最近は時々ですが明るいうちに帰宅出来ます。
そういう時は・・・
FWの掃除、これに限ります。
暑くも寒くもなく、ちょっと湿った空気の夕暮れ時、のんびり掃除しながらFWに接している時間が一番落ち着く、そんな気がします。
しかし直ぐに暗くなってしまいますので、焦らずちょっとずつ。
この日はマフラー。走り終えたら走行中に付着した汚れは簡単に拭き取っていますが、毎回前から後ろまでの全てにワックスを掛けている訳ではありません。
例えば排気口の中。この部分が茶色く錆びているマフラーを多く見掛けますが、エキゾーストパイプの様にメッキ処理されていませんので、ちょっと手入れを怠るとあっという間に錆びてしまいます。
またある日はホース類などゴム製の部品や、外装の樹脂部分など。
ブレーキ関係は滲みが無いか確認しながら油分を補給。ステンレス製のメッシュタイプに交換するのも一つの手ですが、こうして手入れをしておくとひび割れも無く、おそらくは出荷当時のままだと思われるブレーキホースも未だに弾力性があります。もちろん材質の良さに助けられている、ということも大いにあると思います。
水回りも同じく。
水曜日の休みには静岡へ。早朝からゆっくり温泉に浸かった後はお腹も空きます。
いつものさおしんさんに行き、しぞーかおでんを頂きます。
このお店は濃い目の味付けが特徴。削粉と青海苔を掛けて。
今年に入ってから何度かの釣行で減っていたアマゴ針と目印も買い足しておきました。
翌日から安倍川の鮎釣りが解禁とだけあって、漁協関係者が入れ替り立ち替りです。
その後は市街地まで戻り、モーターサイクル山崎さんへ。
これはスズキの販売店にメーカーから毎年配られるお酒。
まだ未開封で、ちゃんと中身が入っています。いいな~これ!欲しいな~(笑)。
昔行ってたバイク屋でくれるって言ってたけど、もうそこには行ってないからなぁ。
山崎さんに来たのは鈴鹿のツアー申し込みの為です。
さあ、この瞬間から7月30日19時30分に向けてカウントダウンの始まり。
今年も暑い夏は、もう目と鼻の先!
風神さんから週末に夜会を開きましょうとのLINEが入りした。
週末の仕事が思いの外順調に終わり、明るいうちに帰宅。
FWの埃を払い、シャワーを浴びて身を清めてから出発!
東名で東京料金所まで行き、
用賀で降りて右折。環八を南下して玉川ICから第三京浜で保土ヶ谷PAへ。
皆さんは到着されてました。少し遅れてなおさんとくろやんさんも到着。なおさんは先に着いてると思ったのに・・・ヘンだなあ(笑)。
参加者は風神さん、veryさん、watterさん、なおさん、くろやんさん、そして私の6名。
風神さんは以前入手してストックされていたヨシムラサイクロンの、なんと当時物新品を装着されて参加。有り体に表現するなら・・・タイヘンなヘンタイ。
近場の参加者は日が変わってから帰宅されましたが、私と風神さん、watterさんの3人は・・・
徹夜(笑)。あ~ぁ、またやってもうた~。
身体はかなり疲れますけどこういうシチュエーション、嫌いじゃありません。
学生の頃はよくありました。きっと風神さんやwatterさんもそう感じていたに違いありません。話しの内容は別に何でもよくて、生活の中心にバイクがあるっていうところがいいんです。
さすがに働き始めてからはこういう事はほとんど無くなりました。それでも今のFWになってから徹夜は2度目かな・・・。
明るくなってから保土ヶ谷PAを出発。直ぐに風神さんやwatterさんと別れて一人に。
本音を言えば身体はへとへとなんだから高速道路でさっさと帰ればいいのに、意識だけは妙に冴えている。
よし、こうなりゃ下道だ!学生の頃は高速道路なんて使った事なんて一度だって無かったじゃないか。まぁいつも貧乏だったってのはあるけど、それを言い始めたら今だって貧乏じゃないか(笑)。
新卒で今の会社に働き始めて来春で30年も経ってしまったけど、よく考えてみたら髪の毛と皺の数以外は笑っちゃうくらい変わってなかった・・・いや、正確に言えば自分で戻したんだ。
まあ告白してしまえば出世コースからは完全にコースアウトだ。
一時はボーナス評定をする側だった事もあった。そのまま会社の言いなりに転勤を重ねたら役職も上がって収入も増えただろうけど、収入以外の部分では失うものがあまりにも多過ぎると思い、辞職覚悟で会社と交渉。
実際、会社を辞めた場合の次の就職先は目処が付いていて、収入が全く途絶えるという最悪のシナリオが無かったので交渉に踏み切った、というところもあった。
幸か不幸か意見は通り、自宅から通える元の職場にとりあえず戻る事が出来た。当前の事ながら収入自体は下がったけれど、二重生活による出費も減ったので結果として経済的な負担は減った。
これを機にFWライフは一気に好転した。色んな人達と知り合う事が出来た。ヨシムラ関連もその一つだった。
思い起こせば86年鈴鹿耐久用GSX―R750が目の前に現れてからは、特にその変化が加速度的だった様に思う。
諦めていたメーカー欠品も、不思議と幾つも転がり込んできた。単なる偶然と言われるかもしれないけど、そういう事が何度も起きた。
しかし何より一番嬉しかったのは、いつもFWに接していられる事だった。
こうした事をELVISさんに話したら、『塞翁が馬』って言うんだと教えられた。難しい言葉はよく知らないけど、失った物より得た物の方がはるかに多い。
世の中には会社と上手く折合いを付けながら出世とバイクライフを両立されている方も沢山いるのだろうけど、残念ながらそうした器用さは持ち合わせていなかった(笑)。だから自分の選択に全く後悔は無い。
第三京浜から1国に出るまでの間、仕方なく横浜新道だけは有料道路を使ったけれど、そこからは下道。
藤沢から茅ヶ崎に入り、相模川を渡ると平塚。早朝の1国は空いていて気持ちがいい。走るほどに頭が冴えてくる。
しかしこういう時こそ気を付ける。早朝は脇道や店舗から飛び出して来る車が多い。
深夜や早朝に走る時は、いつも思い出す事がある。
1984年6月、隣りの下宿に住む同じ軽音楽部の友人の汚い部屋で、彼の郷里である北海道から親が馬鈴薯を送ってきたというので、それを茹でて塩をかけて食べていた。
そこへその下宿に住んでいる加藤君という人が入って来て、3人でムシャムシャ食べた。加藤君とは初対面だったけれど、夏休みに免許を取ってFWに乗るのだと伝えると、彼はVTに乗っているのだと言う。そして自分の運転するVTの後ろに今度乗せてやる、と言った。
それからほどなくして、おそらく半月も経っていなかったと思う。加藤君は週末の休みにバイクで実家に帰省、あと10分も走れば下宿に戻る事が出来るという場所で大型トラックと事故を起こし、還らぬ人となった。
深夜の出来事だった。連絡を受けた同じ下宿の友人ら数人が病院に駆け付けた時には加藤君の意識もはっきりしていて、普通に会話も交わしたそうだ。
友人達は安心して病院を後にしたものの、その後加藤君の容態は急変。早朝に亡くなった。
翌日、友人から加藤君が亡くなった事を聞かされた。その日の夜、授業か終わってから隣りの下宿に行った。
バイクが戻って来ていると言う。『見るか?』と聞かれ、一瞬迷ったが、下宿の奥にある駐車場に見に行った。
VTにはシートが掛けられていたが、シートを外した。そこには後ろに乗せてくれる筈だったVTがあった。
唯一、片側のマフラーが上を向いて煙突状態だったが、それ以外は驚くほどに普通だ。
加藤君が亡くなったという事実と目の前にあるVTは、全く繋がらなかった。しかしVTが綺麗な分だけ、現実があまりにも残酷に感じた。そして人が亡くなるという事が、こうも呆気ないものなのかとも思った。
加藤君のご両親の事を考えると、34年経った今でもいたたまれない気持ちになる。
以来、不幸なアクシデントはいつだって何気ない日常の直ぐ裏側に潜んでいるんだと、いつも自分に言い聞かせている。
FWは早朝の1国を滑る様に走る。6速4,400回転は400FWの全てのギアと回転数の中で、最も滑らかな部分だ。
自宅の近所にあるスリーエフで一服。
ブレーキのリザーブタンクとホーン、少し垂れ始めた左ウィンカーは来月の車検の時には何とかしなきゃ。
ホントはだいぶ色褪せてきているのに、何だか随分と綺麗に写ってます(笑)。
帰宅後は眠気の襲われる前に、そのまま掃除に突入。
掃除と言っても拭くだけ。
汚れを落とせばOK。
無事是名馬。