今日のテーマは車とは一切関係なし。
しかも長くなりそうな予感がします。
興味のない方、途中でつまらんと思った方は、ご遠慮なくスルーしてください。
ブログタイトルは、昨日寿命を全うした我が家の4本足の末娘が、生を受けた日から天に召されたその日まで、彼女が生きてきた日数です。
ショコラが我が家の家族の一員になったのは、2000年の2月の初め台湾での事でした。
前年1999年9月21日には台湾の台中を震源に、全土を大地震が襲いました。
その年の12月生まれのショコラは、おそらく地震の際にはママのお腹の中で、大地震を経験したと想像できます。
その地震の日、我が家も私の仕事の関係で、震源地の台中に家族で住んでいました。
当時小学生だった子供二人を連れて、家族で避難生活も経験しました。
幼かった子供たちには、精神的にもダメージは大きかったと思います。
そして復旧が進む中、奥さんが習い事で二人の子供の内一人を連れて出かけると、残される一人は非常に不安を覚えたようです。
そんな子供たちの心のケアになればと、旧正月の休みが明けた2月の初め、子犬を飼う事にしました。
犬種は奥さんが以前から飼いたかったミニチュアピンシャーに決まりましたが、台湾でも不人気犬種で子犬を探すのには苦労しました。
高速道路で遠くのペットショップやブリーダーを訪ねたり、手を尽くして要約巡り会ったのがショコラでした。
生後1月半
親から離すには少し早過ぎましたが、次に見つかるかの不安もあり、即決して連れ帰りました。
その晩から数日は、親から離された不安で夜になると鳴きだします。
トイレの躾も出来ていないので、1週間ほどはリビングで奥さんが抱いて寝ました。
二人の子供とはすぐに仲良くなり、成長するにつれて元々運動能力の高いミニピン、遊びの中で走ったり飛んだりしたら、あっという間に二人の子供たちを追い越すようになりました。
印象的なのが、家の中でのかくれんぼです。
当時住んでいたマンションは、4LDKで50坪以上ある間取りでした。
リビングの中央で、ショコラにお座り・待てをさせます。
そして二人の子供が何処かに隠れるのですが、『未だだよ』と言っている間はじっと待っています。
そして二人が隠れ終わり『もう良いよ~』と声を掛けた途端、凄い勢いで隠れた二人を探します。
しかし恐るべし犬の嗅覚、何処に隠れてもあっという間に見つけ出します。
これを飽きずに3人で良くやっていました。
そしてショコラが1歳半の時、私に帰任辞令が発令されました。
会社のローカルスタッフが数名、里親になってくれると名乗り出てくれました。
しかし3兄弟の様にして1年半以上暮らした我が家の全員が、ショコラを台湾に残して日本へ帰るなんて出来ないとの結論に至りました。
そこでネットで色々と調べて、当時ショコラの掛かりつけの獣医さんにもお手伝い頂き、日本の動物検疫に提出する書類を全て揃えました。
その年の夏に、家族と同じ飛行機に乗って、生まれ故郷の台湾を離れて、見た事もない日本へやって来ました。
家族と共に日本へやって来たショコラ
先ずは掛かりつけとなる、動物病院を探しました。
すると独立前の病院が、主にピンシャーを扱っていたと書かれている病院を発見。
早速行ってみました。
後に分かるのですが、先生のお母さんが私のお袋の友達だった。
そして16年以上、この先生に診てもらい、亡くなる前日の診察もこの先生でした。
日本へ帰り、4人と1匹で良く旅行しました。
その為に選んだ車は、ステップWGNでした。
チビっちょショコラは、良くダッシュボードの上で走っていました。
旅行へ行けば泊まる宿は、ペット宿泊可のペンションが中心。
途中で食べる昼食は、テイクアウトできる店を選んで、テイクアウトして店のPに停めた車内で食べました。
ショコラは何時も家族と一緒でした。
大きな病気やケガも無く、子供たちが巣立っていくのをショコラも一緒に見て育ちました。
晩年は冬になると、日向を求めてベランダで日向ぼっこがお気に入りだったショコラ
しかし今年の元日の朝
私がおせちを食べる際に、ダイニングチェアに腰かけた私の足の上にショコラが居ました。
そして年賀状が届いたので、ショコラをダイニングチェアに置いて、私がつい玄関へ行ってしまった。
年賀状を持って戻ると、丁度ショコラが飛び降りようとしていました。
ダメ!と声を発するのと同時に、ショコラはダイニングチェアから飛び降りてしまいました。
そして着地の際、運悪くフローリングの床で滑って転倒、頭を強打して痙攣して起き上がれませんでした。
暫くして痙攣は収まりましたが、立とうとすると足が震えて力が入らない様でした。
しかし元日の朝の事
病院が診察開始する5日迄、待つしかありませんでした。
そしてステロイド剤の投薬の効果で、診察から5日ほどで立って歩けるようになり、1月半ばには散歩にも行けるようになりました。
しかし1月の末に、何かおかしい・・・
気が付いた時には、白内障が一気に進行して、全盲になっていました。
大晦日まで飛び跳ねていたショコラ、私があの時抱いたまま玄関へ行っていたら、ショコラの寿命はもう少し延びたかもしれません。
でも先生も言っていましたが、犬は人間ほど全盲でも困らない様でした。
衝突の危険をショコラも分かっていて、動作はゆったりとなりましたが、人間が気を付けてやれば、それ程不自由さは感じませんでした。
そして今月の初めになり、ショコラの食欲が落ちてきました。
おかしいと思いましたが、先週末から全く食べられなくなり、立ち上がる事も困難になり、月曜に再度病院へ行きました。
すると腎不全を起こしているようだが、それ以前に加齢の為危篤状態だとの診断。
この日16年以上お世話になった先生と、オープニングスタッフさんにご挨拶。
事の重大さを認識し、一番の仲良しだった離れた場所に住む息子に連絡すると、翌日には心配した息子がやって来ました。
息子が来た時、ほとんど昏睡状態でしたが、息子が名を呼んで頭を撫でると、ショコラは反応したように見えました。
息子を待っていたかのように、息子が帰って数時間後、眠るようにして逝ってしまいました。
私と奥さんと娘の3人で『頑張ったね。偉かったよ』そう言って体を撫でていると、みるみる体が冷たくなっていきました。
こうして文書にしてみると、長年お世話になった病院の先生とスタッフの女性、そしてきっと会いたかったであろう息子、全員に挨拶するまで頑張っていたように思えてきます。
そして我が家に来た最初の晩に抱かれて眠った奥さんの手、最後の一瞬もその手に抱かれて、虹の橋の袂へ行ってしまいました。
今日その顔を見ても、眠っている様に穏やかな顔です。
朝一番で火葬場の予約をし、花を供えて、これから遺影にする写真を選びます。
本当に18年近く、家族全員を和ませてくれて有難う
パパはもうこの歳だから、そんなに長く待たせないで、後から迎えに行くから、一緒に虹の橋を渡ろうね。
有難う、そしてさようならショコラ