• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

アスロックのブログ一覧

2011年08月19日 イイね!

九州新幹線も開通したことだし(その3)

さて3日目です。
今日明日は長崎市に展開となります。
朝起きてまずは長崎に。

佐世保駅から長崎駅まではブルーライン号で1時間半です。
お、思ったより距離あるのね。
冷房がガンガンきいてるわ、2両編成なのに乗客いっぱいで混雑してるわと、時間の割りにちょっときつかったなぁ。
ちなみにこの車両はヂーゼル車です。

駅からタクシーでグラバー園がある方向に向かいます。
その途中にあったのがこれ


オランダ坂。
東洋人以外の人がよく歩いていたからオランダ坂と呼ばれていたようですが・・・
う~ん、どこからどうみても坂です。


その近くで長崎孔子廟があります。
時間の関係上ここにはいきませんでした。


さて、グラバー園に到着しました。
入り口横にある橋がすごく景色がよく、長崎港を見渡せます。
長崎港は出島で知られるように古くから貿易港として栄えていますが造船も盛んで、戦時中には戦艦武蔵も建造されています。


グラバー園にある池には水中生物が食糧を求めてパニックになっていました。
グラバー園は長崎に居留していたグラバーさんちをはじめ、西洋人の洋館を後世に伝えようと6つの洋館を移築復元したものです。


ではちょこっとみていきましょう。

旧長崎高商表門衛所です。
ハイカラな建物ですが、実は畳敷きだったりします。


ウォーカーさんち。
ウォーカーさんといっても朝鮮戦争で活躍した第8軍司令官じゃないよ。
英国の実業家で我が国の海運業に影響を与えた人です。


ジャコモ・プッチーニさん
イタリヤの作曲家ですが・・・なぜここにあるんでしょう?


こんなのありました。
西洋料理発祥の碑です。
何でも幕末の1863年に西洋料理屋をひらいたことに由来するそうです。


暑いにゃー


リンガーさんち。
英国の実業家で明治から昭和にかけて長崎で事業を展開しました。



オルトさんち。
英国の実業家で緑茶輸出で財を築いた人です。


オルトさんちの中。
ふ、ふんだ、うらやましくなんかないんだからねっ!


スチール記念学校。
スチール博士が息子がなくなったことを記念して作られた寄付をもとにつくられた学校で、今は明治学院と統合しました。
残ったこの建物はいろんな学校の厩舎として利用されてたそうです。


グラバーさんち。
このグラバー園の名前のもとになってるグラバーさんは英国の実業家でグラバー商会を設立しました。
伊藤博文の留学を支援したり、幕末の激動期に志士たちを援助していたそうです。


グラバーさんちは国内最古の木造西洋建造物として重要文化財に指定されてるそうです。


グラバーさんのとある日の食事。
・・・ええなぁ、ええなぁ・・・・・


さて、実はここであまりの暑さで気分を悪くしちゃいました。
フラフラで少し歩くのもしんどい状態。
体温はさほどでもなく、動ける状態ではありましたが休憩所で安静にしてました。
う~ん・・・・・

このあといろいろ回ろうと思ったのですが体力的にも不安があったのでここで打ち切って宿にいくことに。
とはいえ、タクシー乗り場に行くには・・・・出口までいかなきゃならないんだよなぁ。


出口は長崎伝統芸能館を通り抜けます。
冷房が効いていてちょうどよかったです。
ここには長崎くんちに使われている山車が展示されています。
が、見てる余裕なかったです(^^;


長崎くんちの龍踊りの龍と玉ですね。
もちろんじっくり見る余裕もなく、出口のタクシー乗り場に。



出口からほどなく大浦天主堂があります。
国宝に指定されている貴重な建物ですが、残念ながらここも見る余裕なく、素通りしてタクシー乗り場へ。
タクシーでホテルに到着して少し休んだら近くに病院があるのでいくことにしました。

「軽い脱水ですね。熱射病の初期の初期段階です」
うへっ。
水分補給はそれなりにやってたのですが、やはりナトリウムなどが欠乏したり水分量が少なかったのでしょう・・・・
大事を取って点滴することになりました。
仕方ないのですが、長崎まで来て観光ではなく点滴というのは悲しい・・・・


宿から見た長崎港。
ここの公園から長崎港をみたかったなぁ・・・・

夜になって体調ももどってきましたので駅ビルで夕食を。
あ、そういえば昼食は脱水でまだたべてなかったっけ。
本当なら昼食はトルコライスをたべたかったんだけどな。


大変高価なステーキを食べました。
ごはん付でこれ1食でチキンラーメンが15袋も買えるぞ!


長崎といえば夜景の街。
丘から美しい夜景を・・・みたかったなぁ。
ホテルの窓から写してみましたがこんな感じ。
この日は早め(22時前)には就寝しました。



さて最終日。
いよいよ長崎ともお別れですが、まだ肝心なものをみてません。
そう、平和公園です。
朝食を食べて9時前にはタクシーで平和公園に向かいました。


平和公園のシンボル平和祈念像です。
高く天を指す右手は原爆の脅威を、水平にした左手は平和を、屈強な身体は絶者の神意を、優しい顔は神の愛を、軽く閉じた目は黙祷を現してるのだそうです。
昭和20年8月9日、広島に続いてここ長崎に人類2回目の核攻撃が行われました。
この周辺は核攻撃前には長崎刑務所浦上支所がありましたが、爆心地から近いこの場では全員が即死しました。


浦上天主堂の石垣です。
爆心地から500メートルの位置にある上浦天主堂は核攻撃により崩壊しましたが石垣は残っていました。
老朽化のため整備した際にその一部をここ平和公園に移築したものです。


その浦上天主堂です。
天主堂は核攻撃で完全に破壊されて一部の外壁を残して廃墟となってしまいましたが、広島の原爆ドームのように遺構として遺すことなく撤去となってしまいました。
この建物は昭和34年に新築されたものです。
中には被曝マリア像などもあり、大聖堂ではとても荘厳な雰囲気を感じました。


天主堂前にある被曝した石像です。
爆心地から500メートルも離れていたのに頑丈な天主堂が完全に崩壊、石造も破損することからもその威力のすさまじさを伺えます。

この後タクシーで原爆史料館に向かったのですが・・・・
タクシーの運転手が新人なのか応援なのか、ちーともわからない人で、原爆史料館がどこにあるのかわからない(長崎観光する人なら絶対に行く場所でしょうが・・・・)ということで地図みながら運転してましたよ・・・
トホホ。

原爆史料館を見学です。時が止まった時計や長崎型原爆の模型、遺品や遺構などが展示されていました。
どれも核攻撃の惨劇、その後の放射線障害の恐ろしさを伝えています。

長崎の人口密集地に行われた核攻撃では当時の推定人口24万人のうち、死亡約7万4千万人、負傷約7万5千人という大惨事を引き起こしました。
半径1キロの建造物は全壊、4キロでも半壊、消失土地面積は実に6.7平方キロにもおよびます。
核攻撃に使用された原爆は22キロトンですからTNT火薬に換算すると2万2千トン、広島原爆の1.5倍もの威力がありました。



さて、まだ時間もあったのですが、昨日の脱水症状のこともあって早めに切り上げることにしました。
この後長崎港やめがね橋なんかもみたかったのですが・・・
ホテルに戻ってお昼まで休憩、そして帰るために長崎駅へ。


これが帰りに乗った特急かもめです。
中がレザーシートのようで豪華でしたよ。
博多まで2時間、そこから名古屋まで3時間ちょいと移動だけで結構疲れましたが、いろんな意味で思い出になりました(^^)
Posted at 2011/08/19 13:04:46 | コメント(4) | トラックバック(0) | 長崎旅行 | 日記
2011年08月19日 イイね!

九州新幹線も開通したことだし(その2)

さて2日目です。
ホテルでの朝食はバイキングと相場は決まっていますが、なぜかスクランブルエッグって半熟を通り越して液状なんですよね。
おかゆよりドロドロなのはもはやスクランブルエッグとはいえない気がします。

さて、宿が弓張岳にあることもあって、絶景!
・・・・・
なのですが、いかんせん雨の関係で霧がすごい。
その霧が晴れた瞬間に取れたのがこれ。



佐世保港が一望できますし、平戸も見ることが出来ました。
これで晴れていればなぁ・・・・

あ、そだ。
おみやげをかっていこう。

ガラスのBUDOUを買ってきました。
・・・・帰宅してよくよく考えればなぜこんなの買ったんだろう?
う~ん・・・


2日目は弓張岳から車を1時間ぐらい走らせたここがメインです。


ハウステンボスです。
行く前にチラっと調べてちょっと驚いたのですが、なんと所在地が「佐世保市ハウステンボス町」。
ええええ!!

さて入場してみましょう。


なんかいた!
「ハイルヒトラー!」とポーズをしています。

エントランスから最寄の建物だとここでしょうか。

テデーベヤキングダム(テデーベヤ博物館)です。
テデーベヤの歴史や各国のテデーベヤの展示、

生々しい人形が出迎えてくれます。
(リアルすぎで怖いよ 笑)


こんなかんじで館内にはテデーベヤだらけです。
テデーベヤは米国のルーズベルト大統領(日本と戦争したときの大統領じゃな日露戦争の仲介をした大統領ね)が熊狩りのとき、怪我を負った小熊をしとめることを避けたことが由来なんだそうです。
そういえばテデーベヤといえば湾岸戦争のときにある婦人が将兵に送ったテデーベヤが第37戦術戦闘航空団に届けられ、ステルス攻撃機F-117の機付長がこれを気に入って1回は出撃に「同乗」させて婦人に送り届けるようにというエピソードがありました。


さて、ハウステンボスですが入場料は一人3000円、これにバスやカナルクルーザー、各種展示館の費用が別途かかります。
ということでバスやクルーザー、いくつかの施設が無料になるトクトクチケットで入りましたが、1人5400円と非常に高額です・・・・

ということでカナルクルーザーに乗りましょう。

カナルクルーザー(総トン数13トン)です。
ハウステンボスのネーデルラントのイメージを崩さないようなデザインになっていますね。


カナルクルーザの運河から。
ハウステンボスジェイアール全日空ホテルですが、巨大なネーデルラントの駅をモチーフにしてるようですね。


カナルクルーザから見た風景。
ネーデルラントにはいったことはないですが、こんな感じなんでしょうか。
オシャレですね。


さあ桟橋に到着しました。
美しいネーデルラント風の町のたたずまいですが、「佐世保バーガー」ののぼりがはいると一気に日常に戻るのが不思議です(笑)


パトロール車と救急車です。
ネーデルラントの雰囲気を残して青灯になっていますね。
ここだけの話ですが、お世話になりました・・・・orz


シンボルタワーのバベルの塔・・・じゃなくドムトールン塔。
展望台になっていますが、ここに入れるの知らなくてスルーしてました(汗)


ここからちょっとゲートを出たところにフリーゾーンがあります。
そこにあるのがデ リーフデ号。
17世紀に我が国に漂着したネーデルラントの帆船デ リーフデ号をネーデルラントの造船所で復元し、ハウステンボスに停泊しています。


小雨だったり曇天なのが残念ですが、こんな感じで眺めることが出来ます。

さて、そこからてくてく歩いていくと・・・・

うぉっ!
生首がお出迎え(笑)
これがある建物でサウザンド・サニー号(ワンピースの船らしいです)体験航海の整理券が配られるのですが、待ち時間が半日以上とすさまじく、今回はあきらめました。

それにしても暑い・・・
曇っていてまだマシとはいえ、かなりきついです。
クーラーのあるところへ・・・
とたどり着いたのがここ。


ポルセレインミュージアムです。
17世紀に日欄貿易を通じて伊万里焼きが欧州に数多く輸出されていたんだそうです。
写真ではわかりづらいですが、この花瓶(?)、2メートル近く巨大なものです。


「磁器の間」です。
シャルロッテンブルグ宮殿の磁器の部屋「ポルセレイン・キャビネット」を再現したようですが、圧倒されるを通り越して正直怖いぞ(^^;

そこからてくてく歩いていくとハウステンボスの一番奥にあたります。

ネーデルラントの宮殿を再現したパレス ハウステンボスです。



宮殿・・・・・
ブルジョワめ!!!
ふ、ふんだ、うちだってこれぐらい広くて豪華で・・・・
これぐらい広い宮殿に住んでみたいよ~!
中ではエッシャー展がひらかれていました。

アートがらみでこんなのをお土産に買ってきました。

アート貯金箱です。
真ん中に立方体が浮かんでいますが、入れたお金はどこに消えるの・・・?
というちょっと不思議な貯金箱です。


さて、ブルジョワな宮殿にはブルジョワな庭というのがお決まりです。
広大なネーデルラントのバロック式庭園が広がっています。
・・・なんだか真ん中の水路が割れて地面から巨大ロボットがでてきそうですね(笑)



庭園の一角にローズガーデンと呼ばれる薔薇の庭があります。
中央には噴水がありますが、これがどうみても・・・・
男の子が集団でいじめにあってるようにしか見えない(^^;
それもそのはずで、どうもこの子供はヘラクレスで、水の柱は苦難をあらわしてるのだとか。

お腹が減ったので食事と行きましょう。

佐世保といえばやはり佐世保バーガーですよね。
せめてベーコンはついてほしかったなぁ。


さて、この後いくつかまわったのですが・・・・
この日はあまりの暑さでちょっとフラっときてしまい、救護所で少しの間休んでました。
あのパトロール車で駐車場まで運んでもらいましたが、体調管理には気をつけたいですね。


ハウステンボスを出たのが17時近かったので、今日はこれでおしまい。
本当は時間があれば針生島の鉄塔や佐世保要塞跡等も見たかったのですが、仕方ないですね。
レンタカーは2日間だけなのでこの後返却しました。
ガソリン満タンではなく、オドメータ換算で追加料金を支払いましたが、100キロ近く走ってオドメータでの追加料金換算だとガソリン4リッター弱なのは正直すごい。


ハウステンボスで買った薔薇ジュース。
味は・・・微妙だ。

ホテルが佐世保川沿いにあるので、ふっと外を見るとなにやら見えてきました。
とりあえず佐世保川にGo。


佐世保川には橋がかかっています。
この橋はアルバカーキ橋と呼ばれ、佐世保公園、隣接したニミッツパークと川をまたいでいます。
実はこの日、精霊流しをやっていました。


写真ではわかりづらいですが、川の流れにのっているのが灯籠です。
お盆の行事の一つですね。
とても綺麗ですが亡くなった方々の供養の意味があるわけですから何か物悲しいものを感じます。
海に流れないように下流で回収しているようでした。

さて、せっかく佐世保に来たのですから商店街などをブラブラと探索。
まぁ夕ご飯を食べる店を探してただけなんですけどね。
よし、ここにしよう。
佐世保では「レモンステーキ」が有名です。
レモンステーキ?
レモンをぶったぎって焼いたのかな?
どきどき土器土岐。


おや?薄い肉の上にレモンが乗ってるよ?
いただきマウス。
・・・・
・・・
・・

んま~い!
これが佐世保名物レモンステーキか!
なんでもステーキは日本人にはボリュームがありすぎるので、薄くスライスしてすき焼き風の醤油ベースのソースにしたんだそうです。
これは美味ですよ、まぢで。

大満足して2日目を終えました。
この日は疲れて22時にはバタンキュウでした。

続く。
Posted at 2011/08/19 02:52:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | 長崎旅行 | 日記
2011年08月18日 イイね!

九州新幹線も開通したことだし(その1)

さあお盆です。
とはいえ、今年のお盆休みは誰かさんの調整無視の原発停止のおかげで本来それほど心配せずに住んだ電力不足が深刻になったためにお盆休みそのものが移動に。
まぁ仕方ないか。

ということで、14~17と3泊4日でN崎にいってきました。
せっかく急襲新幹線も開通しましたしね。
いってきまーす。


おっと、九州新幹線は博多-鹿児島中央なので、N崎には届いていないので博多で乗り換えですよん。

名古屋から「のぞみ」で3時間ぐらいで博多へ。
そこから特急「みどり」で佐世保にいきます。

さぁ到着しました。

佐世保ではレンタカーをかりましたよん。

借りたのはこれ。
ヴィッツです。
取り回しが楽で運転もしやすいのですが・・・・
ナビが恐ろしくアンポンタンでしたorz
いきなりGPSが40メートルぐらいずれてるので、常に隣の道路を走ってるような感じでしょうか・・・
かなりパニックになりましたよ(^^;
しかも画面も見にくいし。

まず向かったのが海上自衛隊の佐世保基地にある倉島岸壁です。
ここでは毎週土日に岸壁を開放して護衛艦の見学が出来ます。
佐世保地方隊の地図によると・・・・
・・・
・・

地図どおり行ったら迷ったぞ・・・・orz
地図からは想像できないですが、正直言ってものすごくわかりづらいところにあります。
レンタカーを借りたのに結局タクシー使っちゃいました。


ああっ・・・いい・・・・
艦船はいい、心が洗われます。
遠目に米海軍のエセックスも見ることが出来ました。

その後は軽くさせぼシーサイドパーク(フェリーターミナル前)をぶらぶら。

うわ、なんかいた!!

さて、佐世保に到着したのが13時半過ぎということもあって、既に夕方にちかくなってきました。
佐世保といえばやはりここははずせません。
海上自衛隊佐世保史料館(セイルタワー)です。
ちなみにちょっと立地的にちょっと入りづらい場所(行ったことがある人じゃないと判らないと思います)にあるのと、駐車場がわずか20台しかないので注意が必要です。
ここでは佐世保鎮守府を中心に帝国海軍から海上自衛隊への歴史の史料が納められています。
太平洋での日米の戦闘で散華した若い将兵が母上に遺した遺書などは読んでいるとやはり考えさえられるものがあります。
と、同時に最期に遺す遺書の文字の一文字一文字の美しさ、心のこもった文章には驚かされます。
こういう方々が散られたかと思うと平和の大切さ、平和を維持することの大切さをあらためて考えさせられますね。

史料館内は写真撮影禁止なので写真はありませんが、外に展示(?)されていたものを。

この魚雷は海上自衛隊のものっぽいですが・・・・なんでしょう?


山内短5サンチ砲です。
祝砲として使われていたもので、平成22年に浚渫工事の際に発見されたんだそうです。

史料館では震災での海上自衛隊の活動写真やドラマ「坂の上の雲」にちなんだ企画展「秋山真之の生きた時代」が行われていました。
日露戦争、旅順港閉塞作戦、旅順要塞攻略、そして日本海海戦とバックグランドを知ってるとさらに判りやすいと思います。
日本海海戦では監視所を周辺海域にたくさん設置し、さらに海底ケーブルをつかって指揮所とつなぐ早期警戒システム、聯合艦隊の主力艦の多くに設置された無線による通信システム、東郷平八郎の的確な統制と、指揮・通信・管制・情報と戦闘に必要な要素に加え、十分な休養と艦船の修理と訓練、何より国家を挙げてのバックアップ体制が功を奏して最強といわれたロシアバルチック艦隊をほとんどワンサイドゲームで壊滅させたことは有名です。

さて、時間も時間ですので宿に向かいましょう。
宿は・・・・弓張岳?
山道を延々とむかっていくと・・・・

ありました。

いやあ、かなり急なくねくねカーブの連続だったので酔う寸前でしたよ。

夕食は和食セットを頼みましたが、30分ぐらい待ったぞ・・・・
眺めはバツグンのホテルだったのですが、雨がひどく、しかも霧まで発生したのでな~んもみえませんでした(笑)

続く。
Posted at 2011/08/18 23:30:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 長崎旅行 | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
ミリタリー関係その他のブログはこちらへどうぞ http://minkara.carview.co.jp/userid/1224622/mylist/all...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/4 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

リンク・クリップ

桜開花 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/03/31 21:59:29
浜松広報館車両等展示イベント 
カテゴリ:ミリタリーイベント
2016/09/27 00:40:45
 
であごすてぃーにWW2傑作機コレクション14「九九式艦上爆撃機」 
カテゴリ:でぃあごすてぃーに
2016/09/27 00:40:01
 

愛車一覧

スバル R2 スバル R2
スバル R2に乗っています。 後席がちょっと狭いですが良い車ですよ(^^)
スバル レヴォーグ レガシィ後継車 (スバル レヴォーグ)
先代が事故で早期引退となってしまったため、導入されたレガシィ後継車です。
スズキ アルト スズキ アルト
10年ほど乗っていた以前の車です。 660CC規格になって初めて乗った車でした。
輸入車その他 その他 輸入車その他 その他
ブログ用の画像です
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation