Jomon-sugi is old estimated 3, 000 years or more.
皆さん、こんにちは!
屋久島へ友達のAZ-1を買いに行く話は思った以上に反響があって驚きました(^^;
AZ-1の為なら日本全国を股にかける男、ロバのイーヨーです( ⸗‵ ᴗ ‵⸗)/
屋久島と言えば推定樹齢3000年以上と言われる
『縄文杉』が有名ですよね(^^
そして、映画“もののけ姫”の制作にあたり宮崎駿監督がイメージを膨らませ、舞台のモデルになった
白谷雲水峡の苔むす森も素晴らしい所でした。
今回のブログでは、旅の二日目・三日目に行った縄文杉や白谷雲水峡のトレッキングと、最終日にAZ-1を譲っていただき帰路へと着く様子のうち、前半分を記していきますね。
全部書こうと思ってブログ書いていたらメモリーエラーが出てしまったので前後編に分けました(^^;
長くて恐縮ですが、どうぞ。
----------- 2018/9/17 5:49 登山口行きのバス車内 -----------
AZ-1オーナー氏のご自宅の前にあるコテージに泊めていただき、朝四時半に起きて身支度を整え終わった5時少し前にお迎えの車が到着した。
これから向かう縄文杉は登山口から往復8~10時間掛かると言われているおり、50歳を過ぎた運動不足の身体にはかなり厳しいのではとビビッていたのと、どうせならのんびりと登って途中の森林鉄道や廃村を見て廻ったり、何よりも屋久島の森の光景をゆっくりと味わいたいと考え、日帰りではなく途中でキャンプをする1泊2日で計画をしました。
そして屋久島の山を知らない素人二人ではペース配分を間違えると体力的に厳しいかもと、今回はパーソナルガイドさんを申し込み、そのガイドさんが日産ジュークで迎えに来てくれました。
車でバス乗り場へ向かう途中、今朝の朝食とお昼ご飯を買う為に登山弁当屋さんへと寄ってもらいます。
屋久島には何箇所かある登山弁当屋さんは朝四時から営業していてお弁当だけでなくおにぎりやサンドイッチも売っていて、お安いけれどなかなか美味しかったです♪
バス乗り場の屋久島自然館から登山口までは交通規制が敷かれてバスかタクシーしか運行できない為、シャトルバスで登山口へと向かいます。
途中水平線から登る朝日を拝むことが出来ました(*^_^*)
バスに揺られる事40分、荒川登山口へ到着です。
ここには日本で唯一現役で稼動している森林鉄道の車両基地がありました。
安房森林軌道は屋久杉の切り出しのために大正12年に開業した森林鉄道ですが、昭和44年に運行終了。その後水力発電所と登山道の維持管理のために一部区間が現在でも運行されています。
奥の車庫の中にあるモーターカーや転車台を見て大興奮でした!
バシバシ写真撮っていたらさすがにガイドさんに『そろそろ行きましょう』と言われてしまいました(^^;
登山道はしばらくの間この森林軌道の上を歩いていきます。
入山料として1日500円をバス乗り場で払いますが、それらのお金でこのレールとレールの間に敷かれた木道が作られたそうです。
これが無い時は不均等に敷かれた枕木の間を歩く為、微妙に疲労が溜まったそうです(^^;
途中この様な橋を渡りますが、左右の手すり? もこれら入山料で作られたものだそうです。
今夜はキャンプなので背嚢には寝袋やシートが実装されていますが、これらはレンタルしました。
しばらく歩いていると怪しい茂みが見えてきます。
これは登山道唯一のトンネルです!
カンテラの明かりが冒険心をくすぐります♪
花崗岩に素掘りのトンネルは森林鉄道感満点で最高でした!
そんなに長いトンネルでもないのでサラッと通り過ぎました(^^;
トンネルを出るとポイントこそ撤去されていましたが側線のレールが出てきました。
その先には・・・・・・・・
ヂーゼル機関車の残骸が!
元はコチラの車両です。
酒井製作所のA-5型内燃機関車ですね。
フレームとエンジン以外はボロボロに錆びていましたが、エンジンは何とか形を留めていました。
いすゞのディーゼルエンジンを積んでいたんですね。
カプチーノに乗る助六氏から、この朽ち果てた機関車の写真をたくさん撮って来てくれ!とリクエストされていたので、100枚くらい撮っていたら登山者がみんな先に行ってしまい自分達だけになってしまったので、ガイドさんに『そろそろ・・・・』と言われて登山再開です(^^;
ガイドさんに『ここでこんなに時間取ったの初めてですよ!』と言われましたが、最後尾になったお陰で誰もいない登山道をのんびりと静かに歩く事が出来てこれはこれで良かったです(*^_^*)
やはり有名観光地なので、バスで多くの登山客が運ばれて来てレールの上を数珠繋ぎで歩いているのでは折角の森の中の光景もちよっと興冷めですからね。
自分達だけの貸切の光景はやっぱり屋久島の秘境感を高めてくれて最高でした♪
まぁこんなゆっくり出来るのも、日帰り登山でなく一泊キャンプゆえの余裕があるスケジュールのお陰です♪
しばらくのんびり歩いていると、どこからか水の流れ落ちる音が聞こえてきました。
湧き水か何かが山の上から落ちてきているので木製の簡易シェルターがありました。
木の板の右手に流れ落ちる水しぶきが見られます!
この辺りは山際を流れ落ちる水があるみたいで岩壁にこんな植物がいました。
写真左下の緑の茎が伸びた先の葉の周りに赤く細い毛の様なものが出ているのが見えますが、ここにネバネバした液体が付いていてとまった虫を捕獲する食虫植物です。
写真左上の芝生みたいな細くて短い筆の塊みたいなものは『苔』の一種でシッポゴケ科の仲間です。
日本には約1600種の苔が見られますが、屋久島にはその内約600種の苔が見られる世界でも有数の苔の島なんですね!
と、そんな事をガイドさんに教えてもらいながら登る事ができるので、ガイドさん付きの登山おススメです!(ちょっぴり値は張るケド^^; )
そんな感じで所々でガイドさんの案内を聞きながら登って行くと、またまた橋がありましたがアレ?なんか様子が違うぞ?
左右の手すりがないじゃん!
高所恐怖症の自分はかなりビビリながらソロソロと歩きます。
しかし!きちんとレポートしなければという使命感のもと、橋の途中で足元をパチリ。
へっぴり腰で写真撮ったので被写界深度が合わずにイーヨー先輩がボケボケでした(^^;
やはりこの手すりのない深い谷川を渡る鉄橋はみんな怖いらしく、ガイドさんも今までで一人だけ怖くて渡れずにここで縄文杉登山をリタイヤした人がいたと言ってました。
イヤ、マジ怖かったんですよ(T T)
何とか橋を渡りきってからは再び森の中を気持ちよく登っていきます。
すると歩いていたレールが二手に分かれていきます。
左手に登っていくレールは廃線となった支線の様です。
森林鉄道は山の中で沢沿いにいくつも分岐しながら伸びていって大きな屋久杉を麓まで運んでいたんですね。
営林署が置かれていた時代は多くの作業員が山へ入り、さながらバブルの様な時期もあったそうです。
今度の橋は手すりがありますね(^^;
小杉谷橋と書かれていますが、この橋を渡った先に林業に従事した人とその家族が住んでいた『小杉谷集落』がかつてありました。
小杉谷集落の案内看板があり、線路は左へと続いていますが右手にある石柱はなんと小中学校の校門だったんです!
昭和34年頃はここに約500人もの作業員とその家族が住む集落があり、その内約120人がここ『小杉谷太忠岳分校』に通っていたそうです。
こんな山の中にすごいな!
当時の写真
客車と言うか荷台に雑魚乗りなのか(^^;
これで麓まで買出しとかに行っていたみたいですがワイルド過ぎるだろ!
どうやって運んできたのか軽トラ?もステキ♪
学校(と言うか集落に)寄贈された屋久杉の輪切りが飾られていました。
苔むした感じが味わい深い♪
折角なのでこの集落跡を巡る遊歩道?みたいな所を散策します。
苔むした階段の左右には所狭しと日本家屋が立ち並んでいたそうですが、今は昔の光景に栄枯衰勢、もののあはれを感じます。
そして屋久島とはいえ戦争とは無縁ではいられずに、防空壕もありました。中からパチリ。
遊歩道を歩きつつ川まで降りてみるとその透明度に驚きます!
夏にはここで泳げるそうで、分校では水泳の授業が行われていたそうです。
お気楽な二人のおっさんをガイドさんがパチリ。
いつまでも遊んでいないで、小杉谷集落を出て再び木漏れ日の杉林の中を歩いていきます。
気持ち良いなぁ♪
屋久島は『ひと月に35日雨が降る』と言われるほど日本一降水量が多い島で、山間部の年間降水量は10000mmと東京都の約7倍も降るんです!
この豊富な降水量が大きな杉の木を育んでいるのですね。
その恵みの森には多くの生き物が住んでいます。
ガイドさんがひょいと茂みの中から『千と千尋の神隠し』の釜じいのモデルとなったザトウムシを捕まえて見せてくれました。
蜘蛛の仲間なので虫が苦手な方は飛ばしてくださいね(^^;
蜘蛛の仲間なだけで糸は吐いたりしません。
釜じいばりの長い手足がユーモラスです♪
トロッコ道も段々と急勾配になって来ておっさんたちにも疲れが見えてきます(^^;
屋久島はよく雨が降るのでこんな苔むした岩場がたくさんあって、今日みたいな天気がいい日は最高に気持ちがいいのですが、登山ガイドを読んだら朝は晴れていても昼から大雨とか当たり前にあるので、とにかく雨具の用意(ポンチョ・傘は不可)は絶対!と書かれていたので、登山用ゴアテックスの雨具を用意したのですが今日は必要なさそうです♪
歩いていたら軌道横に仁王杉が見えました!
寺院の入口の門の左右に立っている仁王像が名前の由来の杉の木です。
口を開いた『阿形』と口を閉じた『吽形』の二対ですが、この写真の杉の樹の中央にある凹みが口を開いているように見えることから『阿形』と呼ばれているみたいです。
もとは2本の屋久杉が立っていましたが『吽形』の方の杉は2000年11月の台風により倒れてしまった様です。
1本だけになっても立ち続ける大きな杉の木は、まるで自然の美しさと厳しさを語りかけてくれている様ですね(*^_^*)
またしばらく歩いていると木々の切れたところから日本百名山のひとつ、九州地方最高峰の宮之浦岳が見えました(左上の岩の出っ張り)
宮之浦岳は標高1936mで西日本でも3位の高さを誇ります!
なにせ九州の高い山ベスト10の内7つが屋久島にあり、別名洋上アルプスと呼ばれているのです。
などとガイドさんのお話を聞きながら歩いていると、鉄道登山道の終点に着きました。
突き当たりは水洗トイレになっていて、この糞尿を運ぶ為にこの森林鉄道が活躍しているんですね。
7時前から歩き出してここまで4時間ちょっと掛かってます(^^;
ここからが本番!トレッキング開始です。
左のはしご状の登山道へ突撃します!
ここからしばらく急勾配が続くので地獄の一丁目と呼ばれていて、その後岩場等の難所がしばらく続いて地獄が四丁目まであるのでがんばってください。とガイドさんに言われて気合を入れます(^^;
はいここから二丁目ですよ~
もう少しで三丁目が終りますよ~
とガイドさんの余裕の声とは裏腹に、相当きつい所を年寄り二人が登って行くので地獄ルートの写真はありません(^^;
地獄の四丁目をクリアすると、板張りの登山道区間に出て少し余裕が出てきて写真をパチリ。
アップダウンが続くのでかなり体力が削られますが、ガイドさんのコース説明のお陰で後どれくらいでこの難所を抜けられるかが分かる為、精神的に余裕が持てるのとペース配分が出来るのでありがたかったです。
そして昼食ポイントのウィルソン株に到着しました。
この背後の太いのがまるまる屋久杉の切り株です!
1586年に豊臣秀吉の命により大阪城築城の為に切られたと言われており、1914年にアメリカの植物学者ヘンリー・ウィルソンによって西洋文化圏に紹介されたことからウィルソン株と呼ばれています。
切り株の中は空洞になっていて入ることが出来、清水が湧き出ていて祠が祭られています。中に入って写真をパチリ。
切り株の上に開く穴がハート型に見えるんです♪
ここで登山弁当屋さんで買ったお弁当を食べて休んでいると、なんと早い人たちはもう縄文杉まで行って折り返して下山してきました。
超人か!(自分達はこの後縄文杉まで3時間掛かる事になる)
お弁当食べて体力が回復したところでバンバン登り始めます。
登山道は著名な屋久杉を見て回るコースにもなっているので、最初の屋久杉が現れました。
ちなみに
『屋久杉』とは樹齢1000年以上のものを指します。
樹齢3000年以上と言われる
『大王杉』です!
1966年に縄文杉が
『再発見』されるまでは
『屋久島最大の屋久杉』とされていたことからその名を冠する事となった
『大王杉』は威風堂々とした佇まいでした。
そしてしばらく登るとこんな看板が。
AZ-1の発売日の四日前となる1992年10月1日、屋久島が世界遺産委員会へ推薦され、CARAの発売終了の少し前となる1993年12月11日、コロンビアのカルタヘナで開催された世界遺産委員会で、白神山地と共に日本発の世界自然遺産リストに登録されたのです。
と、今回はAZ-1がまったく出てこないので無理やりねじ込んでみました(^^;
さらに登山を続けると、途中にこんな杉のトンネルをくぐったりと楽しく登って行きます♪
登山をしていると水分の補給はとても重要なのですが、屋久島は直径約25km!の花崗岩が隆起して出来た島なので、山岳部にはほとんど『砂』がありません。
なので山に降った雨は岩場を流れ落ちていくだけなのであちこちに清水が流れる沢があり、水の補給がとても容易なんです。
ガイドさんにも500mlのペットボトル1~2本持ってくれば水は途中で補給できるので大丈夫です!と教えてもらえました。
屋久島の水は超軟水なのでどこで汲んでも冷たくて美味しかったです♪
ここら辺から体力が切れ始めてきたので休み休み登ります(^^;
大きな杉の袂で一休み。
この杉の大きさが分かりにくいと思うので、おっさん二人とパチリ。
こんな太さなのに樹齢1000年以下なので『屋久杉』と呼ばれずに『小杉』と呼ぶそうです(^^;
縄文杉とかどれだけ太いんだよ!
で、相変わらずクタクタになると写真が撮れなくなるので、途中は省略してゴールの縄文杉に到着です(^^;
縄文杉の周りは立ち入り禁止となっていて、展望台が作られていました。
右奥に鎮座するのが『縄文杉』です!
盛り上がる瘤、うねる幹が木材としての価値を下げた為に江戸時代の屋久杉伐採を逃れる事ができ、以後知るものがなかったのですが、1966年に屋久町役場の観光課長だった岩川貞次が古文書の記述より
『大王杉以上の屋久杉の存在』がある事を知り捜索。再発見されて広く紹介されたのです。
発見当初は大岩杉と呼ばれていたが、調査により樹齢4000年。縄文時代から生えていると言われて
『縄文杉』と呼ばれる様になりました。
(正確な樹齢は諸説あり)
周囲16.4mは大人10人が手をつないでやっと届くほどだそうです!
縄文杉到着は15時過ぎ。歩き始めてからたっぷり8時間以上かかりました(^^;
このコースを8時間で往復するとかどこの鉄人だよ!って思いましたが、2~30代の普通男性なら10時間見れば往復できると思います。
体力激減のおっさんにはキツかったけど(^^;
休憩を終えて呼吸も整のった所で、改めて縄文杉をパチリ。
ここ縄文杉展望台からもう少し登ったところが今夜のキャンプ地となります。
キャンプ地ではもう既にいくつかのパーティがテントを張っていました。
荒天時の避難小屋となる『高塚小屋』も見られます。
左右にある赤褐色に見える2本の木はヒメシャラです。
夏には綺麗な白い花を咲かせるヒメシャラと杉に囲まれたステキなキャンプ地でした。
ガイドさんが夕飯の準備をしてくれている間にカメラ片手にウロウロしていたら、大阪から単車ZX10で来られていたライダーさんと知り合ってお話を聞いてみると、九州を一周してからここ屋久島へフェリーで来て、バイクは駐車場に停めてバスに乗ってきて今夜は避難小屋に泊まるという事でした。
見知らぬ人との出会いが旅の醍醐味のひとつですよね♪
その後、九州ツーリングの話を聞いていたらガイドさんからご飯で来ましたよーと呼ばれます。
イーヨー先輩といそいそと降りていくと素晴らしい晩餐が用意されていました。
チキンとルッコラのサラダです!
そして、カレーライスはルーから作られた本格派。
これにはイーヨー先輩も大興奮です!
まさかキャンプでこんなに美味しい夕飯が食べられるとは!
お味はもちろん
『オッティモ』でした!!
夕飯を食べていると見る見る暗くなってきて、ご飯を食べ終わる頃には真っ暗闇になりました。
ランタンの灯りに照らされたシートの上に座りながら食後に煎れてくれたコーヒーに、ほんの少しお酒を入れてみんなで乾杯します。
ガイドさんはカナダの山岳地でレスキューやガイドをしながら暮らしていましたが、ビザの関係で日本に戻ってきたところ屋久島の魅力に惹かれてここに拠点を移されたそうです。
もちろん日本人ですが、逆に金髪碧眼の女性ガイドさんもいるそうですよ(^^;
屋久島は日本でも唯一山岳ガイドで生計が立てられるところだとも言っていました。
ガイドさんからは屋久島へ来たのは、やはりこの縄文杉や森林鉄道を見る為ですか?と聞かれましたが
『いえ、それはついでで、車を買いに来ました』と言ったら『
?』て顔してましたよ(^^;
そんな話をしながらほろ酔い加減になった所で19時には寝袋に入りましたが、目を閉じた瞬間深い眠りにつきました。心地よい疲れと共に・・・・・
----------- 2018/9/19 5:42 縄文杉 -----------
朝五時に目を覚まし凍えそうな寒さの中寝袋とマットをザックへ仕舞い、まだ漆黒の闇に包まれた森の中でガイドさんが作ってくれた朝食をヘッドライトの明かりを頼りにいただきます。
山の中で食べる目玉焼きが載った暖かいトーストとソーセージは最高のご馳走でした!ガイドさんありがとう♪
食後の熱い珈琲の香りを楽しみながら夜明け前の空を見上げると、まるで降る様な星の瞬きが煌いていて今日もいい天気になりそうです。
雨の多い屋久島でアレを見るチャンスはあまりにも少ないと聞いていたけれども、今日は見られそうだ。
ガイドさんに食事とテントの片付けをお願いして真っ暗な中を、ヘッドライトの灯りを頼りに親友と少しだけ山を下って縄文杉のもとへと降りて行きます。
縄文杉展望台へ着いた頃には水平線の向こうの夜空が紫色へと変わり始めましたが、まだ屋久杉の森は目を覚まそうとはしませんでした。
夜明け前に訪れる静謐な空気の中、大地に腰掛けてじっとその時を待ち続けます。
やがて空を覆っていた星々の瞬きが夜明けの蒼に飲み込まれていくと、少しずつ大きな杉の木がその輪郭を現し始めます。
大地にどっしりとあるその姿は力強く、朝陽が森に連なる全てを紅く染めていきました。
悠久の刻を越えて来たそれの前で、僕らはただ立ち尽くす事しか出来なかった。
つづく
最終話はコチラを→
クリック