今日は日之影は大吹谷にある日隠林道に行ってきました。
9時に家を出発し、日之影まで高千穂線で上り、日之影-宇目線に入ります。
途中の景色に癒されつつ、日隠林道の起始点に到着。
途中までは荒れたターマックでしたが、その先はもちろんグラベル。
このグラベルもまた半端じゃないグラベルで、所々整備されていないのか20cmくらい段差があったりして車の底を擦るも擦る!!
車高短の人たちよろしく、斜めに避けたりもしてみましたが、結局はスピード出して飛び越えたほうが楽でしたw
道中、滝があったり、断崖絶壁があったり・・・
川に下って滝を眺めたりしながら登っていきました。


水が綺麗ですね~
生水は飲むな!なんて言いますが、この辺に来ると上流には人家もないので生活排水も流れていません。このくらい山奥の水だと自分は平気で飲んでいますが、やっぱり細菌やウィルスの影響を考えると飲まない方がいいかもしれませんねw
昔、この大吹谷には錫鉱山があったようなので鉱毒の恐れもあるやもしれません。
さて、錫鉱山の話も出ましたので今回の目的地なのですが・・・
通称「大吹鉱山」
江戸時代初期の寛永8年頃(1631年)に開坑した鉱山で、最盛期には1000人余がこんな山奥に住んで採掘をしていたそうです。
今回、自分はこの大吹鉱山の跡地、正確にはこの方々が生活をしていた場所を訪れてみることにしました。
いわゆる廃墟探訪ってやつですね。
日隠林道の途中に大吹鉱山墓石群の案内板があり、そこに車を停め、斜面をくだること5分。
沢にたどり着きます。
案内板は沢の手前に古くて見えなくなったものが1個あるだけでしたので、ここからは経験と勘で登っていきました。
昨今の台風などの影響で道らしい道もなく、唯一案内板からかろうじて読み取ることのできた「矢印」の方向を頼りに登っていきます。
沢を渡って少し歩くと、ビール瓶やら蚊取り線香の残骸が落ちていました。どうやら道はこちらで間違いないようです。
道中、こんなものも。トリカブトですね。
最近は園芸目的で林道沿いに生えているものはほとんど採られてしまっているようです。
さらに進むと、もう自分がどこに向かっているのかわからない有様。
沢はまだまだ続きます。
登り始めは、植林された針葉樹林帯だったのですが、いつの間にか雑木林に。人の手の入っていない証拠ですね。
ときにはこんな松の大木にお目にかかることも。
しかも1本だけじゃない・・・
樹齢100年近い大木がたくさん生えていました。
登り始めて30分程。何も見えてこないorz
入口の案内には徒歩30分と書かれていたので、もし見えてくるとしたらそろそろだろうと、周りを見ながら「人がいた痕跡」を探します。
墓石群として史跡の管理がなされているみたいでしたので、探してみると古い明らかに人の手で切られた切り株を見つけたので、そこからさらに登ると・・・
本当にいきなりでした。沢を登っていたので周りの景色に溶け込んで気づかなかったのでしょうが、墓石群を見つけました。
一番、手前にあった墓石。
南無阿弥陀仏と彫られています。一礼してから更に他の墓石を巡ってみることにしました。
すると奥にたくさん^q^
ここだけで30基ほどでしょうか・・・
しゃくかいとう?しゃくかいちょう?
読めん・・・orz
お線香がお供えしてありました。最近、誰か来たみたいですね。
自分が見つけた中で最も古いのは元禄時代。赤穂浪士の討ち入りなどがあった頃、今から300年以上前ですね。
倒木の下に箒がおいてありました。
半分、土に還ってますww
そこから更に登っていくと・・・
小高いところに高見但馬守なる人物の墓が・・・
恐らくこの一帯の地頭みたいな方だったのでしょう。この人の墓だけサンスクリットが彫ってあったり、墓前に小さな祠みたいなものが据え付けてありました。腐って壊れて崩れていたので、少しだけ治してから降りました。
沢の対岸になにやら石組みが見えたのでそちらに向かおうとしたところ、階段とこんなものを発見。
なんだろ?
昔の溶鉱炉の跡みたいです。
ここで採掘した鉱石を簡易的に精錬していたのでしょう。
溶鉱炉を後にし、対岸へ渡ってみると更に墓石を発見!
文政の頃にお亡くなりになられた豊後の佐伯ですから大分の方ですね。
こっちの墓石なんかはもう文字が読めない・・・orz
少し、周辺を散策してみると、木々は生い茂っていますが妙にひらけています。
どうやらここがかつて大吹鉱山の町があったところのようです。
周囲の端々にかつての生活の跡を見ることができます。
ここで様々な人が生計を立て、生活をしていたのでしょう。ここ大吹鉱山には周囲の地名からもいくつか読み取れるように悲しい歴史があります。少しはなれた木浦鉱山の方には女郎の墓があります。残念ながら、この大吹鉱山跡地では女郎の墓を見つけることはできませんでした。
ここにある墓はそれなりの地位をもった方のものだけなんですね。無縁仏として埋葬、遺棄されたものも多いのです。特に女郎としてここで末路を迎えた女性は遺棄されていたのでしょう。木浦鉱山の女郎の墓も元々は、打ち捨てられるだけの「死体捨て場」のようなものだったと聞きます。それを哀れに思った人が、墓として骨を埋葬したのだとか。口減らしとして売られ、こんな山奥まで連れて来られていったいどんな気持ちであったことでしょうか・・・
そんな感慨に耽りながら小一時間、そこで周囲を散策していました。
ふと目をやるとここにもトリカブトが自生していました。
更に進むと・・・
こ、こいつぁ・・・・
ものすごく・・・大きいです・・・
胴回り2mは余裕であろうかと言う杉の大木。
しかも1本だけじゃない!そして複数本がとけあってくっついていやがる・・・・
中でも一番大きかったのがコイツ↓
根元に小さくみえるのは自分が置いた「太陽のマテ茶」です。これで想像して頂ければその大きさが分かるかと。
これ、上にいくと3つにわかれているんですよね。すげぇなぁ~
近くにあったコウヤマキ。いったい何本合体してんだコイツ?
帰りは沢を別のルートで下ってみました。
そしたらまた墓石群に遭遇。
ここら一帯全部で50基くらいはあるみたいです。
汗だくだくでトダイのところまで戻り、林道を下ります。
帰りの林道。傾斜が急すぎワロリンヌwwww
トダイもなんとか耐え切ってくれました。
車高の高いダートラマシンが欲しいなぁ・・・
祖母の傾山登山口近くからの光景。
本当に素晴らしい景色です。
またいつか来よう~っと!