下野康史
大学卒業後、二玄社にて自動車情報誌『CAR GRAPHIC』、『NAVI』の編集に携わる。1988年夏に、二玄社を退社して、フリーランスのジャーナリストとして活動中。元日本カーオブザイヤー選考委員。
マツダ オートザム・AZ-1 欠点だらけの満点車
`92-`93日本カー・オブ・ザ・イヤーで、僕は満点の10点をこの車に入れてしまった、マツダのつくる軽のスポーツカー、オートザムAZ-1にである。
自分で投票しておいて、"入れてしまった"という言い方もヘンだが、結果としてはかなり"しまった"的なことになってしまった。
なにしろ、このクルマに満点を入れたのは、53人の選考委員のなかで、僕しかいなかったのだ。カノッサの屈辱、カバタの悲劇(喜劇)である。
合計353点を集めて、見事カー・オブ・ザ・イヤーを獲得した日産マーチに対して、AZ-1の得点はわずか17点。つまり僕以外からはたったの7点しか集まらなかったことになる。
ノミネートされた10台の候補者のなかから、AZ-1がカー・オブ・ザ・イヤーを取るとはゆめゆめ思っていなかったが、かといって、まさかこんな成績に終わるとは思っていなかった。
オートザムAZ-1に満点を入れたアノ人……。それでなくても、以前から、独特の価値基準を持つユニークな人、早い話が"変わり者"と思われていた僕は、この一件以来、ますますその評価を確固たるものにしてしまったらしいのである。
でも、AZ-1に満点をつけたことは、もちろんいまでもまったく後悔していない。ヒトサマになんと思われようと、これでも自信を持って投票したつもりなのだ。
カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員として投票に参加したのは、このときが3回目だったが、もともとクソ真面目な僕は、初回から悩んでしまった。
そもそも、カー・オブ・ザ・イヤーとはなんなのだろう。
その年にデビューしたなかで、最も優秀な、もっともいいクルマに与える賞?じゃあ、「優秀」ってのは、なんだろう。「いいクルマ」とはなんなのか。
いまの日本車は、そういう言い方をすれば、みんな優秀で、いいクルマなんじゃないかと思っている人間としては、そのなかでイチバンを決めたり、甲乙をつけたりすることがどうもうまくいかない。必ずどっかで矛盾が出てしまう。
そこで、思案の末、自分なりの規則をつくったのである。
日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員は、ひとりが25点の持ち点を持っている。それを10のノミネート車のなかの5台に振り分け、そのうちの一台に必ず10点満点を入れなければならない。つまり、満点のクルマがその選考委員にとってのイヤーカー、1等賞になるわけだ。ならば、毎回、僕の一等賞は、その年のノミネート車の中で最も運転していて楽しかった、ファン・トゥ・ドライブなクルマに献上しようと決めたのである。
オートザムAZ-1は、エンジンを後車軸のほぼ真上に置く2シーターのスポーツカーだ。
エンジンやギアボックスなど、つくるのにお金の掛かるパーツは、メーカー協力の形でスズキから購入する。マツダがつくるのは、主にボディとシャーシーで、オートザム・キャロルと同じ手法である。
ガルウィング・ドアを最大の特徴とする「スーパーカーの消しゴム」みたいなルックスを始めてみたときにはびっくりした。ひと昔前なら、国際放映系の子供向けアクション・ドラマにしか出てこなかったような、なんとも劇画チックなスタイルである。
外観同様、タイトな2人乗りの室内も、雰囲気はそうとうに劇画っぽい。
ホールド性に優れるバケット・タイプのシートは、目にも鮮やかな赤と黒のツートーン。目の前には、純白の文字盤に真紅の針を配した派手なメーターパネルが並ぶ。モモの革巻きステアリングのデザインも、少々、幼稚っぽい。はっきり言って、初対面のときには大いにとまどったものである。
だが、走り始めるとすぐに、僕は息子の『ゲームボーイ』を横取りした親父のような心境になった。思わず笑ってしまうほどファン・トゥ・ドライブだったからだ。
64馬力の660ccエンジンは、スズキ・カプチーノと基本的に共通だが、こちらのほうが多少、ピーキーにセッティングされているらしく、動力性能はまるでカンシャク玉だ。
アクセルをゆるめるたびに、プシューという、ターボの大きな息づかいが響くのは、グループCカー顔負け。軽自動車の例に漏れず、このクルマもメーターの135キロあたりでスピードリミッターが作動してしまうが、そこまでなら、とにかく、速いのなんの。ボーッとしたやつが乗るポルシェ911をカモるくらいは朝飯前である。
メーカー自ら「国産車で最も低い」と謳うボディ全高は、たったの1150ミリ。当然、中に収まる乗員も、地を這うような低い位置に座る。おかげで、おそろしくスピード感が"速い"のも、AZ-1の特徴だ。
だが、ファン・トゥ・ドライブきわまりないAZ-1は、同時に欠点だらけのクルマでもある。ガルウィングを採用したために、左右ドアには1人前のウィンドゥが設置できず、料金所対策として、横50センチ×縦12センチほどの小窓がかろうじて設けられている。
しかも、そのガルウィング・ドアは、シートに座ったまま車内から閉める際に、ランボルギーニ・カウンタックほどではないにせよ、やはりそれなりの腕力と腹筋とを要する。女性に限らず、非力な人に、これはけっこうシンドイ。
荷物を運ぶ道具としての実用性は、ビートと同じく、偏差値30くらい。シートの後ろには、スペアタイヤが同居する比較的タップリした荷物スペースがあるが、逆にいうとそこだけにしかなく、フロントにあるトランクのほうはほとんど役立たずといっていい。
浮世離れしたスタイリングは、その代償として、四囲の視界に何ヶ所かの死角をつくり、コンパクトなサイズのわりに、意外や狭いところでの取り回しはよくない。
といった具合なのだが、しかし、このような欠点をあえて承知でさらけだし、ただひたすらファン・トゥ・ドライブを実現しようとしたマツダの心意気は、むしろ立派だと思う。
最近、安全性ということが盛んに言われるけれど、ファン・トゥ・ドライブの要素こそ、実は最も重要な安全性能ではないか。
ヒトは、たいてい運転を"忘れた"ときに事故をやる。漫然とするのがいちばんいけない。運転が楽しくて楽しくて、かたときも運転を忘れさせないクルマは、だからとても安全なのである。
AZ-1に乗ってみると、ファン・トゥ・ドライブのために、ホントに「ここまでやるか!?」というバカバカしいまでの情熱が感じられる。それを買って、文句なしに10点をつけたわけである。
ところが、AZ-1は登場以来、一貫して商業的にはまったくの不成績をかこっている。優秀なクルマとは何か、いいクルマとは何かと言う問題も難しいが、今の時代、どういうクルマが売れるクルマなのか、それを占う能力となると、僕はますます自信がない。
この規則に基づいて選んだ結果、満点カーは、3年前がホンダ・ビート、2年前がアンフィニRX-7、そして前回がAZ-1になったわけで、自分ではむしろ実にスジが通っていると思っているのである。
1995年発行 マガジンハウス刊 カルト・カーがぜったい! P136-141より抜粋
この文章から分かるように、53人もの選考委員中唯一の満点をAZ-1に付けてくれたのが下野さんです。如何にAZ-1の評価が低かったか分かろうと言うものです。
しかし、開発陣がこだわった未体験ハンドリング(ファン・トゥ・ドライブ)は下野さんに、そして我々AZ-1オーナーにはしっかりと伝わっており、だからこそ熱狂的なファンを生んだと思います。
この後、下野さんは日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考員を辞めてしまいます。
しかし、その後も記事でAZ-1を取り上げてくれました。
AZ-1の"ファン"な部分がわかる男、下野康史。
私は、堂々とAZ-1を『満点』にした心意気を、リスペクトせずにいられません!!