朝晩が少しずつ冷えてきました。
9月は怠けてblogを一度も更新せず、ずっと遊び呆けていました(笑)。
まぁ提出期限の無い絵日記みたいなものですからのんびりマイペース更新ですが、よろしければお付き合い下さい。
近隣の各河川のほとんどが今日から来年2月末まで禁漁期間に入りました。今年の渓流釣りも静岡県の安倍川水系を除いて終了。これからは時間も出来てきますので、すっかり時間も経ってしまいましたが順を追って更新していきます。
それでは先ず8耐の続きから。
故アンソニー選手への供花をお渡しすると、ヴァンサン選手は右手を握って自分の胸をポンポンと2回叩きました。
アンソニー選手はいつだってここに一緒にいるよ、という事です。
鈴鹿を訪れた十万人以上の観衆の中で一体どれくらいの方がアンソニー選手の事を偲んでいるのかはわかりませんが、私もその一人として同じゼスチャーを返しました。
ヴァンサン選手も『ありがとう!』と言って、とても喜んでくれました。
どうしようかずっと迷っていましたが、こうしてヴァンサン選手にも喜んで貰えましたし、そして何よりアンソニー選手へ供花を贈る事が出来て良かった・・・。
アンソニー選手の代役として走る事になった濱原選手には、是非とも世界耐久選手権王座の地位を天国にいるアンソニー選手に贈って欲しいと思いました。
場所を変え、GPスクエアという各ブースが並ぶ広場でヨシムラレジェンドライダーのトークショーが始まりました。
クロスビーさんはヨシムラ60周年の2014年にも鈴鹿に来られていましたが、クーリーさんを直接見るのは初めて。
クーリーさんは記念すべき鈴鹿8時間耐久レース第一回大会(1978年)の優勝ライダー。
市販車改造のGS1000で、HONDAの無敵艦隊と言われたファクトリーレーサーRCBを打ち破っての、まさかの優勝を果たしました。
その時の様子はかなり以前ですがNHKのプロジェクトXにも取り上げられました。
当時、POP吉村が出した指示は『全速全開』。
これは作戦とは言えませんが、作戦というものは戦う相手との力がある程度均衡している時にこそ有効であって、資金、組織、経験の全てにおいて圧倒的な差がある相手と戦うのに、立てる作戦などあろう筈がありません。ゴールするまでの8時間を、とにかくスプリントレース並のスピードで走り、全力で戦うのみです。
その時の思い出を当時HONDAの社員だった入交さんも、ヨシムラは瞬間的には速いかもしれないけれど、それを8時間ずっと維持するのはとても無理だろうから優勝するのは自分達だと思っていた、とプロジェクトXの中で語っていらっしゃいました。
レースの途中で様々なトラブルに見舞われながらもメカニックだった浅川さんの機転を始め、チーム一丸となってトップでチェッカーを受けてクーリーさんとボールドウィンさんのペアは見事優勝。
『これは戦争なんだからな』と炎天下の中、ピットロードで陣頭指揮を執り続けるPOP吉村の姿に執念を感じたボールドウィンさんも、アクセルシャフトの小さなボルト1本の為に優勝を逃すことなど出来ない、絶対に優勝しなければならないと感じながら走ったそうです。
トークショーでクーリーさんは、エンジンの音を聞いただけでマシンの調子を読み取り、問題点を一発で探り当てる当時のPOP吉村の事や、自身のライディングスタイルなどを当時を懐かしみながら話してくれました。
トークショーも終わり、かなり陽射しが強くなってきた中を歩いて移動。
少し遅い昼食を食べにS-PLAZAへ。ここは宿泊施設のあるエリアで、今まで一度も来た事がありませんでした。
同じサーキット内ですが1/100秒を競うコースとはまるで別世界の落ち着いた雰囲気です。
バイキングスタイルのレストランで、窓の外の緑を眺めながらゆっくり昼食を摂ることが出来ます。
食べたら寝る!ここ数年でかなり体力が落ちました。真夏の陽射しは50代の体力を容赦なく奪います・・・疲れた身体を休めないと次の行動に移れません(笑)。なので暫し休憩・・・zzz。
休んだら体力も少し回復。ぼちぼちTOP10トライアルが始まりますので、再び暑い中を移動してスタンドの指定席へ。
サーキットに到着してから3時間経って初めて自分の席に座りました。
TOP10トライアルの開始早々、HONDAのチームが転倒。トライアル中に転倒するライダーを初めて見ました。幸い怪我は無かった模様です。
TOP10トライアルは前日の金曜日に行われる公式予選で、上位10チームが決勝の最終グリッドを決める為に4時間耐久レースの決勝戦が終わった土曜日の午後に行われます。
・・・が、その後ヨシムラのシルヴァン選手も転倒!
それまで走ったどのチームの選手より速いペースでの走行中の転倒だっただけに残念でしたが、結果的にヨシムラMOTULレーシングチームは津田選手が出したタイムのみで決勝2番グリッドを獲得。
TOP10トライアルはYAMAHAファクトリーチームがPPを獲得して幕を閉じました。
その後は一旦サーキットを出て、バスで西コースへ。
風の会見学です。ここは障害を持った方々の為に元SUZUKIワークスライダー水谷勝さんが主催されていて、ボランティアライダーの方達のタンデムでサーキット(本コース)を走ります。
水谷さんやケビン・シュワンツ、古くはWGP(ワールドグランプリ)のバリー・シーンのチーフメカニックをされていた岡本さんに以前お会いした時に『遊びに来いよ。』と声を掛けて頂いていましたが、ようやく訪問する事が出来ました。
再びサーキット内へ。
夕闇が迫る鈴鹿サーキット。
前夜祭のスタートです。
再びヨシムラレジェンドライダーのトークショーが始まりました。
ケビン・シュワンツさんは少し後からの登場でしたが、ステージ上の人数分の椅子が用意されていなかった時、さっと立ち上がって席を譲った加賀山選手が印象的でした。
トークショーの後はデモンストレーションラン!
クーリーさんが鈴鹿を走るのは実に38年ぶりという事になるんですよね。今ではバイクやこうしたイベントからは遠ざかった生活をされているそうで、こんなに沢山の人前に出たのは本当に久しぶりだ・・・と話されていました。
クーリーさんは1985年にカリフォルニア州のシアーズ・ポイントのコースで転倒。命にかかわる大怪我を負ってしまい、その時の怪我が原因で左半身に支障が残ってしまったそうです。
グローブをつけるのも加藤監督が手伝います。
こんなに大変な身体で断ることも出来ただろうに、遠くアメリカから来てバイクに乗ってコースを走ってくれるなんて感謝です。
準備万端でコースへ。
クロスビーさんはかなりのスピードでスタンド前を駆け抜けて行きます。加賀山選手はウィリーしながらファンサービス。
無事に帰って来ました。不二夫社長が両手を上げてライダーを迎えます。きっとお二人共感慨深いものがあった事でしょう。
グローブを外すのを手伝う不二夫社長。
席に戻って再びトークショー。
どうですか?このクーリーさんの表情。とても爽やかですよね!
レジェンドライダー達と観衆全員が一緒にカウントダウンして花火打ち上げ。
これが今年初めて見た花火です。
先程まで走っていたマシンの後ろに花火。
今回クーリーさんの乗ったGS1000。このバイクは残念ながら当時の物ではありません。
プロジェクトXの撮影時に製作されたGS1000も今回の鈴鹿に搬入されていますが、展示のみで走行不可との事です。ちなみに現在、そのマシンは平塚の方が所有されているとの事です。
・・・で、このGS1000。
今回、鈴鹿のイベントの為に限られた期間の中でBright Logicさんで製作されました。
製作する上で手間がかかったのはカウリング。実際のヨシムラマシンに装着されていたのはTZ350のカウリングを加工した物ですが、現在では入手が難しい様です。
そこで紆余曲折の結果・・・
竹中社長が自作。
✳注 ガチャピンではありません
各部の寸法であろう数字が書き込まれた資料。
車体はほぼ完成。
塗装されたカウリングの到着待ちの状態。
カウリングも無事に届き、後はデカールを貼れば完成。
鈴鹿へ搬送する前に光軸合わせの時に跨がり、クーリーさんが鈴鹿で乗るGS1000のお手伝いをちょっとだけする事が出来ました。
という訳で親しみを感じるGS1000。
前夜祭が終わるとコースが解放されます。この時だけはチケットを持っていなくてもピットウォークをする事が出来ます。運が良ければライダーにサインを貰ったり、一緒に記念撮影する事も出来ます。もちろんキャンギャルのおねえさんとも(笑)。
ヨシムラピット前。DENSOおねえさんは何だか面白いみたいで笑ってます。
ピットの中では整備中。普段ならこのタイミングでタイヤ交換やガスチャージ等ピット作業の練習が行われますが、何故か今年はそれも無く・・・シルヴァン選手がTOP10で転んでしまいましたので、その修復作業からでしょうか。
暫くヨシムラピットの前にいましたが、結局ピットストップの練習は見れず。
ピットウォークの終わる9時まで見ていると混雑して宿に帰れなくなってしまいますので、少し早めにサーキットを後にしました。