---皇紀2674年7月21日 21:05
3度目となる離島上陸を掲げ、天売・焼尻島遠征に勇躍出帆せる。
今次の長距離行は平成23年8月23/24日の利尻・礼文島上陸、
翌24年7月17/18日の奥尻島上陸に続き、3度目となる離島遠征である。
昨平成25年は天候に恵まれず、また機材の整備に於いて問題が發生したことから
CBに依るキャンプ・ツーリングを実施し得なかった為、今年こそはの念を強く抱かん。
1泊3夜の強行軍を前にしながらも”万難を排し必ずや成功せしめん”の
意思は堅固、士気旺盛にして意気は益々軒昂であった。
計画では7月21日20:50の課業終了後、可及的速やかに抜錨。
夜を通して本道を打通、太平洋沿岸より出でて日本海沿岸に至る400粁を走破せしめ、
22日朝08:30のフェリー第一便に乘船、日本海を渡りて焼尻島に上陸し橋頭堡を築く。
22日は焼尻島に野営、翌23日に天売島へ飛石上陸を敢行した後、
焼尻島を経由し本道に再上陸を果たす。
往路の逆順を辿りて今一度本道を打通、400粁を大返し
23日25時前後(24日01:00)を期して帰投せんとする計画であった。
然れど、天運我に非ず。
往路に於ける本道の打通を完遂し、焼尻島への上陸を果たすも
鈍色の厚い雲が徐々に空を覆い始める。
天候は一向に恢復せず、深刻の度を増す許りなり。
切なる祈祷も虚しく、気象予報は惡い方へと外れ、
予想より半日も早い時点で激しい降雨に見舞われるに至りて、愈々進退窮まる。
降り頻る雨を前にして謀を巡らすも、万策尽きて立ち盡す。
此処に至りては、計画の放棄も已む無し。
斷腸の思ひで轉進を決心す。
多大な労力と資金を費やしながら焼尻島への上陸を果たしたにも関わらず、
目的を完遂すること叶わず反転帰投の途に就くは眞に悔しけり。
数ヵ月前より綿密に立てた計画は、非情なる天候の前に脆くも瓦解し、
雨に濡れる行動予定表の文字が哀しく滲む。
期せずして、7月21日夜より23日早朝に掛けて2夜0泊の強行軍に突入す。
非情なる天運に泣かされるも、愛馬の支えに依りて全行程800粁超を
31時間余で走破せしめるに至りし顛末を此処に記す。
必ずや、捲土重来を期すことを誓いて。
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【7月13日~20日 遠征準備】
■7月13日 シート・バッグ購入
ツーリングに備え、大容量のシート・バッグを新調。
テントもシュラフも内部に呑み込める程の大容量に加え、外部にも多数の収納と
固定用ネット、長尺物用の荷紐を備えた使い勝手の良いバッグとあって大いに満足す。
充実した内容からすれば文句無しに廉価であり、
最大の懸念であった車体への縛着も容易かつ確実であった。
■7月15日 シガー・ソケット電源装着
二輪用の防水型シガー・ソケット電源を購入、主治医に装着して貰う。
配線の途中にギボシ端子を介し、不要の際には取り外し可能とした。
速度計手前に備わる黒い筒状の物がソケット電源
此れに依り、携帯電話やカメラの蓄電池の充電が容易に可能となり、
数日に渡る旅行の際、電源に不便することが無くなった。
■7月19日 後部積載甲板(リヤ・キャリア)加工装着
トラ乘りのS先輩より戴いたヤマハSR用のリヤ・キャリアを装着。
主治医の手に依り、純正のステーを切り詰めると共に
新規にステーを増設する等の加工が施され、宛も純正の様な佇まいに仕上がった。
後部積載甲板
CBはテール・カウルを有さない為、純正の儘では積載能力が限られているが
後部積載甲板の増設に依り、輸送能力は一挙に倍増された。
トラディショナルなヤマハSR用のキャリアとあって、
CBに装着しても外観的な違和感が無く、クロームが良く馴染んでいる。
主治医の手に依る巧みな加工を経て、積載甲板はシートとの段差が無い全通甲板となった。
利根型の様に、甲板に段差があると積載や縛着に工夫が求められるが、
最上型の様な全通甲板を得たことに依り、積載効率及び作業効率は極めて高いものとなった。
リヤのウィンカー及びショックのボルト/ナットに共締めすることで装着されており、
シガー・ソケット電源同様、不要時には容易に取り外すことが出来る様になっている。
■7月20日 満載排水量状態での公試を実施
バッグ、電源、キャリア。
愈々總ての駒が揃った所で、CBに馬具を装着する。
シート・バッグを縛着し貨物を全積載、脱落防止を2重3重に施し万全を期す。
貨物の防水処置にも充分に気を払う。
満載排水量状態のCB
主要な装備は、時計、ソケット電源、タンク・バッグ(手荷物、充電器等)、
サイド・バッグ(防寒着及び工具)、ツーリング・バッグ(テント・シュラフ等)、
一眼カメラ用バッグ、テント用フレーム、錠(2種)、背凭れ兼用アルミ・シート、
サイド・スタンド補助板となっている。
掩体内に於いて各種点検を実施する。
エンジンを始動し電氣系統の動作を確認せる所、前ブレーキ操作に聯動する
制動燈の不点燈を發見、直ぐに原因の配線不良を修正する。
万一の不具合無き様、積載状態での公試を実施する。
急制動、大傾斜、惡路に於ける上下動を試し、縛着に緩みが無いことを確認。
エンジン・オイル、ブレーキ・フルードの量が規定値にあるかを視認。
燃料を充填し、トリップ・メーターを0粁に戻す。
此れを以て、概ね總ての準備は完了せり。
残るは唯只管に好天を祈るのみ。
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■7月21日(行程第一夜)
20:45 課業終了
21:05 抜錨
昼には爽快な夏空が広がっていたが、夜は字義通り暗転。
鈍色の厚い雲が垂れ込め、静かに雨が降る。
然れど征くより外に途はなく、夜陰に乘じ出帆す。
纏わり憑く様な霧と雨に悩まされながら黙々と走ること、2時間。
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23:01 帶廣にて給油(走行距離115粁)
給油量9.66ℓ/1573円(レギュラー単価162.8円)燃費約12粁
隣接するコンビニで買った暖かい缶珈琲で一息つく。
帶廣に入ってからは雨も止み、此れで少しは楽になると
安堵するも束の間、暫く進むと再び雨が降り出した。
黒く染まる路面を睨みながら猶も進む。
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日付は変わり7月22日---
霧煙る狩勝峠を越え南富良野に至った頃、漸く雲は切れ始め星が顔を覘かせる。
山脈の稜線に美しい三日月が其の姿を現す
01:17 富良野にて給油(走行距離238粁)
給油量8.75ℓ/1453円(レギュラー単価166円)燃費約14粁
忌々しい雨雲は字義通り雲散霧消し、仰ぎし空には幻想的な天の川が流るる。
星明りは空を深い瑠璃色に染め上げ、漆黒の稜線を浮き彫りにする。
深夜の樹海の風は冷たくも、心身は極めて軽くあり。
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01:55 芦別にて給油(走行距離265粁)
給油量1.79ℓ/291円(レギュラー単価162.8円)燃費約15粁
燃料には充分な余裕があるが、此処より先は
24時間営業の給油所が限られる為、補給を実施する。
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02:31 深川にて給油(走行距離308粁)
給油量2.44ℓ/395円(レギュラー単価161.8円)燃費約17.6粁
羽幌までの行程を走破するには充分な残燃料があるが、此処より先は
24時間営業の給油所が存在しない為、往路最後となる給油を行い万全を期す。
給油の後、深川留萌道・秩父別ICより高速に乗る。
此の頃より徐々に雲量が増加、天候の先行きに一抹の不安を覚える。
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03:23 留萌のコンビニにて休憩(走行距離352粁)
21:05の抜錨より約6時間15分、漸く留萌に到達
いつしか空は次第に白み始め、夜が別れを告げ朝が訪れようとしていた。
夜の帳の下では6時間余、350粁超の行程も瞬きの内に過ぎ去りし。
美しい払暁の空は、刻一刻と其の表情を移ろわせる
稲荷寿司と天麩羅蕎麦で空腹を満たした後、
大休止を終え、最終行程に駒を進める。
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日本海を望む國道232號、愛称”オロロン・ライン”を北上する。
雲量は多いが、晴れ間も顔を覘かせている。
眼前に迫りし白波立つ日本海
林立する風力原動機は、風を掴めずに沈黙している
見よ 東海の空明けて 旭日髙く輝けば 天地の正気潑剌と 希望は踊る大八洲
旭暉は白雲を淡黄に染め上げ、海は其の蒼さの度を深める。
04:38 沖合に島影を視認
遥か沖合の雲下、天売と焼尻の島影を朧げながらも見出す
洋上に浮かぶ2つの影を眺めつつ、島で過ごす緩やかな一時に期待を寄せる。
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推定04:45分前後 交通事故に遭遇す(走行距離約395粁)
目的地の羽幌まで残す所僅か10粁余に迫りし地点で、交通事故に遭遇。
橋の上で3台程度の対向車と擦れ違った際、
最後尾の1台が突然フラフラと挙動を乱し、かなりの勢いで橋の欄干に激突。
橋を渡り切り、直ぐに停車する。
左右を確認し道路を横断、運転手に駆け寄り声を掛ける。
軽い怪我をしているものの、命に別状はないようで安堵する。
直ぐに110番するが、警察の対応が非常に惡い。
まず「救急車が必要かどうか」と聞かれ、大きな外傷は無いが
衝撃が大きかったことから念の為救急車が必要だと伝えるも
「怪我ないなら救急車いらないですよね?」と返される。
其れは自分で判断できることでは無いので、念の為に呼ぶように頼むも
執拗に「いらないですね?」と繰り返すばかり。
更には「レッカー車とか必要ですか?」と問うので「必要」と答えると
「手配は自分でしてくださいね、こっち(警察)ではやりませんから」と。
流石に呆れ果て、然も肝心のパトカーの手配を一向にしないので、
此の儘では埒が明かないと考え電話を切った。
運転手の方に改めて怪我の具合を聞き、
同乘者を含めて問題がないことを確認する。
警察から着信があり、今度は事故の場所を聞かれたので
橋の名前を伝えるも「番地は何番ですか?」と返される。
そんなもんわかるか間抜けと罵ってやりたい気持ちを抑えつつ、
國道232号の苫前から羽幌に向かう途中の橋だと説明する。
電話口で説明してもキリが無いから、とっととパトカーを寄越すように
強い口調で求めると、相手は渋々ながら了承した。
運転手の方に今警察が来ますのでと伝えると、ありがとうございますとお礼を戴き、
もう大丈夫ですのでと仰って下さったので一礼してその場を去る。
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05:15 羽幌に到達(走行距離406粁)
本道を打通、日本海を望む羽幌に至る。
空は晴れ渡り気温も上昇し始めたが、やゝ強めの風が心地良い涼を届ける。
道の駅にCBを停め、ベンチで仮眠する。
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2時間弱の仮眠の後、気温の上昇に応じ重ね着している防寒着を何枚か減らす。
虫や雨粒で汚れたヘルメットの風防を軽く磨き、併せてCBの汚れを落す。
07:46 羽幌にて給油
給油量5.82ℓ/1000円(レギュラー単価172円)
離島の燃料価格は本道と比して割高であるから、焼尻に渡る前に燃料を充填しておく。
給油中、隣接する整備工場にプリンス・グロリアを發見。
工場の方に一声掛け、見せて貰う。
昭和44年/1969年型プリンス グロリア・スーパー6(PA30D-2)
非常に綺麗な2型(昭和43年10月~昭和44年9月生産車輛)で、昭和44年登録とのこと。
整備工場の会長の所有車で、「仕事をはじめた頃の憧れのクルマ」と云うことで入手されたそうだ。
スーパー・デラックス(PA30QM-2型)との識別点は、前後のグリル・パターン、
エンブレム、ウィンドウ・サッシュ、内装パターン等が挙げられる。
飽く迄も端正で凛々しく、格調高い重厚な艦影
グレードは珍しいスーパー6(PA30D-2型)で、2型より設定された前席セパレート5名乘車仕様。
シート及びドア内張りはライト・グレー、前席の間にはセンター・コンソールが備わる。
フェンダーの四隅の峰には前後のライトを光源とするマーカー・ランプが備わる
タイヤは新品同様のブリヂストンSF-375(ホワイトリボン・ラジアル)、
ウィール・キャップはより高年式のシミュレーション・ワイヤーであったが、中央には
しっかりとグロリアの鶴の紋章が刻まれており、単なる代用品でないことがわかる。
ルーフからCピラー、そしてリヤ・フェンダーへと至る流麗なラインも実に美しい
久方振りに見たプリンス グロリア・スーパー6の、気品に満ちた佇まいに惚れ直す。
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08:14 コンビニで朝食。
08:30のフェリー乘船を前に、パンとホット・コーヒーで軽く朝食。
此の時は特に何も考えていなかったが、軽挙であったと洋上で後悔することになる。
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08:30 フェリーに乘船
フェリー・ターミナルで手続きを済ませ、CBと共に第一便のフェリーに乘る。
車輛甲板に収容されしCB
乘船したフェリーは、羽幌沿海フェリー所属の旅客船兼自動車渡船「おろろん2」。
總排水量489頓/全長:48.52米/全巾:10.50米/主機:1800PSディーゼル×2基/
聯続最大出力:1323kw×2基/航海速力:15ノット/
旅客定員300名/貨物積載能力:43頓/車輛積載能力:8頓級大型トラック2台及び乘用車8台。
おろろん2は總排水量489頓と、利尻・礼文航路で乗船したサイプリア/フィルイーズの
宗谷級(3555頓)や、奥尻航路で乗船したおくしり型(2248頓)と比較すると
非常に小さなフェリーで安定性で劣っている上に、当日の波は3米以上と高く海は荒れていた。
風も起こらず浪立たず、鏡の如く穏やかな羽幌港であったが・・・
白波を蹴立て船が沖合へと出でると、次第に浪がざわめき始めた
海は浅葱色から納戸色、紺碧から瑠璃紺へと千変万化の表情を魅せる
抜錨当初こそ景色を眺める余裕があったが、沖合に出ると動揺が激しくなり、
小さな船は荒れる海に翻弄され、ローリングとピッチングを繰り返す。
次第に遠ざかりゆく本道沿岸
波の高さは3米を越え、翻弄される船は宛も木の葉の様
船首が砕く白波は雷撃の水柱の如く高く吹き上がり甲板を濡らす
沖に出でると海の色は一変したが、
空と海の美しいパノラマを眺めるには厳しい揺れであった。
浪髙き群青の日本海
波浪に大きく持ち上げられた船首を滑る様に海面に突っ込ませる度、
ジェット・コースターが降りる際の「フワッ」と云う、足が地面に着かない感覚に襲われる。
上下動に加え左右への傾斜も大きく、激しい波飛沫が甲板を濡らす。
手摺に掴まっていないと立っていられない程である。
最初の内は寫眞を撮っている余裕があったが、出港から15分程度で
其れ処では無くなり、船酔いですっかり具合が惡くなってしまった。
今まで乘船した大型船と違い、揺れが大きい事を考慮していなかったのが運の尽き。
酔い止め薬を携行しておくべきだったと後悔。
朝食も抜かしておけば良かったと後悔。
睡眠不足は船酔いの症状をより重いものとした。
まるでプライベート・ライアンの冒頭、オマハ・ビーチに向かうLSTで揺られるG.Iの様だ。
手摺を強く握りながら深呼吸を繰返し、心を落ち着かせて揺れに耐える。
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09:40 焼尻島に上陸
定刻より10分程の遅延を伴いて、船は焼尻港に接岸。
焼尻港の岸壁に立ちて、本道を遥かに望む
上陸後、暫しの間ベンチで横になり穏やかな潮風の中で小休止する。
1時間程の仮眠で船酔いも解消されたので、橋頭堡の設営に先立ち島の一周に出掛ける。
港に聳えるオロロン鳥の像が観光客を出迎える
北のペンギンとも呼ばれるウミガラスは、チドリ目・ウミスズメ科に分類される大型の海鳥である。
其の特徴的な鳴き声から、日本では”オロロン鳥”と呼び親しまれている。
天売島では絶滅の危機に瀕しており、繁殖個体群の恢復が図られている。
11:18 島の一周に出発
北海道道255號線 焼尻島線は島を周回している為、起点と終点が同一地点となっている。
看板では島内一周約12粁とされているが、道道255號の總延長は9.4粁と示されている
ふと道路脇に視線を落とすと、ウニが転がっていた
利尻島でも見た光景である。
11:30 羽幌町焼尻郷土館を見学
此の郷土資料館は、漁業及び呉服・雑貨商で財を成した二代目当主小納宗吉氏が
明治33年に建築した自宅兼店舗を資料館として公開しているもので、
当時としては珍しい洋風建築で黒檀や檜を惜しみなく使った豪勢な造りとなっている。
昭和54年11月27日、道指定有形文化財に指定された。
館内には、自動銭別金銭登録機(レジスター)、シンガー・ミシン(大正10年頃)、
ゴルフ・クラブ(昭和5年頃)、蓄音機、ヤマハ・オルガン等が展示されていた。
中でも目を引いたのは「大東亞戰爭 海軍戰記3輯」(大本營海軍報道部 編纂)や
「キング改題 富士」、野依秀一著「米本土空襲」、「精神興揚 國民百人一首」と
云った戰時下に於いて發行された書籍や雑誌等で在った。
寫眞撮影禁止が惜しまれる貴重な展示物が陳列されていた。
水平線の向うに本道の島影が伸びる
11:52 工兵街道記念碑
焼尻島を一周する道道255號線は、焼尻島に駐屯せる帝國陸軍工兵隊が
崖を切り崩し造成したことから、”工兵街道”と呼び親しまれている。
高台に聳える記念碑が、昔日の防人の功績を今に伝える
11:59 天売島を眼前に臨む
手を延ばせば届きそうな距離に天売島が浮かぶ。
両島ともに平坦な地形で、海に浮かぶ富士と形容される利尻島とは正反対の島影である。
12:08 綿羊牧場通過
スコットランドの牧羊地帶と近似した地形と景観を持ち、晴れた日には遥か洋上に利尻富士の
姿を仰ぐことの出来る美しい綿羊牧場と聞いていたので、空を覆う曇天がなお怨めしい。
緩やかな丘陵地帯にて羊が草を食む
晴天であれば”絶景領域”と銘打たれし美しい海が
眺望出来る筈なのだが、今は鈍色の空の下で冴えない表情を浮かべるのみなりし。
陽光を受け、浅葱、百群、紺瑠璃、花緑青、翡翠と多様な表情を魅せる海も今日は色を失う
低く垂れ込めし雲が陽の光を遮り、強さを増す風と相俟って暑さは
幾分か和らいだが、風は次第に湿り気を帶び降雨への不安は増す許りなり。
真夏にも関わらず、笹の葉を揺らし白波を立てる風が寒々しく吹き抜ける
天候に恵まれさえすれば、島の緑と海の蒼がどれ程美しいことだろうか!
空が晴れぬのに気持ちが晴れる筈も無く、
重苦しい曇天の下、いつ泣き出すかと不安を抱きながら肩を落とし島を巡る。
折角の絶景も、此の天候下では眞に惜しく感じる許りで非常にもどかしい。
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12:14 御大典記念燈籠
皇紀2588年(昭和3年)11月6日、天皇陛下の即位の禮並びに大嘗祭が厳かに執り行われた。
一億臣民挙げて此の佳き日を奉祝し、全國各地で御大典記念碑が奉納された。
此の燈籠も其の一つである。
86年間の風雪に耐え、なお健在なりし燈籠を前にして、
今も大八洲を遍く照らす昭和大帝の御稜威に深い感動を覚ゆる。
起て一系の大君を
光と永久に戴きて
臣民我ら皆共に
御稜威に副はん大使命
往け八紘を宇となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る
いま幾度か我が上に
試練の嵐哮るとも
斷乎と守れその正義
進まん道は一つのみ
あゝ悠遠の神代より
轟く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇國つねに榮えあれ
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島の一周を終え、爾後の行動計画について長考する。
此処まで来たならば、当初の計画を斷じて遂行すべく
焼尻島に於いて野営し、天売島上陸も敢行すると云うのが第一案。
然しながら天候に恢復の兆しなく、寧ろ惡化しつつある現状を鑑みると、
野営及び翌日の天売島遠征が満足行くもの足り得ないであろうことは容易に想像出来る。
ならば今次の天売・焼尻遠征は潔く斷念し、本道に帰還。
羽幌より60粁/1時間の天塩町には中学時代からの友人、130粁/2時間の距離の稚内市には
高校時代からの友人が居るので、いずれかの家を訪ね一泊の後に帰投するか。
但し、フェリーが羽幌に到着する時間が17:25と比較的遅いことが気に掛かる。
だが、14:30頃より降り出した雨が總てを決定付けた。
予報では夜遅くから降雨とあったが、見事に外れたものだ。
土砂降りで濡れ鼠となってしまっては、友人宅に転がり込むのも気が引ける。
数時間に渡る憂慮の末、已むを得ず反転帰投を決心。
降雨を押して一挙に本道を打通せんとす。
帰れば、また来ることが出来る。
自分にそう言い聞かせ、捲土重来の誓いたる「ケ號」を掲げ復路の完走に挑まんとす。
商店で酔い止め薬を調達し、万全を期す。
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16:00 酔い止め薬を呑む
CBを雨宿りさせて戴いた売店の叔母さんに再度の訪問を約束し
一礼して降り頻る雨の中、接岸せるフェリーに乘船す。
16:25 焼尻島より本道へ轉進
折角の船旅であるから、天気が良ければ景色を眺めていたい所だが
生憎、舷窓の外は一面の鈍色で覆われている。
船酔いを避ける為と、帰路の走破の為に少しでも睡眠時間を稼ぐべく、
直ぐに二等船室で雑魚寝し目を閉じる。
17:25 羽幌に再度上陸を果たす
1時間の航海の後、雨に煙る羽幌港に下船。
直ちに發動機を始動、篠突く雨を貫きて復路400粁の走破に挑まんとす。
雨足は一層激しくなり、道路には水飛沫が躍っている。
天から降り頻る雨が上半身を包み込み、対向車の撥ね上げる雨水が下半身に纏わりつく。
大型トラックが道路に刻んだ轍は、雨に溶け出した海水の塩分で白く染め上げられている。
低速の先行車輛が吹き上げる水飛沫も真白で、シールドの隙間から垂れてくる雨水さえ塩辛い。
車体の隅々まで浸透するように、水に溶かした塩カルの川を
突っ走っている様なもので、旧車には堪える路面状況である。
対向車が深い水溜りを通過すると、優に1米を越える水飛沫が上がり、
真正面からバケツで水を叩き付けられたかの如き波が襲い来る。
革のジャケットは強い雨でも水を弾き、滅多なことでは其の下に着込んでいる服までは
濡れないが、此れ程までの大雨の前には全く無力で下着までずぶ濡れのザマである。
水を含んだ革ジャンは、平時の倍はあろうかという重さとなる。
革製のブーツの指先には水が溜まり、不快感を伴いつつ波打っている。
自前の防水処置の御蔭で、ヘルメットだけは辛うじて
水の侵入を最低限に防いでいることが、せめてもの救いだ。
斯様に酷い天候ながら、幾台かのバイクと擦れ違った。
擦れ違い様に手を翳し、挨拶する。
天に見放され折れそうな心を、名も知らぬ仲間が支えて呉れる。
そして、何よりも、誰よりも、愛馬CBの堂々たる歩武が自分を支えて呉れた。
豪雨の中、自分はCBに導かれているだけに過ぎないと云っても過言では無かろう。
手綱は既に自らの手を離れ、愛馬の走りに身を任せるのみ。
此の瞬間、將に精神が疾駆していたと云えよう。
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19:06 深川にて給油
給油量11.56ℓ/1870円(レギュラー単価161.8円)
フェリーを降りてから約100粁、一度も休止せず走り続けること1時間半。
バケツを引っ繰り返したかの様な豪雨で、全身濡れ鼠の如き有様である。
雨水は奥深くまで侵入し、財布の中の紙幣までもが濡れて精算機に入れることすら叶わず。
已む無く濡れた紙幣を交換して貰い、給油を済ませる。
革の手袋を絞ると、滝の様に水が噴き出した。
一向に止む気配の無い大雨に気力を奪われ、給油時の走行距離すら記録せず。
然しながら、深川の道の駅を通過せる頃より天候も少しずつ恢復。
芦別より富良野に至るまで暫しの間であったが小康状態を保つ。
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20:07 芦別にて給油
給油量3.07ℓ/500円(レギュラー単価162.8円)
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20:37(推定) 富良野に到達
濡れた衣服を乾かすべく、コイン・ランドリーで乾燥機にかける。
流石に革ジャンは乾燥機には入れられないが、直接肌に触れる
下着や靴下だけでも乾けば不快指数は相当下がるだろう。
水を吸い非常に重くなった衣服を乾燥機に放り込み、待つこと15分。
・・・生乾きである。
中途半端に温まった衣服には厭な臭気も付いてしまっており、却って不快なくらいだ。
此れではどうにもならないので更に15分間
乾燥機にかけるも矢張り結果は変わらず、生乾きのままである。
なんとも酷いポンコツ乾燥機だ。
まったく、ツイてないな。
ダメな時は何をやってもダメなものだ。
なんとか巧くやろうと足掻いても空廻るばかり。
不快極まりない生乾きの服を着込み、外に出ると
追い打ちを掛けるかの如く、また雨がポツポツと降り出している。
泣きっ面に蜂とはこういうことか。
クソッタレめ。
何処までも忌々しい天候だ。
何度も旅館に飛び込みたい衝動に駆られたが、此処まで来たら
万難を排し帰投する他に選ぶべく道なき。
憤懣遣る方無きを右足に籠め、キック・レバーを蹴り降ろす。
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22:00前後(推定) 道東道へ進入
富良野から山部の裏道を通り南富良野に至り、狩勝峠の麓より道東道トマムICに進入。
時間短縮の為に高速に乗るも、平坦かつ単調な道路は
疲弊した肉体と精神を泥沼の様な睡魔に誘う。
泥沼に片足を突っ込んだ状態で1粁、また1粁と這う様に進む。
寒さに打ち拉がれながら走る最中、早朝に遭遇した事故の情景が脳裏を過ぎる。
車なればこそ死を免れたが、身を護るもの一切なき2輪車では
三途の川を一気呵成に渡河するは非常に容易である。
朦朧としながら、自らの精神に何度も鞭を入れて走り続ける。
途中、何度も意識が飛ぶも愛馬は正確に歩武を進め続けた。
気力、体力の限界を迎え十勝平原SAにて休止。
濡れた衣服は雨に湿る走行風に晒され、身体は芯まで冷えている。
強烈な睡魔に襲われる一方、寒さの余り落ち着いて体を休めることすら叶わず。
黙っていてもガタガタと震え、体は強張り腕も肩も背骨も悲鳴を上げている。
暫しの間、立ったまま眠っていた様だが曖昧な記憶しか残っていない。
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何時の間にやら、再び日付は変わり7月23日---
萎える心に喝を入れ、再び愛馬の背に跨る。
燃え盛る鐵の心臓の力強い鼓動だけが頼りである。
01:27 音更帶廣ICにて高速を降りる(通行料金1120円/車種:軽二)
トマムICより49.6粁を辛くも走破し、残る行程は遂に120粁を切った。
目的地は今や目と鼻の先である。
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01:45 帶廣にて給油
給油量10.61ℓ/1727円(レギュラー単価162.8円)
往路最初の給油地点にて、今行程最後となる給油を実施。
26時間前、意気揚々と給油した時には此の様な結果になるとは思いもしなかった。
最終行程の走破に向け、隣接するコンビニで腹ごしらえをする。
暖かい蕎麦と握り飯で空腹を満たし、気力を恢復する。
帶廣より釧路までの距離は僅か120粁、時間にして2時間余。
此処まで辿り着けばもはや帰投したに等しく、気持ちにも幾分かの余裕が生まれる。
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04:23 帰投
予定の時刻を大巾に遅延するも、艱難辛苦を打ち耐えて復路400粁超の走破を完遂。
万難を排し、無事帰投を果たし得た。
空は薄らと明るくなりつつあるも、鈍色の雨雲に覆われている。
空の涙は未だ止まずして、最期の決まで終ぞ天は微笑まず。
終始、天運我に非ず。
天は我を見放した!
なれど、どうして天を怨めようものか。
斯様な豪雨も、太陽の恵みも、大いなる自然の営みの一部に過ぎず、
日頃の行いなど天候には何ら関係なく、取るに足らぬ自らの行いが
天に影響を与え得るとの考えは寧ろ驕りと云うものだろう。
雨に打たれる辛苦を知るからこそ、晴れの恩恵をより深く知り得たる。
如何なる苦難も貴重な経験として生きるのである。
雷雨の下、大自然の力への畏敬の念を新たにす。
そして何より、執拗に襲い来る過酷な試練を撥ね退け、我を導きし愛馬に深く感謝す。
835粁に及ぶ過酷な状況の聯續に對して一言半句の不平もなく、
31時間に渡り休むことなく走破せしめれり忠勇比類なき我が愛馬には感謝の言葉もない。
今次遠征は不本意な結果に終わるも、命を預けるに足る誇り高き愛馬と相携えて、
必ずや捲土重来を期すものである。
今一度焼尻の地を踏むことを誓い、未だ見ぬ天売の島を訪れることを夢に見る。