2010年05月17日
本日は、ワタクシ
『番場琢』
の今までの人生をお話ししようかと思います。
話し出すと止まらなくなってしまうので、幼少期編という事で、、、。
それでは、
えぇ~、
誕生日は、、、。
、、、、もっと早送りしましょう。
ヴァイオリンを始めたのは、幼稚園の頃。
僕の生みの母もヴァイオリンの演奏者だったので、毎日母と時々父に教わりながら練習していました。
小学校に行く頃には、プロの先生に教わりながら、発表会などで演奏していました。
おぼっちゃまと思ったあなた、間違いです。
完全に家庭環境です。
しかし、ヴァイオリンと同時に母は僕を医者にしようと勉学の日々が始まりました。
小学校4年生の頃から、塾と母での勉強&ヴァイオリンの毎日。
正直、勉強は大嫌いでした。
しかし、勉強の中で唯一好きだった物!!
それは、
『数学』
です。
問題を解いていく課程、色々発想する事が大好きでした。
好きな物には全力というスタンスはこの頃に身に付いたのだと思います。
なんせ、小学校6年生の頃には高校3年までの数学は終わっていましたからね。
その当時の趣味は、父の知り合いで東大助教授の方と、問題の出し合いでした。
数学限定でしたが、絶対解けない問題を出してやろうと、一から自分で問題を作っていました。
結局全部解かれちゃいましたが、、、。
ただ、それ以外の科目は全く駄目。
だから、受験も全然駄目でした。
ちょうどそのころから母が体調を崩し出しました。
なんとか持ちこたえていたのですが、中学に進学した頃からはほとんど寝たきりに。
中学1年生の頃に余命を告げられ、それからは残りの人生を少しでもいい環境でとホスピタルに入る事になりました。
2年生になった時に母は他界しましたが、それまでのたくさんの思い出は今でも僕の大切な宝物です。
それを境に僕は勉強をパッタリと止めてしまいました。
レースと出会ったのはちょうどそのころです。
幼なじみのお兄ちゃんがレーシングカートをやっていて、デビュー戦を見においでと誘ってくれました。
気持ち的にもすごく落ちていたので、気晴らしでもと家族で見に行きました。
その時の衝撃は今でも忘れません。
「なんだこのスピードは!!!」
「この臭い」
「金属の悲鳴のようなエンジン音」
自分の中に何か稲妻みたいな物が落ちました。
デッカイ音がしましたよ!!!
「ドッガァァァーーーン!!」
ってね。
その後は、父の説得です。
趣味でいいから絶対やりたい!!
気持ちが落ちていた自分はそこにはいませんでした。
父も全力で協力してくれて、ここから第2の人生が始まりました。
さて、今日はここまで。
この続きは、次回までのお楽しみです。
Posted at 2010/05/17 08:31:35 | |
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