KEYLEXCORPORATION
皆さん、こんにちは、ロバのイーヨーです( ⸗‵ ᴗ ‵⸗)
AZ-1生誕25周年ミーティングの参加車両紹介の合間に、同ミーティングで行われたAZ-1の開発・製造に係わった方が講演された内容をアップしていきますね。
いままで聞いた事が無かった現場でのリアルな開発秘話や製造現場での裏話は大変興味深かったです!
中には
『コレはコンプライアンス的に言っちゃダメだろ(笑)』といったぶっちゃけトークもありましたが、その部分に関しては後日みん友さん限定公開の記事にして別途アップしますね。
この講演内容に関しては基本的に演者様が発表したスライドの写真の掲載と録音していた発言内容をそのまま載せていき、発表内容のオリジナル性を尊重した形で記載していきたいと思います。
補足説明が必要と思われるところは (カッコ内に補足文章) として記載予定です。
まずは(AZ-1生誕25周年ミーティング会場となった)キーレックスの紹介をさせて頂きます。
(株)クラタと三浦工業(株)が2001年に合併してキーレックスとなり、この(株)クラタ時代(1992年)にAZ-1を完成させました。
(キーレックスのHPでは会社沿革のページにAZ-1の製造がしっかりと書かれている
→クリック)
キーレックスと言う社名はキーリーディングエクスプローラーの頭文字を合わせており『未来を切り開く企業』を意味しています。
KEY 重要さを表すキーポイントやキーパーソン
Leading 指揮をとり未来へ導いていLeading
EXplorer 開拓者を表すEXplorer
現在キーレックスでは車体の骨格を造っていて、マツダの全両のフロント周りを造っている。
鉄だけではだめなので、アルミ部品にも手を出していてロードスターのアルミパーツ等を造っている
またEVシフトとしてバッテリーケースを造っている。
また、燃料タンクと給油パイプはマツダ車の全両を造っている。
AZ-1の開発と生産に携わり色々な事があった(と演者は述懐している)。
(クラタとAZ-1との)最初のとっかかりは1990年のモーターショー(と演者は言っていたが多分1989年)のモーターショーにAZ550がタイプA・タイプB・タイプCと3タイプ出展されていたが、クラタとしては全タイプ造る気でいた(笑)
AZ-1は特殊な所で(当時)マツダ五チャンネル体制で設計のリソースが足りなくなった為、イギリスのH&W社、これは試作車やショーカーを設計している会社が開発を行い マツダの特装設計が引き継いで試作を4回経て(下記年表の中 S-0.5 S-0.8 S-1 S-1Aの4タイプの試作車両)実際にはもっと作ったかもしれないが(この試作車両の中にはA20で公開されたリトラクタブルライトを持つ試作車両も含まれると思われる。写真撮影不可だった為資料はないがAZ550とは異なる車両であった)パイロット生産車両 1PP 2PP (PP=パイロット・プロダクション)時に設備のトライアルを経て、量産をしていく量産車輛(MP=マス・プロダクション)の生産を行っていった。(写真右側の1PP 2PP MPがこれにあたる)
AZ-1の発売は1992/9/24になっていると思います。
キャロルのホワイトボディも矢野工場で作っていた。
AZ-1開発の下久禰さんがクラタにFD3S乗って来て見せびらかされていた。
正式にマツダから話が合ったのはモーターショーの後、1990年の頭だった。そしてクラタでプロジェクトが発足したが、(AZ-1を造るにあたり)スポーツカーだしミッドシップエンジンだし、車は造った事ないしどうするかと言う事でMR2(事故車、AWかSWかは語らず)を購入、分解して色々な構造を確認したり、これをベースに製造工程を検討したりしてこんな風に工場を造ろうと検討した。
その後、ロンドンにあるH&W社を訪れている。
25年前の29歳の私が写っているのはロンドンの試作工場の中の写真で、この試作車は(S-0.8)とても組み立てられるような代物ではなかった。まずは工具が入らないので組み立てれないという様な車でした。そこから色々な手直しをして量産に至った経緯がある。
(このS-0.8試作車には)衝突の問題があった。
(上の図⑩部の所)もともとスペアタイヤを前に積んでいたが衝突の時に運転席に突入して来ると言う事で後ろへ移したり色々な補強をしたりしている。
フロントフレーム先にメンバーを追加して衝突の性能を高めたり、ダッシュパネルに補強のパネルを追加、冷却ファンの廃止(助手席側エアインテーク内に装着予定だった!)。
(矢野)工場が完成。もともと小さな工場があった所へ二期工事として増設した。1991年9月に完成したが9月末の台風19号で屋根が剥がれて飛んだり倉庫が飛んでしまい修理が大変だったが、(AZ-1の)量産前だったので良かった。工場の周りには牡蠣いかだが流れ着くくらい大変な台風だった。
クラタでは(AZ-1の)用品開発も行った。
・CDチェンジャーのラック
・ストラット・タワーバー
・助手席足元のフットプレート
・マフラーカッター
・ハンドステップ
(の五点がクラタで開発された)
他に(ボディ剛性向上の為に)スポットを打ち増しボディを造ろうやと提案したが採用されなかった。
着せ替え外板を提案したがコストが合わんと止めようと言われた。
順調に(製造)ラインが完成してパイロット(生産)をしていた時に、フェンダーミラーの仕様の車を造った。(型式)認証の為に必要だったと思います。写真は残っていない。
と、ここまでで約一時間あった公演の1/6を書き出しました。
リアのエアインテークに電動ファンが取り付け予定だったり、用品開発もクラタで行っていたり、また外装パーツやスポット増しなどかなりユニークな提案がされていたのが印象的でしたね!
クラタではモーターショーに出品された3タイプとも作る気マンマンだったのに、マツダはタイプAをベースとしたものしかゴーサインを出さなかったのは残念。
個人的にはS-1試作車の衝突対策変更が興味深かったです(*^_^*)
それではまた後日続きをお楽しみに♪