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GSX400FWRのブログ一覧

2018年02月21日 イイね!

Change

ひと頃に比べれば幾分寒さも緩んできた感がありますが、皆様如何お過ごしでしょうか。

満開だった庭の梅も散り始め、


桜はあと1週間から10日といったところ。


今年の干支は『戊戌(つちのえいぬ)』で、新しい動きが生まれる年だと言われています。
諸説ありますが『戊』という字は『茂』に関係して植物が絶頂期にあるという意味があり、『戌』という字は『減』に関係して植物が枯れる状態を表したものだそうです。
植物が一方では枯れ、一方では生い茂る、まさに変化そのものということなのでしょうか

・・・と、家に回ってきた回覧板に挿まれた地域の学校だよりに書いてありました。
回覧板には一応は一通り目を通してます(笑)。

おそらくは皆さんもそうだろうと思いますが、自分自身を振り返ってみると大きく変化する年が幾つかあります。
新しい年は早くも2ヶ月が過ぎようとしていますが、今年は変化の年になるでしょうか。

前回のブログではバイクライフの終活というキーワードでしたが、今回は真逆に振ってバイクライフのスタートという恐ろしくも恥ずかしい禁断の話題でいきましょう(笑)

大学1年の昭和59(1984)年から私のバイクライフがスタートした事は以前にも触れましたが、若い頃の写真って本当に少ないです。
あんなに楽しくて濃い時間だったのに。
そもそも自分のカメラという物を持っていませんでしたので当たり前なんですが、周囲もまた同様でしたから当然といえば当然です。

ガサゴソ探してようやく見付けた数少ない当時の写真。まぁ笑ってやって下さい。
画像が悪いのはご容赦(元の写真自体がピンボケなんです)。
さあ・・・『ジョニィのアルバム』のスタート!

大学2年の1985年、通学路にて。
校舎が山の上にあったので通学路=峠という素晴らしい環境の中、毎日学業に励ん・・・ではおりませんでした。
当たり前ですね、そんな場所では励めるワケがありません(笑)。


おとうさん、おかあさん、高い授業料を払ってくれていたのにこんなボクでごめんなさい・・・でも最高に楽しい学生生活でした。


家にはお金が無いから留年したら即退学だからな、と父からは言われておりましたので、毎年どうにか進級出来るだけの勉強はしていました。
テスト期間中は半月位ほとんど寝ずの生活だったなぁ。




こんなに人見知りの激しいボクにも友達たくさん出来ました(笑)。
おとうさん、おかあさん、ありがとう!


4年間は片岡義男の小説に出てくる大学生の様なバイクと音楽漬けの生活でした。


同じ研究室で福岡出身のバイク仲間が写真付きの年賀状を作ろうと言い出し、景色の良い日本平へ。
写真自体が色褪せてしまって解り辛いのですが、よ~く見ると背景に富士山が写っています。
これでも一応バイクのブログですので、少しだけ写真のFWの解説をしておきましょう。
基本的には純正です。
マフラーはヨシムラサイクロンの新品を装着、スクリーンとカウリングの縁に付いているゴムラバーを取り外し、あっさりとした外観を狙いました。
ミラーは当時流行った“走り屋ミラー”を右側のみ、左側は未装着。
プラグギャップを純正とは抵抗値の違うNGK製の赤いタイプに変更、見掛け倒しのブリザーパイプを装着。
フロントブレーキのマスターシリンダー&タンクはGSX―R750の物に変更。シリンダー経が大きいのでブレーキホースをステンレスメッシュに換えなくても効果は絶大。
表皮は純正のままにシートの中のスポンジを減らす、いわゆる“アンコ抜き”シート。走行中の重心が低くなった様な気がしました。
タイヤはヨコハマゴムのPRO FIRE。最高のグリップ。
当時の自分の中ではこれが一つの完成形でしたが、今見てもなかなかいいな・・・と思います。


何枚か撮って、年賀状に使ったのがコレ。
裾の短いジーンズに、コンバース・・・80年代。


毎日が漫画みたいに楽しかった学生生活も2月の卒論発表でおしまい。
私を筆頭にお金の無いバイク仲間からは海外への卒業旅行なんて話しは一度も出た事は無く、皆で卒業記念に伊豆へ日帰りツーリング。
この写真はその時の1コマ。この後ろの建物は今でもあり、伊豆へ釣りに行く時にこの場所を通ると、皆で走った当時のツーリングの事を思い出します。


ネクタイを締めてYシャツを着る自分が入社日当日である4月1日の朝まで実感できませんでした。
入社した会社の最初の赴任地は浜松。
見ず知らずの土地で仕事に慣れるまでは大変でしたが、幸い良い先輩達に恵まれたお陰で、こんなお子チャマな私も一応は社会人として今日に至る事が出来ました。

静岡の実家に帰った際、弟に譲った250FW1号機があったので記念に。


後ろに小さく写っている白いバイクは、後に弟と家庭を築く事となった当時の彼女に譲った250FW3号機。
元々は高校時代に同じ部活だった友人が乗っていた白色の2型でしたが、転倒。
最初は買わないかと言われたましたが、2台は要らないと断ったところ数ヶ月後に連絡があったので『・・・ったくしょうがねえなぁ』とか言いながら引き取りに行きました。
ええ、もちろんタダで。
接収ではありません、有効活用です(笑)。弟や彼女からは1銭も受け取っていませんから。

久しぶりに跨った1号機。


確かこの時は弟に『もうちょっと綺麗にしてやれよ』って言ったんだった。
弟にしてみてば大きなお世話だったでしょうね。


まぁそんなこんなの250FWでの思い出でした。
Posted at 2018/02/21 23:04:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2018年02月01日 イイね!

バイクライフの終活スタート

・・・とは言っても別に癌を宣告された訳でもなく、他の大病を患った訳でもなく、毎年秋に会社で行う健康診断の結果も悲しくなるほど異常ナシ。
今のところ至って健康です。

相変わらず大袈裟なタイトルですみません(笑)

今年もまた1月29日がやって来ました。
呑気に生きてきた私も、お蔭様でとうとう52歳。

定年まで37年もあるんだ~と入社日当日からうんざりしていた事がついこの前の出来事の様な気がしますが、残すところあと8年(あくまでもそれまで元気でいれば・・・の仮定で)。

最近自分の定年後、とりわけバイクライフってこの先どうなんだろうと、時々考える様になりました。

つまりいつまで乗れるのかという、およそ50前後のバイク乗りの方なら誰もが考えるテーマ。

しかし自分の寿命なのにいつまで元気でいられるかなんて分かりませんから、誰も正確な答えを出せません。


静岡の街中からほど近い某所。


35年前の昭和58(1983)年、いつもこの数軒奥の家の前に1台の250FWが置いてありました。色は黒赤。

当時は高校3年.。学校帰りに毎日、FW見たさにわざわざちょっと遠回りしてこの場所を通って帰りました。
毎日FWの横を通り過ぎる時にスピードを落としてガン見していく高校生など(日によっては何度も往復 笑)、さぞかし怪しかったに違いありません。


全く悔いの無い人生を送った人などいないでしょう。
欲深い私なんぞ尚更です。
しかし出来る限りで結構なので、少しでも悔いを減らす事が出来ればそれでOKです。

バイクライフのスタートは1984年9月、大学1年の時に購入した黒赤250FWでした。
釣りは鮒に始り鮒に終わると申しますが、私の場合はどうやらそれがバイクライフにも当てはまる様です。
最後のバイクは250FW・・・FWに乗り始めた頃から漠然と思っていましたが、最近ではそれが確信になってきました。

もう400FWは飽きたのかって?まさか(笑)
400FWは少なくとも銀河系一格好イイ乗り物だと今でも思っています(*意見には個人差があります)。
それならずっと乗り続ければいいじゃないかと思われる方が大半だと思いますし、それは正論だと思います。

しかし数年前の、ある真夏の夜更け。
その日も夜走りから戻っていつもの様にFWを拭いていた時、この400FWは自分で乗るだけが唯一楽しむ方法なのか?、本当にそれだけで幸せなのか?と、ふと感じました。
いや、急にその考えが頭の中に入り込んできた、と言った方が正しいのかもしれません。
もっと単刀直入に言うなら、目の前のFWがそう語りかけてきた様な気がしました。

折しも静まり返った真夏の夜更け、裏山では時々蝉が思い出した様にジジ・・・と鳴いたりするシチュエーションだったものですからゾクっとしました。
そんな事はそれまで一度も考えた事がありませんでした。

怖さを押し殺しながら、FWを拭く手は休めずに努めて冷静に考えました。
初めてFWに跨がった19の秋から今この瞬間に至るまでの経緯、この400FWとの巡り合わせやコンディション、集りつつある部品の数々、出逢った人々や自分の今現在の環境等を寝不足で朦朧とした頭の中で一度積み上げ、それを1つ1つ整理しながら並べ直していくと、あ・・・そういう事なんだと、ちょっとだけ理解出来た様な気がしました。

こんなに沢山の楽しい思い出や(たまには痛い思い出も)、人との出逢いを経験させてくれたFWに今まで何一つ恩返ししてなかったじゃないか!
こんな単純な事、どうして今まで気が付かなかったんだろう!


もしその考えに従って行動したとして、その後は?
やはり250FWか・・・。
その250FWが体力的に乗れなくなったら、その時が自分のバイクライフの終焉なのでしょう。
小さい排気量のバイクに乗る事はせず、潔くバイクを降りよう。


いつかはそんな日が来るんじゃないかと、以前から少しずつ集めている250FWの部品。
35年も経つと、さすがに部品も集めるのが大変になってきました。

中古のサイドカバ-.。
艶も少し無くなってはいますが、幸い黒い樹脂部分の焼けも少なく年月を経た中古部品である事を考えれば上等でしょう。
艶は清掃の後で磨けば多少戻るかもしれませんが、やってみなければわかりません。




こちらは新品。


フロントフェンダ-。


もちろん多少の保管傷はあります。
以前はそんな事ですら気になっていましたが、最近ではそれもこの部品の歴史の一つだと感じる様になりました。
よくぞこの状態で現代に現れてくれたと感じます。




十分じゃないですか、35年も前に作られたんですから。


純正部品のシールもこんな所に付けてくれてありました。


懐かしい色。


スズキ社内では黒い部分の色が色番号13Z、色名はスペース ブラック。細かなラメが入っています。
赤い部分の色は色番号00J、色名はキャンデー ジプシー レッド3。色名の通り通常のメタリックではなくキャンディ-塗装。




この2色の組み合わせは86Sという色番号とされ、基本的には400FWの1型黒赤と同じ塗色です。
学生の頃は年に2度のペースで転倒していましたので、その都度アルバイトで貯めたお金を新品部品に注ぎ込んで交換してたいた経緯から、新品の色は頭に叩き込まれています.。




さて,最後のバイクとなる250FWは、どんなバイクにしよう・・・若い頃から考えてはきましたが、もう一度ゆっくり整理しながら考えてみよう。
Posted at 2018/02/01 23:35:15 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記

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FWに乗りたくて取得した二輪免許。以来、FWばかり乗り継ぎ、気が付けば既に30数年・・・。 期日未定のFWR化計画を潜かに遂行するもパンフレット以外、部品...
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