3月30日のブログで下野康史さんの単行本の記事を書きましたが、その後も下野さんはAZ-1に好意的な記事を投稿してくれています。
前回の1995年に書かれた単行本から7年後、2002年の雑誌の記事にもAZ-1の事が書かれていました。
至高至上のクルマはスポーツカーである----- 僕たちは、そう信じてきた。だが、それはいまや自明な命題とは言いがたい。
我々守旧派クルマ好きは今もなおスポーツカーと聞けば目を輝かすが、すでにそんな輩は少数派なのだ。たくさん人や荷物が積めて、安全安心な移動手段のクルマが世の中にはいっぱいある。そういう優秀なクルマが普及するのを妨げている抵抗勢力が、スポーツカーを信奉する手合いだ、そういうことらしい。
それは悲しい事態だ。だからといって、嘆いていても始まらない。スポーツカーを好まない若者を一方的に批判するのは、傲岸不遜というものである。価値観を押しつけてはならない、蓼喰う虫も好き好きだ。
けれども、スポーツカーの楽しみを知らないものは不幸である。僕たちは、いや、僕はそう信じる。もしスポーツカーが死んでしまったのなら、生き返らせてやればいい。スポーツカーが誰にとっても魅力的なものだと、思い知らせてやればいい。
ムネオ的な恫喝によるのではなく、マキコ的迎合によるものでもなく、今の、2002年のスポーツカーの快楽を自明なものとして構築するのだ。スポーツカーとは何か、それは自動車の本質にかかわる問いだ。
21世紀の新しいスポーツカーが誕生している。ならば、旧来のスポーツカーの概念も変わらなければならない。新しいスポーツカーのあり方を、僕たちが作っていかなくてはならない。
スポーツカーは、死んでいない。僕達はスポーツカーを死なせない。
ちょっと古いスポーツカーに乗ってみた あの時代にゴーバック! 下野康史
10年前のスポーツカーに乗ってみた。「十年ひとむかし」という表現は、たぶん、十年が短いようで長く、長いようで短い、ということをいっているのだと思う。
10年前、スポーツカーの世界はいまよりずっと豊かだったように思う.。ひょっとしたら、豊かな時代の最後だったのかもしれない。
泡と消えた軽スーパーカー
奇想天外とか荒唐無稽とか言ったら、ひとむかし前、日本車にもすごいスポーツカーがあった。92年にマツダが放ったオートザムAZ-1である。
このクルマのことをよく覚えているのは、当時、僕は日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員に任命されていて、これに満点の10点を投じたからである。
でも、選考委員は50人以上いたのに、AZ-1に1位の満点を入れたのは、僕ひとりだった。しかも、総得点が17点だった。エッ、入れちゃダメなの!?と思ったくらいだ。その後、僕は恥ずかしくて選考委員をやめた。
オートザムAZ-1は、軽のミドシップの2座スポーツカーである。バブル期に設立したオートザム店で売るために、スズキとのコラボレーションで実現させた、まさにバブルの泡と消えたマツダ車である。
エンジンやギアボックスはメーカー協力でスズキから調達し、マツダは主にボディとシャーシーを設計した。当時、同じオートザム・ブランドで売ったキャロルと同じ手法である。
ガルウィングを最大の特徴とするボディは、まるでスーパーカー消しゴムみたいである。このまんま子供向けヒーロードラマに出演できる、なんとも劇画チックなスタイルだ。
地を這うような低い位置につくられた室内も、劇画っぽいというか、はっきり言って、少々幼稚っぽい。1150mmのボディ全高は、当時、国産車としてはもっとも低かった。
このころ、僕はビートのオーナーだったのだが、ひとあし先に出たホンダのミドシップ2シーター軽スポーツカーと比べると、AZ-1はなにより"走り"が過激だった。657cc3気筒DOHCターボがもたらす加速は、カンシャク玉のようだったし、ハンドリングも限界付近でそうとうピーキーだった。ロック・トゥ・ロックわずか2・2回転の超クイックなステアリングのおかげで、かたときもボーッと運転することを許さなかった。
しかしだからこそ、僕は自信を持って10点満点を与えたのである。92年に出た日本車のなかで、間違いなくいちばんファン・トゥ・ドライブと思ったからだ。
AZ-1は、国産スポーツカーの、軽自動車の、そしてマツダ車の、金字塔だった。
二玄社 NAVI 2002 May 72-73 84-86 より一部抜粋 (巻頭文 NAVI誌 鈴木真人)
今から10年前の2002年、AZ-1誕生10周年の年には、もうとっくにスポーツカー人気は終わっていました。
2001年から、インテグラタイプRにスープラやRX-7、R34 GT-Rの製造が終了し、世の中はミニバン路線へとまっしぐらになっていったのです。
そして、それからさらに10年。2012年となった現代。RX-8やコペンの製造も中止となる事が決まり、もはやスポーツカーという言葉自体がほとんど死語の様になり、クルマ好きと言えば『ヲタク』と言われるほど、クルマは多くの人から魅力的なものでは無く、家電のようなツールとして扱われるようになってきてしまいました。
しかし、だからこそAZ-1の様な
『国産スポーツカーの金字塔』と言われるクルマを、これからも維持していかなければと強く思うのです。
今年、広島のマツダ本社で開かれるAZ-1誕生20周年ミーティングのテーマは、
『あと100年・100万キロ乗り続ける 後世に名を残し、乗り継いでいきましょう。』
AZ-1生誕20周年を祝うとともに、オーナー自身が作り上げてきた20年の歴史を各人が披露することで情報を共有化して、あと100年・100万キロ乗り続ける糧とします。
AZ-1オーナーの方にはこんな事は今更でしょう。多くの方々が大なり小なり備えをされている事と思います。
もちろん、スペアパーツだけでなく、2台目、3台目なんていう猛者もかなりいらっしゃいます。
しかし、だからこそ、パーツだけではなく情報の共有も必要な事だと考えます。
私も微力ながらこのちっぽけなブログで発信を続けて行きたいと思います。
街でAZ-1を見た子供達は必ず指を差し、目を輝かせています。
私達がAZ-1に乗り続けるだけでも、絶対にクルマが好きな子供に影響を与えることが出来ると私は本気で信じています。
だからこそ、これからも私はずっとAZ-1に乗り続けるでしょう。
クルマは楽しく、素晴らしいものだと言う事を分かってもらう為に。
スポーツカーを死なせない為に。