Graduate school entrance ceremony.
2011年3月11日に東日本大震災が起きてから6年が経ちました。
震災で犠牲になった皆様のご冥福をお祈りします。
AZ-1とCARAの事を書くブログなのに、私事で大変恐縮ではあるのですが、仙台で過ごした4年間に感じた事を書いてみたいと思います。
2011年に震災が起きてから一年後、色々な事が重なって仙台市にある大学の大学院へ入学するチャンスが訪れました。
その時に一緒に入学した学友が、フェラーリを売り払いMR2を2台購入し、フルレストア&フルチューンすると共に3台目のSW20を狙っているMR2大好き
おはぎちくわさんです。
おはぎちくわさんのMR2レストア記は→
コチラ
この写真は研究棟の建物内部で今ではしっかりと耐震補強工事が行われ修復されていますが、入学時は壁一面ひび割れだらけで所々立ち入り禁止区画があったほどでした。
大学院生と言っても、自営業をしている為にもちろん毎日は行かれません。その為、ネット配信のビデオ授業で講義を受けてレポートを提出したりしていましたが、今はそんな事が出来るんですよね。驚きでしたよ!時代は進んでいますね(^^;
他にもテストを受けたり研究や見学やディスカッションを行う為に1.2年の時は割と頻繁に仙台へ行っていました。東北新幹線に乗れば90分で着いてしまうので意外と近く感じました(^^;
新幹線代を払っても私立の大学院へ行くよりは全然学費がお安くて本当に助かりました。多分交通費や学費込みでも、総費用で言えば1/3~1/4位しか掛かっていないと思います(自分が入局した学部基準)
そして仙台と言えば
『牛タン』ですね!もう行く度に食べていた気がします(^^;
もちろん被災地域のお米や魚介類、野菜や肉まで放射線による被ばく被害が懸念されていましたが、しっかりと検査がされている今では完全に風評被害だと思います。
仙台でお会いしたある方からこんな話を聞きました。
その方は毎年宮城県内の山の中へキノコ狩りに行っていたのですが、震災後1年半以上経ってから山で採ってきたキノコを民間の被ばく線量調査機関へ出して検査してもらったら、食品安全基準の数十倍の濃度の放射線が検知されたそうです。
毎年キノコ料理を楽しみにしていたそうなのですが、しばらく食べられないのは残念だけれど仕方ないよね~。またしばらくしたら採りに行って検査してもらって安全値になったら御馳走するよと言ってくれました。
放射線をわからないものだからと言って怖がるのではなく、自分で調べて必要だと思ったら検査して、ダメなら食べない。
別に放射線に係わる仕事をされている訳でもない一般の方が、この様な対応をしながらいつかまたキノコ料理が食べられるといいなぁと言う思いで日常生活を送られている事に衝撃を受けました。
この方とは今でも年に一度お会いします。
東北地方で行われている行事の一つで屋外で里芋を使った鍋料理を行う
『芋煮会』が、毎年お世話になった教授邸で行われているので、次に会った時にはまたキノコの事を聞いてみようと思います(*^_^*)
そして3年になり卒業論文のテーマを選定してデータ解析を行いひたすら卒論と向き合う日々が始まります。
3年生の時はテストとテーマ選定会議の時くらいしか仙台に行かなかったので1.2年の頃ほどは行きませんでしたが、4年になりいよいよ卒論も佳境へ入って来るとかなり頻繁に行っていた気がします。
PCでのメールのやり取りでも良いのですが、それだけだと中々難しいんですよ(^^;
うちの教授は今時
『携帯電話を持たない主義』の
変人昔気質の人なので(^^;
しかし机の上汚いなぁ(^^;
ある時卒論で仙台へ行った時に、他の科の研究チームが福島の立ち入り禁止区域内にいる牛の検査をしに行くという話を耳にしました。
なんでもこの検査は世界でも過去に一例しか行われていない調査で、学術的に非常に貴重かつ意味のあるものだと言う事でした。
そのたった一度過去に調査が行われた事がある場所は、ベラルーシ。
旧チェルノブイリ原発事故のあった場所です。
牛の体内に残留している放射線量の調査はその地域がどれだけクリーンになって来たかのバロメーターの一つとなるものだそうで、国からの依頼を受けて調査を行うそうですが、個人的には是非とも結果を知りたいと思っているのでデータの精査が終わっていたら今年の芋煮会で聞いてみたいと思っています。
そしていよいよ4年生となった一昨年の夏以降になると、卒業する為に多分もう二度とこんなに勉強しないだろうと言う位やりましたよ(^^;
あまりにも大変で途中、いい年してそもそもなんで俺こんな事やっているんだろうと、おはぎちくわさんと泣きながら教授室の横の部屋で卒論書いていた気がします(^^;
この時は今より15kg位太っていたから腹出てんな~(^^;
しかし、4年間も通っていると震災で被害を受けた建物がどんどん復興していく様を間近で見たり、仙台の繁華街では人々の表情や活気の移り変わりを感じる事で出来て、卒業する頃には被災直後の重苦しい雰囲気は直截的にはほとんど感じられなくなって来ていたと思います。
そして、震災から5年が経った昨年3月。二人とも無事に卒業する事が出来ました。
4年間共に戦い抜いたおはぎちくわさんとはもう戦友です(*^_^*)
この写真が撮りたい為だけにイーヨー卒業式バージョンを手に入れましたよ(^^;
卒業したとはいえ、これからも毎年1~2回はまだ仙台へと行くと思います。
6年経っても復興への道のりはまだまだ続いています。
これからも、それを見守って行けたらと思います。
最後になりますが、ある時にお会いした被災者の方が言った言葉が今でも忘れられません。
『確かに被災して住む場所を移らざるを得なかったけれども、元の場所に戻る為に多額の税金を投入して時間を掛けて整備して、果たしてどれだけの意味があるのだろうか。
それよりもスピーディに多額の補償金やあるいは融資を受けやすくしてもらい、
今を生きる為に必要な手助けをしてもらえた方が自分にとっては助かるのに、テレビや新聞は『安全になった元の場所へ戻りまた暮らす日がいつか来るだろう』なんてのんきな事を言っている。
もちろんそれを望む人もいる事は知っているし理解も出来るけれども、あまりにも報道がロマンチックに過ぎる。もっとシリアスな提案をしてくれても良いのではないかと思う』
仙台では色々な方にお話を聞いて、その考え方の多様性に驚きました。
大学院で学んだこと以上に、仙台の地では様々な事を学ばせてもらいました。
だからこそ、自分でも出来る事はお返ししたいと思います。
東北だけが頑張るんじゃなくて、
みんなでがんばる事が出来ればきっともっと良い未来が訪れると思います。
すべての人が震災被害から卒業できる日をめざして。