2007年02月26日
昨日はたまたま時間が空いたものでドライブがてら千葉へ菜の花を探しに行って来ました。
昨日は道が空いていてアクアライン経由で1時間半ほどで大多喜まで着きました。
事前にロケは調べておいたのですが前日の雨でロケ現場はぬかるんでいてスニーカーがうまり大変でした。バイクで写真取りに来た地元のおじさんは長靴。さすが経験値が違う(;´Д`)こんどうちも車に長靴積んでおこうかな。
まだ時期的にちょっと早かったようですね。
来月あたりまた訪れてみたいと思います。
Posted at 2007/02/26 07:59:14 | |
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鉄道 | 日記
2007年02月16日
3/18にJRのダイヤ改正がありますが3/18ダイヤ改正をもって東海道線から湘南カラーの電車が撤退します。といっても東日本区間は一足早く昨年に新型のE231系に置き換わっているんですが東海の静岡地区に生き残っていた113、115系が新鋭の313系に置き換わり撤退します。子供の頃東京駅に『静岡』や『浜松』といった行き先の湘南電車が並び乗ってみたい衝動にかられたものですが時代は代わり最新のステンレス電車に置き換わりいよいよ最後になりました。
東京近郊でも国鉄世代の車輌は急速に数を減らして北関東ローカルと千葉ローカルだけになりました。JR東海は今回の車輌取り替えで国鉄世代の古い車輌はほぼなくなるようです。
我が中央快速線も急速にE233に取り替えが進んでますし時代の移り変わりを感じます。
それにしても静岡地区は113系3連または4連を313系3連のロングシートになってしまいます。同じ313でも名古屋地区の車輌は転換クロスシートなのに減車されたうえロングとはなんだかかわいそうですね
Posted at 2007/02/16 21:03:11 | |
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2007年02月16日
H49編成でご出勤。
すでに12本くらい配置運用されているみたいですね。3月のダイヤ改正までに20本出揃いそうですね(^-^;
Posted at 2007/02/16 08:54:54 | |
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2007年02月15日
今年は車検の年ですね。
上半期終わりに駆け込みで買ったので車検は9月ですが車検前に対策できるところしておきたいところです。まあB修繕ってとこですかw
今のところ考えているのは
・油脂類全交換(エンジン、ギアはいつも交換してますがそれに加えてブレーキ、クラッチ、パワステ、クーラント)
・エンジンフラッシング(以前3~4万キロくらいでしたら結構効果が体感できた)
・ショックアブソーバ更新(もう抜けてるんで)
・アッパーマウント更新(多分変えちゃった方が安いはず)
・ブレーキパッド更新(BRIGあたりかな)
・内装更新(モケット張替え?)
・外装更新(新塗装か?)
・車更新(ぇ)☆バキ
アテンザの新型が出るまで考えるつもりはありませーん
Posted at 2007/02/15 22:17:34 | |
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2007年02月14日
バブルでgoなんていうバブル時代を振り返る映画が始まりましたが、バブル世代のバブリーな車を振り返ってみたいと思います。
バブル時代日産やマツダも多チャンネル化、ラインナップ拡大に勤しみ、その反動がバブル崩壊後の経営危機や車種、チャネル統合になったのは知るところです。
またこの時期国産のバブリーな車というとやはりシーマやセルシオという国産ビックセダンやスペシャリティーカーに尽きると思いますね。
そのなかでも特徴的な車を2、3上げてみたいと思います。
・日産
シーマとインフイニテイQ45が代表的だといえる。初代FY31型シーマはシーマ現象といえるほど売れた。グロリアセドリックのプラットフォームを延ばしたボディは3ナンバーで当時5ナンバー主流であったミドルセダンより一回り大きくかつVG30型ターボエンジン(VQの前の世代)で豪快に加速する性格が親父心を鷲掴みにした
その対照的といえるのがインフィニティQ45。バブル末期に日産のフラッグシップカーとして投入されたが、元はトヨタのセルシオの開発情報を入手して急遽開発された経緯があり、マーケティング開発にじっくりと時間と金をかけたセルシオと比較して車の完成度が低く売れなかった。この車以降売れない車を連発して日産の経営が傾いた。
・マツダ
この時期5チャンネル化とともにユーノスコスモやユーノス800、500など数多くの車を輩出した。ユーノスコスモ初の3ローターエンジン搭載の車。エンジンばかり注目される節があるが実は世界初のGPSカーナビを搭載した車であった。ただ登場時期が90年とバブル経済末期でバブル崩壊と共にその経済性等車の性格からして売れなくなった。バブル期の多チャンネル化の影響でバブル崩壊以降マツダの経営が厳しくなったのは周知の事実。そんなバブリーな時代を象徴する車。
またユーノスプレッソやランティスなどにV6エンジンを開発したり、ミラーサイクルエンジンなど新エンジンや新技術への取り組みも果敢だった。
ただその中でもロードスターなど今のマツダの代表になるような車種も出しており、アテンザ以降の新世代車種にもつながっている。
例えばアテンザは海外ではmazda6といわれていますが、ユーノス600はmazdaXedos6といわれておりコンセプト的にはユーノス600を受け継ぐ車だと思われる。ちなみにユーノス600のベースはカペラである。
・ホンダ
ホンダは当時ビックセダンもミニバンもなく、経営規模的にはまだあまり大きくなかったがホンダのフラッグシップカー開発計画とともに開発された。当初はホンダもビックセダンを開発するつもりであったようですが、マーケティングや開発ノウハウが少なく二期F1参戦を機に転換し本田技術研究所で研究していた上原繁氏が自身が研究していたMRドライブを使ったスポーツカーを開発した。ニュブルリンクでのテスト走行を繰り返しボディ剛性と軽量化を両立すべくフルアルミボディーを完成させた。アルミボディは事故時の修復性が難しいが、経年劣化が少なく新製20年でもアルミボディ自体の劣化は少ないためホンダはリフレッシュプランと称して販売中止後も新品パーツを用いてリフレッシュを行うサービスを続けている。
テスト時には何台ものフェラーリを購入してベンチマークを行い孤高であったフェラーリに影響を与えた唯一の車といわれている。
ちなみにミニバンが流行りだしたのはオデッセイからなのは周知の事実ですが初代オデッセイ発売1994年。バブル崩壊後無用に豪華な車よりユーザーが合理的で経済的な車を求めていたところ乗用車感覚で7人乗りという合理性が受けて大ヒットしました。ちなみにホンダは当時クリエイティブムーバーと名乗り商用車感覚のある「ミニバン」という呼称を使わなかったのもマーケティング上良かったようですね。
Posted at 2007/02/14 19:42:18 | |
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