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2014年09月06日 イイね!

秋月仰ぎ見て鐵馬高らかに嘶く





皇紀2674年9月1日


本道の短き夏は足早に過ぎ去りて、迎へたる初秋の宵

麗しき秋月は天に冲し、其の輝きに依りて地平は瑠璃色に染まりたる





氣温計の針は既に一桁を指し、吐息は白く棚引く

然れど空氣は澄み渡りて、遙かに仰ぐ天に星々が輝く





吐く息に風防も曇る寒さ乍らも、意氣は益々軒昂なりし

半長靴の足取りも輕く、掩體壕へと歩みを進める

格納庫の中で靜かに眠る機體を搖り動かし、主脚を格納する





革張りの鞍に跨りて、深く息を吸ふ


左手で鍵を插し込み、發動機停止裝置を右の親指で彈く

燃料辯を開き、指先を掛けてチョーク辯を起こす

鍵を通電位置に廻すと、表示燈と警告燈は音も無く燈つた

キック・レバーを展張する

レバーを輕く踏み込んでピストンを壓縮上死點に導く

右足に僅かに力を籠め、キック・レバーの抵抗を慥かめる

右手首を僅かに捻り、スロットルを開く


深く息を吐いて、一氣にキック・レバーを蹴り降ろす





瞬間、大氣を震はす乾いた轟音が響く





大洋の龍かと許り靡く排氣煙

雷の聲かと許り響む排氣音


廻轉計の指針は躍動する

燃料の吐出に呼応し低く唸る發動機





右足を地に附け、爪先でギア・ペダルを踏み込む

翡翠色の標示燈は光を喪ふ

左手の指先で手繰り寄せたクラッチ・レバーを靜かに開放する

右手で掌るスロットルに徐々に力を籠める

澱み無く撥ね上がる廻轉計の針

蹴り上げた右足は地を離れ、忽ちにして全身が浮遊感に包まれる


恍惚としか形容し得ない感覺に滿たされる


精緻を極めし發動機は唸りを上げ、虚空を睥睨する排氣管が咆哮する


左手の指先でクラッチ・レバーを握り、右手のスロットルを僅かに緩める

廻轉計の針がふつと下がる
   爪先でギア・ペダルを彈く
    クラッチ・レバーを解放する
        スロットルに力を籠める

一聯の操作を同時且つ多重的に行ふ

我が一舉手一投速は字義通り人馬一體と成り同調、生ける機械を構成する一部と成る

咆哮と云ふ名の航跡を殘し、鐵馬は漆黒を切り裂きて驅ける





眩く輝る前照燈が征くべき航路を指し示す

赤き尾燈の燈を曳いて鐵馬は驅ける


登坂車線に差し掛かり、右手に力を籠める

速度計と廻轉計の針が躍動し、力感を伴ひて驅け上がり征く

漆黒の宙を征く人工衞星と呼応するかの如く、方向指示器の明滅が眩い光を放つ





雙子の降冩鏡は一面の闇のみを映し出し、振り返る要なきと示す


我ニ追イ附ク機影ナシ





夜の帖に覆はれて、消失點も見えぬ果てなき途を驅け拔ける

煌々と燃えるかのやうに輝く速度警告燈

計器の透過照明は淡い翡翠色に光つてゐる





風防を開放し、天を仰ぐ

身を切る樣な寒風が無數のフィンを通り拔け、燃え盛る鐵馬の心臟を包み込む





燈火管制


消燈の刹那、星は猶其の輝きを増す

一面の漆黒に覆はれし宏大な濕原に在るは、星々の光明と鐵馬の咆哮のみなりし





蹄の音も高らかに駿馬は征く





雪と云ふ、天より送られし手紙が屆くまでの月日は幾何も殘されてはゐない

其の時に至るまで、忠勇なる愛馬と相携へて歩武を進め度く願ふ









Posted at 2014/09/06 23:45:41 | コメント(2) | トラックバック(0) | CB750four | クルマ
2014年01月16日 イイね!

鉄馬と共に相携えて 我征かむ初夏の知床 (現代仮名遣い)


月日は足早に過ぎ去りて、本道も愈々厳冬を迎えるに至った。

夜は日毎に長くなり、天からは雪と云う手紙が届く季節。

身を切るような寒さの中、澄み切った夜空を仰げば、
北斗七星が連なりて、冬の大三角が煌々と輝いている。

遥か南の空を望めば、忠犬メランポスが今も静かに主人アクタイオンを待ち続けている。

雪の舞う夜、火にあたりつつ旅の写真を眺め、過ぎ去りし初夏の日に想いを馳せる。

龍のように南北に延びる我が神州には、多彩な表情を魅せる四季が巡る。

長く厳しい冬が訪れるからこそ、短くも美しき夏をより一層愛しく思える。

半年余前、愛馬CBと相携えて蝉羽月の知床を駆け抜けた日の事を此処に記す。







一号作戦/知床半島打通作戦

実施日:皇紀2673年6月12日

搭乗機:ホンダ ドリームCB750four(K-Ⅰ型/皇紀2631年式)

走行経路:
釧路-中標津-標津-羅臼-知床横断道路-宇登呂-斜里-小清水-美幌-北見-美幌峠-弟子屈-釧路

総走行距離:511km







太平洋の空に、6月12日の暁が訪れる。


耳元で騒々しく唸る、携帯電話のアラームで目を醒ます。

時計の針は4時30分を指している。

快晴を期待しつつカーテンを開くが、昨夜の願掛けも虚しく空は灰色に染まりたる。

一面を埋め尽くす鈍色の雲に、陰鬱な気分に為らざるを得ず。

とはいえ、折角の貴重な休暇を無為に過ごすなど耐えられる筈も無く、
既定通りに抜錨すべく、天候の好転を願いつつ準備を進める。

角食パンにベーコンを載せ軽く狐色に成るまでオーブン・トースターで焼き、黄身を
半熟に仕上げた目玉焼きを載せたベーコンエッグ・トーストなどと云うハイカラな朝食を取る。

歯を磨き、顏を洗い、防寒着を幾重にも着込む。

帝國陸軍騎兵将校 西竹一大佐の愛馬に肖って”ウラヌス号”と命名せる我が鉄馬は、
前夜の内に総ての準備を済ませており、ガレージの中で静かに駐機していた。

革張りの鞍に跨り、まずはキル・スイッチを解除する。

続いて、格納時に「閉」にして置いた燃料コックを「開」の位置に回す。

冷間時ではあるが、チョーク・レバーは閉じた儘で始動を試みる。

キック・レバーに足を掛け、軽く踏み込んでピストンを圧縮上死点に導く。

右足に僅かに力を籠め、キック・レバーの抵抗を確かめる。

然る後、呼吸を整え、迷いを断ち切るかの如く一気にキック・レバーを蹴り降ろす。

振り下ろされたキック・レバーの動きは、連結したギアの回転運動へと変換され、
クランク・シャフトを力強く回し、4つのピストンは勢いよく撥ね上がる。

スパーク・プラグの電極から稲妻が放たれ、キャブレターで生成された混合気を爆発させる。

心臓に火が燈った瞬間、鉄馬は4連排気管で高らかに嘶いた。

近隣は未だ暁を覚えず、騒音が拡散せぬように閉め切ったガレージの中は
轟音が反響し耳を劈き、朦々たる排気煙が忽ちの内に充満し堪らず咳込む。

涙で滲む回転計を薄目で睨みながら、スロットルを少しづつ絞つてゆく。

アイドリング状態でエンジンが停止しない程度に暖気を済ませると、
すぐさまキル・スイッチを動作させ、ガレージの観音扉を開放する。

排気煙が立ち籠めるガレージから這う這うの体で飛び出すや否や、
新鮮な外気を胸一杯に吸い込んだ。

一息ついた後、暖気の済んだCBをガレージから誘導路へと移動させる。
滑走路までタキシングし、輪留めを掛ける。

ガレージの施錠を確認し、愈々離陸の準備は整った。

純白のマフラーを卷き、ヘルメットの顎紐を堅く締める。

両手を高く翳し 「チョーク外せ」

時刻は5時10分。

暁を見る事は叶わぬ儘、511kmに及ぶ長躯進行に出でる。







何時泣き出すやも知れぬ鉛色の空の下、沈む気持に鞭を入れながら走る。

紫水晶に染まる空を仰ぎ、僅かな陽の光を見出す。


縋る樣に天候の回復を期待するも糠喜びに終わり、
進めば進むほど状況は悪くなるばかりであった。

曇天、濃霧、沿岸、早朝の4重苦に悩まされる。

気温は11度と辛うじて2桁に踏み止まってはいるが、
身を切るような走行風に晒され、体感温度は1桁である。


心を支えるは、愛馬の揺るぎなき歩武のみなりし。


行く手には濃霧が立ち籠めている。

纏わりつくような霧も、走行時には篠突く雨となんら変わらないものとなる。

風防の外側は雨滴で覆われ、内側は白い息で曇ってしまい視界を制限する。

体は芯から冷え、手足の先は強張る。

悪天候と寒さに負けて、折れそうに成る心に喝を入れつつひた走る。



6時57分 コンビニにて休憩

心身共に冷え切り、余りの寒さに耐えかねてコンビニに飛び込む。

暖かい珈琲で暖を取りながら、携帯電話で目的地の天候状況を確認する。
この時、心底欲していた物品は腹巻である。



7時24分 燃料の補給を実施

漸く辿り着いた中標津の給油所にて、今行程一度目となる給油を実施。

区間積算距離計は118kmを示し、燃料は未だ半分も消費していないが、
長駆遠征に於いては余裕を持って早期に給油する事が肝要である。

燃料タンクの蓋を開き、ガソリンを注ぎ込む。

重く圧し掛かる鈍色の空を睨み付けながら、再び走り出す。

鉛のように重くなった体と心に鞭を入れつつ、天候の回復を唯々切に願うばかりである。



給油の後、標津へと舳を向け走り続ける。

ハンドルに括り付けた時計の針が8時を指す頃には、
雲の切れ間より射し込む斜光を認めるに至る。

愈々天候は回復の兆しを見せ、第一の目的地である
羅臼の町に近づくにつれ明るくなる空を見上げ、疲弊した心に希望が湧いてくる。

寒さに打ちひしがれ、途上、何度も反転を検討したが、気の滅入るような鈍色の空にも屈せず、
歩武を決して止めなかった事が此処に至って遂に実を結んだのであった。







8時21分 羅臼町に到着

オホーツク海より流れ来る海霧のトンネルを抜けると
其処には雲ひとつ無き快晴が広がっていた。

嗚呼、天は我を見放さず。


泊地を抜錨して以来、隱忍自重3時間余。
寒風翠雨何するものぞ。

切なる祈祷は暗雲を払いて天に通ず。

果たして、天候は一挙に好転。

今や太陽の恩恵に浴し士気は益々軒昂、知床半島打通の意気盛んなりし。







9時 知床横断道路を躍進、此れを打通せんとす

初夏の陽射しを浴び、人馬共に心は弾む。
気分も体もエンジンも、総てが軽やかである。

気温も一挙に上昇、つい先刻まで寒風に震えていた事が嘘のようだ。

雨滴を防ぐ為に終始閉じていたヘルメットの風防は今や全開である。

一欠けらの雲さえ見当らぬ快晴の下に躍り出て、払暁以来3時間を掛けて
走破せしめたる根室海峡を振り返ると、見渡す限り雲海で覆われていた。


絨毯の如く敷き詰められた、純白の真綿を思わせる雲海は誠に美しく、
其の下に薄鈍色の陰欝な情景が広がっているとは俄かには信じられぬ程である。


曇天の下、3時間に渡り風雨に打たれ骨の髄まで冷え切ったのも、
あの見渡す限りの雲海を眺める為の対価であったと想えば、
散々味わった艱難辛苦も字義通り雲散霧消するというものである。

初夏の澄んだ空気、柔らかに吹き抜ける海風、陽光を受け輝く新緑。

そして何より、胸に染み入る空の色。

此れに優るものは無いと信じて疑わぬ、至福の一時である。

藍より蒼き大空と、純白の雲海をシネマスコープの大パノラマに一望すれば、
チューブラーベルとグロッケンシュピールの奏でる軽やかな音色が脳裡に浮かび、
四家文子と鳴海信輔の歌声も高らかに「空の神兵」が響き渡る。









藍より蒼き 大空に

忽ち開く 百千の

真白き薔薇の花模樣

ああ純白の 花負いて

ああ青雲に 花負いて

ああ青雲に 花負いて






翻りて仰ぎ見るは、標高1660mの威容を誇る名峰羅臼岳。


アイヌ達は其の威風堂々たる佇まいにカムイの宿りしを見出し、
和人達は”知床富士”の異名を奉った。

新緑芽吹く羅臼岳は、長く厳しい冬の終わりを告げるかのように
羽衣の如き白く清廉な残雪を纏っていた。

其の美しさたるや、息を呑むばかりなり。

稜線の上に広がる、雲の一片さえ見当らぬ藍より蒼き大空は、
如何なる言葉を以てしても形容し得ざる美しさと神秘性を湛えていた。


天を仰げば白藍の空、眼下に見ゆるは月白の雲海、眼前に迫りたるは神々の庭たる知床連山。


ああ、壮厳なる大自然を前にして我も此処に神を見出さん。



9時12分 横断道路の頂、知床峠に達す


多くの旅人で賑わう峠の展望台に駐機、遥かに見ゆる雲海にカメラを向ける。

風は起こらず浪立たず、柔らかく暖かな陽射しが心地良い。

暫し景色を愉しんだ後、再び鞍に跨りキック・スターターを軽く蹴り降ろす。

其の刹那、知床の原野に野生馬の嘶きが響き渡る。

左手の指先でクラッチ・レバーを手繰り寄せ、スロットルを掌る右手に僅かな力を籠める。

左足の爪先でギア・ペダルを踏み込み、ニュートラル・ポジションを示す翡翠色の
インディケーター・ランプが消燈した事を視認し、左手の握力を弱めると同時に右手首を捻る。

右手首の僅かな動きにもスロットルは敏感に反応し、
澱み無く撥ね上がる回転計の針の動きへと変換される。

蹴り上げた右足は地を離れ、忽ちにして全身が浮遊感に包まれる。

218kgと云う重量を一切感じさせない軽快さを伴いつつ、鉄馬は躍動す。

時計のように精密と謳われた4気筒エンジンは澱み無く吹け上がり、
爪先をギア・ペダルに引掛け、足首を僅かに捻ると軽やかに2段ギアへと変速する。

左手の指先でクラッチレバーを握り、右手のスロットルを僅かに緩める --

回転計の針がふっと下がる
 爪先でギア・ペダルを弾く
   クラッチ・レバーを解放する
       スロットルに力を籠める

一連の操作を同時且つ多重的に行い、3段ギアへと変速し更に加速する。

今や速度計の針の躍動を阻害する物は存在し得ない。

咆哮と云う名の航跡を残し、鉄馬は大自然の中を駆ける。


ホンダの二輪車は皆、”翼”を有している。

ホンダ・モーターサイクルの象徴たる”ウィング・マーク”である。

CBの其れは、サイド・カバーに輝く赤いダイヤの中に埋め込まれている。


ギリシア神話の勝利の女神ニーケー、ローマ神話に於けるウィクトーリアの神秘的な姿を象った
紋章には、二輪の最高峰に挑み、勝利を掴み、世界に羽ばたかんとする決意が籠められている。

狂人の夢想に過ぎないと嗤われた其の大理想は、今や現実となった。

此の翼には、創業者たる本田宗一郎氏の飛行機への憧憬が籠められており、
空への憧れを抱く総ての者の為に”それ”はある。


羅臼から知床峠までは急カーブが連続する難所であったが、
下りは直線が続く走り易いルートであった。


手綱を執って軽快に、舞降る、舞降る。

ああ純白の花負いて、天降る、天降る。







知床横断道路を打通し、知床半島の北岸に出でる。

9時36分 北岸の町、宇登呂に達す


ウトロ岩を見晴らす展望台に翼を休め、暫し憩う。


朝凪の海には、旅情を誘う観光船が白い航跡を曳きつつ行き交っている。


残雪に冬の香を感じた知床峠とは一転、
北岸には一面を新緑に彩られた初夏の爽やかな景色が広がっていた。

心地良い風を受けながら、国道334号線を快調に流す。
右舷側には空と海の美しい藍が広がり、左舷側では眩いばかりの緑が眼を愉しませてくれる。


遥かに望む水平線に交わる空の蒼と海の藍、其のいずれもが美しい。


穏やかな風に乗り、海と森から届く”潮”と”若葉”の香りに包まれる。



9時48分に三段の瀧を、




続くく9時51分にはオシンコシンの瀧を仰ぐ。

オシンコシンの瀧は、知床八景のひとつに数えられると共に、
其の名を日本百名瀑に連ねる風光明媚な瀧である。


落差80m・瀧巾30mの威容を誇る斯の瀧は、チャラッセナイ川を源流とし
切り立つた岩盤を流れる分岐瀑である事から、双美の瀧の異名でも呼ばれる。

内地の人には聞きなれぬであろう”オシンコシン”という名は、
アイヌ語で「川下にエゾマツが群生する場所」を意味する 「オ・シュンク・ウシ」の訛化である。

空の蒼、海の藍、森の緑、そして絹糸の如き瀧の白。
様々な色が調和し、人工物では決して表現し得ぬ美しさを魅せる。

絹糸を思わせる美しく柔らかな流れと、硝子のように透き通る清流に思わず見惚れる。


清流が奏でる爽やかなせせらぎと、初夏の森に響く蝉時雨もまた心地良い。


10時26分 海岸線より転進し内陸へと歩を進める


遥か南の空を仰ぎ見れば、残雪も美しき斜里岳が聳える。


標高1547mを誇る威容と、剱の如き険しき稜線に山岳の神々の領域なるを感じ、
大自然の厳しさを改めて知ると共に、本道に訪れた短き夏の慈愛にも似た印象を受く。







途中、旅行者と思しき数人のライダーと擦れ違う。
互いに大きく手を翳し、名も知らぬ”仲間”と一期一会の邂逅を果たす。

四輪車ではまず考えられぬ事だが、二輪車に乗る者同士の間では
自然と挨拶を交わす習慣が存在する。

此れは誰に教えられた訳でもなく、強要される訳でもなく、
先達から脈々と受け継がれてきた”儀式”である。


互いに素性も知らぬ、二度と逢うことも無いであろう相手に対し、


道中無事であるようにと、佳き旅になるようにと願いを込めた手信号を交わしながら


尚も旅は続く。









其の後は小清水、美幌、北見と駒を進める。

美幌と北見では幾人かの友人を訪ね、暫し談笑す。

楽しき一時は足早に過ぎ去り、北見市内を出帆せる頃には既に陽は傾きはじめていた。

十字路で停車し、ハンドル・バーの右舷側に括り付けた
無蓋の懐中時計に 視線を落とすと、針は5時45分を指している。

しかしながら空はまだ明るく、長く伸びた影の他に日暮れを感じさせるものは見当たらぬ。

初夏の夕暮れ、柔らかな風が冷却フィンを吹き抜ける。







1810 美幌峠の頂に到達す


西の空、太陽は静寂を伴いて地平線に沈みゆく。

遥かに望む北見盆地は乳白色の靄に覆われ、幻想的な表情を見せている。

金色に輝く太陽が、大地を山吹色に染め上げる黎明と黄昏。

万物が眩い光に包まれる、此の僅かな時間帯こそ我が愛馬CBの純正塗色
【キャンディガーネット・ブラウン】がもっとも美しく映ゆる”マジック・アワー”である。


ガーネットとは柘榴石を磨き上げた宝石の名であり、
石言葉として「真実」「忠誠」「勝利」が与えられている。

誕生石にせよ、其れに付随する石言葉にせよ、 商業主義的な性格が色濃い点は
余り好かないのだが、3つの言葉は忠勇なる愛馬CBの本質をしかと表しており、満更でもない。

また、ガーネットは古来より旅人が魔除けの御守として懐に抱き、
無病息災を願い、振り掛かる災厄を払ったと言われている。

石言葉にせよ、御守の伝承にせよ、いずれも取るに足らぬ俗習に過ぎないが、
旅は酔狂、敢えて迷信に惑わされるもまた一興。

また、塗色名に入っているキャンディとは塗装技法を指す。

キャンディ塗装は、メタリック塗料やマイカ塗料と混同されがちであるが異なるものである。
キャンディは塗装技法であり、メタリックやマイカは塗料自体の事を指す。

メタリック塗料とは、塗料に金属片(アルミニウム)を加える事により光彩を持たせたものある。

一方、マイカは金属片のメタリックに対し鉱物片(雲母)で光彩を持たせた塗料である。

それらに対し、キャンディは光を反射するシルバーを下地層に用い、
半透明の塗料を何層にも重ね、透明感と深みを持たせている。

メタリック及びマイカが塗料自体に光源となる金属ないし鉱物片を混ぜ込むことで
光彩を与えているのに対し、キャンディは下地のシルバーを光源とし
クリアの層を透過して光彩を持たせている事が大きく異なる点である。

キャンディ塗装の特筆すべき点は、シルバーの下地とクリア層が織り成す美しい塗膜に加え、
クリアを重ねる回数を変化させる事で色の濃度、塗装膜の厚さを自在に調整可能する事が
可能であり、これを以て様々な表情を持つ塗装を実現出来る事が挙げられる。

キャンディ塗装は、光の加減により様々な表情を見せる事が魅力であり、
光が強くなる払暁と黄昏にそれは顕著に表れる。

太陽の動きに連動するように、研ぎ澄まされた硬質感は次第に変化し、
深い柘榴から、艶やかで透き通るような美しさを湛えた赤味掛かった紅柘榴へと表情は移ろう。

一段と其の深みを増し、全身の至る部位に散り嵌められた銀白色のクロームも
紅柘榴との美しい対比を見せ、互いを際立たせる効果を発揮する。

柔らかな角のとれたティアドロップ(涙滴型)タンクは陽光を受け、
形容しがたい美しさを湛えている。

キャンディガーネット・ブラウンと呼ばれるこの車体色は、
馬の毛色であれば栃栗毛と呼ばれるものであり、それはかのウラヌス号と同じものである。

ウラヌス号こそは、1932年に開催されたロサンゼルス・オリンピック
(第10回オリンピック競技大会)に於いて馬術 大賞典障碍飛越競技で優勝を飾り、
金メダルの栄冠に輝いた帝國陸軍騎兵将校 西竹一中尉(最終階級は大佐)の愛馬である。



ウーラノスとはギリシア語で「天」を意味し、ギリシア神話に於いては
全宇宙を最初に統べた神々の王、大いなる”天空神”とされている。

ウーラノスは、ギリシア神話を再構築したとも云えるローマ神話に於いては「ウラヌス」と呼ばれた。

現代では、太陽系の惑星に於いて3番目の巨躯を誇る天王星の名として知られている。
ウラヌスと云う名はその巨躯と、額に白い星を有していた事に因んでいる。

体高(肩までの高さ)が181cmと非常に大柄で気性も荒く、西大佐以外には乗りこなすことが
出来ない暴れ馬であったが、自由奔放な大佐とウラヌスは忽ちの内に肝膽相照らす仲となった。

西大佐とウラヌスの名を一躍世界に轟かせたのが、
上述したオリンピック大会に於ける活躍である。


1932年(昭和7年/皇紀2529年)8月14日、大会最終日。



16日間に渡る世紀の大会を締めくくる最終競技として、
五輪の華と謳われる馬術 大賞典障碍飛越競技が
10万5千人の大観衆で埋め尽くされたメイン・スタジアムで行なわれた。

西大佐とウラヌスは歩調整斉、貫録に満ちた歩武で次々と障碍を突破。


最大の難関、160cm大障碍に於いてウラヌスは自ら馬体を捩りこれを跳越、
字義通りの”人馬一体”で優勝を勝ち取ったのであった。




愛馬と共に相携えて、栄えある金メダルを手にし表彰台中央に登った西大佐が語った
「We won.」(”我々”は勝った)と云う言葉は、大観衆に感動を与えた。


メイン・ポールに大日章旗が飜り、500人の大バンドが演奏する
日本国歌「君が代」が、満場起立のメイン・スタジアムに響き渡ったのであった。

当時、アメリカでは対日感情が悪化しつつあり、在米同胞らは苦しい思いをしていたが、
西大佐の優勝が彼らをどれほど勇気づけたかは想像に難くない。

また、黄色人種を含む有色人種全体に対する差別が想像を絶する程に過酷であった
当時のアメリカに於いても、五輪の優勝者と云う英雄は一目置かざるを得ぬ存在足り得た。


バロン(男爵)ニシの名が表す通り、西大佐は貴族(華族)と云う上流階級の出身であった事に
加え、175cmの長身、騎兵将校に相応しい長く優美な脚、美形の顏立ち、モダンな髪形、
青年将校文化を代表する華やかな軍服の着こなしはアメリカ人女性をも虜にするものであった。


馬具や鞭、乗馬用ブーツなどは総てフランスはエルメスの特注品で揃え、
軍服も欧州の一流仕立屋で誂えたテイラー・メイドと云う洒落者であった。

流暢な英語を話し、日本人離れした自由奔放・豪放磊落な性格で当時のハリウッドを
代表する銀幕スターたるダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻と親しくなるなど、
社交界に於いてもアメリカの上流階級と伍する堂々たる振る舞いを見せた。

後年、不幸にも西大佐はオリンピックを通じて得たアメリカの素晴らしき友人達と
銃を交えなければならぬことになり、硫黄島の戦いで壮烈なる戦死を遂げた。


祖国の命運を賭した血戦にその身を投じた西大佐は、
最後の瞬間までウラヌスの鬣を肌身離さずにいた。


西大佐が壮烈なる戦死を遂げた1週間後、ウラヌスは後を追うかのように永遠の眠りに就いた。


西大佐がウラヌスや先に逝った戦友、そしてアメリカの友人達と再会を果たした天を仰げば、
女満別空港を離陸した航空機の曳きし一筋の航跡雲が浮かびたる。


半世紀以上前、この大空に美幌航空隊所属の陸攻も同じように航跡雲を曳いた。

今や世界遺産知床の玄関口として多くの旅行者を迎え入れる女満別空港の前身こそは、
北辺の空の鎮めと云う重責を担った海軍美幌第二航空基地である。

航空機が空に残した航跡雲は、やがて薄れ消えゆく。

御聖断より半世紀の間に、価値観をはじめとした多くのものが変わってしまったが、
航跡雲は今もなお、昔日の空に銀翼が曳いたものと何ら変わる事はない。

その銀翼を陽光に染め上げて、ちぎれんばかりの総員帽振れを一身に受け、
轟音高く美幌基地の滑走路を蹴り、征途に就いた多くの搭乗員もまた、
先に逝った仲間が残した航跡雲を追うかのように天空に召された。






【嗚呼 神風特別攻撃隊】



無念の歯嚙み 堪えつつ 待ちに待ちたる 決戦ぞ
今こそ敵を 屠らんと 奮い起ちたる若桜

この一戦に 勝たざれば 祖国の行くて 如何ならん
撃滅せよの 命受けし 神風特別攻撃隊

送るも征くも 今生の 別れと知れど 微笑みて
爆音高く 基地を蹴る ああ神鷲の肉弾行

大義の血潮 雲染めて 必死必中 体当たり
敵艦などて 逃すべき 見よや不滅の大戦果

凱歌は高く 轟けど 今は帰らぬ 丈夫よ
千尋の海に 沈みつつ なおも皇国の護り神

熱涙伝う 顏あげて 勳を偲ぶ 国の民
永久に忘れじ その名こそ 神風特別攻撃隊






空に生き、空を駆け、空に散った勇士らに想いを馳せ、御霊の安らかなるを祈る。


愛する家族を守らんが為に、悠久の大義に命を捧げた先祖の御霊やすらかなるを願い、
靖國に参拝するは、貴い犠牲の上に築かれた平和と繁栄を享受する総ての国民の務めである。

特殊潛航艇によるオーストラリア・シドニー湾攻撃に於いて、戦陣訓に従いて虜囚の辱めを
受ける事なきように自決した我が海軍軍人に対し、敵将たるオーストラリア海軍の
司令官ジェラード・ミュアヘッド=グールド少将は海軍葬をもって丁重に葬った。

忌むべき敵を海軍葬をもって丁重に葬る事に対し、オーストラリアの国民や軍人からは
当然ながら反対の声が上がったが、 少将は弔辞に於いて毅然として訴えた。






私は敵国軍人を海軍葬の礼をもって弔うことに反対する諸君に聞きたい。

勇敢な軍人に対して名誉ある儀礼を尽つくすことが、何故いけないのか。

勇気は一民族の私有物でもなければ伝統でもない。

これら日本の海軍軍人によって示された勇気は誰もが認めるべきであり、
一様に讃えるべきものである。

このような鉄の棺桶に乗って死地に赴くのには相当の勇気が要る。

これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って祖国に捧げるオーストラリア人が、
果たして何人居るであろうか。





弔辞の中で”鉄の棺桶”と形容された艦艇こそが、甲型特殊潜航艇である。


秘匿名称として”甲標的”の名を付与されし、乗員2名のこの小型潜水艦が備える
兵装は攻撃用の魚雷発射管2基と、140kgの爆薬を用いる自爆装置のみである。

航続距離が短く、小型故に外洋航海に適さない特殊潜航艇は巡洋潜水艦に搭載され、
敵泊地に接近したならば、母艦を離れ単独にて敵中深く潜行する。

敵地奧深く肉薄し必中の一撃を放つには、機雷や防潜網といった
障害を突破せねばならず、たとえ攻撃に成功したとしても、
ひとたび位置が露見するや、敵艦が放つ無数の爆雷が頭上に降り注ぐのである。

斯くの如き任務の特性上、特殊潜航艇乗員は常に決死の覚悟を抱きて元より生還を期さず。

攻撃が成功しようとも失敗しようとも十中八九、生還を望めぬであろう任務に勇んで赴き
武人の本懐を遂げんとする鉄の意志と、人事を尽くすも武運拙く進退極まりし時には、
陛下から御預かりした艇を敵手に委ねる事無きように躊躇うことなく自爆し、
艇と運命を共にするその潔さたるや、較ぶべくものあらず。

皇軍の神髄はここに発揮されるのである。
ああ何んたる崇厳!ああ何んたる壮烈!

莞爾として死に赴く皇軍将兵の忠勇は、敵をして感嘆せしめたる。







【大東亜戦争海軍の歌】



見よ檣頭に 思い出の
Z旗高く 飜える
時こそ来れ 令一下

ああ十二月 八日朝
星条旗まず 破れたり
巨艦裂けたり 沈みたり

あの日旅順の 閉塞に
命捧げた 父祖の血を
継いで潜った 真珠湾

ああ一億は みな泣けり
帰らぬ五隻 九柱の
玉と砕けし 軍神

凍る海から 赤道の
南へかけて 波万里
艦旗は競う 制海の

ああ伝統の 海の民
マレー、ジャバ沖 珊瑚海
英蘭今や 影もなし

水漬く屍と 潔く
散りて栄えある 若ざくら
見よ空ゆかば 雲に散る

ああ壮烈の 海の鷲
爆弾抱いて 体当たり
微塵に砕く 敵の艦

進めば遥か インド洋
世紀は讃う 気は澄みて
微笑む南 十字星

ああ大東亜 光さす
無敵の誇り くろがねの
聴け艨艟の 旗の風






勇気は人類共通の至宝にして、崇高なる使命感は
人種も対立をも越え、感嘆と感銘を与える。

戦争にあるのは勝敗のみにして、勝者は正義を意味せず、
敗者は悪を意味するものに非ず。

あらん限りの力を尽くし死闘を繰り広げ、真の勇気というものを示しあった両者の間には、
敵愾心や人種差別を越えた尊敬の念が芽生え得る。

たとえ刀折れ矢弾尽き、力及ばず敗者となったとしても、
最高の勇気を示した者に対しては、自然と畏敬の念が生まれるものである。

これは格闘技の選手が、正々堂々と死力を尽くした試合の後に、
遺恨ではなく友情が芽生える事に似ている。

それは常に闘いから逃げ、強きものに媚び諂い、
勇気や使命感を放棄した者らが決して得る事の叶わぬ”崇高なる共鳴”である。







西の活躍に隠れてしまいがちであるが、共に日本選手団の一員として
ロサンゼルス五輪の 總合馬術競技耐久種目に出場した
城戸俊三騎兵中佐と愛馬久軍号の素晴らしき逸話が伝えられている。

馬術日本代表の主将である城戸中佐は久軍と相携えて難関コースを見事攻略、
期待に違わぬ活躍で歩武を進め、愈々最後の障害を残すのみとなった。

しかし、城戸中佐はゴールを目前にしながら突然下馬したのであった。

上位入賞は確実となった選手が突然棄権した事は大観衆に驚きと疑問を与えたが、
その理由は老齢の久軍が体力の限界に達したからであった。

激しい競技によって、馬齢19歳となる古馬の久軍の体力は
もはや限界に達しており、全身から汗を吹き出し鼻孔は開き切っていた。

それでもなお久軍は前進気勢を見せ、鞭を入れれば障害を越えるべく挑んだであろう。

だが、競技を続行すれば久軍の命に関わると直感した城戸中佐は躊躇うことなく潔く下馬し、
愛馬の鬣を労わる様に撫でながら、静かをメイン・スタジアムを去った。

国家の威信を賭けて送り出されたオリンピック代表主将が、勝利を目前にして
棄権を選ぶに際しては、並々ならぬ重圧があったであろう事は想像に難くない。

容赦ない叱責が自らに浴びせられる事を覚悟の上で、愛馬を救わんとしたのだ。

”競技よりも愛馬の生命を優先した”勇気ある行為は、人種や国家という壁を越えた
感動を呼び、動物愛護の観点から勝者に劣らぬ賞賛を受けた。


「彼は大きな栄光の喝采ではなく、小さな慈悲の声を聞いた」

これは、中佐の勇気ある決断を評した言葉である。


帰国した中佐を待っていたのは棄権に対する非難ではなく、
世界に恥じぬ騎兵精神を発露した事への一億国民の称賛と歓呼であった。


城戸中佐の行動は、近代オリンピックに於いて最も尊ばれる精神を体現していた。

1908年に開催されたロンドン・オリンピックでは、日の沈まぬ国として世界に君臨していた
イギリスと、急速に台頭してきた新興国アメリカの対立が顯在化するに至った。

そのような状況下で、ペンシルヴェニア大主教のエチュルバート・タルボット氏は
次の一言をもって、スポーツ競技の持つ本当の価値を説いた。

「オリンピックで重要なことは、勝利する事よりも、むしろ参加する事であろう」

近代オリンピックの創立者であるピエール・ド・クーベルタン男爵は
この言葉に感銘を受け、晩餐会の席でオリンピック関係者に以下の様に語った。

「勝つことではなく、参加する事に意義があるとは至言である。

人生に於いて重要なことは、成功する事ではなく、努力する事である。

根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戦ったかどうかにある」

闘いは勝者と敗者を生み、それぞれに栄光と屈辱を与える。

だが立ちあがらなかった者は、何も得る事は叶わない。

敗者はかけがえのない様々なものと引き換えに矜持を守り抜くが
立ち上がらなかったものは何もせぬままに矜持だけを喪う。


栄冠を手にした西大佐と、棄権しながらも称賛を浴びた城戸中佐。

二人は等しく勝者であり、矜持に満ちた英雄であった。



父祖らが歴史を刻んだ悠久の大空を遥拝し、愛する日本を偉大ならしめんことを誓う。





【愛国行進曲】



見よ 東海の 空明けて
旭日高く輝けば
天地の正気 溌剌と
希望は躍る 大八洲

おお 晴朗の 朝雲に
聳ゆる富士の 姿こそ
金甌無欠 揺るぎなき
我が日本の 誇なれ

起て 一系の 大君を
光と永久に 戴きて
臣民我等 皆共に
御稜威に副わん 大使命

往け 八紘を 宇となし
四海の人を 導きて
正しき平和 うち建てん
理想は花と 咲き薫る

いま 幾度か 我が上に
試練の嵐 哮るとも
断乎と守れ その正義
進まん道は 一つのみ

ああ 悠遠の 神代より
轟く歩調 うけつぎて
大行進の往く 彼方
皇国つねに 栄えあれ







7時13分 弟子屈

弟子屈のコンビニにて最後の小休止とする。

残照は地平線を花葉色に滲ませ、天は夜の女神ニュクスの足音と共に縹色に染まりゆく。

既に太陽は遥か西の空にその姿を没したが、気温はなお暖かい程である。
漸く涼しくなってきた風が心地良い。

スタンレー製ヘッド・ライトで闇を切り裂き、最終行程の1時間半余を走り抜く。







8時47分 帰投


総走行距離 511km

ヘッド・ライトを消灯し、エンジンを停止させる。

ガレージに格納し、メイン・スタンドを降ろす。
キル・スイッチを作動させ、燃料コックを閉じる。

鍵を抜いた後、一日で511kmという長距離を
片言隻句の不平も漏らさず走り続けた愛馬のタンクをそっと撫で、労いの言葉を掛ける。

熱の残るエンジンは、囁くような静かな音で唄を奏でている。



形容し難き心地良い疲労と充足を胸に抱き、ガレージを出でて家に向かう。

日没から半刻、皐月は一八短夜にして空はまだ明るい。

深い瑠璃紺に染まる薄明の空を仰げば、遥か高くに北斗七星が連なりて、
アルクトゥルスとスピカが描く春の大曲線が星朧に輝いている。

スピカはおとめ坐の首星にして、ギリシア神話に於いては
大地に豊穣を授ける女神デーメーテールが手に携えた麦の穂に喩えられている。

デーメーテールは秋の豊穣と、その後に訪れる荒涼を掌る女神であり、
これが西欧に於ける季節と四季の起源譚となった。

ヘレーネスらによってギリシア神話が創造されたのは、紀元前15世紀頃と考えられている。

遥か古代の人々が、空に浮かぶ星々に想いを馳せた悠遠の神代と変わる事なく、
季節は巡り、冬が訪れ、やがてまた夏が訪れる。


長い冬が終わりを告げたならば、雪解けを迎えた初夏の知床を
愛馬と共に相携えて、今一度訪れたいと願う。


Posted at 2014/01/16 22:36:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | CB750four | クルマ
2014年01月14日 イイね!

鐵馬と共に相携へて 我征かむ初夏の知牀 (正仮名遣ひ)


月日は足早に過ぎ去りて、本道も愈々嚴冬を迎へるに至つた。

夜は日毎に長くなり、天からは雪と云ふ手紙が屆く季節。

身を切るやうな寒さの中、澄み切つた夜空を仰げば、
北斗七星が聯なりて、冬の大三角が煌々と輝いてゐる。

遙か南の空を望めば、忠犬メランポスが今も靜かに主人アクタイオンを待ち續けてゐる。

雪の舞ふ夜、火にあたりつつ旅の寫眞を眺め、過ぎ去りし初夏の日に想ひを馳せる。

龍のやうに南北に延びる我が神州には、多彩な表情を魅せる四季が巡る。

長く嚴しい冬が訪れるからこそ、短くも美しき夏をより一層愛しく思へる。

半年餘前、愛馬CBと相携へて蝉羽月の知牀を驅け拔けた日の事を此處に記す。







一號作戰/知牀半島打通作戰

實施日:皇紀2673年6月12日

搭乘機:ホンダ ドリームCB750four(K-Ⅰ型/皇紀2631年式)

飛行經路:
釧路-中標津-標津-羅臼-知牀横斷道路-宇登呂-斜里-小清水-美幌-北見-美幌峠-弟子屈-釧路

總走行距離:276海里(511粁 )







太平洋の空に、6月12日の曉が訪れる。


耳元で騒々しく唸る、携帶式電波探信儀の起牀喇叭で目を醒ます。

時計の針は0430を指してゐる。

快晴を期待しつつ燈火管制遮光幕を開くが、昨夜の願掛けも虚しく空は灰色に染まりたる。

一面を埋め盡くす鈍色の雲に、陰欝な氣分に爲らざるを得ず。

とは云へ、折角の貴重な休暇を無爲に過ごすなど耐へられる筈も無く、
既定通りに拔錨すべく、天候の好轉を願ひつつ準備を進める。

角食麵麭にベーコンを載せ輕く狐色に成るまでオーブン・トースターで燒き、黄身を
半熟に仕上げた目玉燒きを載せたベーコンエッグ・トーストなどと云ふ高襟な朝食を攝る。

齒を磨き、顏を洗ひ、防寒着を幾重にも着込む。

帝國陸軍騎兵將校 西竹一大佐の愛馬に肖つて”ウラヌス號”と命名せる我が鐵馬は、
前夜の内に總ての準備を濟ませてをり、航空掩體の下で靜かに駐機してゐた。

革張りの鞍に跨り、先づは發動機緊急停止裝置を解除する。

續いて、格納時に「閉」にして置いた燃料辯を「開」の位置に廻す。

冷間時ではあるが、チョーク・レバーは閉ぢた儘で始動を試みる。

キック・レバーに足を掛け、輕く踏み込んでピストンを壓縮上死點に導く。

右足に僅かに力を籠め、キック・レバーの抵抗を慥かめる。

然る後、呼吸を整へ、迷ひを斷ち切るかの如く一氣にキック・レバーを蹴り降ろす。

振り下ろされたキック・レバーの動きは、聯結したギアの廻轉運動へと變換され、
クランク・シャフトを力強く廻し、4つのピストンは勢ひよく撥ね上がる。

點火栓尖端の電極から稻妻が放たれ、京濱製氣化器で生成された混合氣を爆發させる。

心臟に火が燈つた瞬間、鐵馬は4聯排氣管で高らかに嘶いた。

近隣は未だ曉を覺えず、騒音が擴散せぬやうに閉め切つた掩體の中は
轟音が反響し耳を劈き、朦々たる排氣煙が忽ちの内に充滿し堪らず咳込む。

涙で滲む廻轉計を薄目で睨み乍ら、スロットルを少しづつ絞つてゆく。

アイドリング状態で發動機が停止しない程度に暖氣を濟ませると、
直樣に緊急停止裝置を動作させ、航空掩體の觀音扉を開放する。

排氣煙が立ち籠める航空掩體から這ふ這ふの體で飛び出すや否や、
新鮮な外氣を胸一杯に吸ひ込んだ。

一息ついた後、暖氣の濟んだCBを航空掩體から誘導路へと移動させる。
滑走路までタキシングし、輪留めを掛ける。

航空掩體の施錠を確認し、愈々離陸の準備は整つた。

純白のマフラーを卷き、飛行帽の紐を堅く締める。

兩手を高く翳し 「チョーク外せ」

時刻は0510。

曉を見る事は叶はぬ儘、276海里に及ぶ長驅進行に出でる。







何時泣き出すやも知れぬ鉛色の空の下、沈む氣持に鞭を入れ乍ら走る。

紫水晶に染まる空を仰ぎ、僅かな陽の光を見出す。


縋る樣に天候の恢復を期待せるも糠喜びに終はり、
進めば進むほど状況は惡くなる許りであつた。

曇天、濃霧、沿岸、早朝の4重苦に惱まされる。

氣温は11度と辛うじて2桁に踏み止まつてはゐるが、
身を切るやうな走行風に晒され、體感温度は1桁である。


心を支へるは、愛馬の搖るぎなき歩武のみなりし。


行く手には濃霧が立ち籠めてゐる。

纏はりつくやうな霧も、走行時には篠突く雨となんら變はらないものと成る。

風防の外側は雨滴で覆はれ、内側は白い息で曇つてしまひ視界を制限する。

體は芯から冷え、手足の先は強張る。

惡天候と寒さに負けて、折れさうに成る心に喝を入れつつ直走る。



0657 酒保にて休憩

心身共に冷え切り、餘りの寒さに耐へかねて酒保に飛び込む。

暖かい珈琲で暖を取り乍ら、電波探信儀で目的地の天候状況を確認する。
此の時、心底欲してゐた物品は腹卷である。



0724 燃料の補給を實施

漸く辿り着いた中標津の給油所にて、今行程一度目と成る給油を實施。

區間積算距離計は118粁を示し、主燃料槽は未だ半分も消費してゐないが、
長驅遠征に於いては餘裕を持つて早期に給油する事が肝要で在る。

主燃料槽の蓋を開き、航空九一揮發油を注ぎ込む。

重く壓し掛かる鈍色の空を睨み附け乍ら、再び走り出す。

鉛のやうに重くなった體と心に鞭を入れつつ、天候の恢復を唯々切に願ふ許りである。



給油の後、標津へと舳を向け走り續ける。

ハンドルに括り附けた時計の針が0800を指す頃には、
雲の切れ間より射し込む斜光を認むるに至る。

愈々天候は恢復の兆しを見せ、第一の目的地である
羅臼の町に近づくにつれ明るくなる空を見上げ、疲弊した心に希望が湧いてくる。

寒さに打ち拉がれ、途上、何度も反轉を檢討したが、氣の滅入るやうな鈍色の空にも屈せず、
歩武を決して止めなかつた事が此處に至りて遂に實を結んだのであつた。







0821 羅臼町に到着

オホーツク海より流れ來る海霧の隧道を拔けると
其處には雲ひとつ無き快晴が廣がつてゐた。

嗚呼、天は我を見放さず。


泊地を拔錨して以來、隱忍自重3時間餘。
寒風翠雨何するものぞ。

切なる祈祷は暗雲を祓ひて天に通ず。

果たして、天候は一舉に好轉。

今や太陽の恩恵に浴し士氣は益々軒昂、知牀半島打通の意氣盛んなりし。







0900 知牀横斷道路を躍進、此れを打通せんとす

初夏の陽射しを浴び、人馬共に心は彈む。
氣分も躰も發動機も、總てが輕やかである。

氣温も一舉に上昇、つい先刻まで寒風に震へてゐた事が嘘のやうだ。

雨滴を防ぐ爲に終始閉ぢてゐた飛行帽の風防は今や全開である。

一缺けらの雲さへ見當らぬ快晴の下に躍り出て、拂曉以來3時間を掛けて
走破せしめたる根室海峽を振り返ると、見渡す限り雲海で覆はれてゐた。


絨毯の如く敷き詰められた、純白の眞綿を思はせる雲海は誠に美しく、
其の下に薄鈍色の陰欝な情景が廣がつてゐるとは俄かには信じられぬ程である。


曇天の下、3時間に渡り風雨に打たれ骨の髄まで冷え切つたのも、
あの見渡す限りの雲海を眺める爲の對價であつたと想へば、
散々味はつた艱難辛苦も字義通り雲散霧消すると云ふものである。

初夏の澄んだ空氣、柔らかに吹き拔ける海風、陽光を受け輝く新緑。

そして何より、胸に染み入る空の色。

此れに優るものは無いと信じて疑はぬ、至福の一時である。

藍より蒼き大空と、純白の雲海をシネマスコープの大パノラマに一望すれば、
チューブラーベルとグロッケンシュピールの奏でる輕やかな音色が腦裡に浮かび、
四家文子と鳴海信輔の歌聲も高らかに「空の神兵」が響き渡る。









藍より蒼き 大空に

忽ち開く 百千の

眞白き薔薇の花模樣

あゝ純白の 花負ひて

あゝ青雲に 花負ひて

あゝ青雲に 花負ひて






飜りて仰ぎ見るは、標高1660米突の威容を誇る名峰羅臼嶽。


アイヌ達は其の威風堂々たる佇まいにカムイの宿りしを見出し、
和人達は”知牀富士”の異名を奉つた。

新緑芽吹く羅臼嶽は、長く嚴しい冬の終はりを告げるかのやうに
羽衣の如き白く清廉な殘雪を纏つてゐた。

其の美しさたるや、息を呑む許りなり。

稜線の上に廣がる、雲の一片さへ見當らぬ藍より蒼き大空は、
如何なる言葉を以てしても形容し得ざる美しさと神祕性を湛えてゐた。


天を仰げば白藍の空、眼下に見ゆるは月白の雲海、眼前に迫りたるは神々の庭たる知牀聯山。


あゝ、莊嚴なる大自然を前にして我も此處に神を見出さん。



0912 横斷道路の頂、知牀峠に達す


多くの旅人で賑はふ峠の展望臺に駐機、遙かに見ゆる雲海にキャメラを向ける。

風は起こらず浪立たず、柔らかく暖かな陽射しが心地良い。

暫し景色を愉しんだ後、再び鞍に跨りキック・スターターを輕く蹴り降ろす。

其の刹那、知牀の原野に野生馬の嘶きが響き渡る。

左手の指先でクラッチ・レバーを手繰り寄せ、スロットルを掌る右手に僅かな力を籠める。

左足の爪先でギア・ペダルを踏み込み、ニュートラル・ポジションを示す翡翠色の
標示燈が消燈した事を視認し、左手の握力を弱めると同時に右手首を捻る。

右手首の僅かな動きにもスロットルは敏感に反応し、
澱み無く撥ね上がる廻轉計の針の動きへと變換される。

蹴り上げた右足は地を離れ、忽ちにして全身が浮遊感に包まれる。

218瓩と云ふ重量を一切感じさせない輕快さを伴ひつつ、鐵馬は躍動す。

時計のやうに精密と謳はれた4氣筒發動機は澱み無く吹け上がり、
爪先をギア・ペダルに引掛け、足首を僅かに捻ると輕やかに2段ギアへと變速する。

左手の指先でクラッチレバーを握り、右手のスロットルを僅かに緩める --

廻轉計の針がふつと下がる
 爪先でギア・ペダルを彈く
   クラッチ・レバーを解放する
       スロットルに力を籠める

一聯の操作を同時且つ多重的に行ひ、3段ギアへと變速し更に加速する。

今や速度計の針の躍動を阻害する物は存在し得ない。

咆哮と云ふ名の航跡を殘し、鐵馬は大自然の中を驅ける。


ホンダの二輪車は皆、”翼”を有してゐる。

ホンダ・モーターサイクルの象徴たる”ウィング・マーク”である。

CBの其れは、サイド・カバーに輝く赤いダイヤの中に埋め込まれてゐる。


ギリシア神話の勝利の女神ニーケー、ローマ神話に於けるウィクトーリアの神祕的な姿を象つた
紋章には、二輪の最高峰に挑み、勝利を掴み、世界に羽撃かんとする決意が籠められてゐる。

狂人の夢想に過ぎないと嗤われた其の大理想は、今や現實と成つた。

此の翼には、創業者たる本田宗一郎氏の飛行機への憧憬が籠められてをり、
空への憧れを抱く總ての者の爲に”其れ”は在る。


羅臼から知牀峠までは急カーブが連續する難所であつたが、
下りは直線が續く走り易い經路であつた。


手綱を執つて輕快に、舞降る、舞降る。

あゝ純白の花負ひて、天降る、天降る。







知牀横斷道路を打通し、知牀半島の北岸に出でる。

0936 北岸の町、宇登呂に達す


ウトロ嵜を見晴らす展望臺に翼を休め、暫し憩ふ。


朝凪の海には、旅情を誘ふ觀光船が白い航跡を曳きつつ行き交つてゐる。


殘雪に冬の香を感じた知牀峠とは一轉、
北岸には一面を新緑に彩られた初夏の爽やかな景色が廣がつてゐた。

心地良い風を受け乍ら、國道334號線を快調に流す。
右舷側には空と海の美しい藍が廣がり、左舷側では眩い許りの緑が眼を愉しませて呉れる。


遙かに望む水平線に交はる空の蒼と海の藍、其のいづれもが美しい。


穩やかな風に乘り、海と森から屆く”潮”と”若葉”の香りに包まれる。



0948に三段の瀧を、




續く0951にはオシンコシンの瀧を仰ぐ。

オシンコシンの瀧は、知牀八景のひとつに數えられると共に、
其の名を日本百名瀑に連ねる風光明媚な瀧である。


落差80米突・瀧巾30米突の威容を誇る斯の瀧は、チャラッセナイ川を源流とし
切り立つた岩盤を流れる分岐瀑である事から、雙美の瀧の異名でも呼ばれる。

内地の人には聞きなれぬであらふ”オシンコシン”と云ふ名は、
アイヌ語で「川下にエゾマツが群生する場所」を意味する 「オ・シュンク・ウシ」の轉訛である。

空の蒼、海の藍、森の緑、そして絹絲の如き瀧の白。
樣々な色が調和し、人工物では決して表現し得ぬ美しさを魅せる。

絹絲を思はせる美しく柔らかな流れと、硝子のやうに透き通る清流に思はず見蕩れる。


清流が奏でる爽やかなせせらぎと、初夏の森に響く蝉時雨もまた心地良い。


1026 海岸線より轉進し内陸へと歩を進める


遙か南の空を仰ぎ見れば、殘雪も美しき斜里嶽が聳える。


標高1547米突を誇る威容と、劍の如き險しき稜線に山嶽の神々の領域なるを感じ、
大自然の嚴しさを改めて知ると共に、本道に訪れた短き夏の慈愛にも似た印象を受く。







途中、旅行者と思しき數人の騎馬と擦れ違ふ。
互ひに大きく手を翳し、名も知らぬ”仲間”と一期一會の邂逅を果たす。

四輪車では先づ考へられぬ事だが、二輪車に乘る者同士の間では
自然と挨拶を交はす習慣が存在する。

此れは誰に教へられた譯でもなく、強要される譯でもなく、
先達から脈々と受け繼がれてきた”儀式”である。


互ひに素性も知らぬ、二度と逢ふことも無いであらふ相手に對し、


道中無事であるやうにと、佳き旅に成るやうにと願ひを込めた手信號を交はし乍ら


尚も旅は續く。









其の後は小清水、美幌、北見と駒を進める。

美幌と北見では幾人かの友人を訪ね、暫し談笑す。

樂しき一時は足早に過ぎ去り、北見市内を出帆せる頃には既に陽は傾きはじめてゐた。

十字路で停車し、ハンドル・バーの右舷側に括り附けた
無蓋の懐中時計に 視線を落とすと、針は1745を指してゐる。

然し乍ら空は未だ明るく、長く伸びた影の他に日暮れを感じさせるものは見當たらぬ。

初夏の夕暮れ、柔らかな風が冷却フィンを吹き拔ける。







1810 美幌峠の頂に到達す


西の空、太陽は靜寂を伴ひて地平線に沈みゆく。

遙かに望む北見盆地は乳白色の靄に覆はれ、幻想的な表情を見せてゐる。

金色に輝く太陽が、大地を山吹色に染め上げる黎明と黄昏。

萬物が眩い光に包まれる、此の僅かな時間帶こそ我が愛馬CBの純正塗色
【キャンディガーネット・ブラウン】が尤も美しく映ゆる”マジック・アワー”である。


ガーネットとは柘榴石を磨き上げた寶石の名であり、
石言葉として「眞實」「忠誠」「勝利」が與へられてゐる。

誕生石にせよ、其れに附隨する石言葉にせよ、 商業主義的な性格が色濃い點は
餘り好かないのだが、3つの言葉は忠勇なる愛馬CBの本質を聢と表してをり、滿更でもない。

また、ガーネットは古來より旅人が魔除けの御守として懐に抱き、
無病息災を願ひ、振り掛かる災厄を拂つたと言はれてゐる。

石言葉にせよ、御守の傳承にせよ、いづれも取るに足らぬ俗習に過ぎないが、
旅は醉狂、敢へて迷信に惑はされるもまた一興。

また、塗色名に入つてゐるキャンディとは塗裝技法を指す。

キャンディ塗裝は、メタリック塗料やマイカ塗料と混同されがちであるが異なるものである。
キャンディは塗裝技法であり、メタリックやマイカは塗料自體の事を指す。

メタリック塗料とは、塗料に金屬片(アルミニウム)を加へる事により光彩を持たせたものある。

一方、マイカは金屬片のメタリックに對し鑛物片(雲母)で光彩を持たせた塗料である。

其れらに對し、キャンディは光を反射するシルバーを下地層に用ゐ、
半透明の塗料を何層にも重ね、透明感と深みを持たせてゐる。

メタリック及びマイカが塗料自體に光源と成る金屬乃至鑛物片を混ぜ込むことで
光彩を與へてゐるのに對し、キャンディは下地のシルバーを光源とし
クリアの層を透過して光彩を持たせてゐる事が大きく異なる點である。

キャンディ塗裝の特筆すべき點は、シルバーの下地とクリア層が織り成す美しい塗膜に加へ、
クリアを重ねる囘數を變化させる事で色の濃度、塗裝膜の厚さを自在に調整可能する事が
可能であり、此れを以て樣々な表情を持つ塗裝を實現出來る事が舉げられる。

キャンディ塗裝は、光の加減に依り樣々な表情を見せる事が魅力であり、
光が強くなる拂曉と黄昏に其れは顯著に表れる。

太陽の動きに聯動するやうに、研ぎ澄まされた硬質感は次第に變化し、
深い柘榴から、艷やかで透き通るやうな美しさを湛えた赤味掛かつた紅柘榴へと表情は移らう。

一段と其の深みを増し、全身の至る部位に散り嵌められた銀白色のクロームも
紅柘榴との美しい對比を見せ、互ひを際立たせる效果を發揮する。

柔らかな角のとれた涙滴型燃料槽は陽光を受け、形容しが度い美しさを湛えてゐる。

キャンディガーネット・ブラウンと呼ばれる此の車體色は、
馬の毛色であれば栃栗毛と呼ばれるものであり、其れはかのウラヌス號と同じものである。

ウラヌス號こそは、1932年に開催されたロサンゼルス・オリムピツク
(第10囘オリムピツク競技大會)に於いて馬術 大賞典障碍飛越競技で優勝を飾り、
金メダルの榮冠に輝いた帝國陸軍騎兵將校 西竹一中尉(戰死後、大佐に特進)の愛馬である。



ウーラノスとはギリシア語で「天」を意味し、ギリシア神話に於いては
全宇宙を最初に統べた神々の王、大いなる”天空神”とされてゐる。

ウーラノスは、ギリシア神話を再構築したとも云へるローマ神話に於いては「ウラヌス」と呼ばれた。

現代では、太陽系の惑星に於いて3番目の巨躯を誇る天王星の名として知られてゐる。
ウラヌスと云ふ名は其の巨躯と、額に白い星を有してゐた事に因んでゐる。

體高(肩までの高さ)が181糎と非常に大柄で氣性も荒く、西大佐以外には乘りこなすことが
出來ない暴れ馬であつたが、自由奔放な大佐とウラヌスは忽ちの内に肝膽相照らす仲と成つた。

西大佐とウラヌスの名を一躍世界に轟かせたのが、
上述したオリムピツク大會に於ける活躍である。


1932年(昭和7年/皇紀2529年)8月14日、大會最終日。



16日間に渡る世紀の大會を締めくくる最終競技として、
五輪の華と謳はれる馬術 大賞典障碍飛越競技が
10萬5千人の大觀衆で埋め盡くされたメーン・スタジアムで行なはれた。

西大佐とウラヌスは歩調整齊、貫録に滿ちた歩武で次々と障碍を突破。


最大の難關、160糎大障碍に於いてウラヌスは自ら馬體を捩り此れを跳越、
字義通りの”人馬一體”で優勝を勝ち取つたのであつた。




愛馬と共に相携へて、榮えある金メダルを手にし表彰臺中央に登つた西大佐が語つた
「We won.」(”我々”は勝つた)と云ふ言葉は、大觀衆に感動を與へた。


メーン・ポールに大日章旗が飜り、500人の大バンドが演奏する
日本國歌「君が代」が、滿場起立のメーン・スタジアムに響き渡つたのであつた。

當時、米國では對日感情が惡化しつつあり、在米同胞らは苦しい思ひをしてゐたが、
西大佐の優勝が彼らをどれほど勇氣づけたかは想像に難くない。

また、黄色人種を含む有色人種全體に對する差別が想像を絶する程に過酷であつた
當時の米國に於いても、五輪の優勝者と云ふ英雄は一目置かざるを得ぬ存在足り得た。


バロン(男爵)ニシの名が表す通り、西大佐は貴族(華族)と云ふ上流階級の出身であつた事に
加へ、175糎の長身、騎兵將校に相応しい長く優美な脚、美形の顏立ち、モダーンな髮形、
青年將校文化を代表する華やかな軍服の着こなしは亞米利加人女性をも虜にするものであつた。


馬具や鞭、乘馬用ブーツなどは總て佛蘭西はエルメスの特注品で揃へ、
軍服も歐州の一流仕立屋で誂へたテイラー・メイドと云ふ洒落者であつた。

流暢な英語を話し、日本人離れした自由奔放・豪放磊落な性格で當時のハリウッドを
代表する銀幕スターたるダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻と親しくなるなど、
社交界に於いても米國の上流階級と伍する堂々たる振る舞ひを見せた。

後年、不幸にも西大佐はオリムピツクを通じて得た亞米利加の素晴らしき友人達と
銃を交へなければならぬことに成り、硫黄島の戰ひで壯烈なる戰死を遂げた。


祖國の命運を賭した血戰に其の身を投じた西大佐は、
最後の瞬間までウラヌスの鬣を肌身離さずにゐた。


西大佐が壯烈なる戰死を遂げた1週間後、ウラヌスは後を追ふかのやうに永遠の眠りに就いた。


西大佐が、ウラヌスや先に逝つた戰友、そして米國の友人達と再會を果たした天を仰げば、
女滿別空港を離陸した航空機の曳きし一筋の航跡雲が浮かびたる。


半世紀以上前、此の大空に美幌航空隊所屬の陸攻も同じやうに航跡雲を曳いた。

今や世界遺産知牀の玄關口として多くの旅行者を迎へ入れる女滿別空港の前身こそは、
北邊の空の鎭めと云ふ重責を擔つた海軍美幌第二航空基地である。

航空機が空に殘した航跡雲は、やがて薄れ消えゆく。

御聖斷より半世紀の間に、價値觀をはじめとした多くのものが變はつてしまつたが、
航跡雲は今もなほ、昔日の空に銀翼が曳いたものと何ら變はる事はない。

其の銀翼を陽光に染め上げて、千切れん許りの總員帽振れを一身に受け、
轟音高く美幌基地の滑走路を蹴り、征途に就いた多くの搭乘員もまた、
先に逝つた仲間が殘した航跡雲を追ふかのやうに天空に召された。






【嗚呼 神風特別攻撃隊】



無念の齒嚙み 堪へつつ 待ちに待ちたる 決戰ぞ
今こそ敵を 屠らんと 奮ひ起ちたる若櫻

此の一戰に 勝たざれば 祖國の行くて 如何ならん
撃滅せよの 命受けし 神風特別攻撃隊

送るも征くも 今生の 別れと知れど 微笑みて
爆音高く 基地を蹴る あゝ神鷲の肉彈行

大義の血潮 雲染めて 必死必中 體當たり
敵艦などて 逃すべき 見よや不滅の大戰果

凱歌は高く 轟けど 今は歸らぬ 丈夫よ
千尋の海に 沈みつつ なほも皇國の護り神

熱涙傳ふ 顏あげて 勳を偲ぶ 國の民
永久に忘れじ 其の名こそ 神風特別攻撃隊






空に生き、空を驅け、空に散つた勇士らに想ひを馳せ、御靈の安らかなるを祈る。


愛する家族を守らんが爲に、悠久の大義に命を捧げた先祖の御靈やすらかなるを願ひ、
靖國に參拜するは、貴い犠牲の上に築かれた平和と繁榮を享受する總ての臣民の務めである。

特殊潛航艇によるオーストラリア・シドニー灣攻撃に於いて、戰陣訓に從ひて虜囚の辱めを
受ける事なきやうに自決した我が海軍軍人に對し、敵將たるオーストラリア海軍の
司令官ジェラード・ミュアヘッド=グールド少將は海軍葬を以て鄭重に葬つた。

忌むべき敵を海軍葬をもつて鄭重に葬る事に對し、オーストラリアの國民や軍人からは
當然乍ら反對の聲が上がつたが、 少將は弔辭に於いて毅然として訴へた。






私は敵國軍人を海軍葬の禮をもつて弔ふことに反對する諸君に聞き度い。

勇敢な軍人に對して名譽ある儀禮を盡くすことが、何故いけないのか。

勇氣は一民族の私有物でもなければ傳統でもない。

此れら日本の海軍軍人によつて示された勇氣は誰もが認めるべきであり、
一樣に讃へるべきものである。

此のやうな鐵の棺桶に乘つて死地に赴くのには相當の勇氣が要る。

此れら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持つて祖國に捧げるオーストラリア人が、
果たして何人居るであらふか。





弔辭の中で”鐵の棺桶”と形容された艦艇こそが、甲型特殊潛航艇である。


祕匿名稱として”甲標的”の名を附與されし、乘員2名の此の小型潛水艦が備へる
兵裝は攻撃用の魚雷發射管2基と、140瓩の爆藥を用ゐる自爆裝置のみである。

航續距離が短く、小型故に外洋航海に適さない特殊潛航艇は巡洋潛水艦に搭載され、
敵泊地に接近したならば、母艦を離れ單獨にて敵中深く潛行する。

敵地奧深く肉薄し必中の一撃を放つには、機雷や防潛網と云つた
障碍を突破せねばならず、たとへ攻撃に成功せるとも、
ひとたび位置が露見するや、敵艦が放つ無數の爆雷が頭上に降り注ぐのである。

斯くの如き任務の特性上、特殊潛航艇乘員は常に決死の覺悟を抱きて元より生還を期さず。

攻撃が成功しようとも失敗しようとも十中八九、生還を望めぬであらう任務に勇んで赴き
武人の本懐を遂げんとする鐵の意志と、人事を盡くすも武運拙く進退維谷極まりし秋には、
陛下から御預かりした艇を敵手に委ねる事無きやうに躊躇ふことなく自爆し、
艇と運命を共にする其の潔さたるや、較ぶべくものあらず。

皇軍の神髄はこゝに發揮されるのである。
あ々何んたる崇嚴!あ々何んたる壯烈!

莞爾として死に赴く皇軍將兵の忠勇は、敵をして感歎せしめたる。







【大東亞戰爭海軍の歌】



見よ檣頭に 思ひ出の
Z旗高く 飜へる
時こそ來れ 令一下

あゝ十二月 八日朝
星條旗まづ 破れたり
巨艦裂けたり 沈みたり

あの日旅順の 閉塞に
命捧げた 父祖の血を
繼いで潛つた 眞珠灣

あゝ一億は みな泣けり
歸らぬ五隻 九柱の
玉と碎けし 軍神

凍る海から 赤道の
南へかけて 波萬里
艦旗は競ふ 制海の

あゝ傳統の 海の民
マレー、ジャバ沖 珊瑚海
英蘭今や 影もなし

水漬く屍と 潔く
散りて榮えある 若ざくら
見よ空ゆかば 雲に散る

あゝ壯烈の 海の鷲
爆彈抱いて 體當り
微塵に碎く 敵の艦

進めば遙か 印度洋
世紀は讃う 氣は澄みて
微笑む南 十字星

あゝ大東亞 光さす
無敵の誇り くろがねの
聽け艨艟の 旗の風






勇氣は人類共通の至寶にして、崇高なる使命感は
人種も對立をも越え、感歎と感銘を與ふる。

戰爭にあるのは勝敗のみにして、勝者は正義を意味せず、
敗者は惡を意味するものに非ず。

あらん限りの力を盡くし死鬪を繰り廣げ、眞の勇氣と云ふものを示しあつた兩者の間には、
敵愾心や人種差別を越えた尊敬の念が芽生え得る。

たとへ刀折れ矢彈盡き、力及ばず敗者と成つたとしても、
最高の勇氣を示した者に對しては、自然と畏敬の念が生まれるものである。

此れは挌鬪技の選手が、正々堂々と死力を盡くした試合の後に、
遺恨ではなく友情が芽生える事に似てゐる。

其れは常に鬪ひから逃げ、強きものに媚び諂い、
勇氣や使命感を抛棄した者らが決して得る事の叶はぬ”崇高なる共鳴”である。







西の活躍に隱れてしまひがちであるが、共に日本選手團の一員として
ロサンゼルス五輪の 綜合馬術競技耐久種目に出場した
城戸俊三騎兵中佐と愛馬久軍號の素晴らしき逸話が傳へられてゐる。

馬術日本代表の主將である城戸中佐は久軍と相携へて難關コースを見事攻略、
期待に違はぬ活躍で歩武を進め、愈々最後の障碍を殘すのみと成つた。

然し、城戸中佐は決勝線を目前にし乍ら突然下馬したのであつた。

上位入賞は確實と成つた選手が突然棄權した事は大觀衆に驚きと疑問を與へたが、
其の理由は老齢の久軍が體力の限界に達したからであつた。

激しい競技によつて、馬齢19歳と成る古馬の久軍の體力は
最早限界に達してをり、全身から汗を吹き出し鼻孔は開き切つてゐた。

其れでもなほ久軍は前進氣勢を見せ、鞭を入れれば障碍を越えるべく挑んだであらふ。

だが、競技を續行すれば久軍の命に係ると直感した城戸中佐は躊躇ふことなく潔く下馬し、
愛馬の鬣を勞はるやうに撫で乍ら、靜かにメーン・スタジアムを去つた。

國家の威信を賭けて送り出されたオリムピツク代表主將が、捷利を目前にして
棄權を選ぶに際しては、竝々ならぬ重壓があつたであらふ事は想像に難くない。

容赦ない叱責が自らに浴びせられる事を覺悟の上で、愛馬を救はんとしたのだ。

”競技よりも愛馬の生命を優先した”勇氣ある行爲は、人種や國家と云ふ壁を越えた
感動を呼び、動物愛護の觀點から勝者に劣らぬ賞賛を受けた。


「彼は大きな榮光の喝采ではなく、小さな慈悲の聲を聞いた」

此れは、中佐の勇氣ある決斷を評した言葉である。


歸國した中佐を待つてゐたのは棄權に對する非難ではなく、
世界に恥ぢぬ騎兵精神を發露した事への一億國民の稱賛と歡呼であつた。


城戸中佐の行動は、近代オリムピツクに於いて尤も尊ばれる精神を體現してゐた。

1908年に開催されたロンドン・オリムピツクでは、日の沈まぬ國として世界に君臨してゐた
大英帝國と、急速に臺頭してきた新興國亞米利加の對立が顯在化するに至つた。

其のやうな状況下で、ペンシルヴェニア大主教のエチュルバート・タルボット氏は
次の一言を以て、スポーツ競技の持つ本當の價値を説いた。

「オリムピツクで重要なことは、勝利する事よりも、寧ろ參加する事であらふ」

近代オリムピツクの創立者であるピエール・ド・クーベルタン男爵は
此の言葉に感銘を受け、晩餐會の席でオリムピツク關係者に以下のやうに語つた。

「勝つことではなく、參加する事に意義があるとは至言である。

人生に於て重要なことは、成功する事ではなく、努力する事である。

根本的なことは、征服したかどうかにあるのではなく、よく戰つたかどうかにある」

鬪ひは勝者と敗者を生み、其れぞれに榮光と屈辱を與へる。

だが立ちあがらなかつた者は、何も得る事は叶はない。

敗者はかけがえのない樣々なものと引き換えに矜持を守り拔くが
立ち上がらなかつたものは何もせぬままに矜持だけを喪ふ。


榮冠を手にした西大佐と、棄權し乍らも稱賛を浴びた城戸中佐。

二人は等しく勝者であり、矜持に滿ちた英雄であつた。



父祖らが歴史を刻んだ悠久の大空を遙拜し、愛する日本を偉大ならしめんことを誓ふ。





【愛國行進曲】



見よ 東海の 空明けて
旭日高く輝けば
天地の正氣 溌剌と
希望は躍る 大八洲

おゝ 晴朗の 朝雲に
聳ゆる富士の 姿こそ
金甌無缺 搖るぎなき
我が日本の 誇なれ

起て 一系の 大君を
光と永久に戴きて
臣民我等 皆共に
御稜威に副はん 大使命

往け 八紘を 宇となし
四海の人を 導きて
正しき平和 うち建てん
理想は花と 咲き薫る

いま 幾度か 我が上に
試練の嵐 哮るとも
斷乎と守れ 其の正義
進まん道は 一つのみ

あゝ 悠遠の 神代より
轟く歩調 うけつぎて
大行進の往く 彼方
皇國つねに 榮えあれ







1913 弟子屈

弟子屈の酒保にて最後の小休止とする。

殘照は地平線を花葉色に滲ませ、天は夜の女神ニュクスの足音と共に縹色に染まりゆく。

既に太陽は遙か西の空に其の姿を沒したが、氣温はなほ暖かい程である。
漸く涼しくなつてきた風が心地良い。

96式150糎探照燈で闇を切り裂き、最終行程の1時間半餘を走り拔く。







2047 歸投

總走行距離 511粁

探照燈照射を中止し、發動機を停止させる。

掩體に格納し、引込式主脚を降ろす。
發動機緊急停止器を作動させ、燃料辯を閉ぢる。

鍵を拔いた後、一日で276海里と云ふ長距離を
片言隻句の不平も漏らさず走り續けた愛馬のタンクをそつと撫で、勞ひの言葉を掛ける。

熱の殘る發動機は、囁くやうな靜かな音で唄を奏でてゐる。



形容し難き心地良い疲勞と充足を胸に抱き、掩體を出でてピストに向かふ。

日沒から半刻、皐月は一八短夜にして空は未だ明るい。

深い瑠璃紺に染まる薄明の空を仰げば、遙か高くに北斗七星が聯なりて、
アルクトゥルスとスピカが描く春の大曲線が星朧に輝いてゐる。

スピカはをとめ坐の首星にして、ギリシア神話に於いては
大地に豐穣を授ける女神デーメーテールが手に携へた麥の穗に喩へられてゐる。

デーメーテールは秋の豐穣と、其の後に訪れる荒涼を掌る女神であり、
此れが西歐に於ける季節と四季の起源譚と成つた。

ヘレーネスらによつてギリシア神話が創造されたのは、紀元前15世紀頃と考へられてゐる。

遙か古代の人々が、空に浮かぶ星々に想ひを馳せた悠遠の神代と變はる事なく、
季節は巡り、冬が訪れ、やがてまた夏が訪れる。


長い冬が終はりを告げたならば、雪解けを迎へた初夏の知牀を
愛馬と共に相携へて、今一度訪れ度いと願ふ。



Posted at 2014/01/14 23:55:36 | コメント(6) | トラックバック(0) | CB750four | クルマ
2013年07月10日 イイね!

バイクに乗る理由



ふと、自分が”バイクに乗る理由”は何なんだろう、と思うことがある。


バイクに乗った経験の無い人から「バイクって気持ちよさそうだよね」と言われても、
素直に「気持ちいいよ」とは答えられない。

「バイクに乗ってみたい」と言われても、薦めようという気はとても起きない。





バイクなんざ所詮は原始的な乗り物であって、快適性の面では4輪車には到底敵わない。

雨にも負ける、風にも負ける、夏の暑さにも秋の寒さにも負ける。

風を切って走る姿は傍から見れば爽快だが、走行風で眼は乾くわ、
顔面に虫はぶつかるわ、大型トラックの黒煙を浴びるわで案外爽快じゃなかったりする。

2人しか乗れず、荷物を積む際にはきちんと縛着しなければならない。
コンビニで買った、ちょっとした手荷物さえ邪魔になる。

燃費は車種によりマチマチで、スポーツモデルは大抵悪い。
4輪車と比してタンクが小さいので、長距離走行の際には給油を頻繁に行う必要がある。

車体を支えるのはたった2本のか細いタイヤで、バランスを崩すことが即転倒に繋りかねない。

エンジンの振動で手は痺れ、尻は痛くなり、体は凝り固まる。

事故となれば身を護るものは一切無く、車や路面に叩き付けられる。

雨の日は最悪。
視界は制限され、体は濡れて芯から冷え、指や足の動きは渋くなる。
服も靴も濡れ、店に入るのも躊躇する。

真夏は朝方でもガッチリと防寒着を着込まなければとても耐えられないが、
昼間になっても防寒着なんぞ着ていたら、熱中症と脱水症状で倒れてしまう。
脱いだ革ジャンは、いちいち車体に縛り付けなけりゃならない。

照り付ける灼熱の太陽、下半身を焦がすエンジンの熱、陽炎立つアスファルト。
ちょうど顔に吹き付ける高さの、大型トラックのサイドマフラーから排出される黒煙。

一転、身を切る寒さの秋。
手足は悴み、吐く息はヘルメットの風防を曇らせる。

等々・・・

以上に書き連ねた通り、バイクって乗り物はロクなコトが無いのだ。

ただ、これらの問題は街中や近距離だけ乗るのなら発生しないし、
天気の良い日中だけ乗るのであればバイクは快適で楽しい乗り物と言える。

それでも、多くの人は4輪車の購入や結婚を機にバイクを降りる。

燃費が良いから通勤用に原付が欲しいという人も多いが、
雪の降る北海道では実質半年しか乗れないし、雨の日は4輪に乗りたくなるのが当然だ。

結局のところバイクってモノは実用性が低く、趣味としても不便やリスクが大きいのだ。

じゃあなんでバイクに乗ってるのか?と聞かれると、明確な答えを返すことは出来ない。


理屈じゃない、としか言い様が無いのだ。


雲ひとつ見当たらない快晴が広がる明け方。

太陽が天に冲し、降り注ぐ陽の光が輝く正午。

見上げれば満天の星空が広がる深夜。


スロットルを緩やかに開き回転を上げ、加速する。

次第に外界の雑音は遮断され、聴こえるは風の音のみ。


この瞬間の感覚こそが、自分がバイクに乗る理由に他ならない。


あらゆる面倒事はバックミラーの中、遥か彼方に消え去り、
現実から切り取られたような浮遊感で満たされる。

例え直前まで雨に降られていても、太陽の恩恵に預かることが出来たならば、
それまでの苦痛や我慢は風と共に雲散霧消する。

上掲したあらゆるデメリットは、この瞬間にロストする。


16歳でバイクに乗り始めて以来11年が過ぎたが、降りようなどと考えたことは一度とて無い。

吹雪の日勝峠をRZで越えたこともある。
エンストしたフェーザーを家まで押して帰ったこともある。
豪雨の中をCBで突っ切ったこともある。

携帯は圏外、民家も数十キロ先という深夜の山中でトラブったこともあった。

過ぎてしまえば、すべて笑い話になる。





7月7日、七夕の夜。

S先輩からトライアンフを修理しているので遊びに来ないかと
連絡があったので、ふたつ返事で了解し仕事が終わると直ぐに家を出でた。

アルタイルとベガの為に晴れ渡った夜空の下を愛馬CBと共に駆ける。

タコメーターの針と共に上昇する、形容し難い高揚感が身を包む。

ボニーの修理には3時間以上を要した。
S先輩はすべての作業を自分の手で行う。

深夜0時、日付が変わると共に修理が完了。
早速、試運転に飛び出す。

明日は2人とも朝早くから仕事だが、燻ぶったまま帰るという選択肢は在り得ない。
年に数日しか無いような暖かな夜だった。

CBのヘッドライトは先行するボニーのスポークを照らし、磨き上げられたクロームが眩く輝く。

雷鳴の如きエキゾースト・ノートを伴ってマフラーから吐き出される
大排気量バーチカルツインの風圧が大気を震わせる。

オイルと排気ガスが仄かに薫る。

存分に走り廻った後、マックでコーヒーを呑みながら一息入れる。
バイクやクルマ談義で盛り上がり、気が付けばもう2時30分。

今の時間帯は深夜と云うべきか、早朝と云うべきか。

名残惜しくも解散し、家に着いた頃には3時になっていた。

帰り際、東の空を見ると既に明るくなり始めていた。

いっそこのまま総てを投げ出して走り続けたい。
そんな思いが強くなる。
岬まで走って、日の出を眺めたい。

あぁ、今日が休みだったらなんて良かっただろう。

夜通し走り続けた後に残ったのは、オイルの匂いと心地良い疲労感。

そして”やっぱりバイクって良いモンだな”と改めて思う。

何かを好きになるのに理由は不要だし、その感情は理屈じゃない。


































Posted at 2013/07/10 23:08:58 | コメント(7) | トラックバック(0) | CB750four | クルマ
2013年03月28日 イイね!

今シーズンに向けた準備(CB編)



3月も残すところあと3日・・・。

主要國道は完全な乾燥状態となり、路地裏の雪もかなり溶けてきました。

夜はまだまだ冷え込みますが、天気の良い日の昼間はかなり暖かいです。

っと言うことで、いよいよ本格的なバイクの季節です!

北海道の一般的なバイク乗りは、5月のGW頃から乗り始めるのですが
なにせバイクに適したシーズンが短いですから、そこまで待っていられません。

今年は例年よりやや遅い、3月中頃より準備に取り掛かりました。

3月15日・・・除雪の雪で埋もれたコンテナの中で、半年間冷凍しておいたCBを救出して解凍。

自然の冷凍庫でキンキンに冷やしておいたCB、乗り頃です。


各摺動部にCRCを注油、昨年新調したドライブ・チェーンにチェーン・ルブを塗付。
タイヤとシートにワックスを掛け、車体をグラスコートで磨いて・・・また格納。

3月24日・・・トラ乗りの先輩にケーブル類の交換作業をお願いする。

昨年の9月14日、市内を夜走りしている際にスロットル・ケーブルが断線。

先輩のアクティでドナドナされるCB


闇矢屋さんからスロットル・ケーブルを取る際に、そのうち切れるであろう
クラッチ・ケーブルとタコメーター・ケーブルも一緒に購入しておきました。

スピードメーター・ケーブルは昨年の夏の奥尻島ツーリングの際に断線して
交換していたので、これで総てのケーブルが新品に更新されました。

各ケーブルには、事前にエンジン・オイルを通しておきました。

経年劣化で破損したキックペダル・ゴムと
フューエルタンク・リヤクッションも新品に交換してもらいました。

3月25日・・・エンジン・オイルを交換して、エンジン初始動。

ホームセンターでエンジン・オイルを調達し、交換。

ドレン・ボルトを緩めると、コールタールのようなドス黒いオイルが飛び出し、
オイル受けの皿を華麗にスルーして、周囲は真っ黒な廃油の海に・・・。

これを片付けるのが大変だった・・・。

オイル交換(それ自体よりも片付けに大半の時間を割かれたが)を終えて、エンジンを始動!

・・・と思いきや、キーをオンにしてもワーニング・ランプが点かない。

ヒューズを付けたり外したりを繰り返していると、キーを廻す度に「ジッ」という
音がするようになり、無事にワーニング・ランプも点燈。

どうやら接触不良だった模様。

キル・スイッチをオンの位置にし、チョーク・レバーを一杯に開き、燃料コックが開いていることを確認。
何度かキック・アームをじわ~っと踏み降ろし、アクセルを少しだけ開いた状態でキックを蹴り降ろす!

轟音を響かせて、OHC・736cc・67馬力のCB750E型エンジンは半年振りに目覚めました。
エンジンは快調、交換してもらったケーブルのレスポンスも良好。

さっそく試運転に出掛けたが・・・

重い。

明らかに何か引っ掛かりを感じる。

すぐに戻って、エンジンを停止しCBを押すと・・・めちゃくちゃ重い!!

もしかしてブレーキ引き摺ってるか?と思い迂闊にも素手でディスクを触る。
そしたら超あっちぃ!!指先をヤケドする羽目に(マヌケすぎる)

その日の夜、キャリパー分解にトライするもブリーダーがハンパじゃないくらい固着してる。
このままでは壊しかねないと思い、諦めて主治医に助けを求めることに。

3月26日・・・主治医に電話し、オーバーホールをお願いする。

キャリパーを外して、万力に挟んで慎重に固着したブリーダーを緩めてもらう。
ピストンやパッド、シールはまだ新しいので清掃の上、ラバーグリスを塗付して再組み付けしてもらう。

その日の夕方にはオーバーホールを終らせ、CBに組み付けてもらう。
主治医は仕事が早くて、丁寧で、なおかつ安いという有難いお方です。

3月27日・・・朝から雲一つない好天に恵まれ、最高の条件の下で試運転に出掛ける。

8時20分に出発。

あまりの天気の良さに、郊外まで足を延ばそうかと一瞬思ったものの、
寒くてとてもじゃないが無理だと思い直し、市内をテキトーに走ることに。

オーバーホールしてもらったブレーキの具合を確認しつつ走行。

いくら陽が射していても、走っていればさすがに寒い。
手や顔は走行風で冷やされ、痛いくらい。
それでも、空冷エンジンには寒いくらいが丁度良いと言い聞かせながら我慢しました。

信号待ちの時には、ヘッドに手を当てて暖をとる。

7-11でコーヒー休憩を入れたりしつつ、アテもなくブラブラ走っていると・・・

いすゞニューパワー除雪車


いきなりこんな希少車と出くわしました。
サビが酷いですが、3桁ナンバー+車検付の実働車です。

通称「ゴリラ顔」ですが、除雪車なのでライトが上方に移設されており、
本来ライトが備わる位置がコンシールド・ヘッドライトみたいになっててカッコいいです。

年式的にもそうそう見掛けないクルマだけに、発見した時は嬉しかったです。

プラッと寄った釧路港には、こんな船が停泊していました。

海上保安庁 ヘリコプター搭載大型巡視船「そうや」(PLH01)


船体後部のヘリコプター格納庫と航空作業甲板


武装として、ボフォースL/60 40mm機関砲を船首に搭載。
帝國海軍駆逐艦を彷彿とさせる、威圧感に満ちたブリッジが特徴。

全長98.60mに達する巨躯を誇るり、これは帝國海軍の松型駆逐艦に匹敵する。

北方での警戒・救助任務に備え、流氷を砕きながらの航行が可能な
砕氷能力を有する船首形状を与えられている。

海上保安庁巡視船「そうや」は、帝國海軍特務艦「宗谷」の名と砕氷能力を引き継いでいる。





昼前まで走り、家に帰ったあとは少し寝ました。

目が覚めると、もう3時過ぎ。
まだ日が暮れるまで時間があるし、もったいないのでまた走りに出掛けました。

4時に出発して、またアテもなく走り出すと・・・

まさかの2台目


朝に希少車を見つけたと喜んでいたニューパワーですが、連続で同型車を発見しました。
しかもこっちもボロボロながらナンバー付きの実働車。

ニューパワーSS・V10のトラック・クレーン架装車です。
キャブ正面の無数の傷は「働くクルマ」の勲章です。

こんな発見がありつつ、今シーズン最初のツーリングは朝と夕方あわせて70km程度を走りました。

さぁ、今年はどれくらい乗れるかな?
Posted at 2013/03/28 22:16:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | CB750four | クルマ

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