがのちにジャンヌがブルゴーニュ公国の捕虜となった際、人質交換に失敗した遠因となるが、ジャンヌ自身はもともと多かった消極派が今後、自身の活動の妨害を図ることは予期していたらしい。
ランスでの戴冠式翌日にパリに進軍することをジャンヌは進言するが、これは却下される。
発言力の高い消極派がイングランド、ブルゴーニュ公国と停戦を図り始めたためである。
これにはパリ進撃にあたってフランス側の戦費が枯渇していたという逼迫した事情もあったが、結果的にこの停戦工作はブルゴーニュ公国に新たなイングランド軍到着までの時間稼ぎとして巧妙に利用されてしまった。
このおかげでジャンヌのパリ攻略は2ヶ月伸びてしまったが、この間にパリは城壁を強化し、堀を深くし、戦闘準備を進めてしまい、パリ攻略は失敗に終わる。
以後、戦略的に厳しい状況に置かれたジャンヌは無謀な戦闘を余儀なくされたブルゴーニュ公国との交戦で捕虜となり、人質交換も不調に終わった結果、イングランドに引き渡されることになる。
ジャンヌ死後22年を経て百年戦争終結。
ジャンヌ死後25年を経てジャンヌ復権。
このときジャンヌの母親はジャンヌに好意的なオルレアンの市民に迎えられていたが、父親は失意のうちにジャンヌの後を追って死んでいた。
Posted at 2024/09/20 05:29:49 | |
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