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Briskenのブログ一覧

2022年06月26日 イイね!

【くるま回顧】Vol.18:BMW 3シリーズ&M3 (E36)

今回はE36型のBMW 3シリーズとM3です。

Blog_20220626_001

まず、おいらにとってこのクルマが何を意味するか。

それは、BMWというメーカーのイメージを決定的に印象づけられた、ということでしょうか。

おいらが若造で社会人になって間もない、18歳の頃の話がきっかけです。
当時は勤務先のテニスサークルに所属していたのですが、ある日(地元では高級に属する)リゾートホテルの道路挟んだ向かいのテニスコートで活動していた時に、ホテルのエントランスから出てきたのがこのM3。そして道路に出るやいなや、豪快なストレート6サウンドを轟かせて彼方へ駆け抜けていきました。
ほんの一瞬の出来事だったわけですがそれでも、あのストレート6の豪快なサウンドはトヨタの1GやJZ、日産のRBのそれとは一線を画すと思ったぐらい。とにかく腹の底から絞り出すような太いサウンドが低回転域から高回転域までブレることなく轟かせ駆け抜けていったというのが、自分の視聴覚に強烈に残りましたね。




↓は後継にあたるE46のM3ですが、当時聴いた時のサウンドはこちらのほうが限りなく近いですね。




この時をきっかけにBMWというメーカーに何気に興味を持つようになり、それまで見向きもしなかったTVCMにも反応するようになったのを覚えています。スローガンである「駆け抜ける歓び」というのもCMを通じて覚えました。

ご存知の通り、BMWの正式な社名は和訳すると「バイエルン発動機製造株式会社」のこと。航空機をルーツに持つという点はスバルと共通していますが、航空機を通じて培っていたのは社名の一部に「発動機」がある通りで、いわばエンジンの製造ですね。振動特性やフィーリングの良さからシルキー6と言われる直6エンジンだけに、エンジンの製造技術に関することは世界的に見てもトップレベルと言われます(もちろん直3、直4、V8、そしてV12などといった他のエンジンもそうですが)。

そのエンジンを活かして、前後重量配分を五分五分にしたFRレイアウトにこだわり、気持ちの良いドライブフィールを体験できることが「駆け抜ける歓び」に繋がっている、ということですかね。MINIを傘下に入れたことでFFレイアウトも学ばれたのか、最近はFFレイアウトによる「駆け抜ける歓び」も実現できるようになりました。
どっしりとしたボディ剛性も手伝って、時速200km 以上の走行(アウトバーン)にも応えられるほどの操従安定性を実現した、気持ちの良いドライバ­ーズカーというのに惹かれる部分があります。


話は戻りますが、このM3のベースとなったE36の3シリーズに興味が湧くことになります。若造当時は3シリーズが次世代のE46に移行した頃だったのですが、このE36は先代E30からボディサイズが拡大した上に直6エンジン搭載が拡大されたことから上級志向が一層強くなった感じであり、丸みが強めなE46よりも適度でクリーンなデザインが好印象だった。E30でよく言われた(皮肉られた?)「六本木のカローラ」感が良い感じで無くなっていましたね。

そして前述のM3の存在。おいらにとって3シリーズは今でも、現行モデルのG20の前にこのE36をイメージしちゃいます。


当時のおいらはE46でも、お金をきっちり貯めて買って乗ってみたいと思ったりしました。
M3なんて値段的に到底買えるクルマではないから、せめて2L直6の320iでもと思ったものの、当時の新車価格が400万円台だったことだけでなく、若造がBMに乗ること自体に対してどこか「生意気扱い」されるのが常だった時代。そこに両親による「黙って国産にしろ!」的な並々ならぬ圧力が追い討ち…。

これが災いして結局BMに乗らずして諦めてしまって、代わりの選択肢になったクルマというのが320iと同じ、直6FRのアルテッツァだったというわけです。

アルテッツァもまた(2台続けて)10年近く乗ったほど結果的に楽しいクルマだったとはいえ、なんだか甘く切ない思い出ですね。

Posted at 2022/06/26 11:25:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ:くるま回顧 | クルマ
2022年05月21日 イイね!

【くるま回顧】Vol.17:日産マキシマ

「今まで乗った中で最も快適だったと思うセダンはありますか?」

おいらにこう尋ねられると、真っ先に挙げられるクルマがあります。

Blog_20220521_001
[Illustration by Brisken]

はい。まさにその答えというのがJ30系の日産マキシマです。
80年代末期から90年代前半にかけて生産されていました。つまり日本経済がバブル絶頂から、崩壊に至った時期ですね。

この時期の日産は90年代での技術世界一を標榜した901運動を展開していてR32スカイラインやZ32フェアレディZ、S13シルビア&180SXの他、Y31セドグロとシーマ、A31初代セフィーロ、P10初代プリメーラ…などと、今でも幅広く知られるほどの魅力的かつ先進的なクルマをたくさん開発して生み出されていました。J30マキシマももちろん、901運動の一環で開発されていたクルマです。

当時マキシマに乗っていたおいらの家族や親戚はいませんでしたが、おいらが中学生の頃に同級生の親がこの型のマキシマに乗っていました。
その同級生とは部活動も一緒で試合遠征の機会に時々マキシマに乗る機会があったわけですが、当時の秋田県内は高速道路はじめ自動車専用道路が今ほど整備されていなかったので、遠征で使うルートはもちろんずっと下道が基本。
遠征先によっては片道3時間前後の長時間移動だったりしたわけだからそりゃもう疲れるわけで、遠征先に着く頃には1日分の疲れを覚えて試合で本調子を出せなかった!というのがいつものオチ。
しかしマキシマの場合はそうじゃなかった。
片道3時間乗っても全く疲労感がなかったもので、とても快適だっとことを今でも覚えています。つまり逆に言えば、(遠征先へ向かう際に誰がどのクルマに乗っていくかっていう話になった時に)このマキシマに当たった時は、遠征先の試合で本調子を発揮できたというわけです(笑)

901運動の成果物ということもあるんでしょうが、そもそもマキシマは広大な北米市場を主眼に開発されたクルマ。当時の国産としては大きめなボディに3LのV6、大きめなシートの作りからしても快適性を重視していることを容易に想像できますが、シートの硬さ加減、開放感を与えるグラスエリアの配置など、どれにおいてもまさに絶妙といえるものがありました。

3LのV6エンジンも素晴らしかった。同級生の親が乗っていたのは前期モデルだったので搭載されていたエンジンはシングルカムのVG30Eと思われますが、低回転域から実にトルクフル。変速機とのマッチングも良かったからか、VGエンジンの持つ官能的なサウンドと共に放たれる高回転域までの伸びが本当にスムーズかつ滑らかで気持ちよかったのは今でも鮮明に覚えてます。

[当時のCM]
https://youtu.be/RADcqrtB-mo
https://youtu.be/e5gfcGj1wIY
※ 埋め込みがうまくいかないようで、リンクだけ貼らせて頂きました。

このCMの通りでまさに、リラックスという言葉にふさわしいものがマキシマにありましたね(それにしてもデーブ・スペクターさん、今でもほとんど容姿が変わらないのが何気にすごい)。

ところが、当時の日本市場が求めていたのはリラックスよりも、デラックス。
バブル絶頂から崩壊に転じる時期だっただけに、当時の日本人には刺激が欲しかったというか、華やかさが忘れられなかったんでしょうかね。

華やかな装飾を避けたシンプルなエクステリアと合理性を求めた真面目な設計や装備が持ち味だった、いわゆる大人の感性で作り上げられたドライな指向のマキシマは北米市場で成功し受け入れられたものの、日本市場で受け入れられなかったのは、なんとも残念な話。
そんなマキシマに長時間乗れたこと自体が、むしろ貴重な体験だったのかもしれません。

こうした背景もあっておいらは、(日本人に理解されなかった)J30マキシマの良き理解者の1人ということに胸を張って、今でも自覚し続けているのであります。
Posted at 2022/05/21 14:08:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ:くるま回顧 | クルマ
2021年09月18日 イイね!

【くるま回顧】Vol.16:9・9の日。

少し時間が経過してしまいましたが、9月9日は日付をとって救急の日とされてます。

例年であれば救急の日のあたりにその地域の消防本部が主催して、防災に関する展示や緊急車両の展示、ハシゴ車の体験などといったイベントを開催されることがありますけど、今年はコロナ禍のせいで近隣地域のどこも開催されなかったみたいですね。

救急の日になるといつも見たくなるのが、救急車。

Japanese TOYOTA HIMEDIC 3rd ambulance
[Wikipediaより]

だいぶ前にブログで一度書いたことがありましたが、緊急車両の中で個人的に好きなのは救急車で、パトカーも消防車も人の何かを助けるという意味では同じですけど、人命を1秒でも早く救うために毎日のようにサイレンを流しながら日々東奔西走する姿がカッコイイんですよね。

そんな救急車でも現在はハイメディックとパラメディックの他にも、札幌ボデー工業のトライハートといった救急車両があるのですが、これまで見かけた救急車両の中で個人的に好きだったり、印象に残る車両を5つ挙げてみました。


1つ目は、初代ハイメディック。



今でも一番気に入っている車両ですね。100系ハイエースのスーパーロングベースですが、全幅を拡大させた上でセルシオと同じ4リッターV8が搭載されていたモンスターな車両。

発売前にモーターショーで参考出品された写真を雑誌で見た時、それまでの救急車からは想像できなかったカッコ良さに魅了されたことを覚えてます。

少なくとも私の記憶ではあるものの、残念ながら秋田県内で見かけたことがなくて、ハイメディックとしては2代目のグランビアベースまで待たされました。


2つ目は、アトラスベースの初代パラメディック。

The frontview of Nissan PARAMEDIC (1st generation late) owned by OSAKA ISEN
[Wikipediaより]

秋田県内の高規格救急車の第1号として秋田市消防本部で導入し、城東消防署に配備されたもので、地元マスコミにも取り上げられて当時話題になりました。ワイドボディのアトラスベースでハイルーフだったから、室内空間が広大で救急処置がしやすかった一方、細い路地への進入が大変だったのかもしれないですね。
現在のトライハートは、このパラメディックの路線を引き継いでいるようにも感じられます。
ちなみに秋田市消防本部ではその後、秋田南消防署にもキャラバンベースのパラメディックⅡが配備されていました。


3つ目は、初代ハイエースベースの救急車。

Blog_20130707_001

小学生の頃まで地元消防本部の予備車両として配備されていた記憶があります。
その後のハイエースベースのものと異なりハイルーフではないのと、ルーフ上に鎮座する給排気口やクーラーユニットの存在感、レトロ感漂うスタイリングも印象的でした。


4つ目は、いすゞファーゴの救急車。

Ambulance2b isuzu
[Wikipediaより]

前述の初代ハイエースベースの救急車両と入れ替わる形で地元消防本部に配備された記憶があります。当時のハイエースベースやキャラバンベースに比べてクリーンで、救急車としてみても垢抜けたスタイリングが印象的でした。


そして最後、5つ目は3代目ハイエースベースの救急車です。

Toyota Ambulance H60 001
[Wikipediaより]

近所の消防分署に20年ほど前まで配備されていた車両でした。現在のハイメディックと同じようにかつて日本各地にたくさん配備されていた車両だったと思うのですが、今はすっかり見かけなくなりました。

・・・

と思いつつ色々YouTubeで見ていたら、なんと最近まで現役と思われる車両がありました。



1:30、2:50あたりからご覧になると良いです。

会津若松市にある福島県立医大付属の医療センターの車両のようで、最近はコロナ禍や大雨などで立て続けに訓練中止になっているみたいで現在も現役かはわからないのですが、角目のヘッドライトとサイレン音からして当時の消防分署にあった個体のものと全く同じ。

実はこのサイレン音がおいらにとって苦手だったもので、夜中寝ている時にこのサイレン音が耳に入ってしまうと寝られなくなって、次の日の学校の授業か部活動で先生に何かで怒鳴られたり体罰を受けるようなジンクスがあったりしました。

最新のサイレン音と比べて、上の動画のように鳴り始めがびっくりしますし、トゲの強さを感じるような音色、ピーポーの周期が短かったりと時代を感じるものがありますね。

・・・

こんな感じで救急車の話題を語ってみましたが、あくまで興味を持つだけに留めておいて、決して救急車にお世話になるようなことだけは嫌だなって、改めて思いました。
Posted at 2021/09/18 21:58:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ:くるま回顧 | クルマ
2021年02月20日 イイね!

【くるま回顧】Vol.15:1Gのサウンド。

今週、みん友さんの何シテル?に思わず反応した際に一緒に貼った下の動画がありました。




刑事貴族のシーズン1後期、舘ひろしさんに代わる形で主役になった郷ひろみさんが主に乗っていたGZ20ソアラのシーンですね。






いずれも僅かな時間の映像ですけど、これを見て次第に思うようになったこと・・・。


「やっぱり、1G系のエンジンはサウンドが良いなぁ。」


トヨタの1Gと言えば、それまでのM系に代わる2Lクラスの6気筒の主力として初代クレスタを皮切りに、1980年2月(ちょうどおいらの生年月と同じ!)から2008年まで実に30年近くの長きに渡って生産されていたエンジンです。

シングルカムの1G-EUから始まって、ツインカム24の1G-GEU、ハイメカツインカムの1G-FE、スーパーチャージャーの1G-GZE、そして上の動画の20ソアラにも搭載されていたツインターボの1G-GTEと発展していった、かつてトヨタの上級クラスを彩った名エンジンでした。
細かく言えば、タクシー向けでLPガス仕様もあったみたいですけどね。

90年代に入って2.5L・3LのJZ系が出てきてトヨタの6気筒の主力がこちらにシフトしたものの、JZ系のみならず4気筒よりも重量が軽いことで搭載車種のハンドリングに良い効果をもたらしていた1Gの魅力は全く色褪せていませんでした。

でもおいらはやっぱり、性能以上に魅力だったのはサウンドなんですよね。

イグニッションキーを捻ってセルモーターを回した時の始動音。
始動直後に聞き取れる「ブオーン」っていう直結カップリングファンのサウンド。
モーターのような、レッドゾーンまでのスムーズさに相まった心地よいサウンド。




なかでも、カップリングファンの豪快なサウンドは現代のクルマにはない、たまらない魅力がありますね。

1G-EU:


1G-GE:


1G-GTE ①:


1G-GTE ②:


1G-FE:



カップリングファンの豪快なサウンドを聞くだけで、まさに高級車だなぁって気持ちにさせられるものがありました。



そういえば、おいらがかつて20代の頃に2台続けて乗っていたアルテッツァも、2台共に1G-FEのAS200。
4気筒(3SーGE)のRS200は低速域がスカスカでがさつ過ぎて、このクルマに似合うものではないと思ったからです。

アルテッツァの1G-FEもまたカップリングファンの豪快なサウンドを聞けると思いきや、電動ファンモーターだったようでサウンドを聞けなくて落胆した記憶を思い出してしまいました。

けれども、4気筒のRS200よりもエンジン重量が軽いおかげでハンドリングが素直だったし、低回転域のトルクもきちんと確保されていた。
おまけにレッドゾーンまでスムーズに回るこのエンジンを、6速マニュアルで思う存分に操れる愉しさがこの上なく格別だったことは今でも覚えています。

こんな手頃なサイズで、操る愉しさを備えた6気筒FRセダン。
トヨタはもう造らないんでしょうね。
Posted at 2021/02/20 22:48:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ:くるま回顧 | クルマ
2020年06月20日 イイね!

【くるま回顧】Vol.14:今だからこそ、前車BPを回顧してみる。

ちょうど今日、6月20日という日はおいらにとって思い出の1つに残る日です。



2009年6月20日。もう11年前になるんですね。

おいらのもとに、前車のBPが納車された日でした。

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これは11年前の納車当日に、Dラーから戻った後近所で撮った写真。

しかも当時も今日も、友引の土曜日。

ちょうどよいタイミングで思い出せたのも、なにかの偶然だったんでしょうか。



おいらは幼少期の頃からの親父のクルマからそれまでずっとトヨタ一筋だったのですがこの日をもって初めて、他メーカーに「移籍」した日でもあったわけです。

BPに乗り換えるまでは、アルテッツァに乗っていました。

今思えば貴重な、2L直6に6MTという組み合わせは本当に楽しかったのですが、泣く泣く手放しスバルに移籍することになった理由はもちろんありました。

今では小学校高学年になりましたが、2人目の子供が生まれる直前で荷室の狭さとかでセダンでは対応が難しくなったり、行動範囲を広げるためにあらゆる路面状況にも強くて快適に移動できるステーションワゴンに乗り換えなければいけなかったこと。
これは以前このブログで書いていましたし、レガシィに乗り換えるにはこれだけでも十分な理由に値しました。

実はまだもう1つ、乗り換えた理由があったんです。

今だからこそ言える理由なので今回初めて書きますが・・・

それは・・・

トヨタというメーカーが嫌いになったからです。



この頃のトヨタ、2000年代後半ですかね。

景気の波に任せるようなクルマ造りに積極的で、ミニバンを中心とした万人受けするようなクルマが広告の力に頼るように売れていた時期だったように覚えています。

そして日本国内における、レクサスの立ち上げ。

車両価格が250万円程度と比較的手頃だったアルテッツァもレクサスISに変えられてしまって、車両価格も400万円台と一気に跳ね上がってお金持ちのためのクルマになってしまった。

アルテッツァやセリカ、MR-S、カルディナなどと乗る人を愉しませるような手頃なスポーツモデルは当時のトヨタのラインナップから完全に無くされて、いつしかミニバンが主役になった当時のトヨタの姿勢においらはとても裏切られた気分でした。

手頃なスポーツモデルこそ造り続けるべきクルマなのに・・・乗る人を愉しませる、いわば

「FUN TO DRIVE」

とかつて熱く語っていたトヨタは一体どこへ行ったものか。

のちに86とともにスポーツカーを復活させるトヨタでしたが、86の開発に悩まれていたチーフエンジニアの多田さんがアドバイスを受けるべく、ロードスターの開発者だったマツダの貴島さんに

「景気の波でスポーツカーを作ったりやめたりするのは、ファンに対する裏切り行為だ!」

と言われたのは有名な話ですね。

本当にその通り。

おいらも裏切られた気持ちが強くてトヨタに見切りをつけてスバルに移籍し、レガシィに乗り換えたのも理由でした。

今ではトヨタと資本提携しているスバルではあるけれども、ロードスターと同じように景気に翻弄されることなく、今もなお愚直にWRXを造り続けられていますしね。

・・・

と、トヨタのことを散々と書いてしまいましたが、あくまで当時(2000年代後半)の私見にすぎないことを、念押ししておきますね。

今ではモータースポーツが好きな豊田章男さんが社長になって、再びスポーツモデルの開発が活発になって良い方向に向かっています。

でも一度不愉快を覚えるとなかなか戻ることに慎重なおいらなので、トヨタに戻ることは難しいかもしれません。



長々とすいません、本題に戻ります。

BPは新車ではなく、4000kmあまり走った1年落ちのデモカーでした。
今乗っているBS9と同じケースですね。

本当はターボの「2.0GT」を買うつもりで考えていましたが、レギュラーガソリンがリッター170円で高騰していた時代で我が家の大蔵大臣が決裁できないのは目に見えていたため、諦めざるを得なかった。

この時期は、撤廃できるはずだった暫定税率を撤廃せず有耶無耶にして、国民を敵に回した当時の自民党が衆院選で惨敗する直前でしたね。

このように2.0GTに未練を残しつつも買ったのは、2.5L NAの「2.5i」。

でもこれが思いの外、ハイバランス!

今までと違うメーカーのクルマに乗り換えたことだけでもかなり新鮮だったんですが、何よりも新鮮だったのは今までにない快適性。

路面がどんな悪い条件であっても地を這うように全輪で突き進んでいく頼もしさがありながら、(足回りにお金をかける傾向が強いスバルらしく)ノーマルサスでも乗り心地は実にしなやかだったし、不快な振動もほとんど感じられなかった。

なので非常に快適だったし、長時間運転していても疲れることが全くなかったですね。

まさに振動の少ない水平対向エンジンに四輪駆動を組み合わせた独特な性能、すなわちスバルの目指す「シンメトリカルAWD」の良さが活きてる証で全天候型グランドツアラーといっても過言ではないぐらいの性能を誇っていたと思います。

そして、エンジンパワー。

シングルカムで可変バルブリフト機構も持っていたEJ25は2.0GTほどの圧倒的なパワーはなかったものの、4000rpmあたりの中回転域で最大トルクを発生させる、非常に扱いやすい性格を持っていました。

さらにボディも、ボンネットとリアゲート部でアルミが使われていた恩恵で1.5t未満と軽量。

扱いやすいエンジンと軽量なボディの組み合わせによって、実に気持ちの良い加速を実現してくれていたものです。

信号待ちから開放されてアクセルペダルに足を置き、ジワっと踏み込んだだけで非常に気持ちよく加速してくれていたし、高速道路で本線合流するときもまさに「楽勝」の一言。

シンメトリカルAWDと扱いやすいトルクフルなエンジンパワー、軽量なボディの組み合わせがまさにハイバランスだったわけです。

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alt


スタイリングはもちろん、インテリアも垢抜けていて安心できるデザインだったから、どんなシーンにも似合う車だったと思います。

こうしていつしか頼もしい相棒となり、長く乗り続けようと思っていた・・・矢先。

納車後1年半に被った通勤中のもらい事故を受けて修理された、運転席側の外板。

おいらは今でも恨んでいますが、自動車整備工の社長でもある加害者の都合の良いように修理したところが、無残で目を覆いたくなるような状態になってしまって・・・

Blog_20160109_003


これを見るたびに傷心してしまって・・・

BPに乗り続ける自信が次第になくなっていって・・・決心。

2016年1月にBPを降りました。

BPを降りて自分の視界から見えなくなった途端に、目頭が熱くなったのを今でも覚えてますよ。

地元秋田から、東京・横浜、新潟のみならず、遠くは名古屋まで快適に往復できるほど行動範囲を一気に広げてたくさんの思い出を作ってくれたBPの活躍ぶりは、このブログでいままで書いてきた通り。

以前のブログ記事に載せたBPとの思い出写真を再掲します・・・

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Blog_20130527_016

Blog_20120503_NiigataOff_003

Blog_20141014_010_18-135

Blog_20140818_009


・・・

思ったよりも早く別れてしまったBPに、注ぎきれなかった愛情はたくさんある。

BPに注ぎきれなかった愛情を、現愛車のBS9にこれからも注いでやりたいと思います。


Posted at 2020/06/20 21:34:48 | コメント(5) | トラックバック(0) | クルマ:くるま回顧 | 日記

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何シテル?   06/13 19:24
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