ここしばらく、以前のようにほぼ毎日のペースで規則正しく(?)日記を書けず、不定期連載のようになりつつありますが(すみません!)、本日3月11日で、東日本大震災が発生してから丸々12年が経過しました。
自分の気持ちを申し上げると、月日が経つのは早いもので、途中経過にはいろいろな出来事もありましたが、この12年は本当に長いような、短いような、あっと言う間の12年だったと感じました。
※これより先、津波や、被災地の画像が入ります。気分を悪くされた読者の方は、「戻る」ボタンを押して戻って下さいm(_ _)m
ジャスト12年前の2011年3月11日の午後2時46分…自分は勤め先にて、1枚物の大きな布を磨き洗いしていたのですが、突然の立ちくらみ&めまいに襲われて「急に身体の具合が悪くなったのか!?」と思っていた矢先、道路を挟んで向かいの建物にある別の部署で親方やってた先輩の「地震だ~!!おまいら早く逃げろ~!!!」という叫び声を聞き、その時初めて地震だとわかりました。新潟県内でも、被災地から遠く離れた上越では、大きな揺れが来なかった代わりに、前述のような状態になったのだと思います。
東日本大震災が発生してから約15分後、3時の休憩時間に休憩室のテレビを点けてみたら、宮城県の石巻港が津波に飲み込まれているじゃないですか!!
その次に見た光景は、高校生の時に家族旅行で行った福島県にある「スパリゾートハワイアンズ」や「小名浜水族館」が津波に飲み込まれた瞬間…
自分はこの光景を見て、映画「デイ・アフター・トゥモロー」のワンシーンを思い出したと同時に、悪い夢なら覚めて欲しいと願っていました。
この日は一晩中、東日本大震災による前述の「立ちくらみ&めまい」のような状態が続き、決してお酒を飲んで酩酊している状態ではなかったのですが、足の設置感が全くないような、千鳥足みたいな感じでした。
そして、翌日の3月12日の午前4時03分…東日本大震災を発端とした「長野県北部地震(後述)」が発生すると誰が予想したでしょうか!?
おそらくこの先60代、70代のおジイさんになっても、自分は2011年3月11日に発生した東日本大震災と、その翌日に発生した長野県北部地震の出来事はゼッタイに忘れる事が出来ないと思っていた自分ですが、4年前の6月18日の22時22分に発生した山形・新潟沖地震で一時、生死に関わるトンでもない出来事を己の身をもって経験し、その節におきましては全国のみん友さんはじめ、読者の皆さまからの安否確認や、励ましのメッセージをたくさん頂き、気持ちが救われたと同時に、改めて「自然の恐ろしさ」を感じました。
時は流れてあれから12年…世の中は「新型コロナウイルス」と言う未曾有のウイルス感染症に翻弄されておりますが、それでも東日本大震災の記憶を風化させないと同時に、1日も早く被災地だけでなく、日本全体が元通りに復興出来る事を、切実に願っている次第ですm(_ _)m
※写真はあくまでもイメージですf(^_^;
明けない夜はない、止まない雨や雪はない…1人1人が手を取り合って仲間全員で助け合い、この世の中に平和を取り戻しましょう!!!
Posted at 2023/03/11 23:03:29 | |
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