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2012年04月04日 イイね!

其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --⑤--

本項は「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --④-- 」の続編です。

-●S6系グロリアの年度別生産台数--

・1967年度 国内:17867台 輸出:493台

1967年4月15日にフルモデル・チェンジ、1月から3月までは先代S4系が販売されている。
また、モデルチェンジ後もS4系の在庫車輛が販売・登録されている。

心情的なものもあってか、プリンスのセールスマンの中にはS4系からS6系への
買い替えを検討する顧客に対し、新型車のS6系”ニッサン・グロリア”よりも
S4系”プリンス・グロリア”を薦める者もいたという証言が残っている。
もちろん、単純な在庫処理としてのS4系の販売もあったものと思われる。

輸出台数は1965年に1220台、1966年に1015台(66年8月合併)と
年間1000台を超えるS4系が外貨獲得の重責を担い海外へと旅立っていったが
S6系では500台以下と大きく減ぜられた。

これは、輸出の主力をセドリックやブルーバードといった「嫡流」の日産車を
中心としたい日産首脳部の意向が働いた為と思われる。

・1968年度 国内:25239台 輸出:417台

1968年、日本の自動車生産台数は高度経済成長とそれに伴うモータリゼーションの
発展によって、アメリカに次ぐ世界第2位に躍進した。
終戰から僅か23年という、驚異的なスピードでの大記録であった。

グロリアも前年から7千台以上も販売台数を伸ばし、2万5千の大台を超えるに至った。

・1969年度 国内:15093台 輸出:250台

好調だった1968年の反動か、1968年10月/1969年10月と2度のマイナーチェンジを
実施したにも関わらず、販売台数は1万5千台余に留まっている。

フロントのクロームの使用量を控え、煌びやかさを抑えた2型のデザインに対する
評価が芳しくなかった可能性もある。

プリンスのもう一枚の看板であるスカイラインは、S7系にフルモデル・チェンジした
1968年に55206台、1969年に92416台と年々積み増してゆき、1970年には119593台と
遂に10万の大台を超え、極めて好調だったこととは対照的である。

価格、車格が違うので単純な比較は出来ないが、プリンス自販が発行した
セールスマン向け社内報から推測すると、スカイラインの販売促進に注力した為に
グロリアの販売が低調になったものと思われる。

輸出は1967年の500台余、1968年の400台余から大きく減じて250台となった。
これはマイナーチェンジを機に販売地域を絞ったものと思われる。

これは合併前にプリンスが独自に進出し、グロリアを販売していた地域でも
順次セドリックに置き換えられていったことによる販売減であった。
この為、現在海外で残存している輸出仕様のS6系はその殆どが1型となっている。

・1970年度 国内:18744台 輸出:155台

1969年10月のマイナーチェンジで、エンジンがG7型からL20A型に換装され
2バレル仕様であっても4バレル仕様であっても、一律105psとされていた出力表示もようやく
是正され、競合他社に見劣りしないもの(2バレル・115ps/4バレル・125ps)となった成果も
あってか、販売台数は1万8千台に回復した。

その一方で、輸出は遂に155台まで絞られた。

S7系スカイラインに於いても、競合する日産車の販売優位性を保つ目的で
高性能仕様の投入は許されなかった。

S54の時代から引き継がれ、サーキットに於ける連戰連勝によって当時の國産車中随一の
スポーツ・イメージを持っていたスカイラインに、価格・性格ともに別格である
イメージ・リーダーたるGT-R(PGC10/KPGC10)以外の高性能仕様がラインナップ
されなかったのは、明らかに不自然であった。

日本自動車技術会賞技術賞を受賞した先進的エンジン、G型4気筒搭載車にも
レース・シーンのイメージを投影したGT系にも、ツイン・キャブなどの
ハイ・パフォーマンス仕様は設定されなかったのである。

2000GT(GC10)に、高性能なツイン・キャブ仕様(GT-X)が追加されたのは
デビューから3年も経った1971年9月であり、既にC10系はモデル末期であった。

ここにも日産側の圧力が垣間見える。

逆に日産側は、日産の看板スポーツカーであるフェアレディZ用に日産独力では
開発し得なかった高性能なGT-R(PGC10)用S20型エンジンを供給することを求めた。

プリンス側はこれに対し強い不快感を示し、ハンドメイド工程も多く「ムラ」があった
S20型エンジンの内、「ハズレ」と判断されたものを日産側に供給したと云われている。

また、日産側には複雑で繊細なS20型エンジンの整備を完璧に行なえるメカニックが殆どおらず
一般ユーザーの所有するフェアレディZ432/432R(PS30)の整備には
ツーリング・カーを担当する、大森ワークスへの持ち込みが求められるという状況であった。

これがプリンス系エンジンと日産系車体の組み合わせは相性が悪い、と云われる原因となった。

後にもシルビアなどでも問題となるが、機械的なバランス以上に
日産側経営陣の強引な手法によって惹起された、両者の対立が影を落としたものであった。

・1971年度 国内:23187台 輸出:1台

1971年2月でS6系の販売は終了、1971年度の販売台数には230系も含められていると思われる。

最期の輸出はたった1台と、1000台を超えた往時の栄光が嘘の様な晩年であった。
なお、S7系スカイラインの1971年度輸出台数は3404台となっている。

上掲のデータから、S6系グロリアは1967年4月から1971年1月までの3年と10ヶ月の期間に
概ね78000台程度が生産され、内1300台余が輸出されたものと推測される。

S4系の生産台数は、1962年から1966年までの5年間で86000台余であった。
ただしこれは生産台数であり、登録台数とは一致しないと思われる。
S4系では大量の不良在庫が発生し、モータープールを埋め尽くす程となっていた。
これらの在庫車の多くはスクラップにされたと言われている。

また、S4系の輸出台数は3000台余であった。

-●輸出について--

國際ビルヂングを背景にした、左ハンドルのPLA30-U(1型)カタログ表紙


S6系のカタログや広告には、発展する日本の象徴として日本初の36階建て超高層ビルの
霞が関ビルディング(1968年4月落成)や、1966年9月に新生した帝國劇場などの
大型建築物を背景として客演させることが多く行われた。

グロリアの輸出は、1961年に2台のBLSIP系が試験的に海外に送り込まれたのが最初であった。
プリンスの輸出の主力はスカイラインであり、1961年/563台、1962年/794台、1963年/828台と
順調に増加していったのに対し、グロリアは1962年/6台、1963年/35台と極少数に留まっていた。

1963年6月20日、海外の道路事情にも適した余裕あるG7型6気筒エンジンが投入されると
グロリアの輸出も拡大され、1964年/718台、1965年/1220台と好調に推移していった。

海外向けの企業広告、掲載車種から1963年9月~1964年3月の間に制作されたものである


写真自体は國内向けの流用であり、輸出されなかったスカイライン・スポーツも掲載されている。
これはラクシュリー・クーペやコンバーティブルといった華やかな車種を生産しているという
実績を示すことにより、プリンスの企業イメージ向上を図る為に掲載されたものと思われる。

しかし1966年8月1日には日産と合併、1966年度の輸出台数は1015台と減少した。
合併が行われた8月以降、輸出台数が大きく絞られたことによる影響と思われる。

合併後、プリンスが独自に切り開いた海外での販売ルートも日産が取り込み
販売車種もセドリックに取って代わられ、グロリアの輸出は一気に500台未満に絞られた。

プリンスの主な輸出先は、北米・東南アジア・オーストラリア/ニュージーランド・欧州であった。

1967年4月~68年10月頃の輸出地向け広告


PLA30-U(1型)の紹介をメインに、上部には日産の輸出モデル各種が掲載されている。

B10サニー(セダン/バン)、410ブルーバード、130セドリック、310フェアレディ、
520ダットサン・トラック、240キャブオール、60パトロール、240エコー、680トラック、
UDバスのシルエットが並んでいる。

合併間もない時期の為S6系のみ「NISSAN GLORIA」となっており、スカイライン及びマイラーは
PMC(プリンス・モーター・コーポレーション)の姓を名乗っている(後にNISSANに改称)。
A150はスカイライン1500デラックス(S50DE)、T440は2代目マイラーの輸出仕様名称である。

オランダ向け輸出カタログよりS5系スカイライン、合併後であるがPMCブランドで販売されていた


帝國劇場を背景にしたPLA30-U、サイド・ウィンドウに採用された曲面ガラスをアピールしている


PA30-D用のリヤ・グリルは装着されず、A30-Sと同じシンプルなリヤビューとなっている。
PA30-Dではリヤ・フェンダーに備わるエンブレムが、フロント・フェンダーに移設されている。

ニュージーランド向け広告、DATSUN1300とNISSAN GLORIA


410ブルーバードとPA30-Uが並んでおり、それぞれ「DATSUN」「NISSAN」の
ブランド名を冠していることに注目。
両車ともにアウトサイド・ミラーが無いことにより、スリークなシルエットとなっている。

一瞬、現地(NZ)で撮影されたかのように見える写真だが、後ろの観光船のサイドには
「熱海」と書いてあるので國内撮影と思われる。

同じく410ブルーバードとPA30-Uの広告


掲載されている車輌は上掲の個体と同一と思われる。
グロリアのキャッチコピーの「splendid」とは、華麗なる、輝かしい、立派という意味を持つ。

現存するS6系輸出モデルの大半は、1967年4月から1968年10月まで生産された1型であり
68年10月以降の2型及び3型については、積極的な輸出が行われなかった。
上述の通り、日産がセドリックの輸出・販売に重点を置いた為と思われる。

静粛性を追求したS6系らしく「静かなるもの」というヘッドラインも誇らしげな1型の広告


1型の輸出名称は「NISSAN GLORIA」で、型式はPA30-U/PLA30-Uとなる。
PはG7型6気筒搭載車、Uは輸出仕様、Lは左ハンドルを意味している。

PLA30-U(1型)左ハンドル車、ラジオ・時計・ヒーターを完備、フェンダー・ミラーはオプション


助手席側セカンダリー・ベンチレーターが省略されている点に注目。
ラジオ・アンテナの位置は、左ハンドル車であっても右ハンドル仕様と同じ左側となる。
國内仕様よりも明るい色調の内装に留意。

NZで現存するPA30-U(1型)


強い陽射しを遮るフロント・バイザーが、如何にも当地らしい装備。
グリルはA30-S用、ウィール・キャップはPA30-D/QM用の組み合わせとなっている。

右のミラーは非純正の後付品だが、左側にはミラー取り付け用の孔を隠す為の蓋が
確認できることから、新車時にオプションのフェンダー・ミラーを装着していたものと思われる。

ワゴンは「NISSAN GLORIA Estate」の名称となり、型式はWPA30-U/WPLA30-Uとなる。
Wはワゴンを意味し、エステートの名称はW41A(グロリア6エステート)から継承したものである。

エンジンはG7型6気筒を搭載するが、國内仕様と違い105ps仕様となっている点が特徴。

WPLA30-Uのカタログ写真、左ハンドルであっても開閉式サイド・ウィンドウは左側のままである


國内仕様のカタログは機能の紹介を中心としたビジネスライクなものだが、輸出仕様では
猟犬と猟銃が登場し、ハンティングを楽しむ為のレジャービークル的な性格が強調されている。

なお、廉価版であるH20型4気筒搭載車は輸出されなかったものと推測される。

上級仕様は「NISSAN GLORIA DELUXE」を名乗り、型式はPA30-UQ/PLA30-UQとなった。
末尾のQは国内仕様と同じく、豪華仕様を意味している。

これには、ドアサッシュ・クロームフィニッシャーやサイドシル・モール、ボンネット・マスコット、
新型ウィールキャップなど、PA30-QM(2型)に概ね準じる装備が奢られていた。

従来通りのモデルは「NISSAN GLORIA STANDARD」と呼称された。
型式は変更なくPA30-U/PLA30-Uのままであった。

スタンダードを名乗っているが、国内仕様のA30-Sと異なりG7型6気筒を搭載している点に留意。
外観の装飾はPA30-DとA30-Sの中間程度となり、内装類に関してはシートはPA30-D用、
ドア・トリムがA30-S用とされるなど、国内仕様とは違う組み合わせの艤装が施されている。

ただし、輸出地によって複数の名称が使い分けられていた為「DELUXE」「STANDARD」が
付かない場合もあった。

WPLA30-U(2型)ワイパー位置に注目


左ハンドルであることが良くわかる一枚


希少な3型のカタログ写真、型式はおそらくHLA30-UQと推測される


3型の輸出仕様に関しては、この1枚以外の資料を見たことが無い為殆ど不明である。
スリット入りバンパー、Cピラーのエア・アウトレット兼用エンブレムが3型の特徴となる。

興味深いのは、背景に写るインストゥルメント・パネルが1/2型用であることだろう。
3型は逆スラント形状に改められたが、これは明らかにスラントした1/2型用である。
ドア内張りのパターンは3型用なので、写真の選択ミスではない。
ダッシュボードの形状変更をせずに、旧型を継続して採用したのであろう。

この時期には既に輸出台数も絞られていた為、コストを抑える意図があったのではないだろうか。

5ナンバー・フルサイズという、海外では比較的コンパクトに分類される
車格を考慮して、基本装備は廉価グレードに準ずるものが選ばれている。
ヒーター、ラジオ、ウィンドウ・ウォッシャーなどの各種快適装備に関しては
オプションで用意する方式を採っている。

輸出先は熱帯から寒帯まで幅広く、気象・道路環境も全く異なるので
それぞれの地域に適した装備を選択してもらう形式がベストであったと思われる。

外装に関しては、ウィール・キャップやホワイトリボン・タイヤなどを奢ることによって
効果的に豪華な雰囲気を演出している。

高速走行/長距離連続走行の多い海外の道路事情にあわせて、高圧縮比の
G7H型6気筒105psエンジンが選ばれており、4気筒エンジンの設定は無かった。

アベレージの高い道路環境に対応すべく、フロント・ディスクブレーキやパワー・ブレーキ、
タンデム・マスターシリンダーを標準装備とし、充分な制動力を確保している。

ディスク・ブレーキや大容量ラジエーターなどで、厳しい環境に対応できることをアピールしている


ボディ・カラーは明るいイメージの白が多く、カタログ写真にも白が選択されている。
内装色も、國内向けよりも鮮やかな色調の赤が選ばれた。

國内仕様よりも鮮やかな赤の内装色が、清廉な白い車体色を際立たせている


三角窓がクランク・ハンドル式ではないことや、アームレストが省略されているなど
海外での車格にあわせて、随所に変更が見られる。

オリジナル・ペイントと思われるPA30-U(1型)の右ハンドル車


國内仕様にはない、派手目な赤の塗色が鮮烈な印象を与える。
他車種流用が盛んな、フロントの住友ダンロップMK63ディスク・ブレーキは取り外されている。

上掲したNZの現存車と同じ純正色と思われる、鮮やかなペパーミント・グリーンの個体


当時の日本に於いては、ましてやこの車格では考えられないポップなカラーである。

4枚羽根のクーリング・ファンや、当地のライセンス・プレートが見えるレストア・ベースの個体


グリルが欠落している為、1型か2型かは判断できないがドアサッシュ・クロームフィニッシャーが
装着されていないことから、PA30-UQ(DELUXE)ではなくPA30-Uと推測される。

このブルーの塗色も、おそらくはオリジナル・ペイントと思われる。

1300台余しか生産されなかったS6系の輸出モデルの残存率は低く
年式的には古くとも、3000台余が輸出されたS4系の方が数多く残存している。
また、S6系輸出モデルの殆どがまとまった台数の出た1型に集中している。

現在、僅かな数のS6系輸出仕様車が日本國内に里帰りを果たしている。

-●S6系グロリアは130セドリックの兄弟車?--

多くの文献で「3代目グロリアは、デザインが違うだけのセドリックの兄弟車になった」との
表記を目にするが、これは完全な間違いである。

DATSUN2000Wagon(130セドリック輸出仕様)左ハンドル車


この説の根拠として頻繁に挙げられるのが、以下の3点である。

・日産との合併により、コスト削減を目的に部品共有化が進められたこと
・グロリアの特徴であったド・ディオン・アクスルが、セドリックと同じ形式(リーフリジッド)となったこと
・ウィールベースの数値が同じ(2690mm)であること

しかしながら既知の通り、グロリアがセドリックの兄弟車となったのは
1971年2月の230系以降からである。

S6系の開発は1962年秋に始まっており、1966年8月の合併前には既に完成していた。
石橋会長をはじめとしたプリンス首脳部を招いての、社内向け完成車お披露目会も行われている。
部品共有化や車名の変更は、合併後に行われたものである。

特に、ウィールベースがまったく同じ数値であることから
同一のシャシーに別のボデイを被せたと思われがちである。

しかしWB2690mmという数値は、当時の5ナンバー・フルサイズに於ける限界値であり
クラウンが1962年に、セドリックが1965年に採用して以来、その数値は
両車ともに1983年まで変ることがなかった、いわば各社共通の上限値であった。

日産との合併に伴い部品共有化の指示が下るも、既に完成していた設計を大幅に変更する事は
難しく、既に新型(G15系)に切り替わることが決定していたプリンス製G2型を、日産製H20型に
置き換えるといった、一部の部品共通化に留まったに過ぎない。

G15型は新型4気筒として開発が進められていたが、日本グランプリ対策でエンジニアを
総動員しており、完成が1967年8月までずれこんだ為4月デビューのS6系には間に合わなかった。

S6系より遅れて1968年8月1日にデビューしたS7系スカイラインも、大部分の設計が
合併前に完了しており、部品共有化は難しかった。
共有化の簡単な部分として、まずはボルト・ナットを日産製に変更するのがやっとであった。

10月に追加された、4輪独立懸架機構を持つ(4気筒車は後輪リジッド)
スカイライン2000GT(GC10)と、同じく4輪独立懸架の510ブルーバードの
リヤ・サスペンションの共通化も、形式は同じながら双方独自の設計であり
共有化されたのはブッシュ類などの小物に留まっている。

その後、生産ラインの整理・排ガス対策への注力を目的に、プリンス製G7型エンジンが生産中止。
1969年10月、日産製L20A型に換装されたがこれは部品共有化ではなく完全な整理統合であった。

エンジンが日産製となった事を以て「名実ともに日産車となった」との表記も見掛けるが
多少の設計変更程度では、優れた基本設計と込められた「魂」たるプリンス・スピリットは
厳として揺るがず、HA30系グロリアもまた紛れもない荻窪産まれ、村山育ちの
血統書付き高級車であり続けた。

グロリアがセドリックの兄弟車となったのは、1971年2月23日以降の230系からであり
S6系グロリアはその生涯の最期の瞬間まで、誇り高き純然たるプリンス車であった。

-●皇室御料車「プリンス・ロイヤル」との関係性--

「プリンス・ロイヤルはグロリアをベースに作られた」

もしくは逆に

「グロリアはプリンス・ロイヤルをベースに作られた」

との表記を時折目にするが、これは正しくない。

日産の海外向け広報誌に掲載されたプリンス・ロイヤル


後方にHA30が見えるので、1969~1971年頃と思われる。
プリンス・ロイヤルは7台が建造され、宮内庁と外務省に納入された他に
1台が緊急時の補用車として日産で保管された。
この個体はその補用車であると思われる。

「アジアで唯一のリムジン」と説明されているが、プリンス・ロイヤルのデビューと同じ
1965年には、中華人民共和国で紅旗(ホンギ)CA770型リムジンが登場している。
情報統制を行なっていた共産圏の自動車事情は、余り知られていなかったものと思われる。

紅旗CA770型


紅旗は、クレムリンの政治委員達を乗せる為だけに作られたソヴィエトのZilを基礎としていた。
Zil自体も旧世代の米車パッカードのデッドコピーであり、紅旗はさらなるデッドコピーと云える
ものに過ぎす、トランスミッションも旧態化を隠せない2速ATであった。

紅旗がプリンス・ロイヤルを上回っている点は防弾性能であり、陛下のお乗りになられるお車で
あってもリヤ・ウィンドウの投石対策程度で済む治安の良い日本と、常に独裁体制への
不満分子を抱え、暗殺への対策を講じなければならない國情の違いが鮮明に表れている。

プリンス・ロイヤル(S390-1)は1963年頃から開発が始まり、戰前から蓄積された
中島飛行機以来の高度な技術と、プリンス・セダンに始まる1952年3月7日以来の
高級車造りのノウハウによって、驚異的なスピードを以て1965年7月に第一号車が完成した。

この陰には、昼夜を分かたずに開発に没頭した技術陣の血の滲むような努力があった。

当時、プリンス技術陣は日本グランプリ対策に忙殺されており、皇室御料車の開発に
あたったのは乗用車設計班ではなく商用車設計班であった。
3.2トンにも及ぶ重量の皇室御料車のシャシー開発には、トラックでの経験が存分に生かされた。
完全なハンドメイド車であった、スカイライン・スポーツの製造経験も随所に生かされた。

開発は先(1962年秋)に始まっていたものの、完成はS390-1より後(1967年春)となったS6系の
デザインは「S390-1と並んで違和感の無いように」と、共通したデザインを採用することに決定。

これに関しては、陛下のお乗りになられる御料車と、一般ユーザーが所有することとなる
グロリアのデザインが似通っていても問題ないかを宮内庁に問い合わせ、了承を得ている。

プリンス・ロイヤルは、1965年10月22日に東京プリンス・ホテルにて華々しく発表された。
合併後の1967年2月25日に第一号車が納車され、1972年までに7台が就役した。
7台の内訳は、宮内庁4台、外務省2台(後に1台が宮内省管轄に移管)、日産の補用1台であった。

共通したデザインを採用したS390-1とS6系であったが、5ナンバー・フルサイズ車である
グロリアと、全長6155mm・全幅2100mm・全高1770mmの巨躯を誇る
プリンス・ロイヤルは総てに於いて別物であった。
規格品であるシールドビーム・ヘッドライト以外の、フェンダーやグリルに共通性はない。

シャシーやエンジンをはじめ、S6系グロリアとプリンス・ロイヤルは完全な別設計であった。

内装に於いては三角窓のクランク・ハンドル、インサイド・ドアハンドル、ルームミラーのステー、
時計の外筐などがS4系グロリアと共通と思われるが、時計のムーブメントは静粛な特注品であった。

トランスミッションもS4/S6系に採用されたBW-35ではなく、GM製スーパータービン400であった。

BW-35は3000cc程度の中型車用汎用ATであり、プリンス・ロイヤルの為に開発された
W64型V8・6373ccの大排気量に対応できるキャパシティは持ち合わせていなかった。

スーパータービン400はキャディラックやビュイックに採用されていたもので、7000cc級エンジンにも
対応できる容量を持った大型車用ATであり、プリンスは梁瀬次郎氏を介してGMより購入した。

S6系は華美さや威圧感を持たない為、スノッブ・タイプ(気取り屋)の人間からの評価は芳しくない。
彼らが求める、いわゆる「押し出し」や「派手さ」に欠けるというのである。

躍動感に満ちたS4系が「動」ならば、S6系は「静」と表現できる、端正で静謐な雰囲気を湛えている。
皇室御料車と同じ血統を持ち、供奉車として車列を編成するという重責を任ぜられた
歴史的背景を鑑みた時、その落ち着いたデザインの趣旨が明快に理解できるというものであろう。

國民の歓声に応えて、プリンス・ロイヤルの窓からお手を振られる天皇陛下のお姿



-◆終幕--

1971年2月22日、初春。

寒桜 静かに咲き始める頃、暖かな春の訪れを待たずして荻窪の桜散りゆく。



民族の存亡を賭した、永きに渡る戰いに終止符を打ちたる御聖断を仰ぎ日より
過ぎること四半世紀の春であった。

1945年8月15日、真夏の太陽が照り付ける焼野原の中。
茫然自失の日本國民を再び奮い立たせしめたるは、昭和天皇の終戰の詔書であった。


”宜しく擧國一家子孫相伝え、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念い

総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏くし、誓て國体の精華を発揚し

世界の進運に後れざらむことを期すべし”

(現代語解説)

”これからは國を挙げて、子孫を残し、日本が決して滅ばないという確信を持たねばならない

その責任は重く、道は遠いが、総力を将来の建設に傾けねばならない

人道と正義を重んじ、強固な精神を保たねばならない

そうすれば、日本の誇りを高く掲げつつ、世界の進歩について行くことができるであろう”


一面の焼野原から立ち上がり、臥薪嘗胆の想いを胸に秘め、艱難辛苦に打ち耐えた1940年代。
明日は今日よりもきっと良くなると信じて疑わずに、我武者羅に働いた1950年代。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫、マイカー・・・夢に見た豊かさが現実となった1960年代。

日本は高度経済成長を成し遂げ奇跡の復活を果たし、國際的な信頼も回復し
短期間の内に、世界の一等國の地位を取り戻すまでに躍進した。

その一方、高度成長の反動が齎した公害、薬害が表面化し”豊かなる時代”は
熱狂の中に見た、幻影の如き砂上の楼閣ではないかとの不安が過ぎる。

1970年代に入ると化学万能論、消費は美徳といった価値観は綻びを見せ始めた。

暗雲迫る”次の時代”を嫌うかのように、プリンス・グロリアは3代11年に渡る歴史に幕を降ろした。

それは単なるひとつの車種の生産終了のみに留まらず、1917年創設の中島飛行機以来の
伝統を誇るプリンス自動車の終焉をも意味していた。

1962年9月に落成した、鉄筋コンクリート地上8階・地下1階建ての堂々たるプリンス自販本社ビル


中島飛行機時代は一式戰「隼」や四式戰「疾風」に代表される、優秀なる戰斗機を開発・生産し
欧米列強と熾烈なる死斗を繰り広げ、その能力を限りない大空というこれ以上ない檜舞台で示せり

胴に描きし撃墜マークも誇らしげに、蒼空を背に本土防空の死鬪に挑む二式単戰「鐘馗」(キ44)


戰後は平和産業へと転換、高度な技術を新しいステージで遺憾無く発揮して見せた。
そして戰前と変わることなく國家、皇室への御奉公に心血を注いで努めた。

1952年3月7日、皇太子殿下の立太子礼を祝し決定した車名「プリンス」を発表

1959年2月、皇太子殿下の御成婚を記念し”皇太子の栄光”プリンス・グロリアを発表

1967年2月25日、純國産貴賓用リムジンたる皇室御料車「プリンス・ロイヤル」献納

何台ものプリンス車が皇室に献納され、やがては御料車を開発するまでに至った。

特に、車好きであらせられた皇太子殿下には職人の手により
特別に仕立て上げた計9台もの歴代プリンス車をお納めした。

殿下自ら國産各車をお調べになり、優れた審美眼でお選びになられた最初の1台、プリンス・セダン。

1954年の夏、納車されたばかりのプリンスを背にした皇太子殿下と妹君の清宮貴子内親王


殿下の御要望により、シックで品のある特別色のモスグリーンに塗装された初代スカイラインは
市販車に先行し、法改正以前に既に1900ccエンジンを搭載した特別車であった。

殿下の御成婚を奉祝し命名、献納した戦後初の大型高級乗用車・初代グロリア。

夏の軽井沢を颯爽と駆け抜けたイタリアン・デザインのクルーザー、
スカイライン・スポーツ・コンバーティブル。

國際水準の総合性能を獲得するに至ったS4系グロリア・デラックス、スーパー6、グランド・グロリア。

特に、グランド・グロリアは「カスタムビルド」という特別仕立てのハンドメイド・モデルが献納された。

後席にお座りになられる皇太子妃殿下の為にWBを150mm延長し、乗降性を向上。
このお車には「モーニングコーヒーにミルクを一滴垂らした瞬間の色」という、殿下の機微なる
御要望にお応えした、品のある艶やかなメタリック塗色が施された。

しかし、激動の時代の中でプリンスと皇室の蜜月の日々もやがて薄れゆく。

1966年8月1日、1945年のあの日と同じように蝉時雨鳴り響く暑い夏に
プリンス自動車は吸収・合併という形で歴史の表舞台から静かに去りぬ。

皇室にお仕えするプリンス車も、月日の経過と共に1台、また1台と皇居を去っていった。

そんな中、御料車プリンス・ロイヤルは40年余の長きに渡りて皇室にお仕えした。

平成元年2月24日、激動の昭和に終わりを告げる大喪の礼に於いては
まるで天が泣いているかのような悲しみの雨降りしきる中、哀の極の奏楽も厳かに
昭和天皇の霊柩をお乗せする轜車として、その大任を仰せつかった。


1999年、日産は事実上の経営破綻に追い込まれ、外國企業であるフランス・ルノーの軍門に下る。

カルロス・ゴーンによる大リストラでは、”外様”のプリンス系が真っ先に首を切られた。
プリンスが社運を賭して建設した村山工場は閉鎖され、中島飛行機以来の伝統を誇る
宇宙航空部門もIHIに売却されるに至り、遂に中島飛行機/プリンス自動車の残滓は消え去った。

1962年10月16日に第一期工事が完了した、最新鋭設備を誇る村山工場艤装ラインの在りし日の姿


純國産であることが求められる御料車もまた、トヨタ製へと置き換えられた。
それとて、完全な特別車であったプリンス・ロイヤルに対し
市販車であるセンチュリーの拡大版に過ぎず。


戰前より一貫して、國家と皇室にお仕えした中島飛行機/プリンス自動車。

その消滅から既に半世紀が経過した。

「プリンス」「グロリア」

今や、その名を記憶に留めるもの僅かなりし。

それでもなお


君が代は

千代に八千代に

さざれ石の

巌となりて

苔のむすまで


國歌「君が代」にあるように、連綿と続く我が國の歴史は絶えることなく永久にして
燦然と輝く皇室の御威光を戴きて、悠久の大義に生きたプリンスの名もまた深く石に刻まれむ。

鶴は千年の時を生きるという。
瑞鶴の紋章を冠するグロリアもまた、千代に渡りて麗しき其の輝きを失うことは無きものと確信せる。



(完)


-●参考文献--

・プリンス 日本の自動車史に偉大な足跡を残したメーカー 当摩節夫氏著 三樹書房刊
・スカイライン 羊の皮を被った狼たち 元村郁朗氏著 三樹書房刊
・プリンス自動車の光芒 桂木洋二氏著 グランプリ出版刊
・「プリンス」荻窪の思い出-Ⅱ 荻友会著 丸星株式会社刊
・プリンスグロリアスーパー6 取扱説明書 プリンス自動車工業株式会社発行/プリンスクラフト制作
・oldtimer 八重洲出版刊
・天皇の御料車 小林彰太郎氏著 二玄社刊
・自動車アーカイブ①、⑤ 二玄社刊
・世界の自動車35 戦後の日本車-1 二玄社刊
・日本車検索大図鑑2 ニッサン/プリンス 二玄社刊
・ノスタルジックヒーロー 芸文社
・インターネット上の各種サイト様
Posted at 2012/04/04 20:35:07 | コメント(6) | トラックバック(0) | S6系グロリア(タテグロ) | クルマ
2012年03月31日 イイね!

其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --④--

本項は「  其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --③--  」の続編です。

-◆S6系グロリアの変遷(1969年10月以降)--

-●1969年10月(2度目のイヤー・チェンジ)--

”人生の晴れの日にふさわしい、あたらしいグロリア”

1969年10月、前回から丁度1年を経て2度目のマイナー・チェンジが実施された。
6気筒エンジンの換装(G7型→L20A型)を主とした、ビッグ・マイナーチェンジであった。

2度目のフェイス・リフトではグリル・パターンが縦フィンとなり、精悍さと端正さが増した

グリルとバンパーの間に挟まるパネルを、クローム仕上げでは無くシルバーの塗装とすることで
アクセントを加え、単調にならないように考慮されている。

前後のデザインが大きく変更され、インストゥルメント・パネルを中心に内装も一新された。
エンジン換装に伴い、6気筒車の型式も「”P”A-30」から「”H”A-30」へと変更された。

エンジン出力の向上に加え、従来は2バレル・キャブレターでも4バレル・キャブレターでも
差の無かった出力表示が変更され、グレード間の差別化が図られた。

圧縮比も変更され、8.8のハイ・コンプレッション仕様/ハイオク指定であったPA30-Dに対して
HA30-Dは8.6のレギュラー対応へと改められた。
HA30-QMは圧縮比を高めて9.5とし出力向上を図ったが、圧縮比8.6仕様も用意された。

プリンス自製のG7型は、設計の古さ(1963年・5ベアリング・鋳鉄ヘッド)が発展性に欠けるとされ
L20A型(1969年・7ベアリング・アルミヘッド)に換装されたが、L20型は1965年に登場した後
1969年に大改修を受けL20”A”型となったものであり、G7型も同じように改良を
施されたのならば、問題なく発展させることが可能なポテンシャルを持っていた。

G7型の廃止理由は、もっともらしい「設計の古さ」や「発展性の欠如」にはあらず
”嫡流”たる日産製エンジンを優先するという、政治的理由から下されたものであった。

当然ながら、6気筒OHCという同じ機構を有するエンジンの生産ラインを統合することも
目的とされていたが、その際の取捨選択は純粋な性能や将来性の比較でなく
傍流を潰すという事が真の狙いであった。

1970年代、日産は他社と共に厳しい排ガス規制に苦しめられたが、それらを打破し
落ち込む一方であった出力を再び向上させ得たのは、皮肉にも日産の設計したエンジンを
プリンス技術陣が改良したツイン・プラグのZ型や、DOHC機構が与えられたFJ型であった。

”日産製”DOHCエンジンは、S20型もFJ20型もプリンスの技術によって生み出されたものであった。

--以下、カタログより引用--

あたらしいグロリアを、おとどけします。

乗用車が、次第次第に、より上級な車へ移行しつつあることは
ひろく指摘されている通りですが、あたらしいグロリアは
この傾向を正確に反映した、文字通りの上級車として誕生しました。

その、設計のすみずみにまで生かされた高度な性能は
より高級な車を目指す人の目を奪わずにはおかないでしょう。

壮麗な印象がよりつよくなった外観、厚みと深みを増した内装、そしてパワーアップ、
安全装備の充実など、オーナーの栄光を物語るに足る性能美です。

日本の乗用車に誇りをもっていただく、あたらしいグロリア。
それは、乗ることが誇りである栄光の乗用車なのです。

--カタログ引用終わり--

1970年を直前に控え、日本は高度経済成長のピークを迎えようとしていた。
東洋の奇跡と謳われた戰後半世紀に渡る日本の急成長は、1971年の
ニクソン・ショック(ドル・ショック)と1973年のオイル・ショックによって安定期へと移行する。

経済成長の恩恵により所得が増加し、モータリゼーションの普及が進むと人々は
軽自動車から小型車へ、小型車から中型車へと、より上級の車を望むようになった。

1965年に小型車の本命と云うべきサニー、翌1966年にカローラが相次いで登場すると
マイカー族の主流も1000ccクラスへと移行し始めた。
高級車に於いても、より豪華に、より快適に、よりパワフルにという声が高まる中
時宜を得て、グロリアのビッグ・マイナーチェンジが敢行されたのであった。

「日本の乗用車に誇りをもっていただく、あたらしいグロリア」という一文は
國産車はまだまだ、外國車が一番だという風潮を決然と否定した
プリンス技術陣の矜持が込められたものであった。

-以下、セールス向け社内報より抜粋--

”次はグロリアだ!!中型セダン市場に新型グロリア旋風を巻き起こそう!!”


スカイラインが、プリンス車種イメージであるとするならば、グロリアは高級車志向への先鞭を
つけたプリンスの企業イメージを代表するものであるといえるでしょう。

既にご承知のようにスカイラインの好調ペースは、需要そのものが目ざましく伸展していることに
よりますが、遂に10月のスカイライン系の販売実績は、10223台を登録するに至りました。
一方、グロリアの販売は月平均1150台、占有率10%と低迷を続けています。

中型セダン市場は既に3銘柄に限定され、中でもグロリアが極端に低いシェアを占めている
わけですが、58%のシェアを持つクラウンの攻勢を阻止するためには、セドリックはもとより
グロリアの拡販なくしては不可能でありましょう。

販売の第一線を担うセールスマン諸氏におかれては、これまでの販売方針に則り
スカイラインの重点的拡販を展開してきたわけですが、その効あってスカイラインが
1万台販売ペースに乗りつつあることは増々、販売意欲をかき立てられる思いでありましょう。

ややもすれば二の次になりがちだったこれまでのグロリア販売をこの辺で
再び見直す必要があるのではないでしょうか。
プリンスの企業イメージを象徴する車種として、一般に記憶されているグロリアの低迷が
そのままプリンスに対する信頼度の低下につながるようなことがあっては一大事です。

以上からもわかるように、グロリアの果たす役割は重大です。

2000ccフェスティバル’70は、新型グロリアの発売を契機として
その拡販の重要さをしっかりと胸に備え、スカイラインに次いで早く拡販ペース
乗せていただくところに、その最大の狙いがあります。

-抜粋終わり--

月販1万台の大台に乗り、飛ぶ鳥を落とす勢いのスカイラインに対し
グロリアは1000台程度に留まり、市場占有率も1割と低迷していた。

これは、社内報にもあるようにセールスの比重がスカイラインに傾けられたことや
全國に網の目のように張り巡らされた、強力なディーラー・ネットワークを持つトヨタ・日産に対し
後発のプリンスはディーラー数、販売力で劣るということが原因であった。

特にクラウンは市場占有率58%という、単独で過半数を抑える驚異的な数字を叩き出しており
グロリアとセドリックを合計しても、なお届かない状態であった。

130セドリックのフルモデル・チェンジ時期が近づく中、グロリアは統合・廃止されることが予想され
プリンス側としては、ビッグ・マイナーチェンジを契機として拡販を実現し
独自のモデル存続を図ろうという意図もあったものと思われる。

-●グロリア・スーパーデラックス(HA30-QM/HA30-QMA)3型の変更点--

”現代の、都会のイメージをもつフロント。その内部に秘められた125馬力の強いパワー。”

フロント・グリルのパターンは細かな縦フィンとなり、バンパーにはプリンス車の多くに採用された
左右対称のスリットが設けられ、表情にアクセントを加えている。



オチキス(ホチキス)の針のように隙間なく並べられた縦フィンは、直線基調のフォルムに
よく溶け込んでおり、凝った形状によって高級感を演出すると共に凛々しい表情を形作った。

バンパーに設けられたスリットは、S7系スカイラインやライトコーチといった
同時期のプリンス車に好んで採用されたディティールである。

”重厚なバンパー。そのメタリックな輝きが、リアグリルを包みこんでしまう流麗な尾部。”

リヤ廻りはフェンダー、テールランプ、トランクフード、バンパーの総てが一新された。
左右独立した縦長のテールランプに代わり、ガーニッシュで繋がれたH型のテールランプに変更。
ターンシグナル・レンズはアンバーからレッドに変更されオールレッド・テールとなった。
視認性が悪くなった、と言われるが発光面積は大きくなっているので必ずしもそうとは言えない。

刷新されたにも関わらず、違和感なく纏められたデザインの妙を魅せるリヤ・エンド


スパッと断ち切られた1~2型のテールと比較し、トランクフードが
スラントしたことにより、スムースな面構成となった。

リヤ・バンパーは米國で流行していたボディ一体式となり、テールレンズを組み込んだ
複雑で凝った形状に特徴がある。
スムースなラインを優先した為、テールレンズに備わっていたクリアランス・ソナーは廃止された。

リヤ・グリルにはテールレンズとの連続性を持たせ、細長くブラックアウトされたものに
変更されたことによって、低重心がより強調された。

リヤ・グリルとバンパーの間の部分をグレイッシュ・シルバーで塗装し
リヤ・ビューを引き締める効果を持たせた。
フロントでも、総てをクローム仕上げとせずにグリルとバンパーの間にシルバー塗装の
「余白」を持たせることで、退屈な構成となることを巧みに回避している。

前後のバンパー下端にはジャッキ・アップ用の孔が用意され、カバーを装着することによって
外観の美しさと機能を両立していた。
プリンスの乗用車は、米車流のバンパーに掛けるタイプのポール・ジャッキを採用している。

複雑な形状のテール・レンズ廻り、ウィール・キャップはノン・オリジナル


サイドから3型を識別するには、縦に長くなったリヤ・バンパーに着目すると容易である


内装も完全な新設計を与えられ、インストゥルメント・パネルは天地幅が広くなり
造型自体も1970年代の主流となる、逆スラント形状となった。
各種のクラッシュ・パッドもより厚みが増し、ソフトな表皮へと改良され安全性が向上した。

一新されたインストゥルメント・パネル、「CROWN」のフロアマットはもちろんノン・オリジナル


従来は天地巾が狭く、横方向のワイド感を強調したデザインであったが
3型では厚みや重厚感を強調したものへと変更された。
ラジオ、空調レバー類の配置といった基本レイアウトに変更はなく、機能的には
既に玉成の域に到達していたことがわかる。

新たに、ラジオのオート・チューナー・スイッチの横に「GLORIA」の文字が刻まれた。
空調コントロール・パネルの下には、純正エア・コンディショナーのセンター・アウトレットが見える。

プリンスは1962年に國産初となる車載エア・コンディショナーを開発、その際に
重点を置いた事項として、軽量コンパクトという点があった。

当時のカークーラーは、ユニット・吹き出し口ともに大型であったことが問題のひとつであった。
ユニットはトランクを占領し、吹き出し口はグローブ・ボックスもしくは助手席側の足元空間に
大きく浸食し、不便さや窮屈さを感じさせる原因となっていた。

この点をクリアするべく、プリンスはユニット/吹き出し口/補機類をコンパクトに納めるよう努め
室内空間への張り出しを最小限に抑えることに成功した。

このS6系のインストゥルメント・パネルを見てもわかるように、エア・コンディショナーは
極めてコンパクトに纏めらている。

シート及び内張りのパターンも、従来の雰囲気を踏襲しながらも新デザインに改められた。
デザイン的には殆ど変っていないが、ステアリングも刷新されている。

組込式ヘッド・レスト、アーム・レスト、シート・ベルトを備えるHA30-QMのセミ・ベンチシート


ロング・ウィールベースによって後席の足元は広々としており、前席シート・バックには
灰皿/空調ファン・コントロール/シガー・ライター/ラジオ・チューナーとマガジン・ラックが設けられ
Cピラーにはパーソナル・ランプ(読書灯)が備わるなど、ショーファー・ドリブンとしても
申し分ない、充実したアクセサリーが奢られていた。

V・I・Pの為に用意されたリヤ・シート、中央には大型のアーム・レストが収納されている


各種スイッチは各社でバラバラであったアルファベット表記から、新たに統一規格として制定された
JASO(日本自動車技術会規格)規格の図形マークに変更された。

エンジンはプリンス自製のG7型に代わり、日産製L20A型が搭載された。

圧縮比はG7型の8.8から9.5に上げられ、125psの高出力を発揮した。
HA30-QMはハイオク仕様が標準だが、環境問題に対応して圧縮比を9.5から8.6に
落としたレギュラー対応の120ps仕様も設定された。

”OHC・6 2000CC 125PS”

日本にOHC時代の夜明けをつくり日本の水準をリードしてきた伝統の技術が
ついにとらえた高性能エンジンです。

高速走行に余裕を生む125馬力のハイ・パワー。
さらに、グロリア独自の「静粛設計」が一段と密度を高めています。

無給油記録でもグロリアは独走。
車検から車検までの2年間、グリスアップのための余分な費用と手間がかかりません。

L20A型は斜めにマウントされ、エンジン・ベイに納められた


車輛重量は1305kg→1290kgと軽量化され、1型の1295kgよりも軽くなった。
AT車も15kg減となる1305kgに抑えられている。

これはG7型195kg(整備重量)、L20A型178kg(同)という17kgの差によるものである。

ただしG7型は國産初となる直列6気筒OHCエンジンということで、軽くすることよりも
信頼性、耐久性を重視しており、かなり余裕を持たせた設計となっていた。
プリンスは信頼性/耐久性を重視し、エンジンの重量増や大型化に対しては寛容であった。

この余裕がのちにレース・シーンに於ける発展性を産み、ワークス仕様のG7R型は
高度なチューニングや連続高回転にも耐えうる高性能エンジンに成り得たのであった。

後発の日産L型、トヨタM型はいずれもG7型を分解・研究しており
プリンスの切り拓いた航跡をトレースしたものであった。

重量の軽減には、内装を主として軽量な樹脂素材の使用割合が増したことも効果的であった。
1960年代後半から、安全性の為にソフトな樹脂が多用されるようになっていった。

新たに125psエンジンを得たことによって、MT車の最高速度は170km/hに到達した。
これは先代S4系のフラッグシップ・モデル、グランド・グロリア
(S44P・G11型・2500cc・130psエンジン搭載)と並ぶ高性能であった。
出力は向上したがギヤ比に変更はなかったので、AT車の最高速度は150km/hのままであった。

-●スーパーデラックス・ロイヤル仕様--

”豪華車の中の豪華車------ロイヤル仕様”

追加モデルとして、更なる豪華車「スーパーデラックス・ロイヤル仕様」が登場した。
高度経済成長によって飛躍的に豊かになっていく中で、顧客の更なる
豪華仕様を求める声に応えて登場したものである。

”豪華車のなかの豪華車”と銘打たれたロイヤル仕様は、スーパーデラックス(HA30-QM)を
ベースにオプショナル扱いであったパワー・ステアリング、パワー・ウィンドウ、
コラプシブル・ステアリングを標準装備としたものであった。

なおトランスミッションはATのみと、米車的な性格のプリンスらしい設定となっている。

ただしHA30-QMとの外観上の差別化は図られず、エンブレム等も追加されていない。

「ロイヤル」という名は、言うまでもなく御料車プリンス・ロイヤルに肖って選ばれたである。

-●グロリアの二人--

プリンスでは、有名な「愛のスカイライン」及び、それに続き社会現象にまでなった
「ケンとメリーのスカイライン」の広告キャンペーンを打ち出し、大きな成功を収めた。

グロリアに於いても「グロリアの二人」というヘッド・コピーを掲げ、アドバタイジングを展開した。
スカイラインがユーザー層に合わせて、若いカップルを広告に出演させたように
グロリアでも顧客層にマッチしたキャスティングが行われた。

「グロリアの二人」は「愛のスカイライン」のソノシートのカップリング曲であった


一連のシリーズ広告である「グロリアの二人」に於いては、2人の為のパーソナル・カーとして
アピールされており、ショーファー・ドリブンの4ドア・セダンでありながら
オーナー自らがステアリングを握るという、プリンスの高級車ならではの伝統が感じられる。

この広告には、雨の日でも不安なく快適なドライブが可能だというアピールも込められている


広告に掲載されている車輌はスーパー・デラックスで、色はグロリア・ホワイト。
オプションの黒のレザー・トップが組み合わされることで、ツートーン・カラーとなっている。
極めてパーソナルな雰囲気を湛えたその姿は、多くの男性にとって正に憧れであった。





爽やかな高原と、純白のグロリアという素晴らしいロケーション


「愛のスカイライン」キャンペーンの陰に隠れて、知名度の低い「グロリアの二人」であったが
パーソナルな高級セダンという、プリンスの血統に相応しいアピールであった。

グロリア・スーパーデラックス(HA30-QM/HA30-QMA)仕様

車輛重量:1290kg/AT車:1305kg 乗車定員:5/6名
エンジン:L20A キャブレター:4バレル/2ステージ 直列6気筒OHC 
総排気量:1998cc(ボア・ストローク:78×69.7) 圧縮比:9.5 ※ハイオク指定
最高出力:125ps/6000rpm 最大トルク:17.0kgm/4000rpm 
変速機:4速コラム・マニュアル/3速AT(ニッサン・フルオートマチック)
最高速度:170km/h AT車:150km/h 車輛価格:111万円 AT車:118万5千円

-●グロリア・スーパー6(HA30-D/HA30-DA)3型の変更点--

”長距離にも余力をのこし、高速走行にも余裕をたもつ。”




”OHC・6 2000CC 115PS”
OHCの特性がフルに生かされ長時間の連続運転でもビクともしない耐久性です。

HA30-DもG7型からL20A型に換装されたが、HA30-QM用とはセッティングが違い
圧縮比を8.6に抑えレギュラーガソリンに対応、キャブレターも4バレルに対し2バレルが
組み合わされ、出力はHA30-QMに対し10psダウンの115psとなっていた。
PA30-QM/Dからは10psアップとなっている。

G7型では、HA30-QMもHA30-Dも等しく圧縮比8.8のハイオク指定であったが
グレード毎の差別化を図ることに加え、省エネ・アンチ高性能ムードの世相に
配慮する形で出力を抑えたものと思われる。

組み合わされるのは、従来通りの日本気化器製2バレル・キャブであったが
オートチョークが排気熱式から電気式に変更され、作動性が向上した。

G7型では、2バレル仕様でも4バレル仕様でも出力の表記に差が無かったが
このマイナーチェンジを機に115ps/125psと、出力の差が明記されるようになった。

従来、4バレル仕様のG7型の性能が故意に低く発表されていたのは
出力で劣る「本家」のセドリックに対する配慮であったと云われている。

「本家」と共通のL20A型に換装したことによって、出力の表記に抵抗がなくなったことで
正規の数値が表記されるようになったと思われる。

また、日産側がプリンスの開発していた新型6気筒エンジンの計画を破棄することと引き換えに
高出力であることを大々的に宣伝に使用することを認めたとも言われている。

日産とプリンスの合併後、両社それぞれのエンジンを比較し、優劣を検証することになった。
鶴見(日産側)と荻窪(プリンス側)の技術陣は激しく対立し、泥仕合の様相を見せた。

鶴見からすれば荻窪は吸収された「敗戰企業」であり、荻窪からすれば
経営・販売では負けたが、技術では完全に優越しているという自負があった。
これには、合直前に行なわれた第3回日本グランプリでの圧勝という裏付けもあった。

出力やレース戰績といった明確な数字で劣る鶴見側は必死になって
荻窪側へのネガティブ攻撃を行った。
荻窪側も激しく反発し険悪なムードが漂った為、比較検討は中止されるに至った。

日産では、当時2人の有力者が存在した為(川又社長/塩路労組会長)クルマの本質とは
無関係な部分でのロスが非常に多かった。

デザインの選定に於いては、川又社長がA案を選び正式なデザインに決定した後
塩路労組会長が対案のB案を選んだ為、いずれも決定できないという事態がたびたび発生した。
この場合社員では決められず、2人のどちらかが折れるまで待つのみであった。

デザイナーや責任者は、デザインのコンペティションにも関わらず
川又社長もしくは塩路労組会長が現れ意見するまで一切発言せず、天からの「鶴の一声」で
決まってからはじめて「これは良い」などと言い出す有様であった。

上司・部下の関係なく、喧々諤々と遠慮なく意見をぶつけ合い
上司もそれを受け止めるという、自由闊達な社風であったプリンス側は驚いたという。

出身大学ごとに学閥を形成し、技術に優れアイディアの豊富な技術者よりも
上司へ取り入るのが巧い人間が出世するという、日産の体質に嫌気が差して退社する
プリンス側の社員は多く、プリンスと同じように自由な社風であったホンダへと
優秀な人材が多数流失することとなった。

出力向上により、最高速はG7型搭載車から10km/h向上となる165km/hとなった。
最高出力125psのHA30-QMとは5km/hの差があった。

フロントのグリル・パターンはHA30-QMと同じだが、QMではクローム仕上げとなる縦フィンが
HA30-Dで黒塗装となる為、遠目にはA30-Sのような黒のメッシュ仕上げにも見える。

リヤのデザインも一新されたが、リヤ・グリルがテールレンズと一体となったデザインに
変更されたことに伴い、従来のようなグレード間の差は殆ど無くなった。

インストゥルメント・パネルをはじめとした内装のデザインも一新され
シート・パターンも変更、両端に通気性発泡ビニールレザーを奢ったファブリック地が採用された。

車輛価格は、1967年4月のデビュー時から3千円高の101万8千円に改定された。
AT車は2万円高の103万8千円であった。

車輛重量:1270kg/AT車:1285kg 乗車定員:6名(ベンチ/セミ・セパレート選択可)
エンジン:L20A型 キャブレター:2バレル/2ステージ 圧縮比:8.6 
最高出力:115ps/5600rpm 最大トルク:16.5kgm/3600rpm ※ レギュラー対応
最高速度:165km/h AT車:150km/h 車輌価格:101万8千円/AT車:103万8千円

-●グロリア・スタンダード(A30-S)3型の変更点--

”すぐれたメリットをそのままに。魅力に満ちた経済車。”


”OHV・4 2000CC 92PS”
5ベアリング方式を採用した静粛なエンジン。
オイルの燃焼室への防止などロスを防ぐ技術は類を見ません。

グロリアは、魅力と実力を秘めたこのシリーズの経済車。
造形美と安全性を見事に調和させた大型リア・ランプやメッシュのパターンをもつ
格調高いフロント・グリルが印象的な高速車です。

エンジンはH20型・4気筒・2000cc。
5ベアリング方式採用の静かな高出力エンジンです。
都会のノロノロ運転でもハイウェーでも無類の実力を発揮します。

明るい色調で統一された車室は、ゆったりとした6人乗り。
それも高級車にふさわしい静かで、快適な乗心地です。

運転席にはヘッド・レストと安全ベルトを標準装備、機能的な集中配置方式の
計器パネルをはじめ、運転のしやすさ、「安全」が高い水準で設計されています。

6気筒車はL20A型に換装されたが、A30-Sは従来通りH20型を継続して搭載する。

従来、全車種で共通であったフェンダー・ミラーの鏡面が角型から丸型に変更された。
なお、VHA30/VA30も同じく丸型に変更されている。

リヤのデザインは大きく印象が変わったが、フロントには殆ど変更が加えられなかった。

従来ウィールは13インチであったが、上級車種と共通の14インチに変更された。
ただしタイヤ・サイズは異なり、6.95-14-4PののHA30よりも細い6.40-14-4Pとされた。
なお、従来は7.00-13-4Pであった。

車輛重量は2型と同じく1185kgで、新型エンジンによって軽量化を果たした
6気筒車に対し変化はなかった。。

車輛重量:1185kg タイヤサイズ:6.40-14-4P 車輌価格:75万8千円

-●グロリア バン・デラックス(VHA30)3型の変更点--

”魅惑のスタイルをもつ、プリンスの最新鋭商用車。それも、無類の実力を秘めた快速タイプです。”


セダンと同じく6気筒エンジンを搭載するバン・デラックスも、L20A型に換装された。
商用車という性格上、L20A型でも従来と同じく経済性の高い低圧縮比の
レギュラー仕様が引き続き採用された。

フロント・グリル/バンパー、インストゥルメント・パネルの変更などは概ねHA30-Dに準じる。

リヤのデザインが大きく変更されたセダンに対し、バンのリヤ・セクションに大きな変更はなく
ターン・シグナルも、レッドではなくアンバーのままであった。

新たに、スリット付のバンパーや丸型鏡面のフェンダー・ミラーが与えられた


バン・デラックスのウィール・キャップは一度も変更されることが無かった


リヤ・グリルが新型となり、従来のPA30-QM(1型)と近似したものから
バン・デラックス専用デザインのものが採用された。
リヤ・グリルは一部がグレー塗装となり、よりクロームが映えるデザインとなった。

VPA30(2型)では、リヤ・ゲートのハンドルがリヤ・グリルに溶け込むようにデザインされた
小型のものに変更されたが、VHA30では再度1型及びVA30に採用された大型の
ハンドルが採用され、操作性が向上した。

新型のリヤ・グリルは、ハンドルとの一体感を重視した造形となっており
ファスト・バックスタイルのリヤ・ビューを、より一層美しく見せる効果を持っていた。

新デザインのリヤ・グリルが備わるリヤ・ゲート、バンパーやフェンダーに変更はない


-●グロリア バン・スタンダード(VA30)3型の変更点--

”密度の高い安全性を結晶させたバンの傑作です。”


変更点は概ねA30-S及びVHA30に準じる。

フェンダー・ミラーは新たに丸型の鏡面となった。
センター・キャップなどの専用の艤装に変更は無かった。

-●1970年10月 グロリア・スーパーデラックスGL(モデル追加)--

”言葉の形容をこえたグロリアのGL。新しいニッポンの豪華車です。”


”豪華車種であるグロリアのそのなかでも、一段と豪華をきわめたオールパワーの装備。”

翌年2月にフル・モデルチェンジ(事実上のグロリア消滅)を控えた秋、その輝かしい生涯を
締め括るに相応しい、”最期にして最高”のモデルが登場した。

1969年10月に登場したスーパーデラックス・ロイヤル仕様を、更に豪華に仕立て上げた
最上級グレード「スーパーデラックス GL」である。

GLは、パワー・ステアリング パワー・ウィンドウ コラプシブル・ステアリング ATを標準装備した
ロイヤル仕様をベースに、外観をより豪奢に装うダブルリボン・タイヤ、専用エンブレム、
確実かつ安定した整流効果を持つ最新鋭のICレギュレーター内蔵ACジェネレーター、
雨天時に便利な間欠作動式ワイパーなどを新たに追加採用した、至れり尽くせりの豪華車である。

ダブル・ホワイトリボン・タイヤは、彫刻的なウィール・キャップと共に豪奢な雰囲気を演出した


GLのインストゥルメント・パネル、パワーウィンドウ・スイッチやATセレクター・レバーに注目


画像中央には、純正オプションであるエアー・コンディショナーのセンター・アウトレットが見える。
大容量のパーセル・シェルフ(アンダー・トレー)は、手廻り品の整理に便利であった。

内装には、GL専用となるウェルダー模様の刺繍が施されたトリコット布地と
通気性発泡レザーのコンビネーションによる、シート表皮/ドア内張りが奢られた。

従来のロイヤル仕様では専用エンブレムなどの追加が無く、外観上の差別化が無かったのが
エクストラ・コストを支払った顧客から不評であったらしく
GLでは、ボディ各所に最上級グレードであることをアピールするエンブレムが装着された。

十文字の垂直のラインに「GL」の名が刻まれた専用フロント・グリル


最上級グレードを誇示すべく、フロント・グリル中央及びリヤ・グリル下段右端に
「GL」のエンブレムが装着された。
フロント・フェンダーは、中世の貴族の紋章の如き瀟洒なエンブレムで飾られた。

内装に於いても、ドア・パネルに「GL」のオーナメントが追加され
オーナーのプライドを満たすものとなっている。

リヤ・グリル下段の塗装が、グレーイッシュ・シルバーからブラックに変更されたことにより
より引き締まった精悍なリヤビューとなっている。

カタログ・カラーは、煌びやかなグロリア・ゴールドメタリックであった。
プリンスらしいパーソナル感の溢れる塗色で、大変高い人気を得た。

当時、このクラスの高級車はその殆どが「黒塗り」であり、「白いクラウン」のキャッチコピーで
個人オーナー向けを大々的に打ち出したトヨタ・クラウンでさえ、決して派手とは言えなかったが
従来よりプリンス車は、パーソナル感の強いスタイリングもあってシャンパン・ゴールド・メタリックや
ライトブルー・メタリックといった、米車的な派手なカラーが高い人気を誇っていた。

10月に発売、翌年2月にはS6系の生産が終了となった為、生産期間は4ヵ月余りと短かった。
フル・オプション車であったので、車輌価格も大変高価(129万6500円/6人乗)であったが
プリンス最期のグロリアになると予想され、日産やトヨタでは満足し得ない富裕層が買い求めた。

参考として、競合車種の価格を挙げておく。

※1970年型トヨペット・クラウン(MS50)セダン・スーパーデラックス(AT) 122万7500円

その後も高級車であったことから大事にされた為、販売台数及び現存台数は比較的多い。

エアー・コンディショナーはオプションであり、その価格も高額なものであったが
車輛価格帯的に装着率が高く、現在残存している車輌も多くがAC付である。

-●グロリア・スーパーデラックス GL(HA30-QMA)--

車輛重量:1330kg 最高速度:150km/h
変速機:コラムシフト・3速AT(ニッサン・フルオートマチック)
車輌価格:128万6500円(5人乗)/129万6500円(6人乗)

最上級車「GL」はS6系最期の輝きにして、日産との合併により旗艦モデルたる
グランド・グロリア後継の3ナンバー大型最高級車をラインナップすることを
許されなかったプリンスの、矜持が込められたモデルであった。

もし日産との合併が無ければ、プレジデントやセンチュリーのような完全独自設計の
プリンス製大型最高級乗用車が誕生していたことだろう。

競合車種を圧倒する高性能を誇ったグランド・グロリアと同じように、欧米の名立たる
一級車と堂々と渡り合える、日本でもっとも優れた性能の乗用車として君臨したことであろう。

参考:1964年のドメスティック・ハイエンド・モデルのスペック一覧

S44P プリンス グランド・グロリア 2500cc 130ps 最高速170km/h
VG10 トヨタ クラウン・エイト  2600cc・115ps 最高速150km/h
H50 日産 セドリック・スペシャル 2800cc 115ps 最高速150km/h
※この3車種の中でS44Pはもっとも小さい排気量だが、出力及び最高速はもっとも優れている。

「GL」は、1956年3月に華々しく開催された第3回全日本自動車ショウに出品された
試製大型乗用車BNSJ以来連綿と続いてきた、石橋正二郎会長及びプリンス陣営の目指した
世界最高級の大型乗用車という見果てぬ夢を託した、最期の光芒であった。

-●1971年2月22日 販売終了--

3代目S6系を最期に、プリンス・グロリアは消滅。
栄光に満ちた其の生涯に、静かに幕を下ろした。

以後は、ニッサン・セドリックのバッジ・エンジニアリングに過ぎないものが販売されることとなった。
なお、ニッサン・セドリック(及び”名ばかりのグロリア”)も2004年に消滅している。


※本項は「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --⑤-- 」に続く。
Posted at 2012/03/31 23:10:08 | コメント(7) | トラックバック(0) | S6系グロリア(タテグロ) | クルマ
2012年03月10日 イイね!

其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --③--

本項は「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --②-- 」の続編です。

-◆S6系グロリアの変遷(1968年10月以降)--

-●1968年10月(初のイヤー・チェンジ)--

1967年4月(1967 1/2)のデビューから1年7ヵ月後、最初のマイナー・チェンジが実施された。

プリンスでは米國車に倣い、毎年の秋に「年改」を行うイヤー・チェンジ制を採用した。
アメリカ車と、アメリカそのものの黄金期と云えた1950年代から1960年代にかけて
米國車は毎年大掛かりな変更を実施するという、計画的陳腐化の極致にあった。

フロント・リヤのデザイン変更は毎年行なわれ、ボディ・シェルの刷新も
2~3年という短いスパンで行なわれていた。
それに対し欧州車は6年以上、日本車も4年程度であった。

当時の米國では、利益率の高い大きく豪華なフル・サイズ車が主流であり
(今でこそ「フル・サイズ」と呼ばれているが、当時は「レギュラー・サイズ」という呼称であった)
他國を突き放す桁外れの販売台数を記録していたこともあって、それだけのコストを掛けても
十分に回収が可能であったからこその「余裕」であった。

市場規模を上回るメーカー/車種数が犇めき合う、供給過多気味の日本に於いては
極端な計画的陳腐化は普及せず、大掛かりなマイナー・チェンジはむしろ
販売不振の車種に対するテコ入れを目的としたものに多く見られた。

プリンスでは、多額のコストが掛かるボディ・シェルの刷新こそ行わなかったが
毎年、フロント・リヤを主としたデザインの変更を実施することで存在感の発揮に努めた。

1967年春の時点で、ベレルとデボネアがシェア争いから脱落したことにより
5ナンバー・フルサイズ市場はクラウン・セドリック・グロリアの3銘柄に集約されていた。

圧倒的なシェアを誇るクラウンが4~6割(市場占有率は年によって変動した)を占め
対するセドリックも4割を堅持していたが、グロリアは1割~1割8分程度に留まっていた。
ディーラー・ネットワークが弱く、車輛価格が競合他車よりもやや高額であるという
ウィーク・ポイントを補うべく、頻繁なマイナー・チェンジが行われたのだった。

特に、1969年10月時のイヤー・チェンジではリヤ廻りの刷新と
インストゥルメント・パネルの全面変更という大掛かりな改良が施されている。

S6系は3年10ヵ月の生産期間の間に、3度に渡るマイナー・チェンジを実施した。
同時期に生産されたS7系スカイラインでも同様に、頻繁なマイナー・チェンジが実施されている。

-●グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM/PA30-QMA)2型の変更点--
※PA30-QM”A”はニッサン・フルオートマチック搭載車を示す

”近代美たたえるプリンスの最新鋭 グロリア・スーパー・デラックス”

内外装のデザイン変更、日産自製新型AT搭載、パワー・ステアリングなどの
新しいオプションの設定が主な変更点であった。

外装では、フロント・グリルのパターンがクローム仕上げの星型から
和のテイストを感じさせる、白と黒に塗り分けられた市松模様に変更された。

独自の世界観を持つ、市松模様をあしらった新意匠のフロント・グリル


プリンスのデザインには、単なる欧米の模倣に留まらない日本独自の伝統美や
神社仏閣などにも通じる「和」の造形が盛り込まれていたことが特徴であった。

また、グリル中央の十文字は水平と垂直のラインが太くなり、より彫りの深い顔付きとなった。

フロント・グリルとバンパーの間のスリットが廃止され、グリルの天地が広がった。
これに伴い、ターンシグナル・レンズがフロント・グリル下側両端に移動した。
ターンシグナル・レンズ自体のサイズも大型化され、視認性が向上し安全性に寄与した。

フロント・グリルの上段にあった「Nissan」のエンブレムに代わり
「GLORIA」のエンブレムが、ターンシグナル・レンズ横に新設された。

複雑で繊細な表情を魅せるフロント・グリル、十文字のラインは奥行きのある立体的なものとなった


従来はテール・レンズ下端に組み込まれていたリフレクターが独立し、リヤ・グリル両端に
組み込まれたバック・ランプと一体式となった。
リヤ・グリルの溝に黒の墨入れが施され、より重厚で精悍な印象となった。
 
リヤ・グリル上のエンブレムが「 N I S S A N 」から「 G L O R I A 」に変更された。
これに伴い、リヤ・グリル左上に小さな「NISSAN」のエンブレムが新たに備わった。

エンブレムはいずれも、社名の「Nissan」よりも車名の「GLORIA」が目立つように変更されている。
ここにもプリンスの矜持が垣間見られる。

ウィール・キャップのデザインが変更され、リムに細かなスリットが与えられ中央に鶴を象った
紋章の入った、別体式センター・キャップを備える2ピース・タイプ(従来は1ピース)となった。

より複雑な意匠が与えられた、煌びやかなウィール・キャップ


歴代プリンス車に於いて、ウィール・キャップに車名/社名やエンブレムが刻み込まれたものは
少なく、1947年~のたま電氣自動車や1952年~のプリンス・セダン(AISH)のみで
それ以降(1957年~)のスカイライン(ALSI)からは見られなかったものであった。

別体式のセンター・キャップに彫り込まれた鶴の紋章、美しいフィンや塗装など細部まで隙が無い


ドアウィンドウ・サッシュに新たにクローム・フィニッシャーが奢られ、スクエアなキャビンの
シャープな造型をより強調し、絢爛たる雰囲気を盛り上げた。

リヤ・フェンダーのエンブレムが変更され「Super」の文字が筆記体からブロック体となり
従来、小文字であった部分も大文字に変更されたことによって
流麗な印象から端正な雰囲気へと変化した。

「GLORIA」のエンブレムは、S44Pと近似した重厚なプレート型に変更され
車名とグレード名が明確に区切られた。

内装の変更点の殆どは、安全性や保安基準の観点から見直されたものである。

プリンスでは乗員の安全の為に、室内から突起物を減らすことで危険性の排除に努めてきたが
今回のマイナー・チェンジでは更にそれが一歩進められた。

インサイド・ドアハンドルは、クローム仕上げの金属製から柔らかな樹脂製に変更された。
ウィンドウ・レギュレーターハンドルもツマミが柔らかな樹脂製となり、金属製の
アームにも樹脂のカバーが与えられた。

ステアリングは、透明な樹脂の飾りに代わって白文字で「GLORIA」と刻まれた。
2本スポークの両側には、ホーン・ボタンが備えられ
左右どちらの手でも、指1本で簡単に吹聴できるように改良された。

ルーム・ランプが3接点式(開・消・閉)になり、従来はドアを開けた状態では
消灯できなかった点が改善された。
安全性の向上を目的として、ドライバー席にセフティ・ベルトが標準装備とされた。

-以下、カタログより引用--

”体にピタッとなじむパーソナル・シート。ゆとりある、理想的なドライビング・ポジション”

フロント・シートは、フォーム付クッションのバケット・タイプ。
スポーツカーの座席のような硬さ、窮屈感がありません。

体にピタッとなじむシートは前後のスライド調節はもちろんシートバックの
角度が自由に変えられるリクライニング式です。

もっとも楽な姿勢が選べますので、長距離ドライブでも疲れを感じません。
また各シートには高さが調節できる組込式ヘッドレストが装備され、万一のときにも安全です。

ドア内張りはシートと同じ通気性発泡レザーを新しく採用、名車にふさわしい
格調ある雰囲気を生み出しています。

車の品質水準を端的に示すといわれるドアは、重厚で、ビシッとした確かな手ごたえがあります。
ドア本体の剛性もこのクラス最大。衝撃を受けても外れないセフティラッチも装備されています。

またルームランプは3接点式に改良され、ドア開時にも消灯できます。

社用には6人乗りの方が便利--こうお思いの方のためにフロント・シートが3人乗りの
セミ・バケット式ベンチシート車種もあります。

しかも2人乗りリクライニングの機能をそのまま生かした3人乗り(2&1)。
上下調節のできるヘッドレストも装備されています。

-引用終わり--

1型では、固定式アーム・レストを備えたフロントセパレート・シートの5人乗りのみの
設定だったが、顧客の要望に応えてセミ・セパレート仕様が追加された。

これは、組込式の幅広アーム・レストを倒せば2人乗りセパレート仕様となり
収納すれば3名乗りベンチ・シートとなるもので、必要に応じて6名乗車と
パーソナルな快適性を持つ2人掛けを両立した、優れた機構であった。

セミ・セパレート仕様は、最上級グレードたるPA30-QMにのみ与えられた装備であった。
標準で備わる組込式ヘッド・レストもPA30-QM専用の装備となり、他のグレードでは
差込式ヘッド・レストがオプション設定となっていた。

縦線基調だったシート表皮、ドア内張りが横線基調に変更され
素材も通気性発泡レザーが採用され快適性が向上した。

-以下、カタログより引用--

”比類のない高性能。ニッサン・フルオートマチック車誕生”

グロリア・スーパー・デラックスには日産が、独自の理論で新しく開発した
フルオートマチック車があります。

前進3段の完全自動変速機構で、これまでのものに比べ、加速がスムース。
アクセルを全開すると、素早く低速ギアーに切り変ります。

ギアー・シフトには吸気管負圧制御方式が採用されているため
アクセル・ペダルも軽く変速のショックも、まったくありません。
さらに、燃費もいちだんと経済的です。

このほか、停車中でも、わずかな力でハンドルがスムースに切れる
パワー・ステアリングがオプションであります。

-引用終わり--

S4系の2型から設定されていたボルグ・ワーナー製ATに代わり、これを自製化した
ニッサン・フルオートマチックが新たに採用された。

BW・ATはオプション扱いであったが、ニッサン・フルオートマチックへの換装に伴い
AT車がカタログ・モデルに昇格した。
1969年10月以降には、ATのみの設定となるグレードも追加されている。

米車的な指向性を持っていたプリンスは、ATの採用に意欲的であった。
ATのみのグレードはそれを良く表している。

オプションとして、パワー・ステアリングが新設定された。
これによって、当時の高級車にとってのフル装備と云えたPW・PS・PB・AT・ACの総てが
設定され、オールパワーの快適装備類とG7型高性能エンジンの組み合わせによって
米國製高級車と伍する、國際レベルの高速型高級乗用車へとその地位を高めた。

車輛重量は艤装の追加に伴い1295kg→1305kgと10kg増加、AT車は1320kgであった。
3速ATであるニッサン・フルオートマチック搭載車の最高速度は150km/hで
4速マニュアル車の160km/hに比して10km/hダウンというものであった。

1型では各車種毎(計5種)に独立カタログが用意されていたが、2型からは整理され
PA30-QM、PA30-D&A30-S、VPA30&VA30という組み合わせに一部統合された。

車輛重量:1305kg/AT車:1320kg 乗車定員:5/6名(セパレート/セミ・セパレート)
変速機:OD付4速コラム・マニュアル 3速AT(ニッサン・フルオートマチック)
最高速度:160km/h AT車:150km/h 価格:111万円

-●グロリア・スーパー6(PA30-D/PA30-DA)2型の変更点--

”紳士専用の常用車です”

PA30-Dの主な変更点は内外装の変更、セパレート・シートの新設定、新型ATの搭載であった。

フロント・グリルのパターンが連続する十字から、皇室御料車プリンス・ロイヤルと
共通のイメージを持つ、細い格子パターンに変更された。

PA30-D/VPA30用の新型フロント・グリル、ワイド&ローを強調する横線基調となった


フロント・グリルのパターンには皇室御料車プリンス・ロイヤル(S390-1)との共通性が見られる


S6系はこのようにイヤー・チェンジによるデザインの変更と、グレード毎のデザインの差別化を
図ることで顧客の幅広い嗜好に応え、バリエーションの少なさを補い寡兵良く戰った。

新しいデザインは、4分割構成のグリルの各パートごとに2本1組となる横線と
9本の縦線が組み合わされた、繊細で端正なものであった。

スプリット・クロスヘア調の十文字グリルと、横線を基調とした格子のパターンは
1967年型プリマス・フューリーの影響が強く感じられる。

1967年型プリマス・フューリー、吊目がちの縦目4灯は1965年型から採用されている


余談だが、プリンスがS7系スカイラインの広告で打ち出した「ハートマーク」は
プリマスのシンボルであった「プリマス・ハート&デビル・テール」の影響を受けている。

「愛のスカイライン」「ハートのあるハード・トップ」等の広告で大成功を収めたスカイライン・ハート


「悪魔の尻尾」が、高性能と過激な性格をファニーにアピールするプリマスのシンボル・マーク


もちろん、生粋の技術者集団であるプリンスが上辺だけを真似た筈もなく
高性能で知られたクライスラーを意識した、ヘミスフェリカル・エンジンやクロスフロー吸排気
などに代表される技術の開発にも成功している。

リヤ・グリルは天地が狭められ細長くなり、一部がブラック・アウトされたことによって
縦長のテール・レンズと相俟って、よりワイド感を強調するものとなった。

ディティールの差異はあるが、天地巾はPA30-QMと同じく低く抑えられた新型リヤ・グリル


PA30-QMと同じく、トランク・フードに鶴のエンブレムが備わるようになった。
リフレクター一体型バック・ランプの採用や、エンブレムの変更はPA30-QMに準じる。

テール・レンズのレクトアングル・カットや、レンズ頂部に備わるクリアランス・ソナーにも注目


ウィール・キャップもPA30-QMと同じく新型に変更された。

PA30-QMと同じく、ニッサン・フルオートマチックが設定された。
S6系ではPA30-QM及びPA30-DにのみATが設定され、4気筒のA30-S/VA30や
6気筒を搭載するバンのVPA30/VA30には、MTのみが組み合わせられた。

1型では、ベンチ・シートの6人乗り仕様のみの設定であったが
セパレート・シート+固定式アーム・レストを組み合わせた、5人乗り仕様が新たに用意された。
ただしPA30-QMと違いヘッド・レストは備わっておらず、差込式がオプションで用意された。
また、PA30-QM用に新設定されたセミ・セパレート仕様は選択出来なかった。

ドア内張りのパターンが変更され、S41D-2型風の格子柄から縦線基調の新デザインとなった。
シート・パターンも僅かながら変更されている。
PA30-QMのセミ・セパレートシート表皮は、サイド・サポートがやや張り出したソフトな印象の
ものであったが、PA30-Dのベンチ・シートはフラットでビジネス・ライクな雰囲気を持っていた。

”霞が関に超高層ビルが建ち、グロリアが街を走る・・・躍進する日本の象徴です”


2型のカタログや広告には、1968年4月12日に竣工した日本最初の超高層ビル
「霞が関ビルディング」が度々登場している点が特徴であった。

全高147m、地上36階・地下3階の威容を誇るこの超高層ビルは
高度経済成長を視覚的に示す、躍進する日本の象徴であった。

首都に聳える日本の摩天楼の姿は、直線基調の端正なスタイリング、近代感覚、
都会的なイメージを訴求するグロリアに、これ以上ないまでにマッチしていた。

夜になると、絵画のように美しい光のモザイク模様というもう一つの表情を見せた


現代では、周囲に林立する超高層ビルによって霞が関ビルの存在感は薄くなってしまった。
それは、薄れゆく高度経済成長の記憶そのものなのかも知れない。

車輛重量は1275kg→1285kgに増加、AT車の重量は1300kg丁度であった。

車輛重量:1285kg/AT車:1300kg 乗車定員:5/6名(セパレート/ベンチ)
変速機:OD付4速コラム・マニュアル 3速AT(ニッサン・フルオートマチック)
最高速度:160km/h AT車:150km/h 価格:101万5千円

-●グロリア(A30-S)2型の変更点--

”余裕ある運転を約束する運転席。静かで快適なリア・シート”

※写真はVA30、シート・ベルトはノン・オリジナル

タクシーや営業車といったフリート・ユース向けのA30-Sは、従来は「グロリア」という
車名だったが、イヤー・チェンジの際に小さく「スタンダード」というグレード名が追加された。

ただしエンブレムなどに変更は無く、車輛にはスタンダードという文字は入っておらず
カタログ上でのみ確認できるものであった。
これは販売面に於ける明快さ、訴求力を狙っての変更であった。

-以下、カタログより引用--

グロリアはスーパー6の魅力と実力をそのまま備えたエコノミックカーです。

ボディは、スペースをフルに生かした直線的な構成。
名作「ロイヤル・ライン」のもとにまとめられた、そのプロポーションは一見
大型車に見える端麗な装いです。

フロント・グリルは格調高いメッシュのパターン。力強い水平のラインと垂直のラインが
クロスしてひきしめています。
ヘッド・ランプはタテ型・4ランプ。車巾の広さを強調し、さらにカーブド・ガラスが
ボリューム感を盛り上げています。

エンジンはH20型・4気筒。5ベアリング方式になる静粛な、高性能エンジンです。
新型車は、この高速性能に加え、安全性が一段と充実しました。

ボディは、剛性の高いユニット・コンストラクション。
車室内のノブやドアインサイドのハンドル類は、ラバーや樹脂で被い
形状も突起量の少ない安全型。

アウトサイド・ミラーは可動式で歩行者の安全を守り、ドアには安全ラッチも装備されて
万一の事故に備えています。

車室には、セカンダリーベンチレーターのノズルから、新鮮な外気が流れ込み
長時間の運転でも疲れません。

乗心地については、世界をリードする「ロードノイズ研究」により高速化に伴って
生まれる騒音の徹底的な低減が実現され、静かな車室が生まれています。
グロリアの新型車は、美しいデザインだけでなく、高速時代を迎えた今日の車に
必要なあらゆる条件を十分に満足させ、まとめられています。

より安全で、より快適な乗心地をとらえること、これがグロリア設計に当っての
大きなポイントとなっています。

ボディは剛性の高いユニット・コンストラクション、フロント・シートの計器パネルは
大型外車なみの集中配置方式。
運転操作が、楽なだけでなく、明快でモダンな機能美を生んでいます。
メーターは、誤読の心配がない無反射式。

車の品質水準を端的に示すというドアは重厚で、剛性もこのクラス最大です。
万一の事故に備えて安全ラッチも装備されるなど、万全の安全対策がとられています。
ダッシュボードは全面的に特殊構造の防音材でカバー、エンジン音の侵入を防ぎ
静粛な室内が生まれています。

また、フロント・パネル両サイドにはセカンダリーベンチレーターのノズルがあり
常に、新鮮な外気を送り込みます。
汚れた空気が室内に滞ることがなく運転の疲労を軽減します。

リアシートは、明るい色調で統一された快適なルームです。
とくに、足元はひろびろと広がっているので足を十分に伸ばしていただけます。
3人座っても窮屈感がありません。

クッション性の良いシートには丈夫で、なめらかなビニールレザーを採用。
シート・バックにも厚いウレタン・フォームが取り入れられ長距離ドライブでも疲れません。

サスペンションは防振、防音を図った4枚構成のリーフ・スプリング方式。
高級車の静かな乗心地を生んでいます。
また、万一に備えてセーフティベルト・アンカー取付孔も装備されています。

小物の出し入れに便利なグローブ・ボックス。内容積が大きいので大抵の小物なら入ります。
差し込み式ヘッド・レストがオプションで用意されています。万一のときでも、安全です。

-カタログ引用終わり--

長いノーズとテール、ボクシ―なキャビンが大型車の風格を漂わせるA30-S2型のサイド・ビュー

※ウィール・キャップはS50D用、サイド・シルのベルト・ラインはPA30-QM用を装着している。

クロームのフィニッシャーの備わらないドア・ウィンドウサッシュや
フロント・フェンダーに装着された「Gloria」のエンブレムがA30-Sの特徴となる。

フロント・グリルのパターンは、クロームの細かなメッシュからブラック・アウトされた
メッシュとなり、強調された十文字のスプリット・クロスヘアと相まって精悍な雰囲気となった。

リヤ・グリルは装着されないが、リフレクターが移動したことによって装飾的効果が生まれた。

内装は平板な形状から、盛り上がりのあるソフトな印象のパターンに変更された。
オプションのヘッド・レストは、内装色と関係なく黒のみの設定であった。

A30-S/VPA30/VA30の1型では、助手席側のセカンダリー・ベンチレーターは
省略されていたが、2型からは両側に装備されるようになった。
ラジオや時計、ヒーターは変らずオプション扱いであった。

オプションのラジオ、時計は備わっているがヒーターは汎用のダルマ・ヒーターを装着している

グローブ・ボックス下のダルマ・ヒーターと、時計下のレバーの無いコントロール・パネルに注目。

「GLORIA」と刻まれたPA30-QM/PA30-Dと違い、A30-S/VA30のステアリングには
「 G 」のイニシャルのみが記されたものが備わっている。

車輛重量は装備の充実に伴い1175kg→1185kgと増加した。

車輛重量:1185kg 乗車定員:6名(ベンチ) 変速機:3速コラム・マニュアル
最高速度:135km/h 価格:75万5千円

-●グロリア バン・デラックス(VPA30)2型の変更点--

”大切な乗客≪積荷≫を丁重にたっぷりと。セダン顔まけのリア・シートです”

OHC・6気筒2000cc・100馬力

バン・デラックスの新型車は強力無比のOHC・6気筒を搭載しています。
2000cc、100馬力、最高時速150km/h、特に連続高速運転に威力を示し
混雑する都会のノロノロ運転でも十分な出力を持ち
(45Aオルタネーター=国産同クラス車で最高)、オーバーヒートしません。

-以上、カタログより引用--

6気筒エンジンを搭載する高速型バンのVPA30にも、PA30-Dに準じた変更が施された。

外観上の大きな変更として、新たにリヤ・グリルが設けられた。

1型ではVPA30/VA30ともにリヤ・ゲートに装飾は備わらなかったが、VPA30にのみ
リヤ・グリルが与えられたことにより、6気筒搭載の上級車であることが判別できるようになった。

VPA30(2型)のリヤ・ビュー。新設されたリヤ・グリルが6気筒車であることを示す


これは、豪華な6気筒エンジンを搭載するエステート・ワゴン的性格の強いVPA30の用途が
ビジネス・ユースだけに留まらず、ファミリー・カーやレジャー・カーとしても重宝されたことにより
ユーザーから、車格に見合った豪華な装飾が求められたことに対する回答であった。

リヤ・グリルはPA30-QM(1型)用と近似した造型で細長く、ゲートの巾一杯に広がっており
両端に配された縦型テール・レンズと相俟って、ワイド感を強調する効果を持っていた。

テール・ゲートのエンブレムは社名の「NISSAN」から車名の「GLORIA」となり
それに伴い、小さな「NISSAN」と記されたエンブレムが左上に追加された。

フロント・グリルはPA30-Dと同じ格子状のグリルが新たに採用された。

PA30-QM/PA30-Dは新デザインのウィール・キャップが採用されたが、VPA30に変更はなかった。


フロント・フェンダーの「DELUXE6」のエンブレムが変更され、プレート型となり
「6」の字体もS4系と共通のレタリングから、ブロック体となり赤くペイントされた。


ボンネット先端にオーナメントは備わるが「 N 」のマスコットは本来省略されている


ボディ・カラーは、1型のカタログ・カラーであった水色が廃止され、新たに

グロリア・ゴールド・メタリック 内装色 ブラック
グロリア・ホワイト        内装色  レッド
グロリア・ブルー         内装色  ブルー

の3色となった。

カタログ・カラーは、凛としたグロリア・ホワイトであったが
新たに設定された、ゴールド・メタリックの塗色に注目すべきであろう。

当時の商用車に於いては、主たる用途がビジネス・ユースということもあって
殆どの車種で、ソリッドのグレーや紺といった地味なカラーが主流であった。

しかし「トランクの大きな高級乗用車」たるグロリア バン・デラックスには
乗用車でも採用例が限られていた美しいメタリック塗装が奢られ
セダン以上に、乗用車的な華麗な雰囲気を湛えていた。

-●グロリア・バン(VA30)2型の変更点--

”バン・デラックスの魅力をそのままに---グロリア・バン”

フロント・グリルのパターンが、ブラック・アウトされたメッシュの新意匠となった。

H20型・4気筒・2000cc・92馬力

4気筒エンジンは6気筒に比較して振動騒音が高いのが常識とされてきましたが
H20型エンジンはこの通念を完全に破りました。
5ベアリング方式の成功です。

剛性の高いクランクシャフトとの組合せで振動、騒音の少ない
「静かなエンジン」に仕上がっています。

-以上、カタログより引用--

VA30の変更点は概ねA30-Sに準じる。
フロント・グリルは、A30-Sと同じ新意匠のブラック・アウトされたメッシュのパターンが採用された。
同じようにエンブレム、ドア・トリム、シートなども変更された。

後席の足元は広々としており、シートのクッションは厚く背もたれの角度も深く快適であった。


セダン各車は、テール・レンズ組込式のリフレクターがバック・ランプ横に
移設されたが、バンは変更されなかった。
最大積載量(400kg)を示すステッカーはリヤ・ゲート右下に貼られた。

昇降式サイド・ウィンドウのパーティション・ピラーと、鍵孔が特徴的なVA30のリヤ・セクション


リヤ・グリルは備わらず、リフレクターの位置も変更が無かった。
バック・ランプの下に新車時のステッカーが確認できる

ボディ・カラーは、ソリッドのグロリア・ホワイトとグロリア・ブルーの2色のみで
内装色は、エクステリア・カラーに関わらずブルーのみとなる。

布地は織物ではなくビニール・レザーが採用されている。
これは廉価なライトバンという性格から、ハード・ワークに供されることを考慮して
汚れに強く、水洗いし易いというメリットから選ばれたものでもあった。

大きく開く1枚跳ね上げ式リヤ・ゲートを備える、広大でフラットなラゲージ・スペース


最大積載量は400kgで、VPA30/VA30ともに同じ数値であった。
昇降式サイド・ウィンドウの備わらない右側の荷室側壁には工具を収納するサブ・トランクがある。
リヤ・シートはワンタッチで畳むことが出来た。

テール・フィンのように大きく張り出したリヤ・フェンダーは、ギリギリまで荷室を広げることよりも
デザインを優先したもので、米車志向のプリンスらしい意匠であった。

-●1969年3月(保安基準改正に伴う一部変更)--

1969年4月1日より施行される道路運送車両法の保安基準改正に対応すべく、一部変更を実施。
安全装備の追加のみで、内外装のデザインに変更はない。

この改正に於いては

・運転席に2点式シートベルト及びヘッドレストの装着
・助手席/後席にシートベルト設置用金具の装着
・非常点滅表示灯(ハザード・ランプ)の装着

の3点が新たに義務付けられた。

1968年10月のイヤー・チェンジの際、運転席にシート・ベルトが標準装備され
助手席側にも設置用金具が設けられたが、法改正に従い
新たに後席シート・ベルト設置用金具が増設された。

ヘッドレ・ストに関しては、PA30-QMのみデビュー当初から前後席の4座に組込式ヘッドレストを
備えていた為変更は無かったが、ヘッド・レストがオプション扱いであった
その他のグレードは、法改正に適合すべく運転席に標準装備とされた。

本項は「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --④-- 」に続く。
Posted at 2012/03/10 00:10:59 | コメント(5) | トラックバック(0) | S6系グロリア(タテグロ) | クルマ
2012年02月27日 イイね!

其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --②--

本項は「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --①-- 」の続編です。

なお本ブログでは、日産自動車の経営陣及び経営方針を批判することはあっても
日産車及びユーザーを非難する意図は無いことを明示しておきます。

-◆S6系グロリア 年次毎の変遷--

-●1967年4月15日(フルモデル・チェンジ)--

発売されたのは2ボディ(4ドア・セダン/5ドア・バン)/基幹3グレード/5車種であった。

4ドア・セダン
グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM)
グロリア・スーパー6(PA30-D)
グロリア(A30-S)

5ドア・バン
グロリア・バンデラックス(VPA30)
グロリア・バン(VA30)

上:グロリア・スーパー6(PA30-D) 下:グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM)


上:グロリア(A30-S) 下:グロリア・バン(VA30)


1960年代前半は、最大手のトヨタでさえ乗用車は3車種(パブリカ・コロナ・クラウン)のみであり
各メーカーともにラインナップの過半数は商用車(乗用派生のバン/ピックアップを含む)であった。

プリンスも、乗用車はグロリア・スカイラインの2車種のみの編成であり、多数のグレードや
ボディ・バリエーションを用意することによって、市場の多様なニーズに応える形をとっていた。

S4系グロリアは4ドア・セダン、5ドア・バン/5ドア・ワゴンを基本に
デラックス・スーパー6・スペシャル・6ワゴン・グランドグロリア・グロリア6・6エステートという
7グレードに及ぶ豊富なバリエーションを展開し、S5系スカイラインと共にプリンスの主力を担った。

しかし、S6系では日産との合併に伴いバリエーションの縮小を余儀なくされた。

グランド・グロリアの後継たる3ナンバー大型車は、1965年に登場したばかりの
プレジデントとの競合を望まない日産側の思惑によって廃止された。

市場が小さく、販売台数も僅かであった6エステートの後継たる5ナンバー乗用ワゴンも
セドリックの乗用ワゴンに販売を集約すべく、消滅の憂き目にあった。

6気筒エンジンを搭載する廉価車種のグロリア6も消滅し、廉価車種は日産製4気筒に絞られた。

これらはいずれも、クラスがバッティングする日産側のプレジデント/セドリックに対する
「配慮」という、政治的な意向によって消滅の憂き目にあったモデル達であった。

車種の削減は「傍流」のプリンス車と「嫡流」たる日産車の競合を避ける為という
内向きの理論で決定されたものであり、日産は合併による効果を発揮することよりも
プリンスを「経営の足枷」と捉える過剰なコスト削減、「身内潰し」に躍起になるばかりであった。

國内第3位メーカーたるプリンスを吸収したことにより、一時的には日本最大規模の
自動車メーカーとなった日産であったが、プリンスの優れた技術や製品を生かして
業界第1位のトヨタに対抗することよりも、自らよりも優れたプリンスを否定することに奔走し
結果的に合併効果は水泡に帰した。

対するトヨタは1966年に日野、1967年にダイハツと相次いで提携した。

トヨタは2社を吸収することなく、それぞれの独自性を保ったまま
ダイハツは軽自動車・小型商用車、日野は大型トラック・バスに特化させたことで
「分業」を実現、トヨタ自身は得手とする乗用車に注力することが可能となった。

3社それぞれの得意分野に特化することにより、トヨタ・グループは盤石な体制を確立し
遂には世界最大の自動車メーカーの地位に到達した。
軽・商用車のコニー、高級車・スポーツカーのプリンスを相次いで傘下に収めながら
その資産を徒に磨り潰すばかりの日産とは対照的であった。

「販売のトヨタ」「技術のニッサン」などと云われた、トヨタと日産の”差”は
表面的な車種や販売手法などが原因では無く、根源的な企業体質に起因するものであった。

日本第2位メーカーが外資の軍門に下るという1999年の屈辱は
1966年の時点で既に、静かに始まっていた「緩慢な自殺」とさえ云えるものであった。

歴史に「if」は無いが、もしプリンスが独自性を保ち存続したのならば
キャディラックやリンカーン、メルセデス・ベンツやロールスロイスと伍する高級車が、
あるいはフェラーリやポルシェと覇を競うスーパースポーツが日本から生まれていたことだろう。

レクサスより20年も早く、世界で認められる日本の高級車が、
高性能車が有り得たかもしれないのだ。

その損失は、あまりにも大きい。

-●グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM)の概要--

”端麗でフォーマルな装い、豪華な室内。グロリア・スーパー・デラックス、プリンスの最新鋭です”


PA30-QMはS6系の最上級車種にして、S4系のスーパー6(S41D)に相当するグレードである。

価格は111万円と豪華装備に見合った高額なものであったが、プリンス車の顧客は
富裕層の割合が高かったこともあり、販売の主力はこのPA30-QMであった。
(なお当時はコカ・コーラが35円、バスの一ヵ月定期券が630円程度という物価であった。)

S41Dが比較的フォーマルな性格であったのに対し、PA30-QMは
かなりパーソナルな性格付けとなっている。
従来のフォーマルなポジションは、スーパー6(PA30-D)が受け持つことになった。

S40Dが登場した1962年頃は、フルサイズ・クラスのユーザーの殆どが運転手付の
公用車や社用車などで占められていたが、高度成長に伴い自らステアリングを握る
富裕層が増加したことにあわせて、パーソナル・ユース需要を切り拓くべく
オーナー・ドリブンの性格付けが強調されたのであった。

日本の自動車生産台数は、高度経済成長の波の乗って1960年中頃から急速に増加し始めた。
そして1968年には、遂にアメリカに次ぐ世界第2位の自動車生産國の地位に到達したのであった。

これは同時に、上級志向に伴う個人所有の高級車需要の増加をも意味していた。
1967年4月に登場したPA30-QMは、その潮流を確実に捉えたモデルであった。

元来プリンス車はダイナミックなテールフィン、煌びやかなクローム、
鮮やかなメタリックのカラーなどによって豪奢な印象を持ち
やや地味な競合他車に比して、多分にパーソナルな米車的魅力を湛えていた。

そういったことからも、職業柄保守的にならざるを得ない法人オーナーよりも
派手好きな個人オーナーの割合が多かった。

PA30-QMのカタログ・カラーは、ノーブルな雰囲気を湛えるホワイトであった。
競合する3代目クラウン(50系)は、個人需要を狙い「白いクラウン」のキャッチコピーを掲げ
ホワイトのイメージ・カラーを強く打ち出したが、それはグロリアに遅れること半年後であった。

当時、クラウンやセドリックは黒やグレー、ブラウンといったカラーの比率が高かったが
ホワイトの明るいカラーで「公用車」的なイメージを払拭しようという意図があった。

しかしプリンス車はライトブルー・メタリックやシャンパン・ゴールド、カッパーブラウンなど
派手なメタリック塗色が人気で、競合他車とは一線を画す文字通り「異色の存在」であった。

「白いクラウン」は、個人ユーザーの取込みを意図して創られたキャッチ・コピーであったが
グロリアは、生粋の”パーソナル・ラクシュリー・カー”であった。

オーナー・ドリブンたるPA30-QM、その性格が最も顕著に表れているのが前席である。

当時一般的であった前後3人掛ベンチシートを採用せず、前席は
リクライニング機構付セパレート・シートとし、座席の間にはアーム・レストを兼ねた
大型センターコンソール・ボックスを配し、前席2座/後席3座の5名乗車としている。

これは乗車定員を稼ぐよりも、ゆったりとした居住性を実現することが狙いであった。

ホワイトで統一された内装は、明るく清潔な雰囲気を湛える


インストゥルメント・パネルは良く整頓された集中配置方式で、明快かつ合理的な
レイアウトによって、はじめての運転でも迷うことなく操作することが可能であった。

4つの警告灯(オイル・充電・駐車ブレーキ・速度超過)は、メーター・ユニット下側の
見易い場所に、デザインの一体感を重視した形状で収められている。

コラム左手側にシフト・レバー、右手側にターンシグナル・レバーとライト・コンビネーション・レバー
が配置されており、扱い易く操作ミスが起こりにくい完成された方式が引き続き採用された。

両端には、フェイス・レベルに走行風を導入するセカンダリー・ベンチレーターが備わる。
三角窓や足元に備わるサイド・ベンチレーターによって、走行風だけでも
充分な快適性を確保することが可能であった。

後方にはリヤ・ドラフター(エア・アウトレット)が備わるので、澱んだ空気の滞留がなく
煙草の煙による不快感や、湿度の高い雨天時の窓の曇りを防ぐことが出来た。
リヤ・ウィンドウには窓の曇りを防ぐリヤ・デフロスターと、後席用スピーカーが備わる。

グローブ・ボックスは大型で、照明とコンセントが完備されている上に
グラス溝付のリッドを開くと、テーブルとしても使える優れものであった。

人間工学に基づいて設計された、ホールド性の高いバケット式セパレート・シートは
柔らかなフォーム材クッションで成型されている。

大型車並みの前後シート・スライドと、微調整機能付のリクライニング機構を
備えるシートは、合理的な集中配置のインストゥルメント・パネルと相俟って
如何なる身長/体型のドライバーであっても、ベストなポジションを得ることが可能であった。

ボルグ・ワーナーAT搭載車のインストゥルメント・パネル、コラム上のATインジケーターに注目


大型メーター・ユニットには、速度計・積算距離計・区間距離計・燃料計・冷却水温度計・
方向指示器表示灯・主灯表示灯が組み込まれており、
曇天やトンネル内での走行時に威力を発揮する、照度調整機能も備わっていた。
ブザーとランプで注意を促す速度警告灯は、任意の速度で作動するように設定できた。

高感度ラジオには、プッシュ・ボタン以外にもシーソー式オートチューナー・スイッチが備わる。
グロリア専用エア・コンディショナーは非常にコンパクトで、インストゥルメント・パネルの下に
スッキリと違和感なく収まるよう、設計とデザインが施されていた。

”運転席は体にピタッとなじむパーソナル・シート”


前席アームレストは大型コンソール・ボックスとなっており、白手袋や煙草など
運転中の手廻り品の収納に便利であった。

前席の間に納まる、大型センターコンソール・ボックス


背面には後席用のラジオ・チューナー、シガーライター、ヒーターファン・コントロール、灰皿が
備わっており、ラクシュリー・4ドア・セダンの名に相応しい充実した装備となっていた。

なお、このセンターコンソール・ボックスは130セドリックにも用いられた。

安全対策のひとつとして、國産初となる組込式ヘッドレストが採用された。
ヘッドレストは前後席に4つ用意され、高さは任意で調節することが可能であった。

法規制に先駆けた先進的安全装備であると共に、格納しておけば
後方視界の妨げならないという優れた機構であった。

クローム仕上げのインサイド・ドアハンドルやウィンドウ・クランクハンドルは
微妙に形状が違うものの、S4系と共通のデザインとされた。
各種スイッチ・ノブ類は、S44P用の重厚なアルミ削り出し品を引き継いで採用した。

ドア内張りの上側には、細長いクロームのパネルが飾られた。
ドア内張り下側は黒の布張りとして、安定感を演出している。
足元には、地図や手廻り品を納めることの出来るポケットが設けられた。

グレアープルーフ・バックビュー・ミラーの防眩用昼夜切換ツマミは
S4系の前後方向から回転式の操作に改められた。
先端の尖ったステーもS4系と共通のデザインであった。

リビング・ソファのような後席にはアーム・レストが設けられ、読書灯、長大なレッグ・スペース、
リヤ・トレーに配されたスピーカーやデフロスターによって、極めて快適な空間が創りだされた。

ただし、最上級グレードで6人乗りが選択出来ないのは不評であったらしく
1968年10月の最初のマイナーチェンジの際に、セミ・セパレート仕様の6人乗りが追加された。

ボルグ・ワーナーAT車のエンジン・ルーム、左手前にはAT用のオイル・クーラーが確認できる


日本の技術水準を3年リードしている、とカタログに謳われたG7型・直列6気筒OHCエンジンに
機微なるセッティングを可能とする4バレル・キャブレターを組み合わせ
最高速度160km/hの連続高速走行を可能とすると共に、徹底した遮音対策や
振動軽減策によって、比類なき静粛性・快適性を実現した。

エア・クリーナーは新設計の薄型で、全高を抑えると共にブローバイ・ガス対策も施された。
ブロアー・ファンはS4系のバルクヘッド側から、左フェンダー側に移設された。
これは、モーターの騒音を出来る限り車内に侵入させないようにという配慮からである。

バルクヘッドの運転席側には、パワー・ブレーキ付のタンデム・マスターシリンダーが確認できる。
AT車なのでクラッチ・マスターシリンダーが備わらない点にも注意。

イグニッション・コイルの位置が変更されるなど、S4系に搭載されたG7型エンジンとは
搭載方法やレイアウト、エンジン自体の外観がかなり変更されている。

ウィンドウ・ウォッシャー・タンクは、モーター・ユニットを組み込んだS4系のボックス型から
日産製の廉価なバッグ型に変更された。

アクティブ・セーフティ/パッシブ・セーフティの両面から徹底して追求した安全性や
イージー・ドライブ、メンテナンス・フリーの為の新機構が惜しみなく投入された。

新設計のディスク・ブレーキがフロントに標準装備となり、制動力が大きく向上した。

軽い踏力で確実に作動するパワー・ブレーキ(油圧真空倍力装置)、万一の際にも制動力を
全喪失する危険のない交差配管方式、大容量のタンデム・マスターシリンダーの採用など
2重3重の安全機構が採用されている。

プリンスでは、1965年2月に登場したスカイライン2000GTに初めてディスク・ブレーキを採用。
続く1965年12月にはS44P-2型に標準装備、S41D-2型にオプション設定するなど
その高速性能に見合った制動力を得るべく積極的に採用を進めていた。

一般走行とは比較にならない程の高熱に晒されるレース・シーンでの技術の蓄積もあり
当時國産車では普及していなかったディスク・ブレーキに関して他社を大きくリードしていた。

フロント・グリルは亜鉛ダイキャスト製で、クローム仕上げの煌びやかなものであった。
グリル・パターンは繊細な造形の星型で、中央に十文字を配した水平のラインによって
特徴的な縦目4灯ヘッドライトとの均整を図っている。

プリンスのアイコンたる十字を彫り込んだ、クローム仕上げの眩い輝きを放つ無数の星


特徴的なグリル・パターンはフォークを模したとも云われているが、1959年型フォードの
強い影響が感じられるデザインとなっている。
S6系に限らず、歴代プリンス車のデザインはフォードの影響が大である。

特徴的なフロント・グリルを持つ1959年型フォード


グリルの下にはS4/5系と同じくスリットを設け、ターンシグナル・レンズはスリットの両端に配した。
乳白色のレンズを採用することによって、フロント・エンド全体の一体感を演出している。

スリットには本来、S44Pと同じように「 P R I N C E 」の文字が入る予定であり
ボンネット・マスコットも「 P 」のイニシャルが入る予定であったが、日産からの圧力によって
車名の変更を余儀なくされ、菱形のオーナメントに置き換えざるを得なかった。
ボンネット・マスコットも「 N 」の文字に換えられた。

輝かしき血統を誇るプリンスの高級乗用車には相応しくない「 N 」のエンブレム


なお、皇室御料車プリンス・ロイヤルのボンネット・マスコットには「 P 」のイニシャルが入る


前期型は「 P 」、後期型は「 N 」というのは誤りで、いずれも「 N 」である。
「 P 」のエンブレムが備わるのは、取扱説明書などに掲載されている
市販されることのなかった極初期の生産車(増加試作車)のみである。

合併はS6系の発売直前であり、既に試作車も完成しており
プリンス側ではカタログ撮影まで済ませていたが、これらもすべて破棄することを強要された。
取扱説明書に掲載されている車輛は、車名変更前の正真正銘の「プリンス・グロリア」である。

合併の際には、プリンス側の石橋会長の強い要望により
「プリンスの車名を永久に残し、その発展を図ること」
「両社の従業員の融和を図り、差別しないこと」
という文言が盛り込まれたが、日産社長の川又はそれらを悉く反故にし
プリンスの社名/車名を次々と廃止・消滅させた。

日産側労組の塩路は、傷害事件を起こしてまでもプリンス側の労組を徹底し弾圧。
(ただしプリンスの労組は総評左派の全金系であった点に留意)
日産自動車女子若年定年制事件などに繋がった、プリンス出身者への様々な差別を行った。

今や日産の一番のブランドが、プリンスの「スカイライン」というのは、なんと皮肉なことであろうか。

トヨタがダイハツと提携し、軽自動車部門で成功を収めたのに対し
傘下に収めたコニーを生かすことなく廃止、今更になって三菱やスズキからのOEMで軽自動車を
販売し、しかもそれが屋台骨となっているという現在の惨状を見ても
日産経営陣が如何に先見の明に欠けていたかがわかるというものであろう。

リヤ・グリル(リヤ・ガーニッシュ)は、リブの刻まれた細長いものが装着されている。
フロント・グリルと同じく、グレード毎にパターンが差別化されているのが特徴である。

PA30-QM(1型)のリヤビュー、ウィールキャップは2型用を装着している点に注意


リヤ・グリルには、後退灯とスライドカバー付キーホールがスマートに組み込まれている。
リヤ・グリル上側には「 N I S S A N 」のエンブレムが配置されている。
トランク・フードに備わる鶴のエンブレムは(1型では)PA30-QMのみの装備となる。

リヤ・バンパー下側には繊細な曲線を描くバランス・パネルが備わり、後姿を引き締めている。
ワイド感を強調する縦型テールレンズの頂点にはクリアランス・ソナーが備わり
夜間の運転や車輌感覚の把握に絶大な効果を発揮した。

彫刻的なスリットやプレスが特徴の、PA30-QM及びPA30-D(1型)用のウィール・キャップ


Cピラーを飾る鶴のエンブレムには、合併によってモデル廃止の危機に直面したグロリアに対する
「鶴のように長寿であれ」という、プリンス陣営の強い想いが込められたものであった。

Cピラーを飾る印象的な鶴のオーナメント(3型用)


2型まではPA30-QMにのみ装着されていたが、1969年10月の年次変更以降は
換気孔が新設され、セダンの全グレードの備わるようになった。

”瑞鶴”という言葉にある通り、鶴は古来から目出度いものの象徴である。

エクステリア・カラーとインテリア・カラーはそれぞれ3色が設定され、内外装の
コーディネートを考慮した組み合わせが用意された。

 (外装色)          (内装色)
アイボリーミスト      ・・・ブラック
シーダーブルーメタリック ・・・ホワイト
ブラック           ・・・レッド/ホワイト

フォーマルなブラックの他に、美しいホワイトと瀟洒なブルーメタリックが
用意されていることがプリンスらしさを感じさせる。

グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM)仕様

・寸法
全長:4690mm 全巾:1695mm 全高:1445mm WB:2690mm
トレッド:前 1385mm/後 1390mm 最低地上高:175mm
客室長:1830mm 客室巾:1420mm 客室高:1135mm

・重量
車輛重量:1295kg 車輌総重量:1625kg 乗車定員:5名

・性能
最高速度:160Km/h 登坂能力:40.8%(Sinθ) 最小回転半径:5.5m 
制動距離:13m(初速50km/h)

・エンジン
型式:G7 6気筒直列・OHC 内径×行程:75mm×75mm 総排気量:1988cc 圧縮比:8.8
最高出力:105PS/5200r.p.m 最大トルク:16.0m-kg/3600r.p.m キャブレター:下向通風4連
エアクリーナー:濾紙式 燃料ポンプ:ダイヤフラム式 燃料タンク容量:50ℓ 

潤滑装置:全圧送式(フルフロー式) 冷却装置:強制循環式(ワックスペレット式)
バッテリー:12V-35AH ジェネレーター:12V-45A スターチングモーター:12V-1.4kw
クラッチ:乾燥単板式 トランスミッション:オールシンクロメッシュ式 3段+OD(オーバードライブ)
Low:2.957 2nd:1.572 Top:1.000 OD:0.785 Rev:2.922 減速機形式:ハイポイドギア式
減速比:4.875 
ステアリング形式:リサーキュレーティングボール式 歯車比:19.8

・走行装置
前車軸:独立懸架式 後車軸:半浮動式 タイヤ:6.95-14-4PR(ホワイトライン・チューブレス)

・ブレーキ装置
主ブレーキ:前 ディスク式/後 リーディングトレーリング式 油圧真空サーボ付独立2系統式
駐車ブレーキ:機械内拡 後2輪制動

・懸架装置
前輪:独立懸架ウイッシュボーンコイル式 線径16.5×中心径120×自由長352.5-有効巻数6.3
後輪:半楕円板バネ 長1442×巾70×厚6-枚数1/厚7-枚数1/厚6-枚数1
ショックアブソーバー:油圧複動式 スタビライザー:トーションバー式

価格:111万円

●グロリア・スーパー6(PA30)の概要

”こんなに運転し易い車がいままであったでしょうか”


パーソナル・ユースを狙ったスーパー・デラックスに対し、スーパー6は
ショーファー・ドリブンとしての性格付けをなされている。

カタログ・カラーもPA30-QMが清楚な雰囲気を湛えるホワイトなのに対し
PA30-Dは社会的責任や品格を表すブラックとなっている。

外観上の差異は前後グリル・パターンや、エンブレム程度に留まっており
ウィール・キャップも共通となっている。
これは、グレード毎の差を価格や装備によって付けるのではなく、需要に合わせた
性格によって差別化するという企図から来ている。

シャープな近代感覚と気品が調和したロイヤル・ライン


サイド・ビューからは、リヤ・フェンダーのエンブレム程度しか違いは確認できない。

最も大きな違いは乗車定員で、PA30-QMが前席セパレート・シートの乗車定員5名
なのに対して、PA30-Dは前後ベンチ・シートの乗車定員6名となっている。
ヘッドレスト組込式シートのPA30-QMに対し、PA30-Dはヘッドレストがオプションとされた。

ダイナミックなフォルムと、繊細なディティールが見事に調和したPA30-Dのフロント


フロントはヘッドライト・ベゼルと連続した太い水平のラインと、細い縦のラインを
中央に据え、細かな十字が隙間なく並んだパターンのグリルが装着されている。

アンテナは電動式で、視界を妨げないように左フェンダーに備わっている。

天地の広いリヤ・グリルに、美しいリブが整然と並ぶPA30-Dのリヤ・ビュー


フロント・グリルと同じように、リヤ・グリルにも専用の意匠が採用されており
PA30-QMのものよりも天地の幅が広く、隙間なくリブが刻まれている。

リヤのエンブレムは、リヤ・グリル内に収まる「Nissan」のみとなる。
スクエアで大型のトランクはスペア・タイヤを床下に収納、燃料タンクを背負い式とすることで
広大かつ使い易い空間を実現、6人分のゴルフ・バッグやキャリーケースを呑み込むことが出来た。

テール・ランプは大型のうえターン・シグナルを独立させ、レンズ自体にも
レクトアングル・カットを施して視認性の向上を追求した安全型であった。
クローム仕上げのテールライト・ベゼルには、テール・ライトの光を反射することによって
実際のレンズのサイズよりも一回り大きく見せる効果を持たせていた。

サイド・ウィンドウにはプリンス車初の曲面ガラスが採用され、室内空間に一層の余裕が生まれた。
張り出した四隅により車輌感覚が掴みやすく、スクエアなキャビンの巾一杯に広げられた
リヤ・ウィンドウは大きな後方視界を生み出し、開放的な室内と安全運転に寄与した。
ライセンス・プレートによって殆ど隠れてしまうプレート・ハウジングにもリブが刻まれている。

大型の計器盤は透過光方式の無反射タイプで、数字も読み取り易いので誤読の心配がなかった


前席の背面には後席用の各種アメニティ装備と、大判の地図なども収容できるポケットが備わる


スイッチ類はPA30-QM用のアルミ削り出しに対して、S4#Dと同じ一般的な樹脂製となる。
シート、ドア内張りのパターンはS41D-2と共通した色/模様の格子柄を採用している。

ワイパーはS4系の対向作動式から、より広範囲を払拭できる並列式に改められた。
強力なモーター・トルクによって、浮き上がりや拭き残しが減少した。
ウィンドウ・ウオッシャーはワイパー操作に連動する定量噴霧式が採用されている。

エンジンはPA30-QMと同じG7型で、2バレル・キャブレターが組み合わされるが
105PSという出力の表示に差はなかった。
PA30-QMと同じくサーボ付ディスク・ブレーキが備わるなど、機構的には大きな差異はない。

画期的な2年・6万kmに渡る長期無給油を実現し、イージー・ケアの充実を図った


数値や外観に表れない性能にも対しても、プリンス技術陣は妥協なき追求を挑んだ。

乗り易さというものを運転のし易さに留まらず、日常の点検・保守の容易さや
長期に渡る高い品質の維持という領域にまで踏み込んだ。

フル・ディッピングによる完全な防錆、最新鋭の設備によって行われるハイ・クオリティな塗装。
プリンスの推進してきたメンテナンス・フリーの更なる充実。
そして、ドアやトランクを開閉した際の音や手応えといった
数値では表しようのない”感性”という性能までを追い求めた車であった。

グロリア・スーパー6(PA30-D)仕様※PA30-QMとの差異を主に示す

・重量
車輛重量:1275kg 車輌総重量:1605kg 乗車定員:6名

・エンジン
型式:G7 6気筒直列・OHC 内径×行程:75mm×75mm 総排気量:1988cc 圧縮比:8.8
最高出力:105PS/5200r.p.m 最大トルク:16.0m-kg/3600r.p.m キャブレター:下向通風2連
エアクリーナー:濾紙式 燃料ポンプ:ダイヤフラム式 燃料タンク容量:50ℓ 

・ブレーキ装置
主ブレーキ:前 ディスク式/後 リーディングトレーリング式 油圧真空サーボ付独立2系統式 
駐車ブレーキ:機械内拡 後2輪制動

価格:101万5千円

グロリア・スーパー6(PA30-D)仕様書


●グロリア(A30-S)の概要

”グロリアは魅力と実力を備えたエコノミック・カー プリンスの最新車”


グロリア(A30-S)は、S4系の廉価モデル「グロリア・スペシャル」(S40S)の後継モデルで
タクシーや営業車向けのフリート・ユース仕様車である。

S40Sは、4気筒エンジンを搭載したグロリア・デラックス(S40D-1)の内外装を簡素化した
モデルであったが、後継のA30-Sも概ね同じ構成となっている。

ただしエンジンはS40Sがプリンス自製のG2型OHV4気筒を搭載していたのに対し、A30-Sは
合併に伴う生産ラインの整理統合によって、日産製H20型4気筒OHVへの換装を余儀なくされた。
組み合わされるトランス・ミッションは、ODギヤの付かない3速コラム・マニュアルであった。

3速MTが組み合わされるのはS6系で唯一であり、同じH20型4気筒を搭載する
グロリア・バン(VA30)には、G7型6気筒車と同じOD付4速コラム・マニュアルが組み合わされた。
これによりVA30の最高速度は145km/hに達したが、ODギヤ無しの3速となる
A30-Sの最高速度は135km/hに留まり、S6系でもっとも低速のモデルとなった。

これは、A30-Sが混雑した市街地を低速で走行することの多いタクシーに求められる性能を
重視しており、3速MTの採用も頻繁なギヤ・チェンジを避け運転手の疲労を軽減する狙いがあった。

それに対し、貨物を迅速かつ遠方に運搬することが求められるバンのVA30には
高速巡航を考慮してOD付4速MTが組み合わされた。

ネーミング上の特徴として、「スタンダード」という名称が使われていないことが挙げられる。
車輛型式「A30-S」の”S”は”スタンダード”を示すものであるが
車名は単に「グロリア」となっている。

当時の廉価モデルは、「スタンダード」というグレード名が冠されることが一般的であったが
貧相なイメージの付き纏う「スタンダード」という響きが、國産最高級乗用車たるグロリアには
例え廉価モデルであっても相応しくないと判断された故と思われる。

先代のS4系に於いても、「スタンダード」というグレード名は設定されず、
スタンダード相当のグレードには「スペシャル」及び「6」というネーミングを冠している。

ただし、1968年10月以降はカタログ上の表記に控え目に「スタンダード」の文字が追加された。
1969年10月からは大きな文字で「グロリア・スタンダード」との車名に変更された。
これは販売上、営業車としての明快さを求められた結果だと思われる。

フロント・グリルのパターンは、ステンレスのメタルを打抜いて成型された細い格子状となっている。
繊細で美しい造形、眩いクロームの輝きは廉価モデルであるという引け目を一切感じさせない。

グリルとの一体感を重視して採用された、乳白色のターンシグナル・レンズの効果が見て取れる。


”日本の誇り”たる、富士山型の美しいプロポーション


小手先の装飾に頼らないS6系の堂々たるスタイリングは、シルエットそのものの完成度で
美しさを体現しており、廉価モデルにありがちな貧相さを微塵も感じさせない。

リヤ・ビューはシンプルで、リヤ・グリルは装着されず、左右に装着されたバックランプの間に
「 N I S S A N 」のエンブレムが備わるのみとなっている。

スクエアなキャビンや、リヤ・オーバーハングの長さが良くわかるリヤ・ビュー


リヤ・グリルをはじめ、ボンネット・マスコットやサイドシルのベルト・ライン 
ウィンドウ・サッシュなどのクロームの装飾は省略されている。

ただし、前後ガラスにウェザーストリップ・モールが奢られるなど
S40S/S41Sよりも豪華な仕上げとされている。

ウィールは、PA30-QM/PA30-Dより一回り小径となる13インチが採用された。
タイヤはS4系と同サイズの7.00-13-4Pだが、S40Sが黒タイヤだったのに対し
A30-Sではホワイト・リボンタイヤが奢られている。

PA30のフルカバー・キャップに対し、S4/S5系の廉価モデルと
共通のハーフ・キャップが組み合わされた。

エンブレムの装着位置は、PA30はリヤ・フェンダー後端、A30-Sはフロント・フェンダー後端となる。
これはS4/S5系から引き継がれたプリンスの基本レイアウトである。

シンプルなパターンのシート、時計/ラジオ・レスのフラットなインストゥルメント・パネル


内装も装飾が省かれ、装備も簡素化されている。
シートやドア内張りもシンプルなパターンとなっているが、色の濃淡によって
退屈にならないように工夫されている。
セカンダリー・ベンチレーター(フェイス・レベル通風口)は運転席側のみとなり
助手席側は孔に蓋がされている。

ラジオ、時計もオプション扱いとなり、空いたスペースにはカバーが装着された。
ラジオ用パワー・アンテナも備わらない為、スイッチの部分はカバーが装着されている。

インナー・バックビュー・ミラーも、防眩機構が省かれた薄型となっている。
三角窓の開閉もクランク・ハンドル式ではなく、一般的なノブ式となっている。
ヒーターもオプション扱いとなり、計器盤はあるが操作ノブが備わらない。

タクシーとしての過酷な運用に耐える為、リーフ・スプリングは4枚(PA30は3枚)に強化されている。

グロリア(A30-S)仕様

・寸法はPA30-QM/PA30-Dに等しい

・重量
車輛重量:1175kg 車輌総重量:1505kg 乗車定員:6名

・性能
最高速度:135Km/h 登坂能力:42.7%(Sinθ) 最小回転半径:5.5m 
制動距離:13m(初速50km/h)

・エンジン
型式:H20 水冷4気筒直列・OHV 内径×行程:87.2mm×83mm 総排気量:1982cc 
圧縮比:8.2
最高出力:92PS/4800r.p.m 最大トルク:16m-kg/3200r.p.m キャブレター:下向通風2連
エアクリーナー:ウレタン 燃料ポンプ:ダイヤフラム式 燃料タンク容量:50ℓ 

潤滑装置:強制循環式(濾紙式) 冷却装置:水冷強制循環式(ペレット式)
バッテリー:12V-35AH ジェネレータ:12V-300W(交流式) スターチングモーター:12V-1kw
クラッチ:乾燥単板式 トランスミッション:オールシンクロメッシュ式 3段+OD(オーバードライブ)
Low:3.184 2nd:1.641 Top:1.000  Rev:2.922 減速機形式:ハイポイドギア式
減速比:4.444 
ステアリング形式:リサーキュレーティングボール式 歯車比:19.8

・走行装置
前車軸:独立懸架式 後車軸:半浮動式 タイヤ:7.00-13-4PR(ホワイトライン・チューブレス)

・ブレーキ装置
主ブレーキ:前 デュオサーボ式/後 リーディングトレーリング式  
駐車ブレーキ:機械内拡 後2輪制動

・懸架装置
前輪:独立懸架ウイッシュボーンコイル式 線径16×中心径120×自由長35.8-有効巻数6.95
後輪:半楕円板バネ 長1442×巾70×厚7-枚数3/厚5-枚数1
ショックアブソーバー:油圧複動式 スタビライザー:トーションバー式

価格:75万5千円

グロリア(A30-S)仕様書


グロリア(A30-S)の外観四面図


四隅が張り出し、車輛感覚の把握が容易であったグロリアは教習車としても多用された


●グロリア(A30-P)

営業車プレート(緑ナンバー)を掲げるタクシー仕様のA30-S


見ての通り、縦型4灯ヘッドライトは上側が擦違いビーム、下側が走行ビームとなっている。

A30-P(”P”はプロパンの意)は、A30-Sを経済的なLPG仕様とした
タクシー・ハイヤー向けのフリートユース・モデル。

搭載されるエンジンはLPG対応型のH20で、レギュラー・ガソリン仕様から
12PSダウンとなる80PSを発生するものであった。

A30-Pは、LPG仕様のH20にベイパーライザー・ソノレイドバルブ・フィルター・LPGホース・
バキュームホース・ウォーターホース・LPG配管・ボンベ・充填口・充填バルブ・取出バルブ
を追加している。

LPG車配管装置図


LPG仕様の核となるベイパーライザーは、日立製GR-120型を採用した。
キャブレターは専用のシングル・バレル仕様となっている。

これらの追加装備により、車輛重量はガソリン車に対し75kg増の1250kgとなっている。
車輛価格も4万5千円アップの80万円となっていた。

プリンスのLPGユニット開発は、ブリヂストン液化ガスと共同で行われた。

余談だが、ブリヂストンはプリンスを手放した後の1966年10月に
日本初となる家庭用LPガス「ブリヂストン純プロパン Pグロリア」を発売している。

ブリヂストンは1991年に提携先の三井物産に株式のすべてを譲渡し
液化ガス事業からは撤退したが、Pグロリア・ブランドは継続して販売され
現在も全国200万世帯で愛用されるロングセラーとなっている。

「Pグロリア」の”P”は”プロパン”の頭文字であるが、”プリンス・グロリア”とも読むことが出来る。

石橋会長は断腸の想いでプリンス合併を決断しており、車への愛着も強かったので
合併後の自社製品にも「スカイウェイ」「グロリア」と、プリンスを偲ぶ名称を与えている。

これは石橋会長の強い想いで盛り込まれた「プリンスの名を永久に残し、発展を図ること」という
契約内容を日産が反故にし、マイラー、クリッパー、ライトコーチと次々とプリンス車を
廃止したことに対する失望と落胆もあったのではないかと思われる。

●グロリア バン・デラックス(VPA30)の概要

”プリンスの総力が集まったグロリア・バン・デラックス。ビジネスとホリデーをスマートにします”


バン・デラックス(VPA30)は、グロリア6ワゴン(V43A)のポジションを引き継いだモデルである。
G7型OHC6気筒エンジン(圧縮比8.3/100ps仕様)にOD付4速コラム・マニュアルを組み合わせ
最高速150km/hという快速と比類なき静粛性、高速安定性を誇った。

S4系のバン/ワゴンには、4ナンバー貨物登録「グロリア6ワゴン(V43A)」と
5ナンバー乗用登録「グロリア6エステート(W41A)」の2車種が設定されていたが
S6系では5ナンバー乗用が廃止され、4ナンバー貨物登録のみに絞られた。

S4系ではバン/ワゴン共に6気筒のみの設定であったが、S6系では新たに
日産製4気筒搭載の廉価版がラインナップされた。

グロリア・バン・デラックスが正式名称だが、フロント・フェンダーにはSUPER6と対になる
「DELUXE6」というエンブレムが備わり、6気筒搭載車であることを誇示している。

輸出仕様の車名には、W41Aの名が引き継がれ「GLORIA Estste」とされた。

セダンの風格そのままの威風堂々たるフロント、グリルはPA30-QM用に交換されている


リヤ・ゲートは、S4系に採用された電動昇降式リヤ・ウィンドウと下ヒンジのゲートに代わり
國産中型バンとしては初となる、1枚跳ね上げ式が採用された。

この方式は小型バンであるS5系スカイウェイ・バン/スカイライン・エステート(1964年12月~)
から採用されたもので、リヤ・ウィンドウの開閉操作が不要かつ
雨天時には傘としても機能する優れた形式であった。

ゲートを保持するのは一般的なダンパーではなくトーション・バーで、軽い力で開くことが
出来る上に、油圧式と違い経年劣化によるヘタリもない優れた方式であった。

ステーション・ワゴンを乗用車やレジャー・カーとして使用するアメリカでは、ベンチとしても
機能する手前開き/横開きのリヤゲートが主流であり、黎明期の國産車もそれに倣ったが
1960年代後半以降、ワゴン/バンを専ら商用車、貨物車として運用する日本に於いては
ワンタッチで開く1枚跳ね上げ式が主流となっていった。

廃止された電動昇降式リヤ・ウィンドウに代わり、左側のサイド・ウィンドウが電動昇降式となった。
インストゥルメント・パネルの操作スイッチもしくはリヤ・フェンダーのキーホールから
操作することが可能で、リヤ・ゲートを開けるまでもない小さな荷物の積み下ろしに便利であった。

1968年9月には130セドリック・バンもこの方式を採用、以後Y30系バンまで続く特徴となった。

電動式サイド・ウィンドウは換気にも効果を発揮し、セカンダリー・ベンチレーターと
組み合わせることによって、室内の空気を常に新鮮に保つことが可能であった。

荷室はソフトなトリムで覆われ、積荷が傷んだり汚れたりしないように配慮されている。
”グロリア・ソフト”と形容された自慢の柔らかなサスペンションと相俟って
悪路走行でも積荷が痛むことが無かった。

数値上の荷室容積を追い求めるのではなく、実用的なレベルを確保しながら
ロイヤル・ラインを基本とした、スタイリッシュなスタイルを実現している。

セダンと同じように、スタイリッシュに傾斜したDピラーはカタログに於いて
「ファストバックを採り入れた後姿」と謳われたもので、長いルーフと相俟って
セダン以上にロング&ローを感じさせる視覚的効果を持つものであった。

テール・エンドもセダン同様にテール・フィン状に大きく張り出しており、ギリギリまで荷室を
拡大するのではなく、優雅な余裕と遊びを持たせたエレガントなプロポーションであった。

テール・フィンの張り出しには、リヤ・フェンダーにサイド・ウィンドウの昇降機構を収める事も
考慮されており、単なるデザインのみならず機能性も両立したものであった。

1型(1967年4月~1968年10月)はVPA30/VA30共にリヤ・グリルは装着されない。
リヤ・グリルはVPA30は2型から、VA30は3型から装着されることなった。

基本装備はPA30-Dと概ね同じとされ、高感度ラジオ、時計、強力ヒーターなどが
標準装備となっていたが、セカンダリー・ベンチレーターは運転席側のみとされるなど
PA30-Dと比してやや簡素化されている。
これはS41DとW41Aの構成と共通の傾向であった。
足元に走行風を導入するサイド・ベンチレーターは、運転席/助手席の両側に標準装備された。

プリンス自動車が特許を取得していたリヤ・シートのスライド・リクライニング機構は
廃止されてしまったが、こちらもプリンスの特許であったワン・アクションでの
リヤ・シート折畳み機構は引き続き採用された。
荷室に備わる保護棒は脱着が可能で、荷物の形状に合わせた積み方が可能だった。

エンジンの圧縮比はPA30-Dの8.8に対して8.3に下げられ、レギュラー・ガソリンに対応した。
最高出力も5psダウンの100ps仕様となり、ランニング・コストに
シビアな商用車らしい配慮がなされている。

グロリア バン・デラックス(VPA30)仕様

・寸法
全長:4690mm 全巾:1695mm 全高:1500mm WB:2690mm
トレッド:前 1385mm/後 1390mm 最低地上高:180mm
荷室長:3名 1855mm/6名 1085mm 荷室巾:1370mm 荷室高:835mm 
床面地上高:665mm

・重量
車輛重量:1365kg 車輌総重量:3名 1930kg/6名 1945kg 乗車定員:3名/6名
最大積載量:3名 400kg/6名 250kg

・性能
最高速度:150km/h 登坂能力:31.4%(Sinθ) 最小回転半径:5.5m 
制動距離:13m(初速50km/h)

・エンジン
型式:G7 6気筒直列・OHC 内径×行程:75mm×75mm 総排気量:1988cc 圧縮比:8.3
最高出力:100PS/5200r.p.m 最大トルク:15.4m-kg/3600r.p.m キャブレター:下向通風2連
エアクリーナー:濾紙式 燃料ポンプ:ダイヤフラム式 燃料タンク容量:50ℓ 

スターチングモーター:12V-1kw

・走行装置
前車軸:独立懸架式 後車軸:半浮動式 タイヤ:6.00-13-6PR.LT(ライト・トラック)

・ブレーキ装置
主ブレーキ:前 デュオサーボ式/後 リーディングトレーリング式 
駐車ブレーキ:機械内拡 後2輪制動

・懸架装置
前輪:独立懸架ウイッシュボーンコイル式 線径16×中心径120×自由長347.7-有効巻数6.43
後輪:半楕円板バネ 長1442×巾70×厚7-枚数3/長713×巾70×厚13-枚数1
ショックアブソーバー:油圧複動式 スタビライザー:トーションバー式

価格:83万円

●グロリア・バン(VA30)の概要

”魅力と実力を備えたプリンスの経済車 グロリア・バン”


長いノーズ、長いルーフ、傾斜したリヤ・ゲート、大きく張り出したテール・エンドが実に
スタイリッシュであり、カタログには「このモダンな風貌が、荷を運ぶ車に見えますか」
という自信に満ちたヘッド・コピーが躍った。

S4系の6ワゴン(V43A)/6エステート(W41A)にはG7型OHC6気筒のみが搭載され、4気筒の
設定はなかったが、S6系では新たに日産製H20型OHV4気筒搭載の廉価モデルが新設された。

H20型エンジンや内外装は概ねA30-Sに準じている。

価格は74万円と、S6系のシリーズ中で最も安価なモデルとなった。
ラジオ・ヒーター・時計などは悉くオプショナル扱いとされている。
しかし、荷室のサイド・ウィンドウにはVPA30と同じ電動昇降式が奢られている。

セカンダリー・ベンチレーター(フェイス・レベル)は運転席側のみの装備となるが
サイド・ベンチレーター(足元)は助手席側にも標準で備わる。
セカンダリー・ベンチレーターは運転席側(右側)に備わるので、荷室のサイド・ウィンドウ(左側)と
組み合わせて使用することにより、車内の空気をスムーズに入れ替えることが可能であった。

ヒーターもオプションとされ、標準では計器盤はあるが操作ノブが備わらない。
ワイパーは低速/高速の2段式で、オートストップ機構が備わる。

価格的にはA30-S(75万5千円)よりも下回っているが、OD付4速ミッションにより
最高速は145km/hと(A30-Sは135km/h)性能面では上回っている。

これは、混雑した街中を低速で長時間走行するタクシーとしての性能を重視したA30-Sと
高速商用車として優れた巡航性能を重視したVA30という、性格の差から来たものであった。

ボディ・カラーはソリッドの3色が用意され、シンプルながら濃淡で
アクセントを付けた内装と組み合わされることにより、エレガントな雰囲気を演出していた。

”魅惑のリア・スタイルは便利さを秘めています”


リヤ・グリルの備わらないシンプルなリヤ・ゲート、荷室のサイド・ウィンドウに備わる
ディヴィジョン・バー(仕切り)が特徴的。

廉価モデルのVA30には、タンデム・マスターシリンダーやマスターバックは備わらない


6気筒エンジンを搭載することを前提としたエンジン・ルームに、全長の短い4気筒を搭載した為
クーリング・ファンのシュラウドが大型化されている。
この車輌はヒーター・レス車なので、ブロアーファンが装着されていない点にも注意。

H20型エンジンは、1963年登場のG7型に比して設計の古さが目立つものであった。

タイヤは貨物車なのでLT(ライト・トラック)タイヤ、6.00-13-6PRを採用。
A30-Sの7.00-13-4PRと比して、大きな荷重に耐えうるように考慮されている。

A30-S及びVA30には、縁にリブの刻まれた浅い円錐状のハーフ・キャップが備わる


グロリア・バン(VA30)仕様※VPA30との差異のみを示す

・重量
車輛重量:1280kg 車輌総重量:3名 1845kg/6名 1860kg 乗車定員:3名/6名
最大積載量:3名 400kg/6名 250kg

・性能
最高速度:145km/h 登坂能力:34.2%(Sinθ) 最小回転半径:5.5m 
制動距離:13m(初速50km/h)

・エンジン
型式:H20 水冷4気筒直列・OHV 内径×行程:87.2mm×83mm 総排気量:1982cc 
圧縮比:8.2:1
最高出力:92PS/4800r.p.m 最大トルク:16m-kg/3200r.p.m キャブレター:下向通風2連
エアクリーナー:ウレタン 燃料ポンプ:ダイヤフラム式 燃料タンク容量:50ℓ 

潤滑装置:強制循環式(濾紙式) 冷却装置:水冷強制循環式(ペレット式)
ジェネレータ:12V-300W(交流式)
価格:74万円

本項は「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --③-- 」に続く。
Posted at 2012/02/27 19:50:38 | コメント(17) | トラックバック(0) | S6系グロリア(タテグロ) | クルマ
2012年02月14日 イイね!

其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --①--



1959年2月、皇太子殿下明仁親王(今上天皇陛下)の御成婚を祝し
”皇太子の栄光”の車名を奉りて、初代「プリンス・グロリア」は誕生した。

戦後初の3ナンバー大型車にして、皇室の慶事に供するに相応しい品格を備えたものであった。

金色に輝くベルトラインも美しく、鋭い垂直尾翼が航空機の遺伝子を示す


1962年9月14日には、ワイド・ロング・ローのダイナミックかつ細部まで隙の無い
完成されたデザインを実現した、2代目グロリア(S4系)が鮮烈なデビューを果たした。

複雑な曲面によって構成された、有機的なフォルムが個性的なプリンス グロリア・デラックス


5ナンバー規格に収まっているにも関わらず、それを感じさせない見事なデザインを実現し
アメリカ製大型車に引けを取らぬ、威風堂々たるスタイリングを誇った。

内装には日本が誇る伝統の西陣織を奢り、欧米の模倣に留まらぬ
日本独自の美しさ、「和」の世界観を打ち出した。

1963年6月20日には、国産初となるOHC6気筒2000cc・105馬力エンジン「G7」が投入され
総合性能に於いても、世界に名立たるメルセデス・ベンツに伍する国際一級車の地位に到達した。

最高速度155km/hを実現、OHC6気筒ならではのスムースさとフレキシブルさが自慢であった


欧米の一級車と肩を並べる、これらの名車を生み出したプリンス自動車の前身こそは
「東洋一の航空機メーカー」としてその名を世界に轟かせた中島飛行機であった。

プリンスの前身である中島飛行機の代表作、5700機余が生産された一式戰斗機「隼」I型(キ43)
大東亞の空を駆けた、帝國陸軍飛行第64戰隊(加藤隼戰鬪隊)所属の「隼」の勇姿


利益と効率を最優先する、官僚的かつ硬直化した大メーカーが持たざるもの。

最先端分野であった航空機の開発により磨き抜かれた高い技術力。
上司と部下の壁が無い自由な社風、柔軟な発想。
常識に囚われないクォンタム・ジャンプの思想。

これらを以て、日本の自動車産業の発展を力強く牽引してきたプリンス自動車であったが
突如としてその命脈を絶たれることとなった。

1966年8月1日

旧態依然とした、一種の社会主義的な性格を持つ「特振法構想」に端を発する
自動車メーカーの整理統合計画。

これを実現せんと水面下で蠢動せる通産省の思惑により
プリンス自動車は日産自動車と合併するに至る。

こうして、プリンス自動車は栄光と矜持に満ちた歴史に幕を下ろしたのであった。

激動の時代の中で「栄光」の名に恥じぬ旗艦が見せた最期の輝き

それが3代目プリンス・グロリア(S6系)であった。



今回は、栄光と悲劇をその一身に背負いて歩んだ3代目グロリアの生涯を御紹介致します。
文字数制限の関係から、今回は5部構成となっております。

3代目グロリアは一般的に「A30系」と呼称されますが、これは鶴見(日産)側の型式であり
当ブログでは荻窪(プリンス)流儀の「S6系」を尊重し使用しています。

-●本項に於ける、型式記号及び略語の指し示すものは以下の通り--

・S6系(3代目グロリア)※日産側呼称A30

便宜上、本項ではS4/S5系に倣い各生産分を1/2/3型と分類する

1967年4月~1968年9月までの生産分を「1型」
1968年10月~1969年9月までの生産分を「2型」
1969年10月~1971年2月までの生産分を「3型」

・車種/型式対応表

スーパーデラックス:PA30-QM(G7H型搭載車)/HA30-QM(L20A型搭載車)

スーパー6:PA30-D(G7H型搭載車)/HA30-D(L20A型搭載車)

上記2車種について、末尾に”A”の付くものはニッサン・フルオートマチック装着車を指す

グロリア/スタンダード:A30-S(H20型搭載車)/A30-P(LPG車)

バン・デラックス:VPA30(G7L型搭載車)/VHA30(L20A型搭載車)

グロリア・バン/バン・スタンダード:VA30(H20型搭載車)

・輸出仕様

セダン

NISSAN GLORIA DELUXE:PA30-UQ/PLA30-UQ

NISSAN GLORIA/NISSAN GLORIA STANDARD:PA30-U/PLA30-U

ワゴン

NISSAN GLORIA Estate:WPA30-U/WPLA30-U

※Uは輸出仕様、Lは左ハンドル、Wはワゴン、PはG7型6気筒、Qは豪華仕様を示す

・S4系(2代目グロリア)

グロリア・デラックス:S40D
グロリア・スーパー6:S41D
グロリア・スペシャル:S40S
グロリア6ワゴン:V43A
グランド・グロリア:S44P
グロリア6:S41S
グロリア6エステート:W41A

皇室御料車 プリンス・ロイヤル:S390-1

・略語

OD(オーバー・ドライブ/ハイギヤード4速) PS(パワー・ステアリング) PW(パワー・ウィンドウ)
PB(パワー・ブレーキ/倍力装置) AT(オートマティック・トランスミッション) BW(ボルグワーナー)
MT(マニュアル・トランスミッション) WB(ウィール・ベース/軸距) 
OHC(オーバー・ヘッド・カム) OHV(オーバー・ヘッド・バルブ)

-●S6系グロリアの概要と歴史的背景--

S6系グロリアの開発がスタートしたのはS4系グロリアがデビューした1962年の秋であった。
長期の開発期間を要する自動車に於いては、新型登場直後に
次期型の開発が始まるのが常である。

S6系の開発に於いては、プリンス初の試みとなる「企画委員会」が編成された。
これはプリンス自工(開発側)と、プリンス自販(販売側)が合同で立ち上げた組織である。

従来の商品企画・開発は、プリンス自工が独自に進めてきたもので
自販は企画・開発には基本的に関与せず、販売・サービスのみを担当する部門であった。

しかし、時代の変化と共に顧客の要望を汲み上げて商品に反映する必要が求められ
ユーザーの声をダイレクトに受け止めることの出来る自販の意見が採り入れられることとなった。

企画委員会の元で順調に進められていたS6系の開発であったが
1966年8月1日の日産による吸収・合併により、当初の構想の変更を余儀なくされた。

日産側の人間が送り込まれ、コスト削減を主眼とした部品共通化やバリエーションの
削減を強要されたが、それでもなおS6系グロリアは優秀なるプリンス陣営の手によって
開発された、紛れも無い純血のプリンス車であることは論を待たない。

--以下、S6系グロリアのカタログから抜粋--

”紳士専用の常用車です”

”こんなに運転し易い車が今まであったでしょうか”

”長距離にも余力をのこし、高速走行にも余裕をたもつ”

”日本の乗用車に誇りをもっていただく、あたらしいグロリア”

”それは、乗ることが誇りである栄光の乗用車なのです”

・・・「静」・・・

いま私どもが考えますことは、高速メカニズムの開発はもちろんですが、同時に、
高速性を十分に支える車の本質をバランスよく向上させることであり、
そこに技術と才能を奉仕させるべきだということです。

新型のグロリア・スーパー6はその問題と真剣に取組んだ解答です。

この開発は地味な努力の連続でした。
ある意味では商品開発というよりも、より学問に接近した研究でした。

疾風のようにハイウェーを駆けるチカラをフルに生かしながら安全性をいかに守るか?
車室に侵入する騒音をどう防ぎ、静かで快適な居住性が得られるか?など
「乗る人」に重点を置いて自問し、技術で自答しようとした結論がここにあります。

日本に初めて誕生した「静粛な車」
知性ある人に選ばれるのにふさわしい充実した車と信じます。
グロリア・スーパー6は「空前の収穫」といわれる車の理想像です。

”ハイウェー建設に先行”

日本は、世界の主要国で最も高速道路建設が遅れていました。

ヨーロッパでは汎ヨーロッパ道路ともいえるE路線(デンマークからイタリーまでを貫通させる計画)
まで着々と実行に移され、アメリカでは90%国庫負担の6万6千キロに及ぶ
高速道路網建設が急ピッチで進められています。

しかし、日本でもようやく名神、東名中央の高速道路が開通し、車の機動力が
充分に発揮できる時代が訪れ、さらに相次いで道路網計画は伸ばされようとしています。

高速時代の到来です。

こうして道路の高速化計画は、私達に時速100キロの世界をもたらしましたが、
心理的にも生理的にも、いままでの車では考えられなかった対策が要求されます。

プリンス車が国際舞台で堂々と欧米車と競ってきたのは、高速道路建設に
先行する技術開発があったからです。

”より安全に、より速く”

それは、高速性能の機構開発と同時に高速運転がもたらす非安全性にメスを入れることでした。

ニューグロリアは世界で最も厳しい規制を設けている米国安全基準を充分に
満足するものであり、さらに独自の安全機構を加えた最新鋭車です。

--引用終わり--

S6系に於いて重きを置いた点は以下の5点

・従来より継承せる技術の玉成と、新機構の積極的な採用により近代化を推し進める
・皇室御用達の名に恥じない、気品ある凛とした外観・内装の仕上げを目指す
・従来から推進せるメンテナンス・フリーの更なる高度化
・ATをはじめとする各種パワー・アシストを中核とした、米車的なイージー・ドライブの実現
・高速道路網の充実と貿易自由化に伴う海外進出に対応した、世界水準の性能と静粛性の実現

◆グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM)仕様一覧

全長:4690mm 全幅:1695mm 全高:1445mm WB:2690mm 
トレッド:前 1385mm 後 1390mm 最低地上高:175mm
客室(長):1830mm (巾):1420mm (高):1135mm

乗車定員:5名(コンソールボックス付セパレート・シート)

車輌重量:1295kg 車輛総重量:1625kg 燃料容量:50ℓ 

ステアリング:リサーキュレーティング・ボール循環式 歯車比 19.8:1

走行装置:前 独立懸架式 後:半浮動式

タイヤサイズ:6.95-14-4P(ホワイトライン チューブレス) 

懸架装置:前輪 独立懸架式 ウィッシュボーン・コイル式 後輪:半楕円板バネ

ショックアブソーバー:油圧複動式 スタビライザー:トーションバー式

エンジン:G7型 直列6気筒OHC 総排気量:1988cc(ボア・ストローク:75×75) 圧縮比:8.8:1
最高出力:105ps/5200rpm 最大トルク:16.0kgm/3600rpm 
フロント縦置 4バレル2ステージ キャブレター(下向通風式)1基

トランスミッション:オールシンクロメッシュ式3段+OD(オーバードライブ)コラムシフト
減速機形式:ハイポイドギヤ 減速比:4.675
オプション:BW-35型 3速AT コラムセレクター

エアクリーナー:濾過式 燃料ポンプ:ダイヤフラム式 潤滑装置:全圧送式(フルフロー式)
冷却装置:強制循環式 ワックスペレット式

バッテリー:12V-35AH ジェネレター:12V-45A(交流式) スターチングモーター:12V-1.4kw

クラッチ:乾燥単板式 

主ブレーキ:前 ディスク式 後:リーディングトレーリング式 油圧真空サーボ付独立2系統式
駐車ブレーキ:機械内拡式後2輪制動

最高速度:160km/h 登坂能力(Sinθ%):40.8% 最小回転半径:5500mm 
制動距離13m(初速50km/h)

価格:111万円


車輛価格はS41D-2型/110万7千円→PA30-QM/111万円、PA30-D/101万5千円となっている。

PA30-QMはS41D以上S44P未満といった位置付けとなっており、PA30-DはS41Dと
概ね同じ位置付けであった。

日産との合併に伴い、3ナンバー大型車及び5ナンバー乗用ワゴンは廃止された。

最高速度は、急速に発展する高速道路網に対応し155km/h→160km/hと更なる余裕を持たせた。

登坂能力は(Sinθ%)37%→40.8%に向上、最小回転半径はWB延長に
伴い5400mm→5500mmとやや大きくなった。
制動距離は12m→13m(初速50km/h)となっている。

-●デザイン--

--カタログより引用--

”現代の風貌ロイヤルライン”

近代美たたえる最新鋭グロリア・スーパー・デラックス

シャープな個性と端正な品格が見事に融和したグロリア・スーパーデラックスは
車のフォーマルウエアと呼ぶにふさわしい紳士専用車です。

長く、巾広く、重心の低い風貌の「ロイヤル・ライン」。
直線を基調にしたデザインが近代的な格調をたたえています。

ロイヤル・ラインは、建築的な構成を背景にして生まれた斬新な造形です。
端正で、落着きはらったその風貌にはヨーロッパの中型車に見られるような
リゾートな雰囲気とは、対照的な風格があります。

フロント・グリルの中央を上下に2分する水平のラインは、そのまま、ヘッド・ランプから
サイドのモールに貫かれ、近代的なシャープな個性を強調しています。
フロント・グリルのパネルは亜鉛ダイカストのクローム仕上げで、
いつまでも美しい輝きを失いません。
グレーのパターンとの組合せが、新鮮な落着きを見事に定着させました。

ヘッド・ランプはタテ型4ランプ。車巾の広さを強調しています。
黄色の方向指示ランプはスタイルのバランスを尊重して、
乳白色のレンズでカバーされるなど細かい神経が行届いています。

リア・ランプもタテ型。上下に赤いテール・ランプ、ストップ・ランプを配して、その中間に
アンバーのフラッシャー・ランプを独立してはさみ、判別しやすくされています。
大型である上に、新設計のレクトアングル・カットのレンズが採用されているので白昼でも、
豪雨でも、後続車からはっきりと識別できる安全設計です。

リア・ランプの間には彫りの深い豪華なリア・グリルが格調の高さを示して取付けられています。

--引用終わり--

デザイン上の最大の特徴は愛称ともなった「タテグロ」の名の示す通り、縦型4ランプである。

縦目4灯ヘッドライトは、開発がスタートした直後の1962年9月にGMが「新しいトレンド」として
提唱した、1963年型ポンティアックに刺激を受けて採用が検討されたものであった。

縦目4灯ヘッドライト、アイブロウ、スプリット・グリルが特徴的な1963年型ポンティアック・カタリナ


車巾一杯に延ばされたリヤ・ガーニッシュもまた、S6系のデザインに影響を与えた


”ワイド・トラック”で知られるポンティアックは、視覚的なワイド感の演出も実に巧みであった。

ボディを実際以上にワイドに見せる効果を持つ縦目4灯ヘッドライトは、1960年代中盤の
デザイン・トレンドとなり、GMはポンティアックの続いて旗艦たるキャディラックに採用した。
これらは大変高い評価を獲得し、フォード、プリマス(クライスラー)、ランブラー(AMC)らが
追従するに至る一大ムーブメントとなった。

1965年型ランブラー・アンバサダー、各所にS6系と通じるデザインを持つ


車巾を実際の数値以上にワイドに感じさせる縦目4灯配置、その効果が見て取れるフロント


走行ビームを受け持つ上側のライトは、すれ違いビームを受け持つ下側のライトよりも
外側かつ前側に張り出して配置されており、繊細かつ複雑な表情を創りだしている。
「吊り目」のヘッドライトは、歴代プリンス車に引き継がれてきたアイコンである。

ヘッドライト・ベゼルの頂部には、前照灯を光源とし点灯するクリアランス・ソナーが備わっている。


これはALSIスカイライン/BLSIPグロリアから続く装備で、高い実用性を優れた発想で実現している。

その一方で、S6系グロリアのデザインに大きな影響を与えたのが
プリンス自らが手掛けた國産初の皇室御料車「プリンス・ロイヤル」(S390-1)の存在であった。

威風堂々でありながら、静謐な雰囲気を湛えるプリンス・ロイヤル


ボディ・サイズは全く違うが、基本的なシルエットを共有する2台


ロイヤルは全長6155mm、全幅2100mm、全高1770mmという桁外れの巨躯を
均整のとれたプロポーションに纏めるべく、必然のデザインとして縦目4灯ヘッドライトが採用された。

巨躯ながら決して威圧的でなく、どことなく温和な表情と感じさせるプリンス・ロイヤルのフロント


中央に十文字を据え、細かな格子によって形成された繊細なフロント・グリルの構成は
PA30-D/VPA30(2型)にそのまま受け継がれることとなった。

御料車に随伴する供奉車としての重責を担うグロリアは、ロイヤルと共通したデザインを
採用することにより、車列の完成度を高める意図もあり縦目4灯が採用されたのであった。

天皇陛下のお乗りになられた御召艦プリンス・ロイヤルの直衛を務める3台のプリンス・グロリア


この一葉からも、S390-1とS6系の基本のデザインを共通した成果が見て取れる。

それ故に、S6系を単純に「アメ車の真似」と呼ぶのは、特徴的なデザインの採用に至る
経緯を踏まえておらず、的を得ていないと云わざるを得ない。

フロントのデザインを反復する、縦型のテールライト配置


ヘッドライトと同じくテールライトの頂部にも、光を導いて点灯するクリアランス・ソナーが備わる


リヤ・グリルと呼ばれる、繊細な彫刻が施されたガーニッシュはボディ両端に置かれた
縦型テールライトと相俟って、より一層ワイド&ローを強調する視覚的効果を生みだしている。

サイドビューは、セダンの正統と云うべき端正なボックス・スタイルを採用。
長いノーズ、スクエアなキャビン、長いフードで構成される”富士山”型のシルエットは
正に、日本の風土が生んだ黄金比で形成されたスタイリングであった。

セダンの理想、正統とは斯くあるべしといった趣の美しいサイドビュー


基本的なシルエットは、1963年9月にデビューしたS5系スカイラインとの近似性が強く
ボディサイド中央を真一文字に走るベルトラインは、S4系とS5系それぞれのベルトラインを
巧く纏めたものとなっており、凛とした緊張感と格式を感じさせるものである。

上端をベルトラインと合致させたフロントのウィールハウス、少しだけタイヤに被さるリヤの
ウィールハウスや、フロントバンパーから始まりリヤバンパーへと伸びるストレートかつ
彫りの深いプレスラインは、スカイライン・スポーツやS5系スカイライン、S4系グロリアらの
歴代プリンス車が採用し続けてきた伝統のアイコンでもある。

S6系グロリアのデザインは、歴代プリンス車の集大成とも云うべきもので
密度が高く、一切の破綻無く、比類なき完成度を誇るものであった。

-●ボディ/シャシー関係--

S6系の機構面に於ける最大のトピックは、ボディ構造の刷新である。
基本設計を1957年登場のALSIスカイライン(S2系)から継承せる、トレー型の独立フレームを持つ
S4系から、新たにユニット・コンストラクション・ボディ(応力外皮構造体)を採用したのである。

S4系では車体の剛性不足(フレームとボディが別体式)と振動、騒音が弱点とされたので
S6系では一体式ボディに剛性を持たせることで振動を抑え、それにより騒音を軽減した。

S6系に先立つこと3年余、プリンスは1963年9月12日デビューのスカイライン(S5系)に
ユニット・コンストラクションを初採用していた。

※ユニット・コンストラクションは一般的に「モノコック」と呼ばれるが、厳密には正しくない。

応力外皮構造を説明する、スカイライン(S5系)のスケルトン・ボディ写真


この方式はボディ・オン・フレームと比較して、軽量かつ剛性に優れるメリットがあり
特に、国産5ナンバー・フルサイズのような中型車には絶大なる効果を発揮せるもので
現代の乗用車の主流となった機構である。

ボディ・サイズは、5ナンバー規格の中で最大のサイズを求めてS4系よりも拡大され
全長は4650mm→4690mmに、ウィールベースは2680mm→2690mmに延長され
ボックス・スタイルと相俟って室内空間、特に後席の足元が大幅に拡大された。

また、従来は平面ガラスであったサイド・ウィンドウにプリンス車としては初となる曲面ガラスを採用。
これにより室内空間の幅、特に肩周りの余裕が拡大された。

それに対して全高は1480mm→1445mmと一段と低くなり、前面投影面積を小さくし
空気抵抗を減少させ、見るからに精悍で安定性が高く
重心の低さを感じさせるアピアランスを得た。

車輛重量は軽量な応力外皮構造を採用したことにより、独立フレーム構造を持つ
S41D-2型/1320kg→PA30-QM/1295kgと、25kgもの軽量化を果たしている。

S6系の開発に於いてプリンス技術陣は、数値には表せない人間の感じる「心地良さ」や
「安心感」といった抽象的な部分に至るまで完璧を追い求めた。

「あなたが最初に触れる部分・・・」

クルマの品質水準を端的に示すドアに関しては、人間工学に基づいて設計された
握りの確かさ、開ける時の軽快さ、閉めた時の確かな感触、重厚な音、ドアの開閉に伴う
室内の音の反響までを追求し、気の遠くなるような回数のドア開閉テストが行われた。

車体が受け持つパッシブ・セーフティ(受動安全)についても、様々な新機構が採り入れられた。
堅牢なボディと共に、大きな衝撃を受けても外れないセーフティ・ドアラッチの採用。
ソフトパッドで覆われたダッシュボード及びインナー・ピラー、出来る限り突起物を減らした室内など。

操舵機構はS4系から変更なく、リサーキュレーティング・ボール式を採用した。
ギヤ比も同じく19.8:1であったが、ステアリング・ウィールの径が一回り小さくなり
一クラス下のS5系スカイラインと同径としたことによって、軽快なハンドリングを実現した。

燃料タンク容量はS40/41系と変更なく50リッターで、プリンス乗用車の伝統である
リヤシートとトランクルームの間に設置された背負い式としている。
給油口は左Cピラー根元に上向きで設置されている。

スペアタイヤはトランクフロア埋め込み式として、6人分のゴルフバッグを収納しても
なお余裕のある、大きなトランクルームを実現している。
トランクルームの床面や壁面は、フォーム材の内張りでカバーされ
積載した荷物が傷まないように配慮されている。

競合するトヨペット・クラウンが、吊り下げ式燃料タンクとトランク室内収納式スペアタイヤを
採用したことにより、トランクルーム容積が比較的小さいのと好対照である。

-●エンジン--

”日本の水準を3年リードしているOHC・6気筒2000cc・105PS”

1963年6月20日、国産初となる直列6気筒オーバーヘッドカムシャフト(OHC)エンジン「G7」が登場。
国産車中最強となる105psという高出力を実現し、
リッターあたり出力も52.5psと初めて50psを突破した。

S6系ではこの傑作エンジンを小改良し、継続して搭載した。

4気筒エンジンについては、プリンス自製のG2型から日産製H20型へと変更を余儀なくされた。

残念ながら、1969年10月には整理統合によってG7型が生産中止、6気筒車に搭載される
エンジンも日産製L20A型に換装されてしまった。

エンジンは当初、6気筒にプリンス製のG7型、4気筒に日産製H20型の2種が設定された。

滑らかなカマボコ型のヘッドカバーに特徴がある、G7型・直列6気筒OHCエンジン外観


ヘッドラインの「日本の水準を3年リードしている」とは、直列6気筒OHCエンジンに関して
ニッサン・セドリックは1965年10月、トヨペット・クラウンは1965年11月の投入であったのに対して
プリンスは1963年6月に、グロリア・スーパー6でこれらに先駆けていたことを誇るものである。

整然と纏められた美しいエンジンルーム、絹のように滑らかと云われたG7型エンジンが鎮座する


G7H型はPA30-QMとPA30-Dに搭載され、PA30-QMには4バレル・キャブレターが、
PA30-Dには2バレル・キャブレターが組み合わされた。
いずれも圧縮比8.8/最高出力105psのハイ・コンプレッション仕様で、ハイオク指定となっている。

VPA30に搭載されるG7型は、圧縮比8.3のレギュラー対応となり型式もG7L型となっている。
それぞれの型式の末尾に付く”H”は高圧縮比(8.8)、”L”は低圧縮比(8.3)を意味している。

G7H型 直列6気筒OHC 総排気量:1988cc(ボア・ストローク:75×75) 圧縮比:8.8
最高出力:105ps/5200rpm 最大トルク:16.0kgm/3600rpm

G7L型 最高出力:100ps/5200rpm 最大トルク:15.4kgm/3600rpm

PA30-QM:G7H型(ハイオク指定/105ps/4バレル・キャブ)

PA30-D:G7H型(ハイオク指定/105ps/2バレル・キャブ)

VPA30:G7L型(レギュラー対応/100ps/2バレル・キャブ)

國産車として初となる、OHC機構を備えた先進的な直列6気筒エンジンであった


G7型エンジンは型式こそ変更なしだが各部に改良が施され、S4系ではカマボコ型であった
カム・カバーの形状が僅かに角張ったものとなり、スタットボルトの位置もオフセットされた。

オイル・フィルターがカートリッジ式(インナーフィルター交換式)からスピンオン式(一体式)に
変更され、交換・整備が容易となった。

スペース効率を高め、ボンネット高を抑えるべくエア・クリーナーは薄型とされた。
深刻な問題となっていた公害対策として、従来は大気開放式であったブローバイ・ガスを
エア・クリーナー還元式に改めた。

エア・クリーナーのエレメントはビスカスタイプを採用、2年または4万km無交換を実現した。
当時は砂埃の多い非舗装路を走った後は清掃が必要であったが、その手間も省かれた。

ラジエーターはセミ・パーマネント方式を採用し、2年または4万kmまで
冷却液の交換が不要とされた。
防錆、オーバーヒート及び凍結防止に特に重点が置かれていた。

4気筒エンジンはS4系ではプリンス自製のG2型が搭載されていたが、日産製H20型に換装された。

H20型は最初期仕様である1900cc版が1960年に登場、原型となったエンジンは更に遡って
東急くろがね工業時代に開発されたという、当時でも既に旧態化を隠せないものであったが
日産との合併に伴い、生産エンジンの整理・統合を求められ、新型OHC4気筒エンジンを
鋭意開発中であったプリンスとしては、不本意ながらもこれを搭載することになった。

プリンスが開発を進めていた新型4気筒エンジンは、クロスフロー吸排気・OHC・
半球形燃焼室(ヘミスフェリカル)構造を持つ、極めて意欲的かつ先進的な設計で
圧倒的な最高出力(1500ccで88ps)や、他車よりも進歩的なメンテナンス・フリーシステムなどが
高く評価され、1968年度の自動車技術会・技術賞を受賞した傑作であった。

プリンスでは、第1回日本GPの雪辱を果たすまでは市販車の開発凍結も辞さずという覚悟で
レース活動にエンジニアを総動員していた為、市販車用G15型の開発は滞っていた。

だが、結果的にサーキットで鍛えられたワークス用チューニング・エンジンたる
GR1A型(98ps/6400rpm)やGR7B型(165ps/6400rpm)の経験が、G15型に
生かされることになった。

G15型は当初の予定より遅れ、合併後の1967年8月にS57D(スカイライン1500デラックス)に
搭載されてデビューした。
S6系のデビューは1967年4月であったので、残念ながら間に合わなかった。

A30-Sに搭載予定であった2000ccのG20型は、C30ローレルに搭載されて
日の目を見ることとなった。

参考 G20型 直列4気筒OHC クロスフロー ヘミスフェリカル

総排気量:1990cc(ボア×ストローク:89.0×80.0) 圧縮比:8.3 2バレル・キャブレター仕様
最高出力:110ps/5600rpm 最大トルク:16.5mkg/3200rpm

ツイン・キャブレター仕様 圧縮比:9.7 最高出力:125ps/5800rpm 
最大トルク:17.5mkg/3600rpm


A30-S/VA30:H20型(レギュラー対応/92ps/2バレル・キャブ)

H20型:直列4気筒OHV 総排気量:1982cc(ボア×ストローク:87.2×83) 圧縮比:8.2
最高出力:92ps/4800rpm 最大トルク:16.0mkg/3600rpm

H20型には日本気化器との共同開発による、タクシーキャブ(A30-P)用のLPG仕様も設定された。
こちらはガソリン仕様の92psから12psダウンとなる、80psを発生した。

1969年10月にはG7型が廃止され、新たに日産製L20A型に換装された。

日産では、プリンスとの合併によりプリンス自製のG7型と、日産の開発した初期L型の
2種のOHC6気筒エンジンを製造していたが、これを一本化することによって
生産ラインの統合、効率化が図られた。

当然ながら外様であるプリンス製G7型が廃止され、日産製L20A型に切り替えられた。

L型6気筒OHCエンジンは1965年に登場、1969年に従来は共通性の無かったL型4気筒系と
部品の互換性を持たせ、メインベアリングを4ベアリングから7ベアリングに変更することを
中心とした改良を実施し、型式も識別の為にL20”A”型と改められた。

S7系スカイライン(GC10)の初期型には、G7型と良く似たカマボコ型のヘッドカバーを持つ
初期L型が搭載されていたが、L20A型になると角型のヘッドとなり、プリンスの香りは薄れた。

L20A型には2つの仕様が設定され、HA30-QMには圧縮比9.5の高圧縮比仕様、HA30-Dには
圧縮比を8.6に抑えた標準仕様の2種類が用意された。
ただし当時、省エネムードや暴走族問題などから高性能車への風当たりが強くなっており
それらへの対策として、HA30-QMにも圧縮比8.6のレギュラー仕様が設定されていた。

当初からS6系への搭載を前提に開発されたG7型は、エンジンベイに垂直に置かれていたが
日産によって開発され、本来はS6系への搭載を予定していなかったL20A型は
ボンネットとの干渉を避ける為に、斜めにマウントされている。

クーリング・ファンはG7型では鉄製の羽根であったが、L20A型はカップリング付の
樹脂製のファンに変更され、安全性が向上した。

L20A型(HA30-QM用) 水冷直列6気筒OHC 1998cc ボア×ストローク 78×69.7
圧縮比:9.5 最高出力:125ps/6000rpm 最大トルク:17.0mkg/4000rpm
※圧縮比8.6のレギュラー仕様もあり

HA30-D用 圧縮比:8.6 最高出力:115ps/5600rpm 最大トルク:16.5mkg/3600rpm

6気筒エンジンが日産製に集約されたことで、開発が進んでいたプリンス自製の
新型直列6気筒エンジンの計画は凍結された。

レースでの経験を存分に注ぎ込んだG15型エンジンと同じく、クロスフロー吸排気、
ヘミスフェリカルヘッドを備えた高性能なものになったと予想され、惜しまれる存在であった。

-●キャブレター--

キャブレターは、日本気化器製ダウンドラフト式4バレル/2ステージ及び2バレル/2ステージで
小改良が施されているものの、S4系からのキャリーオーバーとなっている。

PA30-QMにのみ4バレル・キャブレターが設定され
その他には2バレル・キャブレターが設定された。

PA30-QMに組み合わされるキャブレターは、日本気化器製210260-831型であった。

これは、1964年4月13日にデビューしたグランド・グロリア(S44P)用に開発された
4バレル/2ステージ機構を備える2D3030A-1A/B型(110300-812)を小改良したもので
始動が容易な排気熱式オートチョークを備えていた。

1969年10月から搭載されたL20A型には、排気熱式オートチョークを電気式に改め
作動をより確実とした改良型の210260-854型が組み合わされた。
また、燃料配管が銅パイプから耐油ゴムホースに変更され安全性が向上した。

PA30-QM以外には1963年6月15日に登場したS41D-1用 D3232A-1型の
小改良型である2バレル・キャブレターが組み合わされた。

なお、LPGには専用設計となる日本気化器製シングルバレル・キャブレターが組み合わされた。

プリンスでは当初は、三国工業と共同でLPGユニットの開発を進めていたが
いすゞとの共同開発により、既にLPGに関する技術を蓄積していた
日本気化器が採用されることになった。

なお、プリンスのLPGユニット開発はブリヂストン液化ガスとの共同開発であった。

-●トランスミッション--

変速機は当初、プリンス製と日産製の2系統のMTと、BW製の3速ATが設定された。
1968年10月にATが日産製に換装され、1969年10月にはMTも変更され、総てが日産製となった。

当時、スポーティなフロア・シフトが流行の兆しを見せていたが、プリンスは
フォーマルなグロリアの性格、車格、顧客層から鑑みて総てコラム・シフト配置としている。

PA30-QM/PA30-D(G7H型)・・・プリンス製OD付4速コラム・マニュアル/BW-35型・3速コラムAT

VPA30(G7L型)・・・プリンス製OD付4速コラム・マニュアル

A30-S(H20型)・・・日産製3速コラム・マニュアル

VA30(H20型)・・・OD付4速コラム・マニュアル

PA30系に搭載されるG7型に組み合わされたMTは、エンジン本体と同様にS4系の改良型である。

ギヤ比は変更され

 (S4系) (S6系)
Low2.693→2.957

2nd1.632→1.572

3rd1.000→1.000

OD0.762→0.785

Rev3.358→2.922
  
減速比:4.875 (変更無し)

となり、より高速向きのセッティングとなった。

当初は、S4系で採用されたボルグワーナー製BW-35型3速ATを引き続き設定していたが
1968年10月には、日産自製の「ニッサン・フルオートマチック」3速ATに変更された。

1969年10月には、6気筒エンジンがプリンス製G7型から日産製L20A型に換装されたことに
伴いMTも日産製に変更されたが、ギヤ比の変更は行われなかった。

日産製H20型を搭載するA30-Sには、同じく日産製3速コラムMT(OD無し)が組み合わされたが
同じH20型を搭載するVA30には、OD付4速コラムMTが組み合わされている。

ライトバンであるVPA30/VA30ともにセダンと共通のギヤ比を採用しており、貨物の搭載よりも
加速性能や巡航性能を重視した、乗用車的なセッティングとなっていることが伺える。

共通のエンジンを搭載するA30-SがOD無しの3速MTなのに対し、VA30がOD付4速MTを
採用している点からも、S6系グロリアのバン・モデルは、多くの荷物を積載する商用車というよりも
大きなトランクを有する高速乗用車としての性格を狙っていたことがわかる。

※ボルグワーナー製BW-35型3速全自動変速機について



BW-35型はL・D・N・R・Pの5ポジション、前進3段6レンジを持つ完全自動変速機で
S4/S6系に設定されたコラム・セレクター仕様の場合、Pポジションではセレクター・レバーが
10時半の方向にセットされる。

BW-35型は、AMC・ランブラーやスチュードベーカーといった200cu.in(3200cc)程度の
(米国では)比較的小さな排気量の、アメリカ製コンパクト・カーの為に開発されたものである。

1960年にボルグワーナー社がイギリスに工場を建設し、当地で生産を始めたことに伴い
BW-35型は欧州車にも設定されるようになった。

本来はコンパクト・カー用に開発されたATであったが、米国ではコンパクト扱いとなる3000cc級車は
欧州では大型車に相当したこともあり、採用した車種の多くが中型以上の車種であった。

BW-35型はATの技術が発展途上であった欧州や日本などで、高性能を誇る汎用ATとして
高い評価を獲得し、様々なメーカー・車種に設定された。

主な採用メーカーは、BMC、MG、シトローエン、ジャガー、ルーツ・グループ、ローバー、
トライアンフ、ボルボ、オーストラリア・フォード、日産などであった。

1968年10月より採用された日産製「ニッサン・フルオートマチック」は、このBW-35型を
基に国産化したと云える内容のものであった。

H20型を搭載するA30-S/VA30及び、6気筒エンジンを搭載するバンのVPA/VHA30には
MTのみが組み合わされ、ATの設定はなかった。

-●サスペンション--

フロント・サスペンションはS4系から変更なく、ダブル・ウィッシュボーン/コイルを採用したが
リヤ・サスペンションはプリンスの特徴であったド・ディオン・アクスルに代わり
コンベンショナルなリーフリジッド・サスペンションが採用された。

これは一般的にコスト削減や、セドリックとの部品共通化によるものと云われているが
130セドリックとS6系グロリアでは、形式こそ同一だがアッセンブリーとしての共通点は殆ど無い。

それよりも、1963年のS5系スカイラインにリーフリジッドを採用している点に留意すべきであろう。

S5系ではメンテナンス・フリーを開発の主眼に置いており、保守的ながらトラブルの起き難い
リーフリジッドを採用したが、理由はそれだけでは無かったと思われる。

乗り心地に優れ、コーナリング性能に於いてもリジッドより優越したド・ディオン・アクスルであったが
コストが高く、コモリ音の問題が起きやすかったことも確かであった。

特に、100km/hオーバーの長時間連続高速走行が多かった輸出先ではコモリ音が
問題視されやすく、リーフリジッドの採用は1965年10月の貿易自由化を睨んでの
決定であったとも推測される。

ド・ディオン・アクスルの図解、リジッドの堅牢さと独立懸架のしなやかさを両立していた


1968年10月に追加されたスカイライン2000GT(GC10)では、リヤ・サスペンションにリーフリジッド
でもなく、ド・ディオン・アクスルでもなく、セミ・トレーリング式を採用し4輪独立懸架としている。
この点からも、プリンスではド・ディオン・アクスルを既に
過渡期的技術であると見ていた可能性もある。

タイヤサイズは7.00-13から6.95-14に変更され(PA30-D/QM)、ウィールが1インチ大きくなると共に
道路環境の整備が進んだことに合わせて、悪路走行から舗装道路の高速走行に重点を置いた
ロープロフィル(低扁平)タイヤを採用した。

-●ブレーキ--

高性能化、高速化に対応して、それを受け止める制動装置も大幅に強化された。
PA30-D/QMにはフロント・ディスクブレーキ(住友ダンロップMK63)が奢られ
パワー・ブレーキ(マスターバック/倍力装置)も備わった。

万全を期すべくタンデム・マスターシリンダーを採用し、前後ブレーキ配管を独立させ
万一の際にも全輪のブレーキが効かなくなる事態が起こりえないように、制動系が強化された。

後輪ブレーキはサーボ付ドラムで、パーキングブレーキはステッキ式であった。

-●内装・装備--

”端正でフォーマルな装い、豪華な室内装備”

S5系の時代から追求してきた計器盤の
誤読防止(反射防止)策として、透過照明式無反射メーターを開発し
安全運転の基本中の基本である、ヒューマンエラーの根絶を目指した。

フロントに設けられたセカンダリー・ベンチレーターと、リヤに設けられたリヤ・ドラフター
(エア・アウトレット)の効果により、室内は常に新鮮な空気で満たされ、窓の曇りや
雨天時の湿気、煙草の煙になどによる不快さを追放した。

内装や装備に於いてもプリンスが次々と生みだし、特許を取得し
手を休めることなく改良にあたってきた優れたものが、惜しみなく投入された。

S50D-2から採用された、フェイス・レベルに設置されたセカンダリー・ベンチレーター。
安全を確保すると共に、後退時や後席からの視界を遮らないスマートな組込式ヘッドレスト。

ロング・ウィールベースが実現した、広々としたレッグスペースと相俟って
如何なる身長・体格のドライバーにも、最適なポジションを提供するリクライニング・シート。

人間工学に基づいて、細部まで考え抜かれたルーミーで快適な室内


手廻り品を納めておくのに便利で、アームレストとしても役立つ大型センターコンソール・ボックス。
キー・照明・コンセント付と、至れり尽くせりのグローブ・ボックス(リッドにはグラス溝付)。

ワンタッチで昼夜の切換えができるグレアープルーフ(防眩)ミラー。
誤読の心配のない、整然と纏められた無反射・透過照明式メーター。

ワイパー連動式の定量噴霧式ウィンドウ・ウオッシャー。
常に後方視界を確保し、如何なる気象・天候に於いても安全運転に資するリヤデフロスター。

清廉な雰囲気のカラーリングで纏められたことによって、より開放的な寛ぎを感じられる後席


まるで応接室の如く、ゆったりとした姿勢で寛げる格納式アームレスト。
地図や本を整理するのに便利なシートバック・ポケット。

モデルの美しい女性や、清楚な白手袋が車格の高さを感じさせる


運転の妨げとならないように、照明の方向調節が可能な後席パーソナル・ランプ(読書灯)。
後席からの操作の為に備えられたラジオ・空調ファンコントロール・シガーライター・灰皿(照明付)。

機微な調整も可能で、後席からも聴き取り易いリヤ・スピーカー。 

最高級車とはいえ、1967年当時はパワー・ウィンドウ、エアーミックス式エア・コンディショナーは
まだまだ普及しておらず、依然として高額なオプション品であった。

それでも、エア・コンディショナーは多くのオーナーが装着しており
そういった部分からも、車格の高さが窺い知れる。

操作系統がリーチ内に納められた、整然として合理的なインストゥルメント・パネル


任意で速度を設定することが可能な速度超過警報ノブ。
曇天時や昼間の雨天時、トンネル内などで重宝する計器盤照明調整。

2スポークのスリムなステアリング・ウィールは、プリンス伝統のアイコンである
星の輝きを模した、十字のオーナメントを埋め込んだ透明の樹脂で飾られている。

-●メンテナンス・フリーの高度化--

プリンスでは、メンテナンス・フリーの実現も大きな目標として掲げられていた。

これは頻繁なオイル交換やグリースアップが当然だった時代に、極めて先進的な試みであり
誰もが思い付くが多くの難題が山積している為、他社では実現に至っていなかった分野であった。

時間と手間、金銭的な負担を軽減しユーザー本位のクルマ造りを心掛けるという
プリンスの「血の通うクルマ」というコンセプトに基づくものであった。

プリンスの掲げた「技術に挑戦し、生活に奉仕する」というキャッチコピーには、レース活動などが
単なる宣伝・広告では無く”すべてはユーザーの為に”という強い想いが込められているのである。

プリンスは、S5系スカイラインで各部ジョイントの給油期間の大幅な延長を実現した。
従来は1000~2000km毎の頻繁なグリースアップが必要で、ユーザーにとって大きな負担と
なっていたが、新方式の無給油ジョイントの開発によって
これを一挙に1年間・3万キロまで無給油としたのである。

グロリアもS4系の2型から無給油ジョイントを採用、S6系グロリアでは更に期間を延長し
2年間・6万キロまでのメンテナンス・フリーを実現した。
これらの努力の積み重ねによって、S7系スカイラインでは遂に10万キロ無給油を達成した。

-●静粛性--

優秀なるプリンス技術陣の不断の努力によって、S6系は極めて高い静粛性を実現。
N・V・H(ノイズ・ヴァイブレーション・ハーシュネス)の原因となる、風切り音やロードノイズ、
路面からの衝撃、プロペラシャフトの回転に伴う振動などを徹底的に追求し改善にあたった。

これらの研究成果は、アメリカの国際技術会議に招かれて発表を求められたほどであり
カタログに謳われる「国際レベル」の表現が、大言壮語ではないことを証左するものである。

これらの優れた装備や性能は、単に快適さを求めたに留まらず、些細な設計の不親切が齎す
危険を未然に防止し、長時間の運転による疲労を少しでも軽減することによって
安全性を向上させるという、人間工学と「あたたかなハート」「血の通ったクルマ」という
プリンス独自の発想から産み出されたものであった。

1965年7月1日に名神高速道路が全線開通、時速100km/hで100km以上の距離を走るという
未だかつて経験したことのない高速連続走行に際して、安全かつ快適にドライブ出来るかどうかは
車の性能に懸っていたと云っても過言ではなかった。

S6系グロリアは、余裕あるエンジン、静粛性、能動安全、受動安全、種々の疲労軽減策によって
車が人間をサポートすることにより、人車一体の総合性能を実現し
我が國にいよいよ訪れたハイウェイ時代に適応してみせた「理想の乗用車」であった。

-●あたたかなハートという概念--

加速・巡航・追越のすべてに余力を持ち、静かで滑らかなエンジン。
静粛で燃費に優れるオーバードライブによって、高速走行の負担を軽減するMT。
煩わしいクラッチ・ギヤ操作から解放し、混雑した都会の中でも安楽なAT。
優れた防音性を持つ、広々としたルーミーな室内と至れり尽くせりの快適装備。
エンジン・シャシー・ボディの極めて高い遮音性によって実現した静謐な室内。
危険を未然に回避する俊敏な運動性と操作性、高速性能に見合った制動能力。
万一の際、乗員の命を保護する堅牢なボディと数多の安全機構。

これらすべての技術は、それを採用すること自体が目的ではなく、運転手及び同乗者の為に
最上級の安全と快適を捧げるという、冷たい「機械(グロリア)」を挟んだ
「人(技術者)」と「人(乗員)」の暖かな交流であり、その時、冷たい機械にも両者の
血が通い、確かな手応えのある”あたたかなハート”を持った車が生まれたのであった。


「 其の瑞鶴は千代に麗し ~プリンス・グロリア(S6系)の生涯~ --②-- 」に続く
Posted at 2012/02/14 21:19:15 | コメント(12) | トラックバック(0) | S6系グロリア(タテグロ) | クルマ

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