ひと頃に比べれば幾分寒さも緩んできた感がありますが、皆様如何お過ごしでしょうか。
満開だった庭の梅も散り始め、
桜はあと1週間から10日といったところ。
今年の干支は『戊戌(つちのえいぬ)』で、新しい動きが生まれる年だと言われています。
諸説ありますが『戊』という字は『茂』に関係して植物が絶頂期にあるという意味があり、『戌』という字は『減』に関係して植物が枯れる状態を表したものだそうです。
植物が一方では枯れ、一方では生い茂る、まさに変化そのものということなのでしょうか
・・・と、家に回ってきた回覧板に挿まれた地域の学校だよりに書いてありました。
回覧板には一応は一通り目を通してます(笑)。
おそらくは皆さんもそうだろうと思いますが、自分自身を振り返ってみると大きく変化する年が幾つかあります。
新しい年は早くも2ヶ月が過ぎようとしていますが、今年は変化の年になるでしょうか。
前回のブログではバイクライフの終活というキーワードでしたが、今回は真逆に振ってバイクライフのスタートという恐ろしくも恥ずかしい禁断の話題でいきましょう(笑)
大学1年の昭和59(1984)年から私のバイクライフがスタートした事は以前にも触れましたが、若い頃の写真って本当に少ないです。
あんなに楽しくて濃い時間だったのに。
そもそも自分のカメラという物を持っていませんでしたので当たり前なんですが、周囲もまた同様でしたから当然といえば当然です。
ガサゴソ探してようやく見付けた数少ない当時の写真。まぁ笑ってやって下さい。
画像が悪いのはご容赦(元の写真自体がピンボケなんです)。
さあ・・・『ジョニィのアルバム』のスタート!
大学2年の1985年、通学路にて。
校舎が山の上にあったので通学路=峠という素晴らしい環境の中、毎日学業に励ん・・・ではおりませんでした。
当たり前ですね、そんな場所では励めるワケがありません(笑)。
おとうさん、おかあさん、高い授業料を払ってくれていたのにこんなボクでごめんなさい・・・でも最高に楽しい学生生活でした。
家にはお金が無いから留年したら即退学だからな、と父からは言われておりましたので、毎年どうにか進級出来るだけの勉強はしていました。
テスト期間中は半月位ほとんど寝ずの生活だったなぁ。
こんなに人見知りの激しいボクにも友達たくさん出来ました(笑)。
おとうさん、おかあさん、ありがとう!
4年間は片岡義男の小説に出てくる大学生の様なバイクと音楽漬けの生活でした。
同じ研究室で福岡出身のバイク仲間が写真付きの年賀状を作ろうと言い出し、景色の良い日本平へ。
写真自体が色褪せてしまって解り辛いのですが、よ~く見ると背景に富士山が写っています。
これでも一応バイクのブログですので、少しだけ写真のFWの解説をしておきましょう。
基本的には純正です。
マフラーはヨシムラサイクロンの新品を装着、スクリーンとカウリングの縁に付いているゴムラバーを取り外し、あっさりとした外観を狙いました。
ミラーは当時流行った“走り屋ミラー”を右側のみ、左側は未装着。
プラグギャップを純正とは抵抗値の違うNGK製の赤いタイプに変更、見掛け倒しのブリザーパイプを装着。
フロントブレーキのマスターシリンダー&タンクはGSX―R750の物に変更。シリンダー経が大きいのでブレーキホースをステンレスメッシュに換えなくても効果は絶大。
表皮は純正のままにシートの中のスポンジを減らす、いわゆる“アンコ抜き”シート。走行中の重心が低くなった様な気がしました。
タイヤはヨコハマゴムのPRO FIRE。最高のグリップ。
当時の自分の中ではこれが一つの完成形でしたが、今見てもなかなかいいな・・・と思います。
何枚か撮って、年賀状に使ったのがコレ。
裾の短いジーンズに、コンバース・・・80年代。
毎日が漫画みたいに楽しかった学生生活も2月の卒論発表でおしまい。
私を筆頭にお金の無いバイク仲間からは海外への卒業旅行なんて話しは一度も出た事は無く、皆で卒業記念に伊豆へ日帰りツーリング。
この写真はその時の1コマ。この後ろの建物は今でもあり、伊豆へ釣りに行く時にこの場所を通ると、皆で走った当時のツーリングの事を思い出します。
ネクタイを締めてYシャツを着る自分が入社日当日である4月1日の朝まで実感できませんでした。
入社した会社の最初の赴任地は浜松。
見ず知らずの土地で仕事に慣れるまでは大変でしたが、幸い良い先輩達に恵まれたお陰で、こんなお子チャマな私も一応は社会人として今日に至る事が出来ました。
静岡の実家に帰った際、弟に譲った250FW1号機があったので記念に。
後ろに小さく写っている白いバイクは、後に弟と家庭を築く事となった当時の彼女に譲った250FW3号機。
元々は高校時代に同じ部活だった友人が乗っていた白色の2型でしたが、転倒。
最初は買わないかと言われたましたが、2台は要らないと断ったところ数ヶ月後に連絡があったので『・・・ったくしょうがねえなぁ』とか言いながら引き取りに行きました。
ええ、もちろんタダで。
接収ではありません、有効活用です(笑)。弟や彼女からは1銭も受け取っていませんから。
久しぶりに跨った1号機。
確かこの時は弟に『もうちょっと綺麗にしてやれよ』って言ったんだった。
弟にしてみてば大きなお世話だったでしょうね。
まぁそんなこんなの250FWでの思い出でした。