
おいっ何とか言ってくれ!
" ブルース・クルーザー号 "
海岸線から排気音は消え去った。
その代わりに、
僕の脳裏にはベトナムから帰休した時の
ジョニーのブルースが呻(うめ)いていた。
※こちらは短編小説「海を見ていたジョニー」
1967年、著者 五木寛之
一時帰休した時のジョニーのピアノが、
どういうモノだったのかは
本書を読まなければ伝わらないだろう。。。。?
先日のこと、
ニコンのデジカメが修理不能になり
凹んでいると、追い打ちをかけて
カミさんの入院日等も決まった。
そして、止めておけば良いのに冴えない気分のまま
ひとりで日本海沿岸にあるマイナーな海岸線を走っていたら、
突然、異常な排気音とともに
マフラーから炎が排気され走行不能。
これは悪人の運転に、 ブルース号の芸術が停止したのかも? (X_X)
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「海を見ていたジョニー」について
1974年の文庫版には次のような説明書きがあるらしい。
ここで作者が示す問いはシンプルだ。人の心の良し悪しと、
芸術の良し悪しとは重なるのか、という問いだ。
心地良い音楽はよく「天上の音楽」などと形容される。
では、地上に生きる者は、そこに憧れるしかないのであろうか。
もしくはジョニーのように絶望し切ってしまう外ないのだろうか。
芸術と倫理の問題は、
冷めた目で「関係ないよ」と言ってしまうのが
クレバーな対応であるかのような考え方が普及しているようだが、
この本を読めば、かつてそのような考え方を疑問に感じた人がいて、
その問いは今もまだ切実なのだということが分かるだろう。
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以下はジョニーの言葉
(ベトナムへ行く前)
「悲しい歌がブルースだと思っている奴がいる。
黒人の悩みと祈りの呻き声だと書いてある本もある。
だが、それは違うな。ブルースって音楽は、
正反対の二つの感情が同時に高まってくる、
そんな具合のものさ。
絶望的でありながら、同時に希望を感じさせるもの、
淋しいくせに明るいもの、悲しいくせに陽気なもの、
悲しいくせにふてぶてしいもの、俗っぽくて、
そして高貴なもの、それがブルースなんだ。
そこの所をしっかり掴まえなきゃ、本当のブルースはやれない」
「ひとつだけ言っておこう。ジャズってのは人間の音楽だ。
ジャズを好きだって事は、人間が好きだって事だ。
ジャズ的ってことは、人間的ってことだ。
汚れた手で、本当のジャズがやれる事はない。
これだけは覚えておくことだな」
(ベトナムから帰休してから)
「・・・~前略~・・・汚れた卑怯な人間が、
どうして人を感動させるジャズがやれるだろう。
わたしがどんなに一生懸命に弾いても、
それは汚ない醜いブルースになるはずだった」
「だけど、もし今のわたしのピアノが
他人を感動させる良い演奏だったとしたら、
わたしはもうジャズさえも信じれない。
汚ない駄目な人間でも、素晴しいジャズが弾けるなら、
ジャズとはいったい何んだ。
それは、ただのテクニックだけの遊びじゃないか。
・・・~中略~・・・
わたしはいったい、どこへいけばいい、え?」
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Left Alone
Posted at 2018/03/12 14:29:20 |
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カワサキ W400 | 日記