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MLpoloのブログ一覧

2015年01月11日 イイね!

ポリ塩化ビニール製の1954年プリムス

倉庫の片隅に埃だらけで置いてあったスェーデン製の柔らかいポリ塩化ビニール製のおもちゃ
1954年 プリムス(ベルヴェデアと思われる)解る方教えてください。






ノルウェー製のトムテと同じ系統の物(詳しくは覆面えるさんブログを)
ノルウェー製のトムテのVWピックアップ 他にも40種類ほどあるらしい。




斜め上



斜め後 羽根が生えている 飛びそう



ナンバープレートに『Hot Classics』



ナンバープレートに『PLYMOUTH』と書いてあります。



プリムス (ベルヴェデア  ウィキペディアより出典
初代(1951年-1961年)

1957年型
安価なアメリカ市場での最初の2ドアハードトップとして1950年に登場して大成功したシボレー・ベル・エアーに対抗すべく1951年3月31日に発表された。2ドアハードトップとしてはプリムス最初の車両であった。

1951年のベルヴェデアは、独立したモデルではなかった。3,010mmのホイールベースをベースとして、2ドアのベルヴェデアは、非常に好ましい大きさとなった。

パワートレインは直列6気筒エンジンで、217.8立方インチ(3.6L)に換装可能であった。圧縮比は比較的低い7:1で、97馬力で、最初の年販売は、2,114ドルから始まった。

1952年の間、プリムスはベルヴェデアに大きな変更を加えなかったが、最大の変更は、色彩設計であった。さらにトップレベルのベルヴェデアと他のプリムス車とを区別するため、2つの色調はその時屋根からウエストラインを越えてトランクにかけて塗装され、その処理は「サドルバック」と称された。2つのトーンの色彩設計は、ブラックとミントブルー、グレーとブルーの組み合わせであった。またオーバードライブが1952年のオプションとして搭載可能となった。エンジンは1951年からの流用であった。しかし価格は2,216ドルまで上がった。1951年と1952年の生産台数はシボレー・ベル・エアーとフォード・ビクトリアの生産台数の1/4をわずかに上回っただけの51,266台となった。

ベルヴェデアは、1953年までクランブルック・シリーズの一部のままであった。その年の間、全てのプリムスモデルは、完全に一新された。ホイールベースは114inに短縮され、ワンピースフロントガラスや後部のフェンダーが変更された。

1953年4月に、プリムスはハイ・ドライブなセミオートマチックトランスミッションを搭載した。またその翌年フォードがフル・オートマチックトランスミッションのO-マチックを開発すると、プリマスは1950年にフル・オートマチック・パワーグライドを開発していたシボレーとも遅れをとっていた。エンジンは、7.10:1への圧縮比のわずかな増加である唯一の強化で、1952年から流用された。より短いホイールベースは、一部の消費者と批評家に酷評された全体的に短くて太いデザインとなった。2,132ドルに値下げされたが需要はむしろ低くなった。合計35,185台が1953年に販売された。

ベルヴェデアは、1954年のトップレベルの商品として、クランブルックにとって代わった。2ドアハードトップの他に、コンバーチブル、2ドアステーションワゴン、4ドアセダンまたは前記の2ドアハードトップ(スポーツクーペ)を選ぶことができた。わずかなスタイル改修は、ボディデザインにも及んだ。初めて、小さなクロムのテールフィンが、後部のフェンダーの上に現れた。1954年3月に、プリムスはついにフル・オートマチック・トランスミッションを提供した。また、より大きな標準的なエンジンは新しかった。230.2立方in6気筒は、ダッジ部門から流用された。パワーは、その時110馬力となった。しかし生産台数は32,492台に下がった。

全てのプリムスは、1955年モデルで大規模なオーバーホールが実施され、ベルヴェデアはラインナップのトップに帰り咲いた。1956年、プリムス・スタイルは、1955年から進化した。より劇的な後部のテールフィンの処置は、最も顕著であった。1956年前半には、プリムス・フューリーは、特別版高性能モデルとしてベルヴェデアのラインと統合された。

1957年はクライスラーの当り年で、プリムスも例外ではなかった。プリムスのデザインは、クライスラーがスローガンを使用したように革命的であった。「突然ですが、1960年です!」というスローガンで、新車を販売促進した。ベルヴェデアのラインは、再びフューリーを統合した。今年、デュアル4バレルのキャブレターによる新しい318立方inV型8気筒はフューリーの標準的なエンジンであり、それは全てのプリムス車で利用可能であった。ベルヴェデアは、1958年の最上レベルの車として、再び帰り咲いた。スタイルは、ピカピカの1957年のモデルから進化的であった。デュアル4バレルのキャブレターによる350立方inV型8気筒が「金色のコマンドーと呼んだビッグ・ブロック・エンジン」であった。フューリーが1959年のプリムスのトップモデルとなったあと、ベルヴェデアは中間の定価設定のモデルに降格された。



Posted at 2015/01/11 09:50:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミニチュアカー | 日記
2015年01月11日 イイね!

シュライカー大阪 VSアグレミーナ浜松


写真は24節のものです。

昨日、浜松アリーナにおいて第27節 アグレミーナ浜松との試合が午後6時から行われました。

試合はシュライカー大阪が3-2で勝利
順位は暫定ですが、12チーム中4位に。
プレイオフに向けて残り6節
一戦、一戦が大事になります。

次節は1月18日(日)午後1時から岸和田総合体育館で湘南ベルマーレとホームで戦います。

これからも応援よろしくお願いします。
Posted at 2015/01/11 06:05:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | フットサル | 日記
2015年01月10日 イイね!

本日の納車

お正月にイオンとトイザラスとアピタで限定のトミカが発売されました。
イオンの2000GTはみん友さんの『ひたすら走り屋さん』のコメントがなければ、買うのを忘れていたかもしれません。
トイザラスオリジナルのカルソニック IMPUL GT-Rは4日の日に家内と買い物に行った帰りに最後の1台をゲット
アピタは近くになく、家内に市原のアピタへ一緒に買いに行こうと誘いましたが、高速代が往復2,000円近くかかり、その2,000円で3台トミカが買えると説得され、また3,000円以上購入すると送料500円も無料になると言うではありませんか!!
木曜日にアピタのインターネットショッピングで発注!!
今朝朝一で到着。






お正月に発売された<世界の国旗トミカ>トヨタ2000GT日本国旗タイプⅡを3台と<世界の国旗トミカ>トヨタ2000GTストラリア国旗と<世界の国旗トミカ>トヨタ2000GTフィリピン国旗タイプの5台
3,000円以上購入すると送料500円が無料になるため5台購入しました。




<世界の国旗トミカ>トヨタ2000GT日本国旗タイプⅡ
ゴールドに日の丸




左サイド ドアーにカメが



右サイド 富士山が



ボンネットには亀も



斜め前



斜め後
Posted at 2015/01/10 13:25:29 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミニチュアカー | 日記
2015年01月08日 イイね!

遊んでしまったミニカー

イギリスのコーギーのトライアンフ ヘラルド クーペ
箱も残っていない、遊んでしまった物
箱付でピカピカの物もミニカーですが、この様に遊んでしまい傷の付いた物もミニカー
この様なミニカーにも歴史と思い出が詰まっている。






ブルーとホワイトのツートン



斜め前



斜め後



トライアンフ ヘラルドとは ウィキペディアより出典

スタンダード8と10の後継車として登場ヘラルドはX型のセパレートフレームにミケロッティデザインのボディーを載せ、2ドアサルーン、コンバーチブル、クーペ、バンそしてステーションワゴンと豊富なボディーバリエーションを誇った。
エンジンは全て直列4気筒のOHVで排気量が948cc、1147cc(Herald 1200)、1296cc(13/60)の3種で組み合わせるギアボックスはフロアシフトの4段マニュアルのみであった。
後継モデルは1965年登場の1300および1970年登場のトレドである。




ボンネットが開閉するギミック付



開閉して見えるエアークリーナーが可愛い。
Posted at 2015/01/08 09:14:35 | コメント(4) | トラックバック(0) | ミニチュアカー | 日記
2015年01月06日 イイね!

オグリキャップのぬいぐるみ

有馬記念の号外の時に書きましたが、1990年代に我が家は子供を連れて中山競馬場に毎週競馬をしに行っていました。

両親は子供たちの前で賭け事をしていましたが、我が家の息子たちは賭け事はしていません。
賭け事がどんなものかを教える上では、いい教育をしたかな???(汗)

1990年代初頭に子供をあやすのに買った、オグリキャップのぬいぐるみ
大きさは30㎝ほどのもの
他にもイナリワン、スーパークリーク等があったような??






オグリキャップ  出典はウィキペディア
オグリキャップ(Oguri Cap、1985年3月27日 - 2010年7月3日)は日本の競走馬、種牡馬。「平成三強」の一頭。第二次競馬ブーム期に、ハイセイコーに比肩するとも評される高い人気を得た。 1988年度のJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年度のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬。1991年、JRA顕彰馬に選出。愛称は「オグリ」、「芦毛の怪物」など。

1987年5月に笠松競馬場でデビュー。8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬へ移籍し、重賞12勝(うちGI4勝)を記録した。その活躍と人気の高さは第二次競馬ブームを巻き起こす大きな要因のひとつとなったといわれる。競走馬を引退した後は種牡馬となったが、産駒から中央競馬の重賞優勝馬を出すことはできず、2007年に種牡馬を引退した。

頂点を極める競馬ブーム
バブル景気に湧く日本に、オグリキャップをはじめとする人気馬、武豊をはじめとする若手人気騎手の活躍もあって競馬人気も大きく向上した。 中央競馬は入場者数を増やし、この年の東京優駿が行われた5月27日の東京競馬場の入場者数は2012年時点でも依然として歴代最多の196,517名を記録した。 勝馬アイネスフウジンの騎手中野栄治には「ナカノ!ナカノ!」と「ナカノコール」が沸き起こった。 競馬場でGIレースの勝利騎手、勝利馬にコールが起きるのは、このとき以来とされている。 競馬ブームを牽引したオグリキャップの引退レースとなった第35回有馬記念が行われた12月23日の中山競馬場も177,779名の中山競馬場の最多記録。これも現在でも破られていない。 この際にも勝ったオグリキャップに「オグリコール」が送られた。
Posted at 2015/01/06 22:06:25 | コメント(3) | トラックバック(0) | 生活 | 日記

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こんにちは
久しぶりのご登場
まだ、本調子には程遠いように感じますが、無理せずマイペースでご投稿ください。
楽しみにしております。
これからもよろしくお願いいたします。」
何シテル?   10/24 11:59
MLpoloです。よろしくお願いします。 2025年2月現在68歳。精神年齢は6歳未満!!! 車・おもちゃ(トミカ・ホットウィール・SW・チョロQ・プラモデ...

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