※この物語はフィクションです。登場する人物、企業、製品、団体等は実在するものとは全く関係ありません。作り話ですからwww
第四章:険しい道
2013年11月下旬から、田中をリーダーとし大島沙織をサブリーダーとするサポートチームは、いきなりアクセル全開の激務に追われることとなる。ディーラーやサポートセンターには多くの苦情が寄せられたが、その数は予想を大きく上回った。
田中は早くも二つの誤算に悩まされることになる。
ひとつは、ナビゲーションに集中すると思われたトラブルは確かにその通りとなったのだが、ナビ以外のオーディオ、ラジオ、アプリケーション、そしてシステム全体の不安定さにも多くの不具合の声が寄せられことだ。当然、対応するには要員を割かねばならず、もっとも手厚くしていたナビの対応体制はいきなり縮小を余儀なくされた。
ふたつ目は深刻であった。サブリーダーの大島がいち早くその兆候に気付き11月末には田中を呼びつけて密かに進言していた。
大島:このままじゃマズイ。このペースで行ったらみんなもたないょ。田中君
メンバーは全員、開発に携わった者で、事の経緯は全て承知していた。人選は田中に一任されていたが、早速サブに大島を据えると、二人で比較的タフなメンバーを人選したつもりだった。品質に大きな不安があるシステムをみんなで頑張って良くしていこう。お客様が抱くであろう不満を一刻も早く解消しようじゃないか。田中の熱い想いに皆、同意してくれた頼もしい仲間たちの筈だった。ところがこれが逆に仇となる。いかんせん皆、真面目過ぎた。社内では誰も経験したことのないような内外のクレームにさらされ、謝罪し、一刻も早く問題を直そうと懸命になる。皆が知らぬ間に自分自身を追い込んでいった。
そして大島の懸念が12月初旬には早くも現実のものとなる。女性技術者のひとりが体調不良を訴えて早退したのだが、大島は産業医のところに寄ってから帰れと指示した。彼女が退席すると大島は即座に産業医に連絡を入れ、それとなくカウンセリングをして欲しいと依頼。大島の予感は的中し、心的ストレスにより精神疾患の兆候があるという事だった。アクセラ発売からまだ半月足らずだ。
結局その女性技術者はチームから外れることになるが、この更に一週間と経たずに男性社員一名が無断欠勤。翌日には出社するが明らかに様子がおかしく、結局12月末でチームを離れることになる。
田中は自分の見通しの甘さを痛感せずにはいられない。会社はじまって以来と言えるこの事態に、皆がなんの問題も無く対処出来る筈がない。メンバーのメンタルケアの重要性を認識し、大島と二人で手を付けられるところからはじめてメンバーの緊張を解こうと試みるが、チーム発足にあたり「120%の実力を出そう」という勢いだった田中が、いきなり「マイペースで良い」と諭したところで、人間そう簡単にモードが切り替えられよう筈もない。このままでは
チームが崩壊する。システムの品質を改善するどころではない。
田中と大島のこの危機を救ったのは、実は一人の女性派遣社員だった。
一計を案じた大島が「一人、イイ娘を知っているんだけど」と田中に持ちかけたのが最初の離脱者が出た12月初旬。くしくも二人目の離脱者が欠勤した日に「1月から契約できると回答を貰った」と再度プッシュされた。離脱した1名の補充の当てもない。そしてもう一人の離脱者が出るかも?という現実を前に、田中にはなんの打開策もない。
田中:任せる。松本さんに直接言って進めてくれてイイよ。田中とは合意済みってことで。
大島:ありがと。アタシの思惑通りなら、彼女がきっと私たちを救ってくれる。
男勝りと評されながらも男女を問わず社内から信頼が厚い大島をして、そこまでの高評価を得た派遣社員の女性とは一体どんな才女なのか?後日見た経歴書に「冴木香織」という如何にも切れ者と思わせる名前があったが、彼女は技術者ではなかった。
1月の仕事はじめの日にはじめて彼女と対面するのだが、名前から連想された人物像には遠い、やや小柄で気持ちポチャっとした、如何にも癒し系の普通の若い女性であった。しかも声のトーンがやや高い上に口調がほわっとしていて、話している内容に関らず"ちょっと天然?"という印象すらある。頼りになるというよりはどちらかというと、いやハッキリと「たよりになりそうもない」というのが田中の正直な第一印象だった。
ところがこのたったひとりの派遣社員の女性が、製品の市場投入から1ヵ月ちょっと、殺伐とした荒野のごときサポートチームの雰囲気を、半月足らずで緑の草原に変え、2月に入る頃にはなんとお花畑に変えてしまうのだった。その変化の様子は田中をして、どんな魔法を使ったのかと舌を巻くほど。大島がニヤニヤしながら
「どう?田中君。彼女の威力、凄いでしょ?」と水を向ければ、田中はもう言葉も無くただ黙って頷くしかなかった。後に田中は彼女のことを「女神さま」と呼ぶようになるだが、こうして出だしから大きな危機に直面した田中はなんとかこの難局を乗り切り、彼が本来もっとも注力すべきN社との共同作業に軸足を移すことになる。しかしここまでで既に貴重な2ヵ月が失われていた。田中の思惑からは約1ヵ月は遅れているが、勿論何もしていなかった訳ではなく、必要な布石は着実に打っていたのだが。
※田中から「女神さま」と呼ばれる派遣社員・冴木香織の活躍の仔細は本編とは関係が薄いためここまでとするが、読者の強い要望と筆者の気まぐれによっては、紹介する機会があるかもしれない(笑)。
2014年1月某日。丁度定時になったところで、田中はN社のサポートチームのリーダーに連絡を取った。N社がある欧州某国と日本の時差は8時間。現地時間は朝の10時ということになる。
田中:おはよう、アルベルト。
アルベルト:こんばんわ、トモヤ。
トモヤ(智也)は田中の名前である。日本は夕刻、向こうは午前中のため、いつの間にかこういった挨拶を交わすことになった。
ちなみに相手のフルネームはジュルタ・アルベルト。
アルベルト:調子はどう?
田中:うーーーん、そんなに良くは無いな。
アルベルト:おいおい、たのむぞ!トモヤ。
田中:君の方はどうなんだ?
アルベルト:うーーーん、こっちもあまり良く無いな。
二人:(苦笑)
田中:今日、新たに事象の再現性が確認出来たインシデント3件のデータを送った。確認を頼む。
アルベルト:了解だ。ふぅ、日本市場とお客様はなかなか厳しいねぇ。
田中のチームに寄せられた情報は、そのまますぐにN社には送られない。先ずは事象の再現性を確認し、そのときの各種情報(GPS、車速、ジャイロ)やナビプログラムの動作ログをセットでN社に送り解析を依頼する。いわば一次切り分けである。過去に起こった事象に近いモノをグルーピングしたりもするが、不具合と疑われるモノはN社に送って基本的には確認結果を求める。
田中:最新の状況は?
アルベルト:実はちょっと聞いて欲しいことがあるんだ。イイかな?
田中:OK。どうぞ。
アルベルト:インシデントNoの89と132なんだが、どちらも自車位置を喪失したケースだ。
アルベルトは二つの事象を簡単に説明すると、それがどうして引き起こされたのか技術的な説明を始めた。田中はときどき相槌を打ちながら聞き入った。
アルベルト:・・・というワケで、どちらもGPSとマップマッチング処理のバランスを調整することで問題の修正は可能なんだが、、、
田中:それで?
アルベルト:両方を同時に解決する方法が見つかっていない。89を解決しても132は直らず、132を直すと89が再びダメになる。
田中:プログラムロジックを修正する可能性は?
アルベルト:それは影響が大きいが、昨日の午後から検討をはじめた。ただロジック修正を行えば今まで問題が無かった部分にも影響が及ぶリスクがある。確認作業に時間が掛かることになるんだ。
田中:それはその通りだな。そう、君はどうするつもり?
アルベルト:最小限度のプログラム修正で解決策が見つかるかは試してみるつもりだ。同時にチューニングで解決できないかも試行を継続する。
田中:了解した。実はボクも相談したいことがあるんだが、、、
アルベルト:なんだい?
先方から今回のような突っ込んだ話題を持ちかけられたのは確か三回目くらいだったと思った。そろそろ潮時かな?という感触を得て、田中は予てから考えていた話をアルベルトに持ちかけた。
田中:今我々には日々、日本のお客様からの問い合わせが入っていて、我々の確認が取れたものから順次、君たちに解析依頼している。
田中は意図して「障害」とか「修正依頼」という言葉を避けている。
田中:だが、我々が事象の確認が終わらないために君たちに解析を頼めない問い合わせがいくつかある。どうだろう、その問合せ一覧を日次で君たちと共有してはどうかと思うんだ。両社の取り決めには反するが、、、
アルベルト:目的は?
田中:日々どんな問い合わせを我々が受けているか、リアルタイムで君たちにもわかる。日本市場の声だ。今回初めて参入した市場の声に触れることは、悪く無い話だと思わないかい?勿論、解析は従来通り我々から依頼したものが優先だ。
アルベルト:ふーむ。。。。。OK。君のアイディアに同意しよう。マネージャにはボクから話しておく。
田中:ありがとう、アルベルト。君の同意に感謝する。
定時連絡を終えた田中は「よし!」とひとり小さく拳を握りしめた。
アクセラの発売を1ヵ月後に控えた10月某日。課長の松本は田中を呼んで次のような話を持ちかけた。
松本:田中君。やはり国内向けには国産のナビを投入せざるを得ないと思うんだが、君の意見は?
田中:それはそう出来ればそれに越したことはないでしょうが、準備には相応に時間が掛かりますし、ハードル(役員会)をどうやって突破するかも難問ですよ。
松本:それは十分に承知しているが、今のクオリティでN社のナビがどのくらい日本のユーザーに受け入れられか、楽観的にはなれない。大きな不満が出たことを受けてはじめたんでは時間が掛かり過ぎる。最悪のケースを想定して、前広に準備を始めた方が良いと思ってな。
田中:小峰君の熱気に当てられましたか?課長。
松本:茶化すな!だが結局、彼の主張がもっとも現実的な解決策かもしれん。
田中:国産の準備を密かに始める事には賛成です。ただ、私はN社のナビの品質をなんとか改善出来ないかと最近ずっと考えているんです。
松本:ほう。
田中:N社の技術力は確かですし、それは欧米向けのナビの評価でも明らかです。結局、日本向けがこういう状況になっているのは、彼らにとって初めて経験する市場のニーズを、我々が正しく彼らに伝えられなかった事に根本原因があると思うんです。
松本:うむ。
田中:今まで一緒に仕事をしてきて、彼らは決して不誠実でも技術力が劣るワケでもありません。我々と何が違うのかと言えば危機感です。その温度差がなぜ生じているのか、なぜなぜを何度もやって考えたんですが、結局知らなければ解らないってことです。
松本:つまり、我々と認識が一致すれば彼らの動きも変わる、と。
田中:そうです。いずれにしてもお客様からクレームが入れば何もしないというワケにはいきません。
松本:確かに日本市場のニーズを彼らが正確に理解すれば、対応もこれまでとは変わってくるかもしれん。だが製品が市場に出てしまえば、後は時間との戦いだ。今回の件でボクも勉強になったが、国産のナビシステムの位置精度は各社のノウハウの塊なのだろう。果たしてN社が追い付くのにどのくらいの時間が掛かるか、、、
田中:でも国産をやると言っても相応に時間が掛かる以上、品質を上げていく事はやらざるを得ないし、無駄にはならないと思うんです。
松本:やれやれ、田中君はボクに二正面作戦をしろ、というワケだな。国産ナビの準備と、N社ナビの品質改善と。
田中:ハイ。
松本:それじゃぁ国産ナビの開発は誰に頼もうか。
田中:それなら小峰君を推しますょ。松本さんは、どうせボクに国産ナビを任せる一方、製品サポートは自ら指揮をなさる腹積もりだったんでしょうが、指揮官が現場に降りて鉄砲撃ってちゃ戦争は負けますよ。前線の指揮は我々に任せて、後方で二正面作戦を指揮して貰わないと困ります。彼は良いモノを作りたいという強い気持ちと、簡単に諦めない粘り強さがあります。ちょっと直情傾向なところはありますが、松本さんの下で製品サポートという守りをやらせるより、短期間で国産ナビを仕上げるという攻めの方が絶対に活きますょ。
松本:田中君、君には負けたょ。よし!思い通りに突っ走ってみろ!骨は拾ってやる。
田中:ありがとうございます!
あの日に松本に宣言した通り、田中の最初の課題はN社と危機感を共有することだった。これが出来なければ開発時の二の舞いである。一度は失敗した事だが、今日の定時連絡で小さな手応えを掴んだ田中だった。
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2015/01/30 19:25:51