
「…ちゅうことは、並ばなくても見せてくれるの?」
「うん。会場の外で約束の時間になったら、外で待っているから、時間に来て!」
「わかった」
講義の終わったキャンパス内の教室で、友人と約束を交わす。当時、友人はアシスタントディレクターという非常に聞こえの良い(実は反面、現場では、あっちこっちからこき使われる肉体労働者)アルバイトをしており、彼がやっている番組は「プロポーズ大作戦」という全国ネットの人気番組。どうやら、彼はその番組の下請け会社で働いているから、「いつでも見せてあげるよ」と芸能界に生きるオーラーが垣間見える(うらやましかったな〜)
当日、見たいという後輩を一人連れて、約束のABCホール(記憶が定かではないが…)へ。たくさんの番組見学者が並ぶ中を素通りしながら、友人を探すと、首からインカム、手には台本を持ち、いかにも「業界人です」のちょっと大人の彼が、やはり、そわそわと待っていてくれた。
「○○(僕の名前)、テレビに出ない?」
「…おっ?」
「あのさぁ〜番組の間でコーナーがあるじゃん!それに出る子が予定していたけど、来れなくなったから…」
「えっ! イヤじゃ〜(頭の中では全国ネットかぁ〜と色気も多少、出始めている)」
「頼む」
「ちょ、ちょ、待って(…度胸試し、一度ぐらい出てみたい気も)
「今日、ゲストが岩崎良美。それでビデオが流れて、誰かを当てるんだけど、女の子二人は正解させて、○○には清水由貴子って書いて間違えて欲しい!」
「え〜〜恥ずかしいがやぁ〜(…先までの色気は「間違えろ」という言葉で消え失せる)」
「頼む!頼む!もう、時間ないし…○○がダメだったら、次を今から探さないといかんから…頼む!」
「間違えるんでしょ?」
「そうそう!○○には悪いけど、間違えても5,000円、飯代ぐらいにしかならないけど謝礼出るから!」
「…(5,000円!…ゴセンエン…五千円……飯代…儲かる…早く言えよなぁ〜)」
「わかった!○○が困ってるなら、俺、協力するわ!(出させてください、5,000円ください…何でもします!)」
「おおきに!助かるわ〜ほんま!」
その後、彼に連れられ関係者入り口から、即、メイク室へ通され初メイク!通路では番組関係者から、フィーリングカップルに出る男の子達が練習中(全てを書くと、夢が壊れそうなので…割愛)。
本番、開始前に後輩は客席、そして僕は他のコーナーに一緒に出演する女の子と上手奥の舞台上(やす・きよ師匠が座っている後ろのセット裏)でパイプ椅子で待機。そして、隣にもう一人誰かが座ったのですが、きん枝さんから声かけられるまで気がつかないくらい緊張していました。
前説が始まる。うん?この声は? なんと!同級生がしっかり前説をやり、客席を盛り上げてるではないか〜。見たいけど、見れない…番組関係者の収録指示が飛び交い…オープニング、拍手…やすし・きよし師匠が出てきたんだろうなぁ…客席をさらに盛り上げる…見たい、見れない…あと15分ぐらいしたら出番…心臓が破裂しそう…。
一回ずつ、幕降りてたのかな?
ステージに用意された椅子に座る.僕は真ん中の2番!両端は女の子(友達同士)手には回答用のボードとマジック。
さて、本番開始!やす・きよ師匠の登場だ〜。スーツ姿がピシッとカッコいい。テレビで見るよりやせているかな? そしてクイズが始まる。ビデオが流されモニターを眺める。
「えっ!答え知ってるけど、岩崎良美にはみえないというかテニスをやっている良美ちゃんが瞬間映るだけ…まったく判らん…答えを知らなかったら、答えを書けないくらい??」
そして、いよいよ!お約束の回答の時である。僕は約束通り「清水由貴子」と書いて、笑いを誘う!茶の間のテレビで「あいつ!バカじゃね〜の」と聞こえるようだ。でも、これも5,000円のため!辛抱だ〜〜〜〜〜
回答タイムが終わったところで良美ちゃんの登場。この時にはステージ下手側に立っていたのですが、良美ちゃん、綺麗でしたねぇ〜。ドレスを来てるせいもあるのだと思うが、やはり芸能人!笑顔が本当に素敵で…ただ、僕の前を通る時に「なんでぇ〜清水由貴子なのよ」って一瞬、彼女の目が言ったようにみえたのは…気のせいですよね。
あの時の日本中におバカな回答をしたのは、私です。ちょうど20歳の時だったかな?放映までは1カ月の時差があり、誕生日付近だった記憶があります。5,000円は後輩に晩飯をおごってパァ〜となりましたが、見に行くはずが、出てしまったという体験でした。
清水由貴子さんのご冥福を改めて申し上げます…こんな、想い出があったので、彼女が他界された時はビックリでした!
以下、ウィキペディアより抜粋
スタート当初は関西ローカルの深夜番組(30分枠)だったが、一部のTBS系列局や関東の独立U局に番組販売ネットされていた。この当時ABCはTBS系列だったが、TBSでの放送はなかった[1](TBSが余りにも関西の色が強すぎると同局での放送及び全国ネット化に難色を示したという)。
その後、毎日放送(MBS)とのネットチェンジ(腸捻転解消)により、テレビ朝日(当時・日本教育テレビ=NET)系列へネットチェンジ後の1975年12月2日から同系列を中心に全国ネット化、プライムタイム枠に昇格して放送され、放送時間も1時間に拡大された。
キダ・タローの作曲による番組テーマ音楽も視聴者に長年親しまれた[2][3]。
ABCホールでの公開収録だった(年に数回は地方での公開収録も行なわれた)。
1985年3月26日に番組は関西ローカル時代から数えて12年間の歴史に幕を下ろした。最終回はサヨナラスペシャルと題し、過去の秘蔵映像が流され、エンディングでは、ザ・お葬式と題して、番組で使われていた小道具が特別に作られた専用ボックスに収められ、番組を締めくくった。
中間部は様々な企画が試みられた。基本的には歌手がABCホールで歌う前の「フリ」的なコーナーであった。毎回のゲストに関するコーナーで、ゲストが街であっち向いてホイをやり、ゲストに勝った人はカードを引いて出た事を行う「スターが挑戦!アッチャムイテホイ」や、
ゲストが何かやっているVTRを見せ、観客から募った3名がゲストは誰かを解答する「スターWho's Who」などが行われた。ゲストの歌の後の「フィーリングカップル5vs5」には歌手も加わり、必ず「歌手からの一問」を出した。
Posted at 2015/02/07 09:09:33 | |
僕が出逢った有名人 | 音楽/映画/テレビ