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にゃご o(^・x・^)oのブログ一覧

2015年10月19日 イイね!

近代産業遺産探訪 《石油の里》と道草と

今月は所用で何度か新潟市まで出掛ける機会があり、妻に自由時間を貰って娘達と社会見学的なノリとフットワークで同市の金津という場所に明治から昭和にかけて日本一の産油量を誇っていたと言われる金津(かなづ)油田の産業遺産を見に行ってきました。
以下:写真が多いのでPCからの閲覧を推奨いたします







「石油産業遺産群」
このワードだけでもハァハァしてしまう末期な自分ではありますが、少し前の時代まではこの日本でも石油がザクザクとれていた時代があったとは知りませんでした・・



遊歩道化されている山中にもそれらの遺構を散見できるようですが、兎に角「熊、注意」の看板が怖すぎて入山する事はできませんでしたが、下記写真の「石油の世界館」という施設の一帯にも遺構が残っています。 




先ずはこの石油の世界館から
こちらは世界の石油の採油方法や化石・鉱石などの展示もされており、金津油田の変遷や江戸時代~明治時代の血と汗の滲むような採油方法も模型や写真で展示されております。





そして展示コーナーの一角に鎮座するろう人形に訪れた誰しもが驚く事は間違いなさそうですが、取り敢えず入館無料なのでこのろう人形目当てに訪れてみては如何でしょうか(マテ


外に出て散策に向かいます。


およそ100年稼働していたという「石油井戸」へ・・・






これが石油井戸ですか・・・決して呪われている訳ではありませんが、何というか生々しさも含めて臭いも香しいです。
直ぐ近くには人家もあるので風の強い日や夏場は特にナーバスになってしまいそうです・・・





木工所も残されています。ウェルカム状態でしたので中を拝見(ぉぃ

「どうやらただの廃墟の様だ・・・」










現存している遺構は石油タンクや送油管などが大半ではありますが、草に埋もれて朽ち果てながらも鈍い威光を放っていました。








石油の里を後にし、新潟市からここに向かう道中で気になったお店に・・・(石油の里からまま近い)

「日本一まずいラーメン王」(←何それ?)とツッコみ要素を包含しつつ如何にも私好みで道草にぴったりな飲食店。その名も「東花食堂






もう店舗の外観からして笑みがこぼれてしまいそうな佇まいです。
なんでも数年前に某番組で取り上げられた食堂だそうで、恐いモノ見たさで訪れる方もいらっしゃるそうです。(店主談)

元気に挨拶して入店!

「ぃゃなんかごちゃごちゃしてる!!」



一瞬物置か何かかと錯覚してしまいましたが(コラ)、座る所はギリギリ確保されています。

こちらの東花食堂さんはおじいちゃんとおばあちゃんで切り盛りされていて、お客さんが来るとおじいちゃんがおばあちゃんを電話で召喚して料理が提供される仕組みになっている様です。

そして本題の「マズい」と謳われる東花ラーメン(とんかつラーメン)を注文。(←とんかつ?



とんかつだよ。。。(震え声)

不味くて食べられなかったらどうしようと思っていましたが、いざ食べてみるとラーメン自体はむしろ美味しく、もりもり食べる事ができました。
とんかつも肉厚で柔らかくとても美味しいのですが、ラーメンと一緒に食べるには
「・・・・」。

とんかつはソースで食したいなぁと、切実に思わせてくれる「ラーメン+とんかつの組み合わせがマズい」ラーメンでしたw
ともあれネタとしては面白かったです(殴





そして新潟に訪れたら一度行ってみたいと思っていた「懐かしい自販機」が設置してある同県は燕市の「公楽園」へ向かいました。



その道(どの道?)の方には言わずと知れたレトロスポットでもあります。
昔はうどん・そば自販機もあったそうですが、現在はトーストとカップラーメン+α




店内の一階には他にゲームコーナーがあり、二階には激渋な昭和テイストを残すホテルがあります。

↓数年前からいつも25周年企画らしいですが、ツーリングされている方には嬉しい価格設定です。



やはり室内が気になりますので休憩してみる事に。

本当に小汚い渋いww








室内の至る所に昭和50年~60年代テイストが溢れております。
そしてこのテーブルがお洒落~♪




早速、自販機コーナーで買ったトーストを食べましょう。
平成?何それな空間で食べるハムチーズトーストは得難い至高の一時であったのは私だけだったみたいですが、リフォームなどせずにいつまでもこの空間を残して欲しいと思ってしまう。。。そんな雰囲気でした。




部屋数は8部屋くらいあるのでしょうか?廊下もレトロな壁紙が印象的で下記写真の特別室は電気椅子とか設置されているようなオーラが漂っていました(どんなオーラだ)







纏まりなくダラダラな記事になってしまいましたが、締めは石油の里でのワンカットで。

Posted at 2015/10/19 22:12:47 | コメント(5) | 産業遺産(観光用) | 旅行/地域
2015年09月16日 イイね!

スイスポと巡る佐渡島産業遺産探訪ツアー vol.2

スイスポと巡る佐渡島産業遺産探訪ツアー vol.27月に行った産業遺産ツアーの続編となりますが、ちょっと写真が多すぎて編集するのが面倒くさ(ゲフゲフ)・・・・
と、色々と諸事情ありまして遅ればせながらの投稿となります。
以下:写真の枚数がアホみたいに多いのでPC閲覧を推奨致します。









赤〇部分のシックナー・選鉱所跡を散策した後、緑〇部分の佐渡金銀鉱山の本丸に向かいます。

道中にも坑口や選鉱所と本山とを結んでいたトロッコの軌道跡などを見る事ができます。ついニヤニヤしている自分に妻の冷たい眼差しが心なしか快感に感じつつ(ぉ-ぃ










近現代における旧佐渡鉱山の象徴とも言える大立竪坑。
採鉱(坑内作業)と選鉱・製錬(坑外作業)を繋ぐ施設として佐渡鉱山を支え、日本の金属鉱山では最古とされる洋式竪坑で明治時代初期頃から平成元年の閉山まで稼働していたと言う、まさに鉱山の中心施設でもあります。



竪坑の裏側のコンクリートアーチが特徴的な捲揚室。
内部にはワイヤーが着いたままの巻き揚げ機やコンプレッサーなどが安置されており、往時の面影が窺えます。



搗鉱場・破砕場・分析所なども取り壊されずに保存(放置)されている場所へ。。。




搗鉱場(とうこうじょう)
低品位の鉱石を粉砕し、水銀を用いて金を回収する施設で、明治24年(1891)と明治26年(1893)に、それぞれ第1、第2搗鉱場が完成。
昭和18年(1943)、金から、銅や鉄、鉛などの生産に転換したことに伴い、この搗鉱場も操業を停止しました。

現在残されているのは、搗鉱場の基礎部分で、この上に建物がありました。




↓興味ない人は素通りしてしまう小さなアーチ橋ですが、銘板には明治37(1904年)の建設とあり、「人造石工法」の特徴がみられます。
何気にこれら一つ一つが重要文化財に指定されおり、旧佐渡鉱山採鉱施設は、採鉱から製錬にいたる一連の工程のうち、採鉱にかかる施設が一体で残されており、昭和戦前期の鉱山施設の実像を知るうえで重要な建造物群でもあります。


ぁぁ。。。中に入ってみたい(マテ




台風接近によりいよいよ雨脚が強くなってくる中、皆大好きな坑道へ向かいます。(←オマエだけだ)




今回は江戸時代の手掘り坑道や採掘跡などろう人形で当時の様子を再現した宗太夫坑には入らず、明治官営鉱山の道遊坑へ入りました。

道遊坑で散見できる遺産群は国史跡であり、国重要文化財であったりと、明治期~平成元年の操業停止まで使用されていた数々の近代産業遺産が展示されているのが特徴です。














そして、道遊坑コースからは佐渡金銀鉱山で超有名な「道遊の割戸」を近くで見る事ができます。
江戸時代の露天掘り跡で、山の頂が真っ二つに掘り割られた姿から由来しています。

岩山を素掘りで真っ二つにした先人の方の苦労と努力は言わずもがなですが、そして迫力が伝わらないのが悔しいですが、下手なパワースポットよりも余程凄いオーラを放っていました。。。何度見ても感動してしまいます



霞む割戸も幻想的です。




ちなみに割戸の裏側はこんな感じ。
(何

盛大に崩れた跡がリアルな史跡ですね

後ろ髪を引かれつつこの辺りで佐渡金銀鉱山を後にし、佐渡島の伝統陶芸である「無名異焼」を作りに行きました。


たしか小学生の時に轆轤でつくった記憶がありますが・・・(遠い目)


無名異とは酸化鉄を含有する赤土で、止血のための漢方薬でもあった。
また、佐渡金山採掘の際に出土したため、その副産物を陶土に利用して焼かれた。
文政2年に伊藤甚平が無名異を使って楽焼を焼いたのが始まりで、安政4年に伊藤富太郎が本格化させた。後に初代三浦常山が脆かった従来品を強くするため、朱紫泥焼の手法を編み出し、今日に至る。
高温で焼き締めるために非常に固く、叩くと金属音のような音を出すのが特徴、とwikiに書かれていました。



そして完成(早)
現地で作っておよそ一か月位で自宅に届きます。


絵柄はともかくとして、激渋ですw




そして、お昼時になり、佐渡金山脇に併設されている「金山茶屋」で昼食を摂る事にしました。

「金山茶屋」は前述した搗鉱場・破砕場・分析所の近くにありまして、佐渡金山の従業員の方も利用されている食堂でもあります。






個人的に当たりだった「佐渡海鮮漬け丼」。800円
季節によって魚は変わりますが、7月頃は佐渡近海のマグロが「なう」らしく漬けマグロ丼でした。
切り身も厚めで、程よくのった脂とボリューミーな佐渡産コシヒカリとの相性は素晴らしい丼でした。





はい、それと佐渡金山に来たら外せない鉄板メニューであります「金山カレー」!600円
「道遊の割戸」をイメージした造形、更に金粉がかかっておりセレブな気分を味わえます・・・・



って、「何かイメージしていたのと違う」ww


これじゃまるで・・・
(注:イメージです)





フナムシしか居なかった石切り場跡にて


どんどん波も高くなってきましたが・・・金山(おっぱい)カレーも美味しかったですよ!!


まだまだ見たい所はあったのですが、帰りのフェリーに乗る時間となり佐渡島での遺構散策を終えて・・・カーフェリーに乗船


予想通りに帰りのフェリー、新造艦とはいえ台風の影響をもろに受けまして船内は地獄絵図であった事は最早言うまでもありません^^;(水平線があんなに上下に動くと、もぅ。。。ね)涙目


ドックで何事も無かった様に佇むスイスポ



佐渡島の起伏に富んだ山間部・沿岸部を颯爽と駆け抜けたスイスポに称賛を送りつつ、今回の産業遺産探訪ツアーの幕を閉じました。



締めは往時の面影を追ったワンカットで




佐渡ヶ島、産業遺産探訪ツアー vol.1

佐渡ヶ島の近代遺産探訪 《旧相川拘置支所》
Posted at 2015/09/16 21:58:03 | コメント(6) | 産業遺産(観光用) | 趣味
2015年07月23日 イイね!

愛機と巡る佐渡ヶ島、産業遺産探訪ツアー vol.1

愛機と巡る佐渡ヶ島、産業遺産探訪ツアー vol.1先のブログでも少しだけ話に出ましたが、台風が迫る7月18日スイスポを駆り、古くは江戸時代から近代へと非常に歴史の長い金山として名を馳せている『佐渡金山』(以下:佐渡鉱山)に行ってきました♪
なお、写真掲載枚数が尋常ではない為、強くPC閲覧を推奨致します



AM4:00、新潟県は直江津港から佐渡ヶ島の小木港へはカーフェリーで向かいます。
今年の四月から就航しているトップ画像の新造カーフェリー「あかね」は今まで2時間40分掛かっていた航路時間を1時間短縮するので、今回は日帰りというまま強行日程な私には非常に有難いです。(現地で2時間のプラスは大きいのです)



船内(ドック)も客室も新造艦らしく非常に綺麗で、以前の船の様に横になる事はできませんが、まま広々としています。

そんなこんなでAM4:50出航~~






ぁ、ちなみに今回の産業遺産探訪ツアーの参加メンバーは私、妻、三女(1歳)の三名となります(注:オムツ交換中)


台風の影響で船の揺れがヤヴァイかな?と思っていましたが、まだ遠くにあるらしく思った程に揺られずに無事、佐渡ヶ島に到着。AM6:30
そして到着早々、埠頭でスイスポを撮りテンションを上げて・・・まず向かったのが







「大間港」

佐渡鉱山の麓の街、相川地区。赤丸部分


鉱山の近代化を進める為には機械類の動力を生み出す燃料を大量に必要とした事は想像に難くなく、この大間港は鉱山からの生産品を搬出するだけでなく、生産に必要な物資、溶鉱炉や発電所等の燃料に用いる石炭の搬入用として明治期に築港された人口港湾でもあります。(現在は「港」としての役割は果たしておりません)



始めに目を引く、大正時代のクレーン台座遺構。
鉱石の搬出や生産用資材(石炭など)の搬入を効率的に行い、大規模鉱山における生産システムの一役を担っておりました・・・





また足元に目をやると、カラフルな色合いが特徴的でもあります、「人造石工法」が散見できます。
在来技術の1つでもありますが、干拓堤防や河川護岸の土木工事に応用したもので、明治10年代に開発され、コンクリート工法が普及する昭和期あたりまで全国で広く使用された工法です。






そしてトラス橋。
このトラス橋は橋梁上に鉱車↓を乗りつけて、トラス橋の下に停泊させた艀(はしけ)、に鉱石を落下させて積載していたそうです。










さて、そろそろ私が変態だとお気付きになられた方もいらっしゃる様ですが(←初めから知っています)、佐渡鉱山の遺構は兎に角、近くで見れるのが撮影していて凄く楽しいです(私だけですが)。

また、世界遺産の登録を目指して尽力なさっている事もあってか、何処に何があってこの遺構はどんな役割を果たしていたのかも分かりやすく記されているので勉強になる事だらけでもあります。





そして大間港で印象的でもありました、ローダー橋脚・・・





操業時の面影こそ無いものの、潮風に晒されながら誇らしくも力強く佇むその姿は遠い昔、活気に満ち溢れたあの日の雄姿を彷彿とさせるモノがありました。










そして大間港を後にし、次の目的地に向かう所で案の定「小雨」が降ってきました
(゚ー゚;





「北沢浮遊選鉱所」



明治時代から多数の製錬施設が建設され、佐渡鉱山近代化の変遷を色濃く残す数少ない遺構の一つでもあり、この場所にはレンガ造りの火力発電所、インクライン、シックナーも静かに佇んでおります。





産業遺構とは言え・・・さながら何処かの国の遺跡の様に見えてしまいます。
と、言いますか私の撮り方に些か問題があるのではないかと自問自答しつつ、一層の事「遺跡感」を前面に出して撮影を楽しんでみました(何



























(*'д`*)ハァハァ・・・

ずぶ濡れのカメラの事なんてどうでもよくなってきますが、一帯に漂う「廃成分特有」のかぐわしい香りをエネルギーに変換し(末期)、いよいよ次は佐渡鉱山の本丸である「史跡 佐渡金山」に歩みを進めます。





シグマ12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL (コニカミノルタ用)
シグマ50mm F1.4 EX DG HSM (ソニー用)
シグマ 70-300mm F4-5.6 APO DG MACRO (ソニー用)
Posted at 2015/07/23 20:47:54 | コメント(8) | 産業遺産(観光用) | 趣味
2013年05月10日 イイね!

大谷採掘場跡地(大谷資料館)で撮影あれこれ

大谷採掘場跡地(大谷資料館)で撮影あれこれ栃木県は大谷採掘場跡地(大谷資料館)へ。

展示場には採掘が本格的に始まった江戸中期から昭和34年頃までの手堀り時代の道具や採掘方法、運搬の移り変わりなどの資料を展示されています。因みにその展示場の写真は一つもありません。と言うか採掘場跡の撮影を満喫しすぎて忘れていました。
それ位に此処は面白かったです!














この資料館の見所は地下採掘場跡。


圧巻・・・





↑↑対比としてトライ。アンチャーテッドテイストで狙ってみましたが長時間露出なので以外と難しく(恥ずかしく)失敗でした。ぁ、薄っすらと映る人影は私です^^;
どうでしょう・・・この異様なまでの空間の巨大さ。伝わりますか?


2万平方メートルにも及ぶ大空間で、深さは30m、最も深いところでは地下60mもあるという巨大な地下空間で通坑内の平均気温は8℃前後。(寒いレベルですww
切り出された石は約1000万本で、まさに地下の巨大な建造物といった感じです。




此処ではコンサートや演劇、ショー、能楽などの会場にもよく利用されているそうです。



天井の空気穴。「あんな高さどうやって・・・?」

公開されているエリアは一部分に過ぎず、遠巻きに見るとまだまだ奥には広大なフロアが沢山ありました。どれだけ広いんだ・・・









閑話休題。


嘗てはここ大谷石の採掘場跡を利用し太平洋戦争の終頃、日毎に激しくなる米軍機の爆撃を避けるために、疎開して作られた巨大地下航空機工場群(中島飛行機の秘密工場)として使われていました。


地下工場には2つの工場があり、一つは中島飛行機(株)宇都宮製作所城山機体工場と、もう一つは、中島飛行機(株)武蔵製作所大谷発動機工場です。

宇都宮製作所城山機体工場(以下:城山工場)は1942年(昭和17年)に、武蔵製作所大谷発電機工場(以下:大谷工場)は1943年(昭和18年)に地下工場の準備に入りましたが、操業が開始されたのはそれぞれ、1945年(昭和20年)3月からになりました。(終戦も間近、それでもまだあきらめる事をしなかったのでしょうか・・・







出入り口こそ狭い作りですが









内部の通路は広く、地下軍需工場としての利用価値が高いというのも頷けます。
この城山工場及び大谷工場は日本全体で約100あまりあった地下工場の中で最も優れた設備をもち、最も大規模な地下工場でした。

















この両工場には、正規従業員(約8,900人)・微用工・女子挺身隊員・通年動員による旧制中学3年以上の男女学生・坑内工事関係者・関係軍人など合計すると約15,000人の人達が、勤務していたと言われています。
城山機体工場では、陸軍四式戦闘機「疾風」の機体及び部品が生産され、大谷発動機工場では、疾風に装着された発動機である、ハー45・12型・18気筒エンジンの部品生産と組立が行われました。
















戦時中は大谷地下工場に対する空襲は1回もなく、1945年8月15日ポツダム宣言受諾により太平洋戦争は終結を迎えました。
それにともない、大谷地下工場も約5か月という短い生産活動の幕を閉じました。

その後、接収に訪れた米軍関係者も、終戦までこの地下工場の存在は全く気付かず、その規模の大きさに驚いたそうです。(と、書いてありました(゚-゚;)ヾ(-_-;) オイオイ...














空気穴から差し込む光を利用した芸術品?も此処なら非常に画になります。(惜しむべきは肉眼だとほぼ真暗だという・・・^^;)

そうそう、この日はフジテレビのスーパーニュースのクルー達が取材に来ていて妻と娘がインタビューを受けていました。(あんなコメントじゃ使われないと思うけどww




何はともあれ、撮影スキルの向上には面白い被写体がゴロゴロしていてとても勉強になりました!また行こう♪



更にその近所で見つけた素敵な被写体(何処がだ)。
外観だけでご飯一杯いけそうです。
大谷資料館共々こちらの廃墟の撮影リベンジを誓いこの地を後にしました。



シグマ50mm F1.4 EX DG HSM (ソニー用)
シグマ12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL (コニカミノルタ用)
Posted at 2013/05/10 21:08:20 | コメント(6) | トラックバック(0) | 産業遺産(観光用) | 趣味
2012年05月14日 イイね!

密林に眠る遺跡

密林に眠る遺跡


森の中を進んで行くと・・・・
「はっ!」と一瞬背筋が凍り付いた




シグマ12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL (コニカミノルタ用)





目の前に広がる・・・光景
そこにはさながら神殿の様な、巨大な遺跡が佇んでいました・・・



シグマ12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL (コニカミノルタ用)











天気にも恵まれ光の入り方に神々しささえ感じてしまいました。




シグマ12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL (コニカミノルタ用)

















シグマ12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL (コニカミノルタ用)





















シグマ12-24mm F4.5-5.6 EX DG ASPHERICAL (コニカミノルタ用)









日本を離れ密林を彷徨い見付けてきました(゚-゚;)ヾ(-_-;) オイオイ...

その巨大さ故、超広角のアングルが最大限に生きてくる撮影プレイスでした。場所によって壁が反っていて迫ってくるようなダイナミックさには正直言葉を失いました。持っていった50mmレンズは無力でした^^;
ここはポートレートの撮影にいいかも?なんて撮った事もない素人が言ってみますw





おまけカット


人を立たせる事でこの遺跡がどれ位大きいのか分かり易いかなぁ?と思い・・・PS3のゲーム、アンチャーテッド風な感じでチャレンジしてみました。(ぁぁ恥ずかしいヾ(´ε`*)

一応フォローさせて頂きますが、私はナルシス王国の住人では決して無いという事をご了承下さい。
色々な撮り方の練習中って事でどうかご勘弁 m(。_。;))m そして此処は日本ですw








Posted at 2012/05/14 21:04:50 | コメント(8) | トラックバック(0) | 産業遺産(観光用) | 趣味

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何シテル?   12/11 12:43
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